革靴で硬い舗道を走ると踵に負担がかかる。

 地面を蹴るたびに足の裏がぶつかる衝撃を不快に感じながらできる限りの速度で前を走る上司を追いかける。

「ついて来てるかー!?」

「……っいます」

 そう答えるのが精一杯で、ひょいとこちらを振り返ったアキノさんを、こっちを見る余裕があるならわざわざ返事をさせる意味がないが、と恨みを込めて見返す。しかし当の上司は一瞬確認しただけでするりと視線を戻していった。

「君はそのまま追って。私は西から回り込もう」

「ちょ……!?」

 質問すら受け付ける気がないのかアキノさんは突然方向を変えて道を外れ、手すりを飛び越えて少し下の道へ着地すると別ルートを走り去る。

 ぼくだけであれを追い続けられると思っているのか、あの人は。

 あれ、もとい、前方をそれらしく駆けるのはウサギの形を模した機械である。


 あらゆる器物に自動化が普及されるようになってから数十年。携帯端末のサポートから始まり、家電が声ひとつで起動するのは勿論、照明は時間帯と住人の状態によって調光し、ベッドは傾きや温度の調整でより質の良い安眠を。玄関から家電、家具、壁に至るまで機械で繋がり、家ごと機械化したとも言えよう。より個人に寄り添い、よりエネルギー消費を抑える技術が発展していく今日日の文明。自動化は単なるスイッチによる稼働から、自ら状況を把握し判断して微調整を図る人工知能の搭載により、一般家屋の全自動化へ変遷していった。

 しかし文明の変革により問題もまた多く掘り出されているさなかであり、どれも完全な解消には至っていない。例えば、人為的な不正アクセスを受ければ家全体を乗っ取る事も出来てしまうわけだ。そしてもうひとつ、近年巷を騒がす問題が。

「一度システムを強制終了させた方がいいのでは?」

「いや、それはお客が了承しないだろ」

 【ウイルス駆除サービス】とプリントされた上着を身につけた二人組がウサギの入ったケースを膝を抱えるようにしゃがんで見下ろしている。

「あの、なおりますか……?」

 家主の奥さんがおずおずと聞いてきて、ジャケットを腰に巻いた上司が顎に手をやりながら答える。

「そうですね、一度ボタンさんを預かりして、事務所の設備の方で原因等を調べさせていただく形になりますね」

 社会の傾向によって効率化、安全化はペット文化にも及んでいる。それはすなわち愛玩動物の機械化である。毛皮の質感はそのままに中身の人工知能がオリジナルを模倣した愛らしい動作や気まぐれな振る舞いをして、主人になついたりなつかなかったりする。充電方法を周囲の家具と同様にすることでエネルギー管理の無駄を削減した製品として、いや、次世代のペットとして世間に浸透した。むしろ現代は生き物の売買も廃れ、模倣ペットが一般に言うところの「ペット」と成り代わっている。このウサギも例に漏れず、機械仕掛けの家族である。

 アキノさんが依頼者に説明をしている間、ぼくはウサギの様子を注視していた。ガタガタとケース内の充電ベッドを動き回り、関節を軋ませて安定しない。これはどう考えても通常の動作ではない。

「やっぱりウイルスでしょうか……」

「ええその可能性が高いですね。お話を聞く限り、動作の不調やオーバーヒートなど異常が続いているようなので発症初期の段階でしょう。対処が遅れれば体内の各所にエラーが生じてデータと回路がズタボロになるところでした」

「…………」

「ですが早期に相談してくださったのでこの子は間に合いますよ。それも精密に検査させていただきます」

 依頼主夫婦が顔色を青くしていくのに対して寄り添うでもなくさっぱりとそう付け足す。

「ウイルス感染の場合はその場で駆除作業に移ります。別途料金がかかりますがよろしいですか?」

「はい、勿論」

「よろしくお願いします」

 重なるようにして夫婦が答えたので、アキノさんはニコリと誠実そうに笑った。

「ではお預かりしますね」

 ……と、ウサギを連れて依頼人の家を出たのが十五分前。どういうわけかケースのロックが外れたせいでそれが脱走し、二人で追いかけているのが現在である。ちなみにいつの間にかウサギは路地裏に潜り込んで姿を消してしまった。

「君、自分がなんとかして捕まえようという気概はないの? ワンダーランドの少女を見習って欲しいね」

「あれは純粋に好奇心で追いかけてただけで、別に捕獲して中身をいじろうとかいう意図はなかったと思いますけど……」

 しかもウサギの色が違う。薄い雲が覆った頭上には淡く円い光がぽつりと間接照明のように浮かんでいて、あそこに太陽があるのだとわかる。そんな正午過ぎ。

 ぼくが息を整えている間にアキノさんはカード型端末の望遠機能を使って周囲を見渡している。

「だいじょうぶ? ケイト君」

「……こんなに走る職場ならやめてやるって何回言いましたっけ」

 アキノさんはふははと気の抜ける笑い声をあげた。

「今のはちょっとしたトラブルだろ? 仕方ないさ。そのケースがウサギにハッキングされたんだね。いつも充電で繋いでるものだから簡単だったんでしょ」

 ぼくがずっと持っていた空のケースを指して上司は推測する。

「製造時に防衛機能はつけられてるはずだしそんなことは滅多にないけどね。あのウサギが自らやったってことは既に正気じゃない可能性が高い。これは感染してるかもなあ」

 やれやれ、と大仰に肩をすくめる。この人の動作はいつもわざとらしい。それを視界の端に見ながら、ぼくはぼくで小型のコンピュータを開く。

「ラビュリントウイルスでしょうか」

「少なくとも人間のウイルスではないだろうね」

「そういうのはいいので……」

 コンピュータと人間が共通して感染するウイルスなど発見されてはたまらない。ぼくが生きているうちは生まれないで欲しいものだ。

 ラビュリントウイルス。コンピュータに潜伏するマルウェアの類だが、その中でも特異な種のものを指す。ラビュリントは生みの親が確認されていない神出鬼没なウイルスである。人工知能であらゆる物が一体化した時代がゆえに、コンピュータにとどまらず家電などの機械にまで感染する。果たしてそれがマルウェアであるのか、と言う問題はあるのだが、機械に感染し時に被害をもたらす事実に変わりはないのでこれをウイルスと呼称しているわけだ。信じ難いことだが要は悪意が介入しない人為的装置であるマルウェアの定義を外れた、言わば自然発生型の機械の病原である。

「とにかく周辺の機器や他人の端末に勝手に接続される前にウサギを捕まえておかないとまずいね。追跡はどう?」

「ルート確認中です。北、二ブロック先で止まってるみたいです」

 依頼人の所有物を紛失したのになんかのんびりしてるなこの人は。と思ったが自分もあまり慌てきれないので少し呆れてかぶりを振った。

 機械のウサギが逃げ出したとて、命が失われることにはならない。そんな冷たい考えが、お互い言い出さずとも頭の片隅で共通してあったのかもしれない。しかしラビュリントを持っているとすれば、あれが有害なものであることに変わりはない。

「じゃあそろそろ行こうか。ウサギを逃がしたこと、社長にはまだ言ってないよな?」

「すでに報告しましたけど」

 突然肩に負荷がかかって、見ればアキノさんがのしかかってきていた。

「助手君。穏便に済ませようと思ったんだけどね。……指示にないことはしないでくれないかなあ」

 耳元にざらついた声が取り付いてくるが、こういうことを譲っていたら人格に歪みが生じてしまうのでぼくはあくまで冷静に言い返す。

「こればかりは職業倫理的に共有すべきでしょ、依頼者に伏せるかどうかを決めるのはアキノさんじゃなくて社長です」

 軽い舌打ちが聞こえてくるが横顔はからっとしており不穏さは見られないので助手が機嫌取りするラインではない。それにこんなことで機嫌を損なわれてはバディも成り立たないし。

「仕方ない、その辺りは社長に任せようね。」

 その算段だってウサギを捕まえてからの話だ。面倒だなあとこぼし、歩き出しながら上司はアラームを鳴らし始めた端末を耳元に寄せる。

「はぁい。どうした、社長。ご存知の通りちょっと大変な状況なんだけど」

 先程メッセージを送ったから社長から直接指示がきたのだろう。

「サトウのとこに……え、今すぐに行かなきゃいけない? ただでさえ仕事が滞ってる最中なのに?」

「サトウさん?」

 サトウとはアキノさんの同僚で、アキノさんを凌ぐ優秀な技術者だ。しかし今は休職中であるはずの彼女が一体どうかしたのだろうか。アキノさんが意識下にこちらに目配せをしながら怪訝そうな顔をしているのであまり良い報せではないのかもしれないと身構えつつ会話を待つ。

「…………そう。わかった、じゃあすぐに行くよ」

「……ウサギを放ってどこに?」

 アキノさんが端末をポケットに仕舞うのを確認してから口を出した。アキノさんはまた肩をすくめて、何も言わずにポケットに手を入れたまま歩き出す。

 こうなると助手の苦言も通らないので黙ってついていくほかない。まあ、社長の指示なら仕方がないと、助手は大人しく上司の後ろをついて歩く。

 公共交通機関を利用して職場の最寄り駅の手前で降り、総合病院に向かっていることに気付く。成程、事情は未だにわからないがサトウさんに会いに来たのか。

 新しい白に身を包んだ建物が見えてきた頃、アキノさんから微かに短い溜め息が聞こえた。

「サトウさんに直接会う用事ってなんですか?」

「行けば分かるさ」


 病院へ到着すると受付に寄る前にアキノさんは迷うことなく中庭の方へ出ていく。

「面会予約の確定を……アキノさん?」

 ぼくが呼び止めるのも一切気に留めず、アキノさんは病院内を堂々と闊歩する。

 病院の中庭は小さな公園のようになっていて、芝生と石畳のちょっとした道が軽く散歩する程度にある。とことこと横をすれ違って行く巡回犬(勿論これも機械である)を横目に見つつ、中庭をそのまま横切っていく。

 病院の中庭と繋がる裏の狭い空間。建物の隙間は冷たい風が流れていて、昼間でも灰色で薄暗い。敷地内の端っこに二、三置かれたベンチに、柔らかい長髪を下ろした女性が患者用の服の上にコートを羽織ってぼんやり座っていた。その横に茶色のウサギが眠るように佇んでいる。

 アキノさんはその爪先の正面にコツンと立ち止まった。

「こんなところにいたのか。探したよ」

 探したよと言う割に迷いのない足取りではあったが、その声に気付いたサトウさんは顔を上げて、その表情に少し色が差した。

「久しぶりだねアキノ、ケイト君」

 そして花のように笑いかけた彼女にアキノさんは特に微笑みもせず、「うん」とだけ返事をした。

「……よく分かりましたね、サトウさんが外で待ってるって」

「バカだね、ロボとはいえペットなんて病院に連れ込めるわけがないだろ」

 ウサギは眠るように静止していて耳すらピクリとも動かない。やはりシャットダウンされているようだった。

「よくウサギなんか捕まえたね、サトウ。動物嫌いも病院で治療してもらったのかな」

「嫌いなわけじゃないってば。……オーバーヒート気味で動けなくなってたから、保護するのに別段苦労はしなかったけど。」

 ちょっと散歩しようと外に出たら垣根の影にいたのだという。こんなところまで走ってくるなんて人工知能という名の脳があるとは思えないほど無謀だ、このウサギは。

「ありがとうございます、サトウさん」

 ペットも今や機械仕掛けの時代、当然ラビュリントウイルスの感染による被害は頻繁に及び、故障にまで至るケースも多くある。大事になる前のようで助かった。簡潔に感謝を述べると、彼女はまた笑顔を作った。職場でアシスタントもなしに仕事をこなしていた頃より、なんだか覇気がないように見える。

「侵入した異物データにびっくりして混乱しただけかもしれないな。さあ、状態を見るから返してくれ」

「念の為社長に電話したらうちのクライアントのウサギだっていうじゃない? その場で許可をとって駆除したよ。早急に対処すべきだと思って」

 構わない、というようにウサギを指して譲る仕草を見せながら言う。なんでもないように言うが、ラビュリントの駆除はとても手間のかかる作業だ。それをぼくたちが病院に到着するまでの数十分間でひとりで完了してしまうのだから、やはりすごい人だ。

 けれどアキノさんは、それを聞いても芳しい反応を見せなかった。息を吸ってから口を開く。

「……そうか。けどそれは私の依頼人のウサギだよ。お前のじゃない。あまつさえ勤務停止中のお前が手を加える前に、私に一言伝えるのが筋道の通ったやり方だったんじゃないのか?」

「…………」

 サトウさんは目を見開いて、すぐにしゅんと目を伏せた。

「……そうだね。考えが足りなかった」

 いつもは切り替えの早いサトウさんは珍しく目に見えて反省していた。沈み込んだ空気にアキノさんは頭を掻いて、不承不承に言葉を継ぐ。

「……で、最たる問題はこいつがウイルスを他に移したかどうかだ。確認できたか?」

「この子が道中何かと接続した記録は見つからなかったよ。安心していいと思う」

 何よりだね、と皮肉でなくそう言うと、アキノさんは腰に手をやってサトウさんを見下ろす。

「ともあれ悪かったね、サトウ。怪我人なのに私が逃がしたウサギを捕まえさせて、手間をかけた」

「全然構わないよ。久しぶりにみんなの役に立てるかもと思って、先走っちゃったかもしれない。私のほうこそごめんね。ケイト君も」

「ぼくは別に……」

 どちらにしても駆除はしなければならなかったのだから早く済ませてしまったほうが良い。彼女の判断を、アキノさんのアシスタントが口を出すことでもない。顔の前で手を振ってみせるとサトウさんは眉を下げて笑った。

「じゃあ行くよ、お前は早く怪我を治して復帰して。そうすればこんな文句も言われないんだから」

「そうね。ばいばい」

 アキノさんはぼくにウサギを回収するよう指示しながら、踵を返して立ち去った。

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