第164話
「つ、疲れた……」
今日もヴィヴィアン先生のスパルタ授業を受けて、疲労困憊な体を引きずり部屋のベッドに倒れこむ。
ヴィヴィアン先生は、靴の宣伝のために踊るならばそれはすなわち、人の為に踊るダンスだと言ってかなり力を入れている。
自分で楽しむためのダンスならば、楽しいならそれでいいが、人に見せるなら完璧でなければならないと力説された。
今日は特に腕回りの指摘が多かったなぁ。
そう。テカペルはテンポが速く足のステップがとても難しい曲。だからこそ私は必死にステップを覚えて、間違わないよう練習してきた。
けれど、それはステップが間違わなかっただけであって、踊りではない。
ステップ、腕の振りはもちろん、表情だってダンスの一部だ。
すなわち必死に足元を見ながら間違わないように踊る私のダンスは、ダンスですらない。
そんなダンス以下の私のダンスに命を吹き込むように、毎日ヴィヴィアン先生は私を猛特訓してくれている。
う、いてて……。腕が筋肉痛だ。
速く難しい足のステップと違い、腕はそれほど難解ではない。
けれどヴィヴィアン先生の指導通り、斜め45度の角度を振りの間ずっとキープし、ぶれることなく、爪の先まで神経をこめて踊るのはかなり堪えた。
要所要所で、ポーズをとる場所などは本当にピタッと止まらなければ美しくない。
どんなにリズムが速くても、その場所は流してはいけない。ちゃんと止まること。
踊りながら、常に飛んでくるヴィヴィアン先生の指摘に合わせて修正しながら、踊り、踊り、さらに踊る。
もう、とにかく踊るしかない。
レッスンにはヴィヴィアン先生の知り合いの人も来ていて、その人がピアノでテカペルの音楽を弾いてくれる。
速いテンポでもステップを間違わないようついていくのは難しいが、音に合わせるのもまた難しいのだ。
そして最後。
踊り終わったころには、私は疲れ果てて肩で息をするくらいなのだけど、それにさえ指摘が飛ぶ。
ヴィヴィアン先生はこう言っていた。
「一生懸命踊っていることがわかるダンスなんて、見ている人の心なんか打たない。子供が母親に見せるダンスではないんだから。きついポーズ、速いテンポ、難しい振付、そんな困難をものともせず踊る姿に人は感動するのよ」
ヴィヴィアン先生の言葉を思い出し、ベッドから飛び起きる。
ヴィヴィアン先生からは宿題が出ているのだ。ダンスの自主練はもちろんだが、日常のいろいろな動作を頭の先からつま先まで意識して体を使うようにと。
だから、ベッドにだらりと寝ころんでいた体を起こし、背筋や首を伸ばして座る。
ただ座っているだけなのに、この姿勢は疲れる。
まっすぐきれいな姿勢で座ろうとすると、おなかにも力が入るんだな……。
そんなことに気づいたところでふと思う。
この宿題は、身体強化の練習にもなるのではないか?
身体強化を効率的に使うには、体のどの部位をどう使えばいいのか知ることが必要だ。
1日中体を意識しながら動くことは、どんな動作の時にどこの部位の筋肉を使うか知ることにつながら気がする。
この宿題、頑張らないと。
昼食を食べると庭へ移動する。
庭にある椅子にふわりと座り、母様を待つ。
もちろん、頭の先からつま先まで意識しながら座ったので、姿勢はピンとまっすぐだし、座る際にも物音ひとつたてなかった。
「お嬢様、なんだかすごくお嬢様らしくなりました?」
ネイトは流石にすぐに気がついて、そんなことを言う。
「失礼ね! 私実はちゃんと最初からお嬢様なのよ。でも今日はヴィヴィアン先生の宿題を意識してるから、綺麗な姿勢でいられるのかも」
それにしても不思議だ。
ドレイト領を出る時は、ルークやザックへの罪悪感でいっぱいで、あまり前向きな気持ちにならなかったのだけど、今は少し前向きだ。
「ネイトには黙っててもわかっちゃうから言うけど、あの話を聞いてから私、私なんかのせいでって、ただそればかり思ってたの。だけど今は私がみんなの為にできることは何かって考えられるの。急になんでかしら。不思議よね」
その答えは私の背後から飛んできた。
「それはきっとヴィヴィアンのおかげね」
「お母様!」
不意に聞こえた声に驚いて、ガタリと立ち上がる。
「ごめんなさい。つい聞こえてしまったものだから」
そう言って母様は立ち上がった私をゆっくり抱きしめて話し始める。
「心と体って繋がってるの。じっとしていれば、どんどん一つの考え、気持ちに凝り固まって沈んでいくし、動けば新たな可能性も見えてくる。テルミスは今たくさん体を動かしているでしょう? だから沈んだ気持ちから脱却できたのね」
そうか。確かに今すごく体を動かしている。
一人思い悩む夜はどんどん気持ちは重くなり沈んでいくのは、私にも経験がある。
動いたことで気持ちも軽やかになったのだろうか。
「それに、今のあなたはとっても素敵よ。姿勢が良いのもヴィヴィアンの宿題のおかげなんでしょう? 胸を張って、前を向いているあなたが前向きな気持ちになるのは当然だわ」
母様が言うには、ドレイト領を出発したころの私はうつむきがちで背が丸まっていたらしい。
うつむき、下ばかりを向いていたら気持ちだって下がっていく。
母様が言うにはうつむいた姿勢は呼吸が浅くなりがちで落ち着かない。
そういう意味でも、息が深く吸えるよう胸を張っていた方が落ち着くのだとか。
「ほら、深呼吸すると落ち着くでしょう?」と言われて、確かにと納得した。
だから、辛いとき悲しい時こそ前を向いて胸を張るのがいいし、忙しいときには優雅なしぐさを心がければ気持ちがゆったりするのだとか。
「見た目で判断してはいけないなんて言う人もいるけどね、内面の気持ちは見た目に現れるし、逆に見た目に引っ張られて内面が変わるなんてこともあるわ。だからね、テルミス。変わりたいときは見た目から変えてみなさい。虚勢でもいいの。胸を張っていたら、いつかそれが本当になるから。それにいつでも母様の所に泣きに来てもいいのよ。たとえテルミスがお婆さんになったって私にとってはかわいい子供なんだから」
そう言って、母様はまたぎゅっと私を強く抱きしめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます