第109話 【閑話】ダニエル視点

あの日俺は聖女様に会った。


あの日は初めての魔物との戦いで皆緊張していた。

俺もだ。

だが全く反応のないウィプトスにいつの間にか緊張は解け、ただただ攻撃するだけになっていた。

それが突然。

ウィプトスが首を振り回し始め、俺は訳もわからず地に這いつくばっていた。

いてぇ。


何が起こったかわからず、ただ地面を見ていたら、突然風が吹き抜けるように声が届いた。


「動ける人は自力でこちらまで来てください!

他の皆さんも手を貸してください!

倒れた人をこちらに運んで!」


その声でようやく周囲の状況が目に入ってきたと同時に恐怖した。

地面ばかり見ていたが、振り返ると未だウィプトスは首を振り回し続けており、正に俺の近くに振り下ろされるところだったのだ。

急いで体を翻して首をよけ、よろよろとけが人が集まっているところへ行く。


そこには誰よりも小さな少女が、誰よりも懸命に働いていた。

服が汚れるのも構わず、膝をつき、怪我を確認している。

そのけが人は腕が折れていたのか、けがの程度が薬で治る範疇を越えると判断するや否や聖魔法使いのバーバラ嬢を呼ぶ。

その声につられてバーバラ嬢の方を向くと、ちょうどこちらにやってきたところだった。

この小さな少女は誰よりも早く動いていたのか…と気付く。


ぼーっとバーバラ嬢の魔法を見ていると、いつの間にか小さな少女が横にいた。

俺の怪我を見ると、水をかけ、薬を塗り、そして傷口を手で押さえた。

一瞬時間が止まったかと思った。

その真剣な横顔があまりに美しくて、抑えられた傷口がなんだか少し暖かくて。

なぜだか彼女の周りは光が差しているように見えた。


「ほかに怪我したところはありませんか?」

「!あ、ああ…大丈夫だ。」


ただそれだけのやり取りで、彼女は次の怪我人のところへ行ってしまう。


待って。待ってよ。

「聖女様…」


反射的に引き止めようとするが、彼女の目にもう俺は映っていない。


ありがとうも言ってない…


俺の傷はあっと言う間に治った。

傷跡もなく、あれは夢だったのではないかと思うほどだ。

それほど俺にとっては、特別な…いやなんというか、神聖な気持ちになった出来事だったのだ。

傷があった場所に視線を投げる俺を見て、友人らは「また聖女様思い出してる」と笑った。

俺があの日「聖女様」とぽつりとつぶやいたのを知っているのだ。


それがなぜあんなことになったのか。

聖女様は、いつの間にか男をたぶらかす偽聖女になっていた。

平民は図々しいと女どもは眉をひそめていた。

クラスが違うので知らなかったが、そうか、彼女は平民だったのか。

ならば距離を取ったほうが、彼女のためにもよかろうと思った。

事実無根なのだから、もう俺が聖女様などと言わなければ噂もすぐに消えるであろうと思ったのだ。


それが何故か消えない。

偽聖女から巨神兵にもなっている。

訳が分からなかった。

この頃になると彼女の悪評は学園全体に広まっており、しがない男爵家の俺には表立って彼女をかばう勇気はなかった。


せめて、彼女が泣いている時は力になろう…そう思っていたが、彼女は思っていたより強かった。

悪評にもかかわらず、毎日登校していたし、泣き顔一つ見せなかった。

ある日、魔物学の授業で動きがあった。

魔物の討伐が終わる頃、彼女の大きな声が聞こえたのだ。


「ぎゃあーー!

何やってるんですか!

いきなりナイフで腕を切る人がどこにいますか!

バカなんですか!もう!

親からもらった大事な体に自分から傷つけるなんて罰当たりですよ!!

もう!まったく!」


そこには男をたぶらかそうとする意志など微塵も感じられない。

恐喝する意志など微塵も感じられない。

あるのはただ目の前の人のみを案じ、真摯に手当てする彼女の姿だけだ。

ヒュー先生の喝により、彼女への悪い噂は聞かなくなった。


俺は自分を恥じた。

悪意など全くなかったが、おそらく俺の一言から噂が広まったのだ。

それなのに、俺は彼女をかばうことも、彼女に謝罪することもしなかった。

しがない男爵家だから…というのは言い訳だ。

だって彼女の方がもっと弱い立場だったのだから。


夏休み明け、クラス発表を見ると驚いた。

彼女の名前が実技1位に載っていたからだ。

クラスもCクラスからAクラスに上がっていた。


Cクラスの奴らが彼女の成績を見て「不正だ」と騒ぎ始め、あろうことか彼女自身に絡んでいった。

それでも彼女は堂々としていた。

その時俺は思ったんだ。

彼女はいつだって前を見てるから強いのだと。

誰かに悪い噂をされようとも、喧嘩を売られようとも相手にしない。

相手は自分のレベルまで彼女を落とそうと必死だが、それを一顧だにせず彼女は進んでいく。

きっとあいつらと彼女はもう取り返せないほど差が開いているんだろうな。

俺とも…な。


そんなことを思いながら、俺は駆け出す。

「イライアス皇子!

中庭で結果に不満な一部の生徒が騒いでいます!」


「わかった。すぐいく。」


さて…俺も勉強しよう。


**********

「おーい。まだ勉強してんのか」

そう言ってくるのは、寮で同室になった奴だ。

こいつは伯爵家なので、幼い頃から何人も家庭教師がついているだけあってAクラスだ。

本当いいよな。

金のある貴族は。


ナリス学園は実力重視。

家柄などは関係なく、試験結果でクラスが決まる。

だがふたを開けてみればAクラスは、伯爵家以上の者ばかりだ。

理由は簡単。

入学までの勉強量の差だ。

俺みたいな男爵家は、入試に合格するよう家庭教師がつく場合がほとんどなので、入試の数年前からしか勉強しないし、勉強の目的はあくまで入試で合格することだ。

それに比べ高位貴族は、幼いころから家庭教師をつけ、ありとあらゆる勉強をするのだ。


今までなら俺も「本当にいいよな」で終わっていたんだが、今はもう終われない。

俺は変わらずBクラスだった。

今までなら男爵家でBクラスまで行けばいい方だと思っていたんだけどな…


彼女は、平民だった。

なのに、Aクラスだ。

彼女の友人2人も平民だが、今回Aクラスだ。



家柄とか関係ないのだ。

今まで学園に入学した平民だって、忖度していただけでAクラスに入れる実力の人もいたかもしれない。

男爵家だからと言い訳していては、恥ずかしい。

俺はいつかどこかで彼女に会ったときに恥ずかしくない大人になりたいと思う。

その一心で今勉強している。


「お前の聖女様、本当凄いわ。

お前が聖女と言うのも、最近わかる気がする。」


こいつから聞く彼女の話が、今の俺の一番のモチベーションだ。


体術は苦手らしいが、薬草学では扱いの難しい魔草を難なく薬にしていく。

最近バンフィールド先生は、生徒からの質問をまず彼女に答えさせるらしい。

それでよどみなく答える彼女を見て、Aクラスの生徒は負けていられないとさらに薬草学に力を入れて勉強しているらしい。


初級魔法学の話もすごかった。

生活魔法をすぐにできるようになった彼女を見て、好奇心を抑えられなかったAクラスの生徒が聞いたらしい。

「試験はどこの輪までくぐれたのか?」と。


「最後の輪までくぐれたと知った時のクラスの激震をお前に見せてやりたかったよ」

見てないが、Aクラスの奴らの気持ちはわかる。

最後までって…最後って…あの針の穴みたいな奴だろ?

出来る奴なんているわけないと思ってたもんな。


魔物学は、後方部隊が1人になったのに、魔物のランクが上がったのに、一人で駆け回ってけがを治し続けているという。

ほんとあの小さい体のどこにそんな力があるのだろうか。


「ダニエル、今度の課外授業聖女様と一緒のグループになれるといいな」


「いや…俺は…まだいいわ。」

会っても恥ずかしくない俺になってから会いたいと思う。


さて…もうひと踏ん張り、明日の予習して寝るか。

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