第178話【閑話】マリウス視点
妹は、ライブラリアンというだけで2年半前に誘拐されかかった。
そのせいで、まだ7歳だというのに慣れ親しんだ家を出て、国を出て、逃げなければならなかった。
一人逃げなければならなかったテルミスはどれだけ心細い思いをしたことだろう。
もちろん残された家族である僕たちにとってもこの2年半は辛かった。
定期的に手紙は来るものの、病気はしていないか、友達はできたか、悪い大人に騙されていないかと心配事は次から次へと湧いてきたし、手紙では楽しそうに思えても実際は無理をしているかもしれないと気が気じゃなかった。
そう考えれば考えるほど、自分たちの無力さを思い知る。
そんな日々だった。
ようやくスキル狩りを解決して、テルミスが帰国したというのに、今度は教会の動きが怪しい。
頭に来た。
せっかく帰って来られるようになったのに、またテルミスは逃げるように国を出なければならない。
テルミスのクラティエ帝国行きに同行したのは、普通に心配だったから。
魔法がすごいとはいえ、テルミスの運動神経は皆無だし、何より強そうに見えて、本当はすごく怖がりで寂しがり屋だ。
僕にできることはないかもしれないと思いつつ、とにかく傍にいてやらないと……そう思った。
王都からクラティエ帝国帝都までの旅路は何も問題がなかった。
僕とネイトに加え護衛もいたし、テルミスの結界があったので、魔物は何の脅威でもなかった。
テルミスの空間魔法付きポシェットとテルミスの料理の腕で、食べるものにも困らなかった。
野営をするときなど誰よりも旅慣れた様子で料理を作るテルミスを見ると、前回もこうやって山の中を逃げていたんだなと実感する。
テルミスの家に着いて驚いたのは、まるで家族のように食卓を囲む専属や友人の姿だ。
平民として暮らしていたからか、身分関係なく食卓を囲み、研究の話、次の新商品の話など、途絶えることなく話が続き、とても楽しそうだった。
テルミスの居場所が出来ていることにほっとすると同時に、ほんの少しだけ悔しくも思った。
本当の家族は僕だぞと。
アルフレッドが公爵家出身だったことは、僕も知らなかったからかなり驚いた。
確かに今思えば、アルフレッドは突然ドレイト領に来た。
あの頃は、幼かったし、友達ができてうれしかったこともあり、僕の友人がどんな経緯でドレイト領に来たかなんて考えもしなかった。
一度その公爵に会いたいと思い、滞在期間を伸ばした。
学校ももうすぐ始まるからギリギリまで伸ばした形だ。
お家騒動は収まっているらしいが、公爵がどんな人か知りたかったのだ。
それはもちろん、一緒に茶会に参加し、帝国での貴族生活を再開する親友の置かれる状況を心配したからだし、これからまた離れて暮らすことになるテルミスを気にかけてくれる人かどうかも気になった。
だって、公爵だ。
人となりは会ったことがないからわからないが、権力的には皇族に次ぐ権力があるはずだ。
アルフレッドにとっても、テルミスにとっても味方になってくれるような人だったらいいと思った。
茶会の前には、元テルミスのクラスメイトだというアグネス嬢が突撃してきたりもした。
アグネス嬢の話を聞けば、テルミスは学園で理不尽な目にあっていたようだから、やっぱりこういう点は信用ならないなと思う。
テルミスの手紙はいつも楽しかったことばかりで、辛いことや悲しいことなんて一つも書いていない。
辛くても、悲しくても、人に言わない。
そういうところだけ、頑固に強い。
アグネス嬢は茶会の前など、テルミスの侍女としてバタバタ働いていた。
その姿を見れば、きっとアグネス嬢もここの家族の一員になるのだろうなと容易に想像がついた。
もしかしたら、こうやって人を受け入れることで寂しさを紛らわせているのかもしれない。
公爵家の茶会は本当に行ってよかった。
ヴィルフォード公爵バートランド様はこちらが見極めるまでもなく、アルフレッドにもテルミスにも友好的だった。
二人がテカペルを踊りに行った後、バートランド様と二人で話すことになった。
「テルミス嬢に目をつけている貴族は多い」
「え?」
「彼女は学園でSクラスになったようでね。あの学園でSクラスになる者などほとんどいないんだ。相当優秀ってことだよ。それに帝国内でもテルミス商会は急成長しているしね」
知らなかった。
Sクラスになったことは聞いていたが、それがどういう意味を持つかテルミスは言わなかった。
心配をかけるから言わなかったのだろう。
やっぱりテルミスのこういうところは信用ならない。
いつの間にか、こぶしを握り締めていた僕を見下ろしてバートランド様は言う。
「兄というのは、損な性分だよな。どんなに成長しても、心配が絶えない」
バートランド様は中央で踊るアルフレッドとテルミスを見ている。
そうか。この人もずっと弟であるアルフレッドを心配していたのか。
アルフレッドはお家騒動の時、バートランド様が逃がしたと言っていた。
テルミスはドレイトから帝都へ、アルフレッドは帝都からドレイトへ。
アルフレッドがドレイトに来たのは、テルミスが家を出た時よりも幼いはずだ。
そんなに長い間、自分と同じようにこの人は心配し、自分にできることがないと嘆き、過ごしてきたのだと思うとなんだか親近感がわいた。
「それでは、私はそろそろ行こう。あ、もし時間が許すならテルミス嬢の研究室にも顔を出すといい。彼が守っている限り大抵のことは大丈夫だ」
テルミスが通っている研究室?
バートランド様の意味深な言葉の意味は分からなかったが僕にはまだやることがある。
せっかくの茶会だ。
アルフレッドとテルミスが踊っている間に一人でも多くの貴族と話すこと。
事前にアグネス嬢から聞き取りして、帝国貴族の情報は頭に入っている。
たった1回の茶会で何になると思わなくもない。
けれど、少しでも顔を売る、縁をつなぐ。
それがいつかテルミスの助けにつながることを期待して。
茶会が終わり、帰国が明日に迫ったその日、ユリウスという人が訪ねてきた。
テルミスによるとテルミスが研究助手をしている研究者なのだそうだ。
これは、バートランド様が言っていた方だと無理やり同席した。
最初はライブラリアンのスキルアップについて話していた。転移ができるようになったと聞き、その研究者は目を険しくした。
「それを知っている者は?」
「家族と専属護衛は知っていますが……」
ふーっと息を吐き、話し始める。
「それは隠しておきなさい。面倒なことになる」
確かにテルミスの転移の能力は見たことがない。
王宮の茶会の時に作った声を飛ばせる魔道具なんて、皆が使える魔道具なら欲しがる人は多いだろう。
けれど、ユリウスという人が話したのは、そういうことではなかった。
「賢者というのを知っているか」
僕もテルミスもアルフレッドから聞いて知っているから首を縦に振ったが、頭の中で警鐘が鳴る。
まただ。
また、賢者だ。
何か良くない方に転がっている気がする。
「賢者は複数のスキルを使って、邪竜を退けた。それがよく伝わる話だ。でも彼にはもう一つ興味深い話がある。この国の至る所に彼の話が残っているんだ。でも、面白いのはどこの土地に伝わる話でも最後は突然姿を消していることだ。そういうところから昔は一瞬でどこかに移動できる能力があるのではないかと言っている人もいたほどだ。今はそんな能力あるはずないってことになってはいるがな」
場に沈黙が落ちる。
今テルミスは声や物を転移させることができるようになった。
これからテルミス自身も転移できるようになるかもしれない。いや、なるだろう。
テルミスが……賢者?
「賢者様は、ライブラリアンだったんでしょうか」
「それはわからない。だが、トリフォニアでも教会に目をつけられたんだろう? 気を付けるに越したことはない」
その一言で、ハッとする。
この人は、誰だ。
テルミスの話だと平民の研究者ということだった。
だが、ただの平民のはずがない。
教会との話は、家族とオスニエル陛下くらいしか知らないはずだ。
しかもつい最近のことだ。
他国のただの平民がどうして知っている?
優雅に紅茶を飲む姿も、こうしてみれば平民らしくない。
それに何よりバートランド様が、彼に守られていれば大抵のことは大丈夫だと言っていた。
ということは……。
何をやっているんだ。
テルミスに心強い味方がいることに安堵しながらも、何も知らず気安く話しかけるテルミスを見てひやひやもする。
バチリと目と目があい、互いに「あぁ気づかれたな」というのがわかる。
帰るというので玄関まで見送る。
「テルミスの事、どうか、どうかよろしくお願いします」
そう言って頭を下げた。深く、深く。
研究者の姿をした彼は、困ったように笑い「任せておけ」と言って帰っていく。
良かった。テルミスは大丈夫だ。
夜、帰り支度をして何とはなしに夜空の星を見る。
本当に心配いらなかった。わざわざ帝国まで来たけれど、僕の力などいらなかったな……と思う。
いつもそうだ。
テルミスは僕よりもずっとずっとすごい。
それでもやっぱり心配してしまうのは、バートランド様が言うように兄、だからだろうか。
最後の夜だ。
少しテルミスの顔を見てから寝よう。
そう思って、テルミスの部屋をノックする。
ガタガタと慌てた様子に、もう寝てしまっていたか、失敗したなと思う。
おずおずと開いた部屋から出てきたテルミスの目元が少し赤い。
また失敗したなと思った。
そうだった。テルミスは、一人で抱えすぎるのだ。
頭をポンポンとなでると、じわりと涙が浮かぶ。
「ちょっと兄様待っててください」と言って扉を閉めようとするので、無理に入る。
「テルミス。そのままでいいから兄様の話を聞いてくれるか」
頭がこくりと下がる。
「テルミスの家は良い家だな。皆優しくて、楽しそうで安心した。だから次は、頼れる人を見つけるんだ」
「頼れる人?」
「そう。嫌だった、悲しい、辛い、助けてって泣きつける人だよ。もちろん今は兄様でいい。けれど、長く帝国にいるならここにも必要だと兄様は思うよ」
テルミスはしばらく下を向いたまま、何も答えない。
しばらくして、ぽつりと言う。
「でも、そんなことしたら困らせてしまうでしょ」
「そうだね。でもね。少なくとも兄様は、テルミスが一人っきりで泣いている方が困ってしまうな」
「じゃあ……兄様帰らないで」
下を向いたまま僕の服をつかみ、震える声でそういうテルミスを見て、やっぱり無理をしていた部分もあったのだと思う。
まだまだテルミスは子供で、急に家族から離れなければならなくて、寂しくないわけがないのだ。
「困ったな」
びくりとテルミスの肩が震える。
「でも、とにかく吐き出してごらん」
そう言って、頭をなでると堰を切ったように涙が止まらなくなった。
2年半分の涙を流しているのだろうか。
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