第175話【閑話】アグネス視点
あぁ。やっぱり私必要ない子だったんだな。
ベッドの上で膝を抱えて、ぐずぐずと枕を濡らす。
小さい頃から、私が何をしてもお父様は褒めることも怒ることも何もしなかった。
上手にカーテシーができるようになっても、文字が読めるようになっても。
ダンスが踊れるようになっても、刺繍を渡しても。
他の人が褒めてくれるようなことがあっても、お父様は見向きもしなかった。
どうでもいいのだ。私なんて。
そう気が付いたのは早かった。
ならばと高価な壺を割ってみた。
癇癪を起して、使用人を怒鳴りつけた。
それでもお父様は怒らない。
悪いことをしても、見向きもされない私。
何のために、私は生まれたの。
要らないなら、最初から生まなければいいのに。
学園に入って、クリス様に出会った。
笑顔で私の落としたハンカチを拾ってくれたクリス様は私にとって王子様だった。
やっと私を見つけてくれた。
そう思った。
でもそれも……間違いだったのよね。
退学して帰ってきた私にさえ、お父様は何も言わない。
毎日ただただ生きているだけの私。
私なんて、誰も必要ないどうでもいい存在なのだ。
突然隣国へ行っていたお父様から手紙が来て、私はわずかなお金だけ持って家を出された。
誰も私を追いかけてくれる人はいない。
そんな時に道で見つけたあの子は、心の底から楽しそうに笑っていて。むかついた。
一言言ってやろうと思って近づいたら、護衛と兄に守られてた。
あの子と私、一体何が違うの。
良いわよね。守ってくれる人がいるんだから。
「テルミスは絶対にそんなことはしない」
あの子の兄が言ってた。
私の家族だったら、私のことをこんな風にかばわない。
いいな。
私なんて……。
ドガン! とすごい音がした。
驚いて、部屋の入り口を見れば、閉じていた扉が蹴破られていた。
入り口には肩で息をしながら、すごい勢いで私に怒る女性がいた。誰?
「いつまで泣いてんのよ! 今アンタは、健康で、雨風しのげる部屋にいて、ただただ泣いているだけでも食事をくれる友達がいて。そんなアンタのどこが不幸なのよ! 親に捨てられたから何? そんな親こっちから願い下げ。嘘でもそれくらい強い心を持ちなさい。それくらいじゃないと一人で生きていけないわよ。甘ったれんな!」
「え、アンタになんかわからないわよ。大体誰よ」
驚いて、涙が引っ込んだ。
「私はテレンス」
「男みたいな名前」
「知ってるわ」
それ以上、テレンスとかいう女は何も言わない。
「言いたいことはそれだけ? アンタには関係ないんだから出て行って」
テレンスはずかずかと部屋に入り込んで、私を見下ろす。
「私の親は男の子が欲しかったの。髪を伸ばすこともスカートをはくことも許されなかったわ。別に女の子らしい恰好が好きだったわけじゃないけれど、私の意思なんて考えない親が嫌で家を出たわ」
だから何よ。
だから、私の気持ちがわかるとでも言いたいの。
そういうの、要らない。要らない、要らない。
出て行ってと言おうと口を開きかけた時に、テレンスはまた話し始める。
「家を出た私が困ったのは、働くところも住む家もなかったことよ。ただ生きることすらできなかったの」
え?
そこから話を聞くには、怪しげなところは分からないが、普通の人が暮らすエリアでは、明らかに家出のテレンスに家を貸してくれる人はいなかったようだ。
どうにもならず、二日で家に戻ったという。
「よかったじゃない。戻れる家があって」
「アンタはないわね。アンタここを追い出されたらどうするの? アンタみたいなお嬢様すぐに野垂れ死によ。アンタはここでめそめそ泣いていたら誰かが助けてくれると思ってるかもしれないけれど、世間の人はみんな自分のことで手一杯よ。ただ泣いているだけの子に手を差し伸べてくれることなんてないわ。そんなの演劇の中だけの話。アンタがここを出ていきたいなら構わない、それなら虚勢でいいから強くなりなさい」
わかってるわよ。
誰も助けてくれる人なんかいないことくらい。
ずっとずっと助けてほしかった。
誰かに私を見つけてほしかった。でも、そんな人いなかったもの。
「でもアンタには、雨風しのげる家を貸してくれて、ご飯までくれる友達がいるんでしょう。アンタもなかなか恵まれてるわよ。ここにいるつもりなら、ずっと閉じこもって甘ったれてるだけじゃだめ。信じ、信じられる間にならなくちゃ。子供の世界は生まれた家、学校、親の知り合いだけだけどね。大人は、自分で居場所を作るのよ」
居場所は自分で作る?
自分でってどうやって……?
「あ、忘れてたわ。これテルーから今日のご飯よ。それじゃね」
「ま、待って! ……居場所ってどうやって作るの?」
テレンスがふっと顔を緩める。
「まずは部屋から出て、話してみたら? アンタのことを知ってもらって、アンタもみんなのことを知るの。そうしないと何も始まらないわ」
テレンスが部屋を出ていく。
遠くで、部屋を壊したことを詫びる声が聞こえる。
私……初めてだ。
私のために真剣に怒ってくれた人。
「まずは、部屋から出て、話すだけ。お父様なんかバカヤローよ」
そう言って、部屋を出た。
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