第183話

私もアルフレッド様も一言も話すことなく、踊る。

ここのところテカペルの練習ばかりだったけれど、向かい合って踊るフォーマルな踊りはトリフォニア王国と同じ。

帝国へ逃げてくる前にマリウス兄様とヴィヴィアン先生と習っていたのを体が覚えていたようで、アルフレッド様の足を踏むことなく自然と踊れている。

いや、アルフレッド様のリードが上手いからかもしれないが。

「ダンスはいいね。踊っている姿は見られても、声までは届かない。周りを気にしなくても、ダンスしている間は二人きりだ。だから今は、いつも通りに話して」

「アルフレッド様?」

気まずくて、向かい合うアルフレッド様のタイピンばかり見ていた顔をあげると、アルフレッド様の深い緑の瞳がこちらを見つめていた。

窓から差し込む光に照らされて、いつもは暗い緑の瞳の奥がきらりと光り、まるで宵闇に光る星のよう。

「確かにこの状況だともう兄と呼ぶのは難しいか」

アルフレッド様の声でもう兄と呼べないと言われると、わかっていたのに胸がずきりと痛む。

「だけど覚えていて。返上したのは呼び名だけだからね。わかった?」

柔らかく微笑むアルフレッド様の笑顔を見ると、今度はほわほわと温かい気持ちになる。

そっか。兄様と呼ばなくても、今まで通りなんだ。

ネイトがお嬢様と呼ぶようになっても、私たちの友情は変わらないように、アルフレッド兄様と呼ばなくなっても私の大事なお兄様だ。

言葉一つで、不安になったり、安心したり……アルフレッド様の言葉は不思議だ。

「ふふふ。はいっ。変わるのは、呼び名だけですからね」

いつの間にか笑いながら踊る私に、アルフレッド様がドレスを褒めてくれる。

「公爵家に来た時のドレスも似合っていたけれど、今日のドレスもテルミスに似合っている。そのネックレスともね。知っているかい? 公爵家の茶会で俺は森の妖精と踊ったと言われているんだよ」

「森の……妖精!?」

想像の範囲外からの言葉に一瞬何を言われたかわからずぽかんとする。

森の……妖精ってなんで?

「ククックッ。上手に踊れていた証拠だよ。靴の注文も増えているんだろ? 大成功だな。妖精さん」

くるりとターンをしながら、アルフレッド様が笑う。

「もうっ。ベティが緑のドレスばかり作るからですわ。今度は真っ赤なドレスでも作ってもらおうかしら」

「良いじゃないか。せっかくいいイメージがついているんだ。それに乗っかってテルミスの色にしてしまえばいい。それに、まじめな話をするとこれから危険がないとも言い切れないんだから、これからもその護身用ネックレスをつけてほしい。だからそのネックレスに合う緑色のドレスがいいと思うな。それに、さっきみたいな強引な輩の抑止にもなると思うし」

確かに。

さっき手を掴まれたのは怖かった。

私はこの夏トリフォニア王国の伯爵令嬢に身分が戻ったけれど、まだお買い得と思われているのだろうか。

それに、教会も気になるし、自衛のためにもこのネックレスは外さない方がいいだろう。

そうすると、緑か。アマティスタの紫に合わすのもいいかな。


音楽が止まり、ダンスが終わる。

「アルフレッド様。ありがとうございました」

関係性が変わることに不安がっていた私にわざわざ言葉を尽くしてくれたアルフレッド様の心遣いが嬉しかった。

今はもう不安はない。

平民から伯爵令嬢になって、ネイトからお嬢様と呼ばれて、アルフレッド兄様を兄様と呼べなくなって。

私の周りはめまぐるしく変わった。

おそらくこれからの私とアルフレッド様の関係を端的に表せば、留学時代の親友の妹ということになるのだろう。

だけど呼び名はもう関係ない。

私にとってアルフレッド様は、マリウス兄様の親友であり、いつまでたっても大好きなお兄様なのだから。

アルフレッド様はダンス後、私の手を取り迷いなく歩いていく。

どこへ行くのだろうと思っていたら、はぐれたバイロンさんたちの所まで送ってくれた。

私たちと別れたアルフレッド様の周りには、あっという間にたくさんの女性が群がっている。

バイロンさんが言う通り、アルフレッド様の所には釣書が殺到していそうだなと思った。


私はその後ジェイムス様とも踊り、ジェイムス様からは「兄って言ってなかったか?」とアルフレッド様のことを突っ込まれたりもした。

兄の友人で、妹のように私のことも気にかけてくれていたと話すと、「妹のように……過保護だな」とジェイムス様は笑っていた。

ジェイムス様と踊り終わり、バイロンさんの所へ戻る。

途中一人の男性と目があった。

「また会いましたね。テルミス嬢。ジェイムス様もお久しぶりです」

この人が! この人は何なの?

とっさに声が出ず、沈黙が落ちる。

「ブレイクリー子爵お久しぶりです。テルミス嬢と知り合いだったとは驚きました」

「テルミス嬢とはトリフォニア王国で会ってね。それに先日はお詫びもできず申し訳ない。アレはもう修道院に入れましたから安心してくださいね」

笑顔で嘘をつくブレイクリー子爵。

修道院ですらない。アグネスはそのまま家から出されたんだ。

それなのに、そのことを笑顔で話す神経がわからない。

「そういうことは望んでいません」

「そうでしたか。でもアレがいない方が安心でしょう」

安心?

それは誰にとって?

私の家族は、みんな仲が良くて、私が最低のライブラリアンだとわかっても態度を変えず、クラティエ帝国へ逃げても放り出したりせず、ずっと家族としてのつながりを離さない。

目の前にいるアグネスのお父様は、あっさりと手を離した。

罪悪感もなく。

むかつく。むかつく。

そう思ってしまうのは、もうアグネスのこと私の家族だと思っているからなのかもしれない。

「私は……私は好きですよ。アグネス様のこと。では失礼します」


変に思われない程度に早足で人をかき分けて進む。

とにかくブレイクリー子爵から離れたかった。

「おいっ、ちょっと待て」

ジェイムス様が手を掴み、バルコニーへとエスコートしてくれる。

「大丈夫か? ブレイクリー子爵と何があった?」

「何も。子爵とはトリフォニア王国の茶会で会いました。その時アグネスのお父様だと言ったら…」

「あぁ、それで。アグネスは修道院に行かされたってことか」

私よりもずっと貴族情勢に詳しいジェイムス様は、アグネスのお父様がSクラスでテルミス商会のオーナーである私とアグネスを天秤にかけて、私の機嫌を取ることにしたことが分かったようだ。

「お前のせいじゃない。いつかはこうなると思っていた」

ジェイムス様が話すには、ジェイムス様とアグネス様のタウンハウスが同じ区域にあることから、学園入学前から知り合いだったそうだ。

「俺も小さい時どうにか結婚してとお願いされたことがある。伯爵家と縁ができれば、お父様も見直してくれるはずだからってな。まぁ、断ったが」

ブリアナ様が言っていた「アグネスは馬鹿で、一生懸命で……可哀想な子」という言葉が思い出される。

アグネスは、ずっとずっと頑張っていたのかもしれない。

「お前なんて要らない」と言われないように、ずっと。

いつもがけから落ちないように、手当たり次第に手を伸ばしていたのかもしれない。

「くそ。修道院じゃ手を出せないな」

ジェイムス様が悔しがる。

「ジェイムス様?」

「被害者のお前に言うことじゃないけどさ、アグネス馬鹿だけどいい奴なんだよ。これでも友達だったんだ。最近は幻覚も抜けてきたと聞いていたから安心していたんだが、そうか。修道院かぁ」

被害者である私に気を使って言葉を濁しているが、ジェイムス様はアグネスを心配している。

その言葉でささくれだった心がちょっと落ち着いた。

「あれ、嘘なんですよ」

「あ?」

「アグネスは、一人家から出されたんですよ」

ジェイムス様の顔が驚き、青ざめる。

「なんだと? 女一人で放り出したのか! あのくそ親父」

怒り、今にも飛び出していきそうなジェイムス様の手を押さえて、言う。

「待ってください。アグネスは無事です。うちにいますから」

「……は?」

怒るジェイムス様をなだめるうちに私の怒りも収まり、予想外な展開に驚きジェイムス様の怒りもどこかへ行ってしまったようだった。

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