第65話 チセの恋

 生まれて初めての恋を、妹は持て余していた。


「本気だったのに」

「チセ。仕方ないのよ。私たちは自由に恋ができる立場では無いんだもの」


 紹介していただいた公爵家の別荘は、どこもかしこもきちんと手入れされていて、趣味の良い彫刻や絵がさりげなく飾られていた。


 食事も最高だし、特に「温泉」というものがとっても嬉しいことを生まれて初めて実感してしまった。


 だから、長い逃避行の果てに与えられた待遇は、身に余るほどに快適なモノだった。そこに一点の曇りなく、楽しい生活だと言えた。


「ほら~ 温泉って最高よね。あなたの心も癒やされると良いのだけど」

 

 本当に、この別荘の温泉は最高だった。


 今までだって地方巡行の合間に「温泉」というものには入ったことがある。でも、たいていは川沿いに石を組んだだけだったり、山の中に馬で入っていって、笹に囲まれただけの場所にこっそり入る感じだ。


 だから、たいていは「風情がありますね」「野趣溢れていて最高です」「自然を見ながら入れるお風呂はいいですね」と誉めるのが精一杯。


 お湯の表面にはゴミや虫が浮いていたり、今にもクマが出るんじゃないかって場所で落ち着けなかったり、床がヌルヌルだったりして、本音では嫌だった。とてもではないけど、落ち着いて入れるところではない。


 もちろん、現地の人が「最高の」をしてくれているんだから、私たちは「裏の裏」まで嬉しく思うことが義務だった。


 でも、このお風呂は違ってた。


 最高に清潔なお湯。どこもかしこも磨き込まれて、静かな彫刻と趣味の良い壁タイルに囲まれてる。完璧に囲われて落ち着いているのに、その気になれば窓から遠くの山々を見られるという最高の景色の見えるお風呂だ。


 こんなに幸せな温泉に入っているのに、妹のチセの顔色が冴えない、ううん、ハッキリ言えば、これは失恋よね。


「温泉で、すべてを癒やせるといいんだけど、まだ、難しいよね」

「うぇ~ん お姉ちゃ~ん」


 よしよし、と背中を撫でる。


 自分で言うのもあれだけど、私たち姉妹はそれなりの美貌だと思う。スタイルだって、チセは私に負けないくらいの「豊かさ」を持っている。男性はこれを好むと聞いたことがあるし、実際に殿方の目が吸い寄せられることもしばしば体験してきた。


 プロポーションだって良いんだし、性格だって殿方からは好まれる「優しい子だね」と小さな頃から誉められている。しかもお年頃も似つかわしい。


 なによりも、連日、あんなに会いにいったのに……


 全く相手にされないどころか、むしろ、こちらの積極的な売り込みを嫌ったかのようにカイのお城を早々と出されてしまった。


 お城を後にしてからチセは食欲もないし顔色も優れない。


 ひと言で言えば「初めての失恋」なんだと思う。


 確かに素敵な人だった。


 涼しげで、でも男性としてはパッチリした瞳。戦場を勝ち残ってきた自信に満ちていて、でも理知的な細さを持った顔つき。燃え立つような髪は情熱的だ。


 あまりお話しできる機会はなかったけれど、少しでも喋ると気品と知性。そして全てを見通しながら、優しさに満ちあふれていることが伝わってくるお人柄。


 見た目が、ちょっと中性的な美少年ぽさというのも、チセの年頃だと、むしろムンムンする男っぽさよりも好ましく感じるのも分かる。


 いろいろな方に話を聞くと、剣も才能も備えた、とっても優秀な方らしいし。


 妹が惚れてしまうのも女として分かる。


『でも、ダメなの。身分違いの恋を私たちはしてはダメ。いえ、恋そのものが禁じられているわ。言われたとおりの方に嫁ぐのが義務。そして多くの民に支えられることが、私たち神聖王国の王統としてのお役目なのだから』


 でも、こうして、可愛い妹の細い背中をトントンとしてやりながら、身びいきだけど考えてしまう。


『たった一度の恋を告白することも許されないの?』


 きっと叶うことのない恋だ。そんなことはチセだって分かってる。だけど、せめて「好きです」のひと言を伝えるのも許されないのだろうか?


 たとえ実らなくてもいい。たった一度でもいいから、あの腕に抱きしめてもらうのもダメなのだろうか?


 私たちは王族に許された趣味、すなわち詩を読んだり、刺繍をしたり、花や鳥をめでたりして過ごした。今は、民のために祈りに行くことすらかなわない異国の地。


 食事も、温泉も、与えられた住まいの見事な居心地を味わいながら、それでも満たされなかった。


 哀しさに溢れている妹を目にしているからだ。


 そして、ひと月が経とうとしたころ、皇帝陛下自ら、この地にご訪問くださった。もちろん、専属護衛のお二人もお連れなのは当たり前。


『奇跡だ!』


 もちろん、皇帝陛下からしたら私たちなんて取るに足らない存在なんだろう。路傍の石だとしか思ってないに違いない。


 でも、私たちには、いえ、チセには生涯一度の恋の大チャンスが訪れたのだ。


 どれほどの偶然でも、奇跡でも、なんとでも言おう。


 夜の食事も共にしていただく光栄。いざ、会えてもチセはチラチラと視線を向けるのが精一杯。もちろんお話しするどころではない。


『仕方ない。可愛い妹のためだもの。お姉ちゃん、頑張ってあげる』


 夜。私たちは父にも母にも内緒で、こっそりと行動した。それがどれだけはしたないことか自覚してのこと。もしも咎められたり、この行動が公となって辱められることがあるなら、私が責任を取って自害してお詫びしよう。


 妹には分からないように、密かな覚悟を決めた私は、決意を心に秘めて小さな手を引いた。


 やはり廊下に立つのはカイ様だ。


 カイ様は困ったような顔でこちらを見ると、両手で停める仕草をした。


 当然だろう。護衛の方からしたら、私たちのしようとすることは暴挙以外の何ものでもない。でも、決死の覚悟の私たちが近づくと、大きくため息をついた。


「ここで、待てますか?」


 カイ様は中につないでくれるのだろう。やはり、優しいお方だ。きっと、チセが何をしに来たか、気付いていらっしゃるのだろう。


 木訥としたお人柄のカイ様は、普段、ほとんど喋らない。でも、知的な瞳をしていて、とても優しい人なんだという気がしていた。だから、なんとなくチセの気持ちを分かって取り次いでくれる気がしての賭けだ。


 どうやら、それが成功したらしい。良かった。


「じゃあ、聞いてみますので」

「お願いします」


 中に入ったカイ様を信じて、ここで待つ。


「お姉ちゃん、ここは」

「そうよ。ここにいらっしゃるの」

「でも、おねぇちゃん、ここご寝所だよ? こんなところに来てしまったら」

「大丈夫よ。何があっても私が責任を取る。まず、私が話しかけるからね? だからタイミングを見て、あなたが思いを遂げなさい」


 妹は、唇を噛みしめて「うん」と声にならない声で返事をして見せた。


 大きく息を吸って、吐いて。


 カチャッとドアが開くと「話を聞いてくださるそうです」と中に招いてくれた。


 あぁ、やっぱり優しい人だ。会釈をして、彼の前を通った。何とも言えない顔をしてる。そりゃ、そうだよね。夜、女二人が、しかも、高貴な血を持った姉妹が殿方の寝所を訪れるなんて、あって良いことではない。

 

「何の用かな?」


 厳しい目で立ち塞がったのは、やはりアテナ様だった。


「お時間をいただきたいのです。恥を忍んでお目通りをお願いします。後生です」


 奥から皇帝陛下ののんびりした声。


「お父上はご存知なの?」

「いえ。本日は妹のため、お願いがあって参りました。しばしお時間をいただければ、この身、いかようになさってもかまいません。この身は殿方を知らぬなれば、陛下のお戯れにもかなうかと」

「えっと……」


 私の勢いに気圧されてくれたのだろうか?


 しばし、アテナ様と皇帝陛下が無言の会話を交わした気がした。


「生憎と、ミヨさんに触れる予定はないけど、話は聞こうか」


 震えるチセに目で「頑張るのよ」と合図をしてから、お部屋の奥に入る。


 幸いカイ様は再び部屋の外に戻られた。


 ここにいるのは、私たち姉妹と、陛下、そしてアテナ様だけ。

 

 ホントはダメだけど、アテナ様に見られるのは仕方ない。妹のためだ!


 ファサッと胸元のリボンを解いて、夜着が落ちるのに任せる。


 一糸まとわぬ姿だ。皇帝陛下が、目を丸くしてこちらを見ていた。


 火が出るほどに恥ずかしい。私だって色情狂というわけじゃないんだから。


 でも、妹のためにはこれしかないのを知っていたの。こうすれば、アテナ様を部屋の外に出してくださるに違いないから。


「お願いでございます。これ、この通り、寸鉄も身につけておりません。ですからお願いでございます。しばし、しばしお時間をいただきたいのです」

「あのね、話は聞くから、服は着ようよ」

「お願いでございます。お人払いを。アテナ様に暇をいただきたいのです。ホンのわずかな時間でもお情けを」

「あのねぇ、オレ、そんなに飢えているように見えるのかなぁ」

「いえ。しばし、妹との時間をいただきたいのです」

「ん? ん? ん? 妹?」

「はい。妹のつのる情念をお伝えするため、しばしアテナ様をお借りしたいのです」

「「え?」」


 もう、そこで妹は限界だったのだろう。


「アテナ様! これ以上は、もう、チセは堪えられません。陛下の前でのご無礼。お手討ちになっても後悔はございませぬ。この気持ちを伝えさせてくださいませ! お慕い申し上げております。チセの一世一代の恋。お伝えせずにはいられないのでございます」

「ぼ、ボク?」

「はい。アテナ様をお慕い申し上げております。この気持ちを告げずにはいられなかったのです!」


 言った。ついに言えた。良かったね、チセ。


 後は、お詫びに、この身を陛下にお捧げしてお礼としよう。いいのよ、これで。


 あれ? でも、陛下のお顔が強ばっていらっしゃる。これって、怒り? 違うわ。ひどく驚いていらっしゃる顔、ううん、気のせいでなければ、なんだか、笑いを堪えてらっしゃるような?


 なぜなの?


 あれほど日参して、アテナ様に会いに来た妹の気持ちは、陛下にも伝わってなかったのかしら。


 アテナ様が狼狽えていらっしゃる。


「あのぉ、ぼ、ボクは、そのぉ、女の子嫌いじゃないっていうか、いっつもみんなにはあれこれされちゃって、あれはあの、だいぶあれで良いモノだとは思うけど…… でもさぁ、ボクは身も心も陛下のモノなんだ」

「え! アテナ様は、そちらのご趣味だったのですか? でも、女の子もということは、私ではダメなのでございましょうか?」

「ち、違うからね! あ、えっと、ぼ、ぼくは女の子だからね?」


「「え!」」


 こうして、妹の恋は、終わりを告げられてしまった。

  

 チセは、翌日から別の意味で一週間、寝込んだのでした。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

前話の「お互いの紹介シーン」を読み直していただいて、音声だけでお考えください。「専属護衛のアテナとカイ」って思って不思議はないんです。そもそも、男性の護衛は男性が基本ですので思い込んでしまったら、後は一直線。ちなみに、高貴な血筋のチセが「護衛のアテナ」へ恋をするのは身分違いってことなんですね。 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


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