第35話 戦いの後で


シュガー・フィールド=シチミ著 「サスティナブル国の物語」

東部統一編よりの引用


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 サスティナブル帝国がガバイヤ王国を滅ぼしたくだりを読む読者諸兄にはお詫びをせねばならない。


 本来であれば、ここで行われた占領政策の見事なシカケのあれこれや制圧戦の血湧き肉躍るシーンをご期待になるところだろう。


 しかし、ファンタジー小説家ならぬ「歴史」小説家である私としては、ここで、しばし筆を止めねばならないのだ。


 この時期の「現実のショウ皇帝」の様子もさることながら、それに合わせるかのごとく、小説家としての私も心がピタリととまってしまったせいかもしれない。


 何よりも、歴史家という生き物は、資料の山に埋もれながら営みを追い続けると、ついつい、お気に入りの人物が旧知の間柄でもあるように思えてくるものなのだ。


 私の書斎には、エドで買ってきて以来、私とミケのお気に入りとなっている椅子があるのだが、そこに、この偉大なる初代皇帝がポンッと座っている気がしてくるから困ってしまう。


 まだ少年期すら抜けていない、それでいて大陸に新たな歴史を作り続ける偉大なる男は、きっとこの時は肩を落としていたはずなのだ。


 だから、私は常に強者であろうとして、わざといからせた肩を、女の気安さでポンと叩いてあげたいと思うのだ。


 仕方ないんですよ、と。


 最高の男にお姉さんぶって世話を焼けるとしたら、きっと私の顔はニヤニヤしているであろう。


 あらゆる資料が一致しているのは、このルビコン討伐戦の後で、ショウ皇帝が「らしくない」政策を多発したのと、公の場に姿を見せなくなるという点である。


 偉大なる男ではあるけれども、いや、全てを背負い続ける男だけが知っている「責任」という言葉に押しつぶされそうな気持ちだったのではないかと想像するのである。


 理由は、ルビコン討伐戦で見せた圧倒的な勝利、世の中でよく言われる非公式な用語としては「大虐殺ジェノサイド」として知られる作戦であった。


 この戦の序盤において、傭兵という名のゴロツキをかき集めたルビコン伯爵軍は、資料によっては1万2千人、ハッキリとした名簿に載っている人間だけで3千人、多くの資料が一致するところで言えば、臨時の応援を入れて4500人。


 どれだけ質は悪くても、城の前の広場には、それなりの数を揃えて待ち構えていたらしい。


 それが一刻もかからないほどの「一瞬」で壊滅したのだ。しかも生き残った兵士が極端に少ないという結果だ。


 戦闘において、兵員の50パーセントが死亡ないしは戦えない状態になると「全滅」と定義されるものらしい。これは、主に軍としての指揮命令系統が破壊されてしまうため、軍としての戦闘ができなくなるためだという。誰も命令してくれない戦場となれば、兵士はスタコラ逃げ出すものらしいのだ。


 素人から見ると、とんでもない言葉である「全滅」ですら、事実で見れば、半分は生き残っている状態なのである。このルビコン討伐戦の序盤で見られた「戦場にいる軍人が全員死亡」という戦場など初めから想定されてないのだ。


 この状況が敵味方にどれだけの衝撃を与えたのかは想像に難くない。もちろん「例外のないルールは存在しない」のが世の習いである。


 サスティナブル帝国側から付いてきた参謀本部と、それを護衛する迦楼羅隊の面々であれば、ある程度は「我が皇帝はさすが」のひと言で諦めが付いたかもしれない。


 良くも悪くも、考えたこともないような現実を次々と見せられてきた彼らなら、多少の耐性があるはずなのだから。


 しかし、たとえ今は敵味方に分かれようとも「元ガバイヤ王国兵」にとっては、とんでもないことだった。


 考えたこともない事態が目の前で起きたのだから。


 その驚きというか、茫然自失したであろう人々の事を想像してしまうと、そして、それを引き起こした人の気持ちを慮ると、ふぅむ、と書斎で腕組みしてしまうのである。


 そして、何よりも結果を唖然とした人よりも、結果を唖然とした人の気持ちはいかなるものであったのか?


 ここで我々現代の人間が論争するのは、ショウ皇帝は、この現場を見たのかどうかである。


 すべての公式記録は「この戦いにおいて初代皇帝はご来臨なさらなかった」と書かれているのは事実だ。


 しかしながら、ショウ皇帝の周囲が書き残した「皇帝言行録」などを徹底的に調べ尽くしてきた歴史家として断言したい。


「この戦場にショウ皇帝はご臨席なさっていらしたはずである」と。


 もっと気さくに言わせてもらうとしたら「あなたが逃げるはずないですよね?」と肩を落とした初代皇帝の背中にポンっと手を置いて、優しい言葉をかけたいほどなのだ。


 私は「サスティナブル国の物語」を書くに当たり、一連の戦いに従軍した兵士達の個人的な手紙や日記の類いを市場オークションから徹底的に集めてきた。中でもルビコン討伐戦に従軍した兵士達のものは目を皿にして発見してきたつもりだ。


 集めた資料の中で、この戦いにおける最高指揮官であるロースター鎮正将軍は、しばしば天幕の中に戻って何事かを話していた、という記述にしばしば出会うのである。


 おそらく、その天幕の中には、ショウ皇帝と彼の幕僚であるミュートもしくはベイクのどちらか、あるいは、両方がいたはずだ。


 三人は、後世の我々から見ても三者三様、誰を一番と言いがたいほどの「天才」である。


 あえて言えば、ミュートは戦争に特化し、ベイクが政治を得意とし、ショウ皇帝は、綺羅星のごとき異才達を使いこなすという点であろう。


 しかし、それはあくまでも「強いてあげれば」の話だ。実際には、ミュートが政治的な判断を誤ったことはないし、ベイクが戦場で愚案を持ちかけたこともない。ショウ皇帝自身が新戦術をあまた編み出した上に「不敗の名将」である上に、並ぶ者のないカリスマ性の持ち主である。


 この三者は戦場においても政治においても、まさに「天才」と言うしかない力を発揮しているのも事実なのだ。


 大陸制圧がなしとげられてから50年ほど後の歴史家であるペロドトスがこのような言葉で「軍人」というものを表現しているので紹介しておきたい。


 凡人は悪意と誇りを力にして人を殺そうとする

 秀才は敵意と名誉に押されて人を殺そうとする。

 しかし天才は違う。

 善性ゆえに人の死を量産してしまうものである。


 なにしろ、この戦いにおいて、人が死にすぎた。しかも文献資料を信じるならば、半刻と経たぬうちに一つの街の住民に匹敵するほどの数が死んだ。


 伝説の西部における北方騎馬民族との戦いでも、ここまでの悲惨な状況にはなかったであろう。


 この戦場は特殊だった。


 いくつかの残されている資料では、死んでいった兵士たちは魔物に変えられてしまったと言うオカルティックな記述すら残っている。

 今にしては、何らかの毒物によるものだと推測されるが、死んでいった兵士たちの顔が人と思えないような緑に変色してしまった例が多数あったらしい。


 しかし、多くの歴史家は「しょせん数字の話だ」と軽視するのだが、上記の通り、私はショウ皇帝はこの場にいたと考えている。


 そうなると、彼が、その戦場において何をどうしたのか、容易に想像できてしまうのだ。


 どんな場合でも戦場の後始末は必要なもの。まして、この時は街の中心地においての大量死である。兵士の遺体を処理することは急務だったはず。放置すれば、夏に向かう季節だけに、すぐにひどい状態になってしまうのだから。


 しかもルビコン伯爵側の生き残りが少ないとしたら、任せておくだけでは間に合わない。討伐軍も手を貸さざるを得なかった。これは「両軍が力を合わせて戦場の後始末に力を尽くした」という公式記録も、他の証言も残っているので間違いない。


 この時、ショウ皇帝は、手ずからその作業を行ったはずだと思うのである。


 政治的な思惑から、このジェノサイド戦法を選択したのは、皇帝なりの決断があったはずだ。しかし、決断と結果として現れる数字を見るだけと、顔が緑に変わった一面の遺体を運ぶのは、次元の違うショックを受けて当然なのだ。


 この戦いの後、初代皇帝はその精神を全うするのにひどく苦労したはずである。この作戦が初代皇帝ならでの作戦であることは論を俟たないが、おそらくこの結果を予想はしつつも愕然となったのではないかと思う。


 討伐軍がルビコン伯爵家を抹殺すると決めていたのは史実の通りであるが「滅ぼされた側がどう思っていたのか」ということはいろいろな説が残っている。


 私は「命だけは助けられ、着の身着のまま亡命生活が待っている」という程度に考えていたのではないかと思う。


 だからこそ、堂々と正門を開いて自ら現れたのであろうし、亡命生活に持っていくつもりだったからこそ、宝物庫を守らせていたのだろう。


 ルビコン伯爵家の最後の当主は、名をラスティ・スヴェル=トレントと記されている例が多い。頭文字を並べると「ラスト」かよと言うのは、歴史を学ぶものの鉄板のジョークではあるが、名前はラストでも才能はあったらしい。


 資料から考えると、ルビコン伯爵は商人にありがちな才能を取り揃えていたのは間違いない。となると、多くの成功した商人が備える「情報を大事にする」と言う資質を持っていた事は間違いないことなのだ。


 ラスティ、いや、読者諸兄に馴染みやすいように「ルビコン伯爵」を使わせてもらうが、彼には確信があったはずだ。


 なぜなら「ショウ皇帝は人を殺したがらない」という話はガバイヤ王国にまで伝わっていたからだ。


 アマンダ王国でのやり方も、貴族家を意図的にツブした例はほとんど見られなかった。ルビコン伯爵にとっては、今度も、同じだろうという読みは当然、あったはずだ。


 ところがルビコン伯爵はもう一つの噂を集めることができなかったのである。

 

 すなわち「ショウ皇帝は時に苛烈」であるという方だ。


 普段は非常に甘い顔を見せる。弱い者を保護し、いたわることを常とし、発してきた数々の政策も矛盾がないものが多かった。


 したがって、ルビコン伯爵は甘く見ていた可能性が高かった。


 今日の我々はその結果を知っている。


 すなわち当主一族は女、子どもに至るまで、ことごとく処刑された。それも即日である。


 この結果は、ただちに旧ガバイヤの全貴族に通達をされたのであった。


 おそらくショウ皇帝からすると、この措置が後の平定戦に強い影響を与えるという計算があったに違いない。実際に、ロースター鎮正将軍によって大変有効に利用されてもいるのだ。


 平たく言えば、ショウ皇帝の苛烈なまでの処遇が、各地の抵抗勢力を根こそぎしたという結果につながったのかもしれない。「銅貨を置いた家」は、よほど決意の固い家以外、波を打つようにしてカイへとやってきたのだから。


 もしも、ルビコン伯爵家の最期が伝わらなければ、この地の平定は10年がかりになっていたと考えても良いに違いない。


 さらに、ルビコン伯爵家の城館が無血開城された結果として副産物が生まれている。


 当代のルビコン伯爵は美術品の大陸最大の保護者であったのだ。


 おかげで、この時代の第一級の美術品が大量にもたらされる結果となった。


 そう、私も行ってきたが、国立博物館でしばしば開催される「ルビコンの秘宝展」につながったのである。

 

 ルビコン伯爵家において芸術家を保護したのと同時に、大金を使っての美術品蒐集は、大陸イチだったと言っても良い。美術品工芸品のレベルは、当時のサスティナブル王国の技法を超える部分すらあったほどだ。


 人々の暮らしを守る、と言う点ではどうかという部分もあるが、美術、陶芸芸術に関して、ルビコン伯爵は最高に感覚を研ぎすませた一人であったであろう。


 芸術には上下などないと言う言葉を跳ね飛ばして考えるとしたら、当時のサスティナブル帝国には、彼に匹敵するレベルで芸術を理解できたのはフォルテッシモ家の「変人アーサー」を除いてはいないのではあるまいか。


 そう思えるほど、ルビコン伯爵家の集めてきた美術品の価値は高かったのであった。


「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」と言うらしい。


 ルビコン伯爵家のラストであるラスティ・スヴェル=トレントは、今日の我々の目を楽しませてくれる美術品の数々を残してくれてはいる。しかし、ルビコン伯爵家における「最後の当主」の名前は、果たしてこれが本当なのかと言う点は、いまだに議論されている状態である。


 果たして彼は名前を残せたのだろうかと皮肉な思いで、私は博物館の通路を歩いていたのだった。


 そして、歴史の結果だけを述べれば、ショウ皇帝が次に公式行事に現れるのは9月の20日である。


 それまでの間、降伏した各貴族家に対して、次々と手厳しい政策が実施されたのもまた、歴史が教えてくれる「結果」なのであった。



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作者より

ショウ君が、ものすごーく落ち込んだのは事実です。西部の二酸化炭素による時よりも、テルミット虐殺の時よりも、今回の数は多いというのもありますが、やはり「後片付け」のすさまじさは、心がやられてしまうのかも知れません。メンタル的には普通の日本人の部分が抜けていませんものね。


ルビコン伯爵家は、殊芸術面だけで言えば「メディチ家」っぽいイメージで見てあげて下さい。

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