第104話 【閑話】ベルン視点
船の上で娘との日々を振り返る。
楽しかったなぁ。
**********
初めて来た娘の家は、小さいながら機能的な家だった。
階下に見知らぬ人が住んでいるというのは、大丈夫だろうか?と安全面が少し心配になるが、見たところ管理人であるバイロンという若者は、良い人そうであり、テルミスを気にかけてくれている様子で安心した。
リビングに行くとそこには大きなキッチンがあった。
部屋を間違ったか?
いや間違うほど部屋数もなかったな。
そう思い見渡すと、窓辺にある一人掛けのソファに座り、娘が黒猫を抱いてぼーっと外を眺めていた。
やはり…。
やはり来てよかった。
実はレアが見つかったのは、最近ではない。
もう1年も前の話だ。
何度手紙でテルミスに話そうかと思ったことか。
だがその度に、一人帝国で奮闘する娘の姿が思い浮かび言い出せなかった。
真実を話すべきかどうか悩み、まだマリウスが入学する前にポロリとこぼしてしまったことがある。
「テルミスにもちゃんと本当のことを話さなければとは思うのだが…」
「父様、全部話すのですか?
僕は反対です。
話すとしても今はダメです!
誰かが一緒にいる時でなければ、テルミスは絶対思いつめます。
テルミスは賢いけれどまだ9歳です。
強そうに見えて弱いのですから。」
マリウスがいの一番に反対してきたときにはびっくりした。
だが、今はマリウスの話を聞いてよかったと思う。
宮殿でのテルミスは、驚きもあり、一瞬落ち込んだ時もあったが、すぐさま持ち直し、普通に会話していた。
けれど、今外を見つめる娘のなんと頼りないことか。
良かった。
すべてを包み隠さず話そうとしていた私は、全く親失格である。
すべて話すということは、娘にもその荷を負わすことだ。
あの子はまだ9歳。
まだ子供だ。
テルミスと話すと大人と話しているのかと時々錯覚することがある。
だからついつい大人同様に対応してしまいそうになる。
だがそれは…親の甘えだな。
「テルミス!
面白い造りだな。
ここはキッチンか?」
まだ私に気付いていない娘に、声をかける。
夕飯時なので、空間魔法付きバッグからお土産のパングラタンを出してディナーに誘う。
娘の顔が一気にほころぶのがわかる。
二人で夕食を食べ、デザートに新作の紅茶のプリンを食べる。
その後は皆からのお土産を渡す。
洋服や、靴、プリンやパイと言う新作お菓子の試作品までてんこ盛りだ。
私には娘に気の利いた言葉をかけることはできないが、お土産を出し、話をするだけでも娘の表情は明るくなっていった。
夜、疲れて眠ってしまった娘をベッドに運ぶ。
当たり前だが、その寝顔はまだほんの子供。
「テルミス…すまない。
今まで苦労させてしまって。
だが、これからは任せてくれ。
おやすみ」
頭をなで、部屋をでた。
やはり、まだこんな子供にあんなことは…話せるわけがない。
あんなことは。
**********
翌日起きてリビングに行くと、リビングはすごいことになっていた。
昨日取り急ぎ宮殿にある材料をありったけ持って帰ってきたのだが、娘はすでにその薬草の袋を開け、薬を作り始めようとしていた。
うん。確かにメンティア侯爵は結婚式が終わったらすぐ帰ってしまうが、勤勉すぎないか?
ドレイトにいた頃は、メリンダが勉強の時間などを管理していると言っていたので、今回私がその役をせねばならないと思っていたのに。
そう言えば、時間の管理はメリンダだったが、スケジュールを決めていたのはこの子自身だったな。
「おはよう。テルミス。早いな。」
「お父様。おはようございます。
ちょっと待ってくださいね。」
そういうと手を止めて、なにやら白い液体に白いものを入れて混ぜた。
何だこれは?
「お父様、これは甘麴ミルクと言う飲み物です。
甘いですが、身体にいいのですよ。
お父様は旅でお疲れでしょうし、良かったら飲んでください。
その間にご飯の準備してしまうから。
あと、朝はパンとフルーツだけでいいかしら?」
そう言って窓辺にある一人掛けのソファの横にサイドテーブルを設置して、ご飯の準備を始めた。
甘麹ミルク…恐る恐る飲んでみた。
うまい。
確かに元気が出るような味だ。
そうこうしている間にご飯が出てきて、娘と一緒に食べる。
少し談笑したのちに、テルミスが皿を下げる。
さすがに皿くらい洗おうと思い、テルミスと一緒に皿を運ぶ。
「
そう娘が唱えると、みるみるうちに皿がキレイになった。
何だ今の魔法は!
そう言えば娘の魔法は見たことがなかった。
こんなに高度な魔法を使えるようになっていたのか。
驚いていると、娘が慌てだす。
「あ、いつもはちゃんとお皿を洗っているんですよ。
ただ今日は薬をたくさん作らなきゃいけないと思って、他の家事を手抜きしただけで…」
「いや、とがめていないよ。
初めてテルミスの魔法を見たから驚いただけだ。
綺麗になったなら、水で洗おうが魔法で洗おうがいいじゃないか。
テルミスはこんな魔法も使えるようになったのか、すごいな。」
咎めていないとわかったら安心したのか、じゃあ昨日の服も魔法できれいにすると言って、私の服に魔法をかけていた。
つまり、洗濯が終わったということでいいのか?
私は娘の補佐をしようと思ってきたのだが…むしろ世話される事態になっていた。
情けない。
その後「今日は時間がないし、人の目もないので、魔法で時短です!」なんて言って、昨日持ち帰った薬草すべてに先程の
なんのために?と問うと、
「えっと、このままでも使えるのですが、アマルゴンは乾燥した方が効能が高いですし、高温多湿を避ければ日持ちもします。
だから、この瓶の中にアマルゴンの葉を入れて、乾燥させ、作り終わった薬もこの瓶に入れてお渡ししたら、旅の間に悪くならないかなと思ったのです。
部屋に吊り下げて乾燥させたら時間がかかりますから。」
「なるほど」
それを聞いて思った。
これテルミスに依頼したから2日後に薬を持って帰れるが、普通なら無理だっただろうな。
あの量の葉を洗うだけでも一苦労だろう。
それと同時に、よどみなく薬草の特徴を答え、遠く離れた王国まで薬を運ぶ最適な方法を考え出す娘を見て、ドレイト領を離れたこの2年でどれだけの努力をしたのだろうかとも思う。
この年ごろの子なら、普通は学園の入試対策くらいだろうに。
娘は、乾燥させた葉を細かく刻み、さらにすり鉢で細かく擦る。
「
美しい。
皿を洗ったときから思っていたが、娘の使う魔法はきれいだ。
魔法発動の時に一瞬キラキラと光るのだ。
さっきは空調の魔法陣を付与していた。
まだ見たことはないが、話によると4大魔法も使えるというし、聖魔法も使える。
薬の知識もある。
我が子ながら、とんでもない天才である。
だが、私は知っている。
テルミスは元々普通の子だったのだ。
せっせと私の世話を焼き、薬を作っているといつの間にか昼になっていたようだ。
ニール君とアルフレッドが持ってきてくれた昼食を3人で食べる。
テルミスが片付けをして、薬づくりを始めたので、窓辺でアルフレッドと話す。
「どうでした?テルミスは?」
「なんてことないように見えるが、ふとした時に思いつめているような顔の時がある。
マリウスの助言を聞いて正解だった。」
「そうですか。」
「この2週間は、あの子と楽しいことをしようと思うよ。
私は、上手く慰めることはできんからな。」
薬はすごいスピードで作られた。
メンティア侯爵が帰国するころにはもう半量完成していたし、その後はゆっくりできるのかと思っていた。
だが、娘の暮らしはなかなか忙しい。
薬の他に屋台をするための準備はあるし、夜は本を読んでいる。
勉強しているようだ。
私も何度かあいさつに回らねばならないところもあったので、出かけた日はたくさんお土産を買って帰った。
娘と旅行に行けたのは本当に良かった。
旅行中は、時折寂しげな顔をしていたが、初めて食べる食事、初めての景色、初めての経験に楽しそうだった。
少しは気が晴れたといいのだが。
そして船に乗る時。
一瞬顔が曇ったような気がしたが、不器用にもにっこり笑って別れを告げる娘を見て、私は胸が張り裂けそうになった。
寂しいって言っていいんだ。
誘拐されて怖かったって言ってもいい。
帰らないでって言ったっていいんだ。
私も帰りたいって言ったっていい。
そんな弱音を吐いたっていい。
この2年であったことは、まだ9歳の娘には大変なことばかりだったはずだ。
でも、娘は言わない。
いや言えないのか。
自分の足で立つことが当たり前になっているのだ。
そして、そうさせたのは…私だな。
そう。娘は普通の子供だった。
時間を気にせず遊びまわったり、親に甘えたりする普通のこども。
変わったのは、きっとスキル判定後だ。
ライブラリアンの評価が良くないことは周知の事実だったので、テルミスがライブラリアンと知り、私もマティスも娘の将来を悲観した。
この運命は並大抵の努力では覆せない…そう思った私はまだ6歳だったあの子にライブラリアンの評価、それからそのままたどるであろう人生を話すことにした。
どんな人生を歩むか真剣に考えてほしかったからだ。
真剣に考えた結果、娘は私たちが思う以上に努力した。
今だって若干9歳だというのに知識も、魔法の実力も、どこに出しても恥ずかしくないほどだと思う。
だがそれは、娘の無邪気な子供時代と引き換えに得たものだ。
私は思う。
確かに娘は強くなった。
貴族であろうと平民であろうと、暮らしていけると思う。
だが強くなったと同時に弱くなったとも思う。
私のしたことは間違いだったのではないだろうか…
あの子はもう十分すごいのに、まだまだ頑張っている。
いつか心がポッキリ折れてしまわないように、どうか誰かに頼れる強さを、辛い時に泣ける場所ができるといいと思う。
父親だというのに、そう祈ることしかできないことが歯痒い。
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