模倣猫

端庫菜わか

 手でカーテンを閉める直前、窓の外のベランダに小さな丸い影を見た気がした。

「クラ……」

 同居人を呼ぶぼくの声が予想より小さく喉の奥につっかえる。さっきベランダに出したのは覚えているが、それを中に入れたのかどうか記憶が曖昧だ。習慣づいた動きというのは本当に一回一回が記憶に残らないから、こういう時に少し困る。

 咳払いをして発声状況を整え、もう一度呼んだ。

「クライ?」

 当然のことながらぼくの呼びかけに対する返答などはないのだが、やがてもったりした毛皮の生き物がソファの下からのそのそと這い出てくる。なんだ、ここにいたのか。

「そろそろ寒いんじゃないか、そこ。毛布出したからベッドに行きな」

 灰色の猫はソファと床の狭い隙間から尻尾まで完全に抜け出すと、ンァ、と息を漏らしながら優雅に存分に伸びをした。

 まあ気が向けばベッドでも置きっぱなしにしている段ボールの中でもソファと床の隙間でも好きなところを寝床にするのだから、別に連絡しておくことでもないのだが。一方ぼくはヒーターのエネルギー代を節約するために上着を羽織る。

 大学を出てから二、三年が経っただけでは、新たな賃貸も学生時代の質素な下宿と大した違いはない。あと数万払えば音声操作でカーテンが動く部屋に住めたのかもしれないが、別に手動で生活が事足りる部分には金を出すのが惜しかったので不動産の念押しを頑なに断った結果、やや時代遅れのコンクリート建築、手動家具付きの物件に落ち着いたというわけだ。

 毛繕いを済ませたはずの猫が晩御飯の残りを食べにキッチンへ向かうのと見届けて、ぼくは街路灯がちらほらとレンガ調の道を照らす裏通りに面したベランダの窓をカーテンで覆った。

『――天気予報のお時間です』壁面に嵌め込まれたテレビがニュースの合間に今後の天候を伝える。『明日の夜には台風が本地区に到達するでしょう』

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