第69話 情熱の理由

 珍しく、オイジュがやってきた。


 訪いの手紙も、先触れもある本格的な訪問だ。しかも指定されたのは「私的な面談」ということだから、不思議な感じがした。


 まあ、確かに仕事上の面談なら執務室を訪ねてくれば良いんだもんね。私的な場所である談話室に招いたのは「私的な」という但し書きを見たメリッサのアドバイスがあってのことだ。


 なお、遠征先のため先触れ役として「雇われ執事」が来たのはご愛敬。


 雇われ執事っていうのは、主に男爵クラスの金のない貴族が使う臨時雇いの人だ。


 ほら、経済的な問題で下位貴族は執事なんて雇ってないわけ。だからサスティナブル帝国の中でも必要なときにだけ使う「流しの執事」みたいな仕事があるのは知られている。


 たいていは上位の親貴族に結婚の申し込みや報告の際に雇うものなんだよ。


 いくら実家では針のムシロでも、トライドン侯爵家の跡取りと言われているオイジュくんが雇われ執事を使うなんて不思議な感じだった。


「本日は、ご尊顔を拝せましたこと、恐悦至極に存じあげます」


 え? ホンモノ? なんか、誰かがオイジュ君の皮を被ってたりしない?


 思わず、背中にジッパーが付いてないか確かめたくなったよ。


 ともかくも、オイジュ君が正式な訪問だというなら、こちらも「皇帝と貴族モード」で応じるのが礼儀だよね。


「貴殿の願いは受け取った。存分に申されよ」


 正式な「私的面会」を申し込まれた以上、すご~く嫌だったけど横にはメリッサとメロディー、そしてシャオも同席させている。もちろん、後ろにはアテナとカイが経っているよ。


 重ねて言おう。すご~く嫌だけど、ね。 


 だってオイジュ君だけならまだしも、横にチョー危険な人物を連れてきてるんだもん。


「へ~か~ なんか、私の扱いが雑な気がするんですけどぉ」

「ソンナコトナイヨー」


 んんっ


 咳払いみたいな感じで仕切り直し。


「ヘレン先生もようこそ。本日はいかなるご用件で?」


 二人が一緒に来たというから、やっぱりあれなのかな? それにしたって早すぎる気がするんだけど。


 え?


 そりゃ、皇帝とベイク以外には休日があるからね。休日ごとにデートをしていることくらいファントムを使わなくたって情報が入ってくるよ。


 だけど、ちょっとオレの所に来るのが早すぎだよね。侯爵家の嫡男が結婚の報告に来るなら、普通は当主の承諾を得てからというのが最低限。


 高位貴族の息子の結婚は、何かと政治的な問題になりかねない。だから普通は当主が先に事前交渉なんかをするものなんだよ。


 少なくとも「皇帝への報告」が当主へするものより先になることはありえない。


 それなのに、このタイミングで二人揃ってやってきたのが分からない。 

 

「陛下。申し訳ありません」


 オイジュ君が深々と頭を下げてきた! しかも、本気で謝っているのがわかる。


 えええ! プライドの塊のオイジュ君がこれってことは、謝っている内容って、ちょーヤバいってことじゃない?


 何があるのか聞くのが怖い。


「オイジュ殿。そなたの話を聞こうではないか。とりあえず、頭を上げてほしい」

「申し訳ありません。貴族家の一員として、本当に申し訳なく」

「いや、えっと、実際、何をしてしまったんだよ?」


 あまりにも、情けない顔で謝ってくるから、ついつい、こっちも貴族口調が解けちゃったよ。 


「へいか~」

「ん?」

「あぁ、そんなぁ、やな顔しなくてもぉ。えっと、私に関係があることなので」


 シャオが途端に反応した。


「ヘレン先生が?」


 途端に「失敗しました」って顔で真っ赤になると、ごめんなさいと頭を下げるシャオだ。


 普通だったら、横から反応するようなはしたないマネなんてしないけど、相手がヘレン先生だけに、ついつい素が出ちゃったんだよね。


「ヘレン先生と、一体何があったのか?」

「それは、そのぉ、あのぉ」


 オイジュ君は、顔色を蒼くしたまま、脂汗。


 仕方ない。


「ヘレン先生から説明していただくことはできますか?」

「あ、簡単ですよ~ いまぁ、ウチの屋根にシーツが翻ってるので。その件です」

「「「「え?」」」」


 さすがにアテナは反応しなかったけど、思わずみんなでのけ反ってしまった。


「えっと、ヘレン先生は子爵家当主、確かにオイジュ殿が家を継げば婚姻は問題ないとは言え、この件をライザー殿は?」


 いや、了承しているわけがない。だからこそ、今日、ここにいるのだろう。

 

 オイジュ君は「申し訳ありません」と、さらに頭を下げてきた。


 そうだよねぇ。


「これは、かなり問題ですね。ご了承を得る前に、いくら統一されたとは言えお相手が元ガバイヤ王国の貴族家、しかもですものね」


 トドメを刺すかのようにメリッサの独り言。もちろん、オレが頭の中で整理しやすいように意図的な独り言を出してくれただけ。


 二人のデートを放置していたのも「付き合うのは問題ない」と判断していたからだ。だって、元敵国の貴族とサスティナブル帝国の高位貴族が婚姻関係になるのは全体から見たらとてもいいことだらけだからね。


 むしろ頼んででも婚姻関係を結んで欲しいくらいだから手順さえ踏んでくれれば、大々的に祝福できるんだよ。

 

 けれども、相手が貴族家の女当主で、本人は家を継ぐために名誉回復の修行中の身となると事情が変わる。


 元来、サスティナブル帝国には「女当主」を制度として認めてない(限定的な例外は認めている)から、まずそのレベルの問題がある。


 そして、オイジュ君の場合、トライドン侯爵家の功績を引き換えにして、名誉回復の修行として受け入れたわけだ。

 

 それなのに結婚相手を勝手に決めた。しかも既成事実翻るシーツまで作ってしまったとなると、これはヤバい。


 トライドン侯爵家当主からしたら、二重の意味での裏切りと受け止めても不思議はないほどだ。有り体に言えば「廃嫡だ!」と怒りだしても不思議はない事態だってことになる。


 しかも、今回の修行を受け入れたのは皇帝の「厚意で」というのが立て前だけに、カタチとしてオレの顔を潰してしまったことになる。


 大問題だった。


「それにしても、いったいなんで、こんなことを」


 それは質問と言うよりも、半ばグチのようなもの。どーやって事態を収拾するんだよと思ったら、頭が痛いよ。


 さすがのメリッサも、困った顔で黙り込んでる。


 男性なので、そう言うのパッションが暴走しそうな時があるのは分かるけど、発散する方法は完全に合法的なのが用意されているんだよ。特に、高位貴族の息子なんて、そのあたりは甘やかすのが当たり前とされている。


 だから、カイのお城界隈においても、お手付きにしていいメイドが当然のように用意されているからね。逆に言えば、だからこそ余計に今回の暴走は許されない。


 ちなみに、一定以上の貴族で「用意されてない」のはオレだけだったりするあたりがね。


 へへへ。


「あのぉ~」


 ヘレン先生が、ニコニコしながら小首をかしげてる。


「あっ!」


 ピーンときた。これは、何かある。


「えっとぉ、新しいお豆を見つけてしまって」

「豆?」


 嫌な予感が、どんどん強くなるんですけど。


「味は苦いんですけど、香りが良くて。今のところ、南の温かいところでしか採れない豆を手に入れたんです。それをダーリンと二人で試したんです」

「だーりん?」


 途端にヘレン先生が顔を赤くして手で覆った。


「ふふ。やだ、それぇ。恥ずかしい~ 言っちゃった」


 なんか、別の意味でヤバいものを見せられている気がするけど、ともかく先を聞かないと。


「で、試したと?」

「はい。そしたら、突然、ダーリンてば、と~っても情熱的になってしまって。

ふふふ。なんだかすごぉい夜になっちゃったんです。だから、許して上げてほしいなぁ~なんて」


 直感的に「媚薬だ!」と心の中で叫んでた。


 この女、よりにもよって仲の良い男をハニトラにかけるのかよと一瞬思ったんだけど、この顔を見ちゃうと、本人は心から純粋な好奇心でやったんだと思えてしまうのが怖い。


 ん? それにしても「豆」だと?


「その豆というのは?」

「あ、ご覧になります? 持って来ました。ほら、これです。香りを出すために煎ってローストしてありまーす」


 アーモンドよりも二回りも大きい茶色の豆。鼻に近づけるまでもなく、袋から出した途端に甘い香りが広がった。


 ホンモノを見るのは初めてだったけど、もう、一目で、いや「ひと嗅ぎ」でわかったよ。


「カカオだ!」


 確かに、チョコレートは中世までは代表的な媚薬ではあるから、耐性のないオイジュ君が、どうにかなっちゃうのも分かる……わけがないだろ! 完全に、気のせいじゃん。


 チョコを食べておかしくなるなら、バレンタインデーなんてヤバすぎだよ!


「ひょっとして、これを何かのカタチで召されたあと、これは興奮作用があってと伝えられませんでしたか?」


 オイジュ君の顔が「え?」っとなったから、もはや答えは決まったようなもの。


 確かに、カカオには興奮作用はある。でも、オイジュ君の「状態異常」は、ヘレン先生の心理誘導だ。


 う~ん、どこまでが実験だったんだろう?


 オレは首を捻りつつも「まあ、チョコが作れるし、見逃すか?」と心の中で考えていたんだ。


 それにしても、ヘレン先生は、いろんな意味でヤバいよ!


・・・・・・・・・・・


 その後、カカオ豆発見の功績により特別に許可する。


 と言うカタチで皇帝からの推薦状を送ることになりました。

  

 代わりにカカオ豆の権利は皇帝が没収です。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

ヨーロッパには大航海時代に伝わりました。金持ちの家ではカカオ豆をローストして砕き、ペースト状にした上で、お湯に溶いて飲まれていたそうです。恋人同士、あるいは愛人と媚薬として楽しんだそうです。しかも、味付けはコショウを使ったのだとか。「甘いチョコ」ができるのは16世紀に入ってかららしいです。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る