第40話 ヘソで茶を沸かす
「陛下」
「……」
「へ、い、か」
「……」
「へ、か?」
「真ん中を略すな!」
「ふふふ、勝った♡」
「あのね」
「ちゃんと聞こえてましたね。い~もの、見ぃつけましたよぉ」
嬉しそうだけど、この表情は「危ないもの」を見つけたときと、全く同じ表情だから手におえない。
よりにもよって、これから食事だ。ヘレン先生を見た瞬間に警戒モードになっちゃうのは仕方ないよね。
まあ、アテナが見ているから、どんな早業でも皿に何かを入れることはできないはずだけど。
「帰る前にぃ、絶対に喜んでいただけるものを見つけちゃったと思いまぁす」
ふぅ~
送り返すのは決定しても、さすがに丸腰で帰らせるわけにも行かず、かと言って、こっちの警備態勢をイジるわけにも行かないだろ?
あれこれ調整した結果、オイジュ君を隊長にして送り返すところまでが決まって、出発が明日。
そこまでの丸1日が問題だった。
なまじ山荘内におくと何をするか分からないから、監視付きで裏山に行くのを許可した。そうやって昼間の山歩きで疲れれば、夜はちゃんと寝てくれるだろうって作戦だ。
なんか田舎のジジババが都会の孫を夏休みに預かる時みたいな作戦だけど、とにかく目を離すと何をするか分からないのが困る。
しかも、アテナに言わせると「一切の悪意を感じません。あえて言うなら、好奇心とか、ワクワクした充実感みたいなプラス側の感情です」とのこと。
だから、アテナが全てを未然に防げるのかって問題があるんだ。
警戒しすぎと言われれば、そうだけど、紅茶キノコを騎士団のスープに「純粋な善意」で入れてみせる女を野放しにできるほど豪快な性格はしてないからね。
『あれほど叱ったのに、この表情だと全く懲りてないよなぁ』
こりゃ、ロースターも手こずるわけだ。
満面の笑みを浮かべるだけに、余計に聞きたくない感じがする。でも、オレが全力で嫌そうな表情をするのを無視して小さな壺を見せてきた。
骨壺にしては小さすぎるけどって…… ヘレン先生なら、絶対にそう言う「ギャグ」狙いはしてこない。全力で斜め上のモノを持ち出すはずだ。
「あのぉ、茶器のセットとお湯をいただきたいのです。本当は用意してこようと思ったのですけど、なぜだかキッチンの見える廊下にも近寄れなくって」
当然だ。ヘレン先生をキッチンに入れたら、何をされるか分かったモンじゃ無い。働いている全員にヘレン先生を水場と食べ物の動線から絶対に遠ざけておくように徹底させてある。
それにしても「茶器」だって?
チラッとシャオちゃんがオレを見た。まあ、こういう先生でも「恩師」だからね。仕方ないか。
「誰か。ティーセットとお湯を持ってきてあげて」
ササッとキッチンに消えたのはミィルだった。
「これを知ったら、きっと、感謝していただけると思いますよ」
「だといいんですけどね」
曖昧に答えたけど、マジで部屋に閉じ込めておきたかった。
「こちらでいかがですか?」
パッと戻ってきたミィルが銀のお盆ごと差し出した。さりげなくティースプーンも「銀
「ありがとうございます」
ヘレン先生は、こういう部分がすごく丁寧だ。メイドがミィルだからということではなくて、ご本人が子爵様なのに、普通のメイドや侍従にも気軽に「ありがとう」と言っている。
このあたりが人の良さなんだとは思う。これでヘンな実験をしたがらなければ、美人だし、頭も良いし、ホントに素敵な女性として、好きになれそうなんだけどなぁ。
ただし、嫁にする気はゼロだけど。
手元の壺から何かをポットに入れると、コポコポコポとお湯を注いだ。
一体、何をするんだと思ったら、フワッと立ち上る香気で説明される前に気付いた。
「お茶?」
「さすが陛下です。その通り。野生のお茶の木を見つけました」
「ええええ!」
茶畑のそばにお茶の木が「自生」するのは珍しいことではない。けれども、こんな山の中にお茶の木が生えているとしたら……
「原生種ってこと?」
「さすが皇帝陛下。なんでもご存知なんですね。はい。微妙に今までの栽培種と葉の形、ツヤが違います。おそらく今まで知られてなかった原生種の可能性が高いです」
コポコポコポとティーポットから注がれるのは、紛れもない「日本茶」の香りだった。
「今日摘んだばかりなので、なんちゃってで蒸してからの揉み上げだったんです。一応は軽く炙ったのですが、さすがに発酵過程までは間に合いませんでした。だから、どうにも原始的な緑色ですみません」
そう言いながらカップが差し出される。
間違いない。
干す過程が省略されている分、繊細な味わいはともかくとして、こっちの世界に来てから飲んだ中では、一番日本茶に近かった。
前世では「チャノキ」は世界各地にあったけど、茶葉としての系統は「中国種」と「アッサム種」とに別れていた。そして、こっちの世界に元からあったのはアッサム種に近い感じだったんだ。
ちなみに日本茶は中国種の系統だから、緑茶と言えば中国種の葉のイメージなわけだ。
その分、トライドン家の伝統食として知られる「緑茶」として飲むと若干の違和感があるのは仕方のないこと。
「美味い」
完全に、日本の緑茶じゃん。
『あれ? オレ、飲んじゃった!』
思わず、一口飲んでから「やべ、これヘレン先生謹製じゃん」と慌てかけるけど、味に違和感はなかった。
むしろ、懐かしさがこみ上げてきた。
そこにヘレン先生がスペシャルでいい顔をして覗き込んでくる。
「ね? 今までに飲んできたお茶と微妙に味が違うんです。これ、上手く育てれば、すごいことになると思います」
「わかるよ。確かに違う。どう? この木は他にもありそうだった?」
「ええ。多分、南斜面にはけっこうあると思います。これを育ててみたらいかがでしょうか?」
「許可する! 全面的に栽培をしてほしい。よし、オイジュ君に言って、行き先をロマオ領からカイに変更しよう。お金は出す。大々的に栽培方法を考えてください」
「やったー! それなら、キノコちゃんのチャーミング紅茶も、大々的に発売して良いですよね!」
「そっちは不許可です。むしろ、それを持ちこもうとしたら、次はシャオちゃんが何を言っても、お尻ペンペンは下着無し。しかも公開で行うことになりますよ。それと例の弾力キノコも大広間に飾って、誰でも触れるようにしますからね」
「いやいやいやいやいやぁあああ! これ以上、大事なのものを無くしちゃいやぁああ!」
ダッシュで逃げていった!
でも、真面目な話、ヘレン先生の目はすごい。だって見本のつもりだろうけど、持ってきてくれた生の葉は、どうみたって椿の葉っぱだ。
確かにチャノキは、ツバキ科だから似ているのは当然と言えば、当然だ。
それを現実に山荘の裏山で発見したということは、今まで誰も気付かなかったんだからね? たった数時間で見つけてくるなんて、ありえないほどに優秀な目利きさんだ。
「これを見つけられただけでも、ヘレン先生をスカウトした甲斐はあったね」
みんなも味と香りをチェックし始めて、ちょっと首を捻ってる。まあ、普段は紅茶として飲んでるもんね。
「これは、一番簡単に飲めるようにしてきたからだと思うよ。これを発酵すると、普段飲んでる紅茶に近くなるからね」
「なるほど。さすがショウ様。紅茶のことまでお詳しいなんて」
「ショウ様はさすがです。真心を込めて対応したからこそ、あの先生も役に立とうとしてくださったのですね」
メリッサもメロディーも、すかさず本気で誉めてくれる。オレは浮かれてた。
だって、なんと言ってもアッサム山で採れたお茶の葉は、前世の日本で飲まれていた茶の木の味にそっくりだったんだから。
でも、この時は想像もできなかったんだ。
ずっと、ずっと後になるけれど、この地で発見された茶の木の系統が各地に広がって、今までの「在来種」との二大系統になるってこと。
帝国中央部を中心に、発酵を経ない「緑茶」が流行るキッカケになるということも全く気付かんかったんだ。
ところで、オイジュ君の実家であるトライドン家でも大々的に栽培が広がったんだよ。ただし、トライドン家の伝統食は緑茶のままなのに、売り出したのは発酵をさらに進めた「ウーロン茶」の系統になるってこと。それは、次世代当主のお嫁さんが肩入れしたからだっていうのは、別の話となる。
この日、デベロップメント大陸に新たな茶の木が栽培を目指すことになった。原種が採取された場所の名前にちなみ、それは「アッサム種」と呼ばれることになるのであった。
こうして、新発見したお茶の木と一緒に、ヘレン先生はオイジュ君によって「護送」されていったのである。
そして、オレ達がカイに到着したのは9月27日のことだったんだ。
※銀製:食器類に銀を使うのは、ヒ素系の毒物に反応するとされているからです。貴族が銀製の食器を多用するのは、毒対策という意味がありました。ただし、ヒ素系以外の毒物には反応しないので、気休めのレベルです。むしろ「毒対策はしてあるからな」という宣伝・威嚇効果の方が大きいかも知れません。
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作者より
すみません。「アッサム山荘」は、歴史知識の豊富な読者様を対象にした「意図的なミスリード」です。前話の紅茶キノコの話を伏線にした2話セットでした。
なお「茶の木」の原産地は不明だそうで、中国、ベトナム、インドのどこか、あるいは、そこで独自進化したのかと言われております。我々の飲んでいる茶の木は、基準変種の var. sinensis (チャノキ)と、 var. assamica (アッサムチャ)の2つの変種に別れておりまして、日本茶はチャノキ(中国種)の系統です。アッサムチャは1820年にインドのアッサム州でイギリス人によって発見されていますので、案外と最近なんですよ。
前世とは逆に、日本茶が「アッサムチャ」で作られることになりました。
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