第149話
「お嬢様、おはようございます」
メリンダがカーテンを開けながら、声をかける。
手をうーんと伸ばし、ベッドから出る。
「おはよう」
こうやってメリンダに起こしてもらうのも久しぶり。
「朝一番は、弓の練習ですね。マリウス坊ちゃまも訓練所ですでに剣の訓練されていますよ。それに、お嬢様の弓の訓練に付き合おうと楽しみにしている者もいます。きっとお嬢様もびっくりされると思いますよ」
昨日お父様たちと話をして、弓はゼポット様が教えてくれることになった。
ゼポット様は私の護身術の先生だ。
今は騎士見習いたちに訓練をつけているらしい。
この時間は騎士見習いの訓練時間らしく、私もそこにお邪魔してちょこちょこっと弓を習うのだ。
「私の弓の訓練を楽しみに? え? 私、全然的にも当たらないのに、どうしましょう」
「大丈夫ですよ。行ったらわかりますから」
そう言って、メリンダはささっと私の髪を一つにまとめてくれた。
訓練場に行くと、マリウス兄様が騎士の一人と打ち合いをしていた。
二人とも一歩も引かない。カンカンと剣が打ち合う音だけが聞こえている。
兄様すごい……やっぱりマリウス兄様はかっこいいな。
兄様から視線を外し、訓練所をきょろきょろと見渡すと訓練所の奥にゼポット様と赤髪の子が立っていた。
待たせたら悪いと二人に駆け寄る。
「ゼポット様、お久しぶりです。お時間いただきありがとうございました」
「よく帰ってこられた。お嬢様、大きくなったの」
久しぶりに会ったゼポット様は、やはり口調にそぐわず、立ち姿、筋肉が現役の騎士のようだった。
そして、横に立つ赤髪の子。
記憶より大きくなった姿に驚きつつも、この子を忘れるわけがない。
あの日何度も何度も倒されながら私を守ってくれたのだから。
「ネイト? な、なんでここに?」
「お前の弓の練習に付き合うためだけど……いてぇっ!」
言い終わる前に、ゼポット様からげんこつが飛んできた。
見るだけでもいたそうだ。
「言葉遣いに気をつけるんじゃな」
「お、お嬢様の弓の訓練に付き合うつもりで来ました」
ネイトは頭を押さえながら、答える。
私はあわててゼポット様に、昔からの仲だからと言ったのだけど、ゼポット様からの返答にこの日一番に驚いた。
「昔はよくても今は駄目じゃ。今ネイトは騎士見習いじゃからな。主をお前などと呼んではならんよ」
「騎士見習い? ネイトが?」
ネイトの方を見やるとうんうんと頷いている。
クラティエ帝国もトリフォニア王国も貴族の爵位としての騎士もあったのだが、時代とともになくなり、今は騎士団に所属するものを平民も貴族もまとめて騎士と呼んでいる。
だから理論上はネイトも騎士になれるのだが、やはり孤児から騎士になる者など稀だし、何よりネイトはまだ9歳だ。
驚くのも無理はないと思う。
「まぁ、早速やってみようかの」
そう言ってゼポット様は少し小さな弓を渡してくれる。
そして遠くにある的を指さし、射てみるよう言った。
まずはどれくらい私ができるのか見たいのだそうだ。
私は若干気まずい気持ちを抱えながら、弓を引く。
これ以上無理だというところで手を放つと、いつも通り弓は放物線を描いて的よりもずいぶん手前にポトリと落ちた。
「……」
「……」
ゼポット様と私が無言の中、ネイトがぷはっと笑う。
「変わってねーな。小さくて、力がなくて、鈍くさい。いいじゃん弓ができなくても。これからはちゃんと俺が守ってやる……いってぇ!」
「言葉遣い」
そうなのだ。力が圧倒的に足りないのよね。
あ……でも、ここはドレイト領だ。
「そっか。力が足りないのよ。
全身にさらに強く身体強化をかけ、弓を引く。
「おわっ!」
ギリギリギリと弓がしなる。まだだ。
ヒュー先生のお手本はもっと引いていた。
もうちょっと。よし、今。
手を離すと同時に、矢がビュンっと飛んでいく。
さっきのような放物線じゃなく、まっすぐと。
そして……ザシュとすごい音を立てて、的の隣の木に刺さった。
「……」
「……」
今度はゼポット様とネイトが押し黙る。
「で、できた……。まっすぐ飛んだ! まっすぐ飛んだよ! 見てた?」
そういうと、ネイトがはっとする。
「見た! すげぇな。的どころか隣の木に刺さってるけど、身体強化できるようになったのか!」
ネイト、それは褒めてないぞ。
「で、お嬢様。すごいのはすごいのじゃが、今のは身体強化かの? 今度は身体強化なしで弓を引いてくれんかの」
「なしで?」
それだと引くこともできないと思うんだけど……。
矢をセットして、引く。先ほどに比べると全くだ。全く弓がしならない。
それでもできる限り矢を引き絞り、放つ。
ぽたり。
放物線を描くこともなく、2歩先に落ちた。
「……」
「……」
「……」
三人ともが言葉をなくし、場に沈黙が立ち込める。
ネイトは無言で矢を拾い、ゼポット様は手を顎に当てて何かを考え始めた。
私は何ともいたたまれなくなりつつ二人を見つめている。
「お嬢様、これは提案なのじゃが、この弓の訓練の時間は弓ではなく、身体強化の訓練に当ててはどうかの? さっき見たところお嬢様の身体強化は程度を変化できるのじゃろう?」
「はい」
「でも使い慣れていないように感じる。お嬢様は、人一倍体力、筋力がないし、こういってはなんじゃが、運動も得意ではないじゃろう。自分でどれくらいの身体強化ならうまく使いこなせるか知っておくことの方が弓よりもずっと有意義だとわしは思うよ」
確かに……。だいぶ体力もついてきたし、身体強化も使えるようになったから弓もできるようになると思ったけれど、ゼポット様曰くまだまだ私は弓などの武器を使うスタートラインにも立てていないようだ。
「昔も言ったが、まずは危険な状況でも考え、動けること。次に逃げて、逃げて、逃げれること。その二つが大事なんじゃ。まずは身体強化でしっかり逃げ切れるようになりましょう。大丈夫じゃ。わしもしっかりサポートするし、何より今回は身体強化の申し子とも言えるネイトもいるからの」
「身体強化の申し子?」
最後に聞きなれない言葉を聞いて聞き返せば、ネイトは体の使い方が上手いのだそうだ。
ただ走るといっても、人は実はいろんなことを考えている。
どこに足を着地させるか、周囲に障害物はないか、どのタイミングで曲がるかなどなど…。
たとえ身体強化で速く走れる力を手に入れても、使いこなせなければ、急なスピードに自分の運動能力、自分の判断能力がついていけず、何かにぶつかってしまったり、こけたりするのだそう。
ネイトはそういうことが全くない。最初から体の使い方がしっかりわかっているのだからだという。
「よし! じゃあ、弓はなしだな。お前が……いてぇっ! 大丈夫だ。お嬢様が危ないときには俺がちゃんと守るから、お嬢様は逃げる練習だ。頑張ろうな!」
ネイトは最後までゼポット様に拳骨を食らいながら、一緒に逃げる練習をしようと笑った。
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