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………………
昨夜。アキノがサトウからの電話を再び受ける。
勝手に処置をしてごめんね、と謝る声はしおらしく、仕事をしている時の規則的で柔らかいロボットのような彼女とは全く違っていた。
「会ったときに話したことをわざわざ繰り返さないでいい、時間の無駄でしょ」
『う~ん、そうなんだけどね…………』
他愛無い会話の時に歯切れが悪いのはいつものことだが、
「まあいいさ、お前のお蔭でウサギも無事だったんだから」
風呂場のドアを閉めると連動して照明がオフになる。
「でも、一度ケイト君に任せてみようかと思ってたからね。ちょっと残念だ」
『そうだったんだ……彼って君のアシスタントでしょう。独り立ちさせるの?』
「別にそういう意図はないけど、ずっと私の陰にいるわけにもいかないだろ? 経験だよ」
ふ~ん、と浮き上がるような相槌が聞こえてスピーカーを引っ掻こうかという衝動に駆られる。
「で、他に用がないなら切るぞ。今ちょっと忙しいから」
『ううん、そのウサギさんの話ね。どう? データ持ってる? 気になるコードがあったから、後で調べたかったの」
「あ~、ちょっと待ってな。コードってウイルスエラー?」
データの画面共有をするとすぐに、小さな声で『あ、』と聞こえた。
『うん、これだね。解読してくれたりした?』
何も言われていないのにすでに済んでいることを期待されているのは気に入らないが、如何せんもうその仕事は完了してしまっている。
「これがなんの役に立つんだ? とうとうウイルス研究でも始めたか」
『いや、ほら、最近新型のラビュリントウイルスが見つかってるじゃない? あれでちょっと嫌な話を聞いたから、確認したいなと思って』
アキノは目を細める。沈黙に促す意図を受け取ったのか、サトウは続ける。
『動物のコピーを開発しようとしている会社があるらしいんだ、それも何社か始めてる』
「は?」
「それは今あるペットより高性能の製品ってこと?」
一体どこからこういう情報を受信するのか。コピーというだけでは要領を得ないから聞き返したが、そういうことでもないと言う。
「じゃあ動物の行動全てを模倣してるって言うのか? 栄養摂取や排泄までコピーする必要がどこにあるってんだ。」
『その通りだよ。全てを真似してようやく完璧なコピーってこと。機械では消化しきれない有機物でもエネルギーに換えて稼動する、生き物と全く変わらない人工ペットって言われてるらしいよ』
人工ペット。なんか、不快になりそうなほどチープで品性の感じられない言葉だ。ユーモアもない。
「それは何? それを買ったら生活が豊かになるの?」
『……わからないよ。わたしは、機械でも動物とは生きられないから』
声が小さくなり、少し不安げに言う。問い詰めたわけじゃないんだが。
「そりゃそうだ。別に私たちには関係のない商売だからね」
動物と縁がない人には如何とも感じにくい問題なのかもしれない。しかしなぜだろうか、彼岸の火事だとしてもこうも気持ちが悪いのは。
「けどそれじゃ生きた動物を飼うのとまるで違いがないな。生き物の非合理的な生理現象を超越してこそ、機械技術として求められるものでしょ。開発人員、製造費、エネルギーの無駄遣いだ。そんな非効率的なもの、作ってどうするって言うんだ? 同じものが欲しけりゃ生き物を買えばいい」
『生き物が苦手でも、機械のペットなら触れ合えるという人も一定数いるからね。代用できればそちらに縋る人だってきっといる』
機械でも怖くて近付けないサトウは別の側面を冷静に見ていた。
『それにねアキノ、利益が出れば、人はなんでも作るよ』
………………
「データをコピーされた形跡があるね」
結論から言って、アキノさんは見事に、捕まえた犬をはじめ完成済みだった基盤と建物のウイルス駆除までやってのけた。社長がいつか言っていた、「技術ではサトウに一歩劣るが、バイタリティだけは尊敬できる点だね」という言葉も伊達ではない。
「え?」
アキノさんがぽつりとこぼした言葉に耳を疑う。
「バックアップも盗まれてる。これは後で自動的にまた作成されるからこいつは心配ないけど……」
「薄気味悪いな。それはもしかして、新型の特性だったりするんでしょうか」
機体のデータを複製して抜き取る。なんの意味があるのかはわからないが、そもそもラビュリントウイルスというもの自体がなんの目的もなく機械から機械へ移動していくだけの迷子のような存在。そこに生命体としての生存本能など備わっていない以上、理由を問うても仕方のないことなのかもしれない。
「そんなことは今はいい。とりあえず戻るよ、依頼人のことを適当に置いてちゃったでしょ。怒ってないといいけど」
しかし急いで戻る必要もなかった。心配だったのだろう、コウダさんは工場の門のところで所在なさげに待っていた。
「クロ!」
ぼくが抱いて歩いている動かない家族に、コウダさんは慌てて駆け寄ってきた。
「大丈夫ですよ、今は再起動しているだけです。五分ほどお待ちになっていただけたらまた目を覚ましますよ」
アキノさんが穏やかな口調でそう声をかけると、彼は安心で脱力し、膝に手を置いて大きく息を吐いた。
「ああ、よかった、よかった……。嫁の弟みたいなもんなんですよ。こいつに何かあったら、どうしたらいいかわからねえ」
「それから、クロさんと工場のセキュリティシステム、製品の一部に感染が確認されたので取り急ぎ除去させていただきました。後日全体の検査をしたいのですがよろしいでしょうか?」
コウダさんは、勿論、勿論だ、と枯れた声で繰り返して快諾してくれる。そして一度顔をあげ、その体勢のまま深く頭を下げた。
「ありがとう。急だったんに迅速に対応してもらって助かりました」
ぼくから犬を受け取る依頼人に、アキノさんはニコリと綺麗に微笑んでこう言った。
「いい家族なんですね。お大事に」
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