第73話 突撃


 監視の兵から声が上がった。


「後方から、砂塵が近づきます!」


 馬上のアンスバッハは慌てることなく凛とした響きで指示を出した。


「大楯隊前列について警戒、連結せよ。けっして下がるな。大地に足を釘打ったと思うのだ。何があっても、たとえ怒濤の敵が押し寄せようとも左右と協力して敵を押し返すのだ。一歩でも下がれば名誉を喪うと思え!」


 アンスバッハが独自に定めてきた絶対防御の構えだ。


 怜悧な外見に似合わず、指示には精神論的響きが強いのも「戦術は自分が考える。兵は勇気を持って従え」という強烈な自負がさせていること。


 そのために、彼は寸暇を惜しんで研究を怠らないのだから。


 アンスバッハ隷下の「大楯隊」もその研究成果の一つだった。


 北方には大柄な者が多い。そこから180センチ以上の歩兵達を集めて、さらに体力で選抜して大楯を持たせることに特化した部隊だ。


 この隊が持つ大楯は鉄の厚板を表面に貼っているため頑丈だ。しかし優に20キロ以上にもなる代物となる。


 頑丈さもさることながら、特徴的なのは左右と連結できることにある。幅90センチの盾が連結されると、そのまま簡易的な防御壁の完成となる。


 50人が大楯を構えて連結すると騎馬隊の激突すら軽々と跳ね返す。事実上、野戦で防壁を作ったのに等しいのだ。だから、そのすぐ後ろに配置されるのが大弓隊となる。通常は、後方に配置されるべき弓隊が最前線に置かれるため、猛烈な威力を発揮する。


 しかも、皇帝陛下より賜った新素材による弓とカーボンロッドによる矢を持っているため、馬上鎧どころか歩兵の鎧ですら軽々と貫くのだから、凄まじい攻撃力だった。


「構えよ!」


 右手に弓、左手に矢を持ち「つがえよ」の命令で矢をセットできる状態だ。徐々に近づく砂塵の中が見えない以上、うかつに矢を放つことなく、じっと見極めている状態だった。


 相手が突っ込んできさえすればこっちのもの。大楯で勢いを停めたところを矢で狙う。どれほどの突撃であっても、跳ね返す鉄壁。


 北方防衛戦において、この作戦で大混乱に陥った敵はどれほどいただろう。


 そこにツケ込んで戦果を拡大するのがアンスバッハの狙いだ。


「騎馬隊、準備!」


 大楯隊による防御を固めさせたのは、あくまでも攻撃のためなのである。中央突破を防いで、相手を混乱させたところに、騎馬隊と歩兵の渾然一体となった挟撃で敵の攻勢を一気に潰すのが狙いだ。


 とは言え、今回は相手が圧倒的多数になるはずだから死闘は覚悟の上である。そのためにも敵の全容を早く掴みたいという気持ちが湧き出してくるのを抑えきれない。


 怜悧な表情の裏側では「焦るな」と自分に言い聞かせ続けるアンスバッハである。


 一方、左方より迫ってくる敵の大軍はすでに目に入っていた。


 危機が実感できる分だけ、マイセンの方が早い対処を迫られていた。

 

『この速度と言うことは騎馬が主力か』


 防衛準備を整えたアンスバッハに対して、マイセンは積極策を取った。


「歩兵隊、左方の敵に向かって槍を構えよ、前進。騎馬隊、出るぞ!」

 

 相手が騎馬ならそれなりに自信はあった。たとえ十倍の敵であっても押し返すくらいはしてみせる。しかしながら、遠望する敵は熟練兵と駿馬の集団が、自分達の軽く20倍以上、下手をすればもっとだろう。


『引き寄せてしまうと、使える戦術が限られてしまうからな。できるかぎりここから離れて絡む必要がある』


 いざ、戦闘になれば極めて冷静に、そして数理に基づいた行動を考えるのがマイセンの本来の強みである。


『ここまで彼我の戦力差が出てしまっては、戦術もクソもあったモンじゃ無いな。ここはの真似で行くか』


 兵を鼓舞するとき、あの怜悧な顔を一変させて激情を浮かべるのが友のやり方なのだ。


「者ども! この戦いはオレ達の生死は関係ない。陛下と奥方様がご無事なら勝ちと決まる。分かってるのか!」


 おぉおおおお!


「よぉし。敵はたかだか50倍。一人50人を倒すまで死ぬことを禁じる。分かったヤツはオレの後についてこい!」


 叫ぶ、いや、吠えるというのに等しい。


 真っ先に走り出した当主に、部下達は一斉に叫び声で応じながら、突進を開始した。


 馬たちの怒濤の地響きを聞いたハインツは「さすが」と小さく呟いた。


 正面攻撃がどこまで通じるかは分からないが、馬車の守りへの横撃に対して少しでも時間を稼ぐための突撃だということがハッキリしている。


 一方で、後方は下手に刺激するよりも「待ち」によって状況的な不利が生まれることを少しでも遅らせようとしているのだろう。


 ハインツにとって、共に戦う指揮官が戦を分かっている人物であることが心から嬉しかった。


『これで安心して死ねる』


 本来は「総指揮官」が役割だが、皇帝陛下が直接指揮を執れる以上、自分の役割はデルモンテの負担を減らすことだと決めたのだ。


 旧友がガッチリと手を組んで、最後の一花を咲かせるつもりだ。10万の兵で固めた城への突撃だ。


 覚悟ができねば、突撃などできない。


「皇帝陛下に命じられた通りに正面をぶち抜こう」

「あぁ、ここまで来たら可能かどうかではなく、やるっきゃねぇな。ハインツの下で死ねるのは本望だ」

「それはオレのセリフだ。お前と一緒にくたばるなら、我が生涯に悔いなし」


 ずっと一緒にやってきただけに、指揮権の優劣はあっても、互いの心は同格なのだ。


 そのために、二人とも自分の命など計算外である。


『我々が穴を開けたところを、突破していただくのだ。名誉ある戦いだぞ』


 ハインツも、デルモンテも心から、そう思っていた。


 窮地を打開するための先陣を切れるなど、武人の誉れとしか言いようがないではないか。


「諸君! 我々が突破した道を皇帝陛下がお通りになる。後世まで伝わる見事な戦いをして見せようぞ! 続け! 歩兵も敵陣の前までは全速で駆けよ!」


 うぉおおお!


 陽炎のように遠く見えている敵陣地に向けて、全軍を突撃させた。


 皇帝の馬車が続いてくるのかどうか、もはや振り返ることもしない。命じられた通り、ど真ん中をぶち抜くのみ。


 貫いたキリが砕けようが、とにかく穴を開けてみせるのだという気合いだ。


「ハインツ、前方に突撃しました」


 ゼックスが馬車の外から報告してくる。


「よし、ゆっくりと移動だ」

「はっ」


 ショウは迦楼羅隊と共にゆっくりと馬車を進めた。これで前方の「シカケ」を発見してから行動を考えれば良い。

 

 だから、今はあくまでも様子見である。


 たちまち、ハインツ達とグングン離れていった。


「ショウ様」

 

 メリッサが固い声を出してきた。


「ん? あ、大丈夫だからね。ちゃんと対応できるし」


 家族を守るのだ。そのために頑張って来たのだから。何があっても守りたい家族に、こんな硬い表情をさせるのが悔しかった。


「申し訳ありません」

「え? そんなこと言いっこなしだよ」

「本来なら、私たちはすぐに自害すればよろしいのですが」


 メロディーも、横で「その通りです」と言いたげに微笑む。


 いや、そんなことで完全合意しないでよ!


「それはダメ、絶対!」

「私たちは、この度のことにおいて、自害はできません。最後の最後まで生き延びる努力をやめませんので、そこだけはお許しください」

「許すって言うか、そうあってほしいよ! 絶対に守ってみせるから」


 そこにメロディーが「メリッサとさっき完全に一致できたのです」と笑顔が清々しい。


「えっと、あの?」

「私たちだけの命とは違います。ショウ様とのお子を授かっているのは、私たちに生き延びよと天が命じているのだと思います。だから、最後の最後まで諦めることはいたしません。そんなことはできないのです」

「諦めるだなんて! そんなことまでしなくてすむから」

「はい。安心しております。ただ、私たちの決意をショウ様に知っていただいた方がよろしいかと思って、お伝えした次第です」


 メリッサの考えは、実は正解というか、今のオレが一番欲しい言葉だったんだよ。


 だって、この状況説明は一緒に聞いていたから「もしも、オレ一人で騎馬だったら」という前提を考えられちゃうとヤバいんだよ。


 オレが馬に乗らないのは妻達がいるからだもん。だから、二人とも「ショウ様の足手まといにならないように」なんて考えかねないのが、一番の懸念だったんだよ。


 その心配さえしなくて良いなら、頭さえ使えばなんとでもなるはず。場合によっては、何でもありで逃げ切ってみせるさ。


 陪乗しているカタチのミィルは、二人がいる限り絶対に離れないだろうから問題ないと視線を送った。


 子どもの頃からの信頼関係だろう。視線だけで「ちゃんとお二人の側にいます」と伝わってくる。


 大丈夫だ。少なくとも、勝手に「命を捧げます」的な行動はしないはず。


 これで馬車さえ守れば大丈夫。良かった。


 あれ? メリッサが、まだ何か言いたそう。


「どうしたの?」

「あのぉ、女の私が口に出すべきコトではないのですが」

「いや、こういう時は思いついたことを教えてよ」


 メリッサの天才ぶりはよく分かってる。何か思いついたなら聞かない手はないよ。


「実はアテナがさっきから気にしているんです」

「え?」


 アテナは表情を変えなかった。護衛の立場として、ここで口を出すべきじゃないとでも思っていそうだ。でも、メリッサは持ち前の気働きでアテナの様子に気付いたらしい。


「それで、さっきも気になっていたんですけど、右側が空いているのは何か理由がありましたか?」

「あ、えっと、そっちは敵がいないという報告だったから」

「でも、前後も左も、いないはずの所に敵が生まれてきたご様子ですね。いつものショウ様なら、そういう部分を気にされるかと思うのですが」


 その瞬間、オレは自分の顔から血の気が落ちる「ザッー」という音を聞いた気がした。


『なんで、オレは右側に敵が来ないと決めつけてた? 確かに逃げる方向ではないと決めたけど、敵が来ないなんて一度も考えてないぞ』


 むしろ右側に敵が追いかけてくるのを心配したハズだ。


『知らないうちに、右からの攻撃を意識から外していた?』


 頭にひらめいた赤文字は「ミスディレクション」と読めたんだよ。


 注意を引いておいて、意識を外したところで仕掛けるやり方だ。少なくとも、オレがこの状況を作るなら、仕掛けるのは「右」になる。


 馬車から顔を出して、ゼックスに命じた。


「緊急だ。馬車をハインツ達に近づけて! 迦楼羅隊、右方を全力で警戒せよ、来るぞ!」


 ふっと見ると、すぐ後ろにいたはずのカイは、すでに愛馬と共に馬車の右50メートルほどの所にいた。


 紛れもなく、迎撃態勢だった。


 それを見たか見ないかという瞬間だった。


 突然の大歓声が上がった。


 うぉおおおおお!

 皇帝を狙え! 

 ガラ空きだぁ!


 そんな声が聞こえた気がした。


 右側100メートルの場所に、突如、敵の騎馬集団が現れたんだ。


 それは、紛れもなく「鋒矢ほうし」というカタチ。敵は矢尻のようなカタチとなって襲いかかってきた。


 矢の狙いはただ一つ、この馬車だった。


・・・・・・・・・・・


 ようし、ったぁあ!

  

 こっちが狙ったポイントよりもずいぶんと手前で気付かれたときには、どうなるかと思ったが、むしろ、これで後方に散らした護衛隊と距離が出た。


 慌てて駆けつけようにも、こちらが一撃するのは余裕だ。


 幸い、敵さんの護衛は50騎ほどだ。連れてきたうち、ほぼ全軍を一点突破させれば十分に皇帝はヤレる。


 けけけ


 それさえできれば、まあ、もったいないが連中はなぶり殺されても仕方ない。皇帝をやった敵軍を逃がすほどお人好しじゃないだろうしな。


 オレは、少し離れた木の上で十分に擬装済みだ。発見はできまい。


 連中が悲嘆の涙を流すところまでバッチリ見てやるぜ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

クルシュナ君は、馬車を目視できる近くには来ましたが、自分が手を出すと(自分が)逃げられないと思い、横で見ていることを選びました。子飼いの部隊ですが、皇帝さえ抹殺できればお釣りが出るほどだという計算をしたようです。

要するに、部下の命もコマでしかないと思っているんですね

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 

 

   


 


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