第34話 ルビコン討伐戦 後

 領都・ルビにある領主の館は見るからに豪華であった。


 いや、そうとしか言えない。


 意匠を凝らした城壁は、3色に塗り分けられているのがクッキリと分かる。しかしながら、それが何の役に立つのかは不明だ。


 一般論としては「壁の素材同士の境界線は脆くなる」のが常識であるため、城壁の素材を敢えて途中で分ける必要性はないのだ。


 垣間見える天守も、デザインが凝っているようにも見えた。


 しかして、どこの領でも、領館前には広場を作るものだが、ここではギリギリまで凝った作りの建物が見えている。


 統一性がないのと、1階に開放部が広くとられているところから、大商店が店を並べている格好らしい。


 さすがに無人である。


 そして、その建物の前にザッと見ると4千人ほどが、なんらかの集合で塊となりつつも全体で密集している感じだ。


 一応の組織化はなされているらしい。最前線にはビシッと隙間無く一列の大楯が並んでいた。


「う~ん、守備的な構えですね」

「まあ、そっちの方が好都合だけど」


 そんな会話が本陣の中であったものの、いよいよとなって、皇帝は見守るのみの姿勢を示すためであろう。

 

 静かに、前方での展開を見つめるだけだった。


 ロースターは、指示を出す前にチラリと背後を見やる。

 

『皇帝陛下達は、さすがに歴戦の士と言うことか。こんな時だと言うのに落ち着いていらっしゃるな』

 

 自陣内とは言え「旧ガバイヤ国」の兵士に囲まれているのと同じなのだ。しかし皇帝自身に、そしてお側に控えるカイとアテナにも緊張は全く見られなかった。


『そもそも戦闘開始直前なのに、ちっとも緊張していらっしゃらない。皇帝陛下はともかく、護衛の二人の顔に緊張なんて一カケラもないじゃないか』


 またしても、チラリと後ろを振り返って思った。


 この落ち着きぶりが「自分の率いているのは紛れもなく我が軍である」という信頼によるものか、それとも「この程度なら裏切られても問題ない」という自信の表れなのかはわからない。


 しかし、何となくだが、その理由は後者よりに思えてしまう。


 すなわち、ここにいる全員で打ち掛かっても敵わない強者の威風のようなものを感じてしまうのである。


『この二人がいる限り不安なんてないのだろう』

 

 一見すると可愛らしい女性は、実際、皇帝夫人である一面を持っており、なかなかにと評判である。所作も言葉も、とても可愛らしくていらっしゃるというのは誰もが知るところ。ところが、ひとたび戦場に立った瞬間から「死の女神」へと変貌してしまう。いまだに戦場で打ち合えた者がひとりもいないといわれる評判の美女だ。


 もう一人は、皇帝よりも二回りも体格の大きい若者だ。寡黙ではあっても、普段は乱暴な素振りを見せたことがない。街でチビ達を構うときなど輝くような笑みすら浮かべていて、イタズラな子どもたちが何をしてきても怒る様子を見たものはない。そして、どんな年寄りに対しても親切にしているらしい。


『孫を戦場で喪ったという老婆が、八つ当たりのように杖で打ち掛かってきても、ただ哀しげな目で見つめて打たれるままだったと言うぞ』


 やがて杖を振るうことに疲れた老婆を手助けして家に送り届けもしたらしい。


 そんなにも優し過ぎる男の二つ名は「戦場の死神」である。


 彼の振るう持つ黒い槍は、あまりにも速すぎるゆえに残像のみが人の目に映る。それが死に神の持つ「大鎌」に見えるところから付いたあだ名だ。彼の通った後には敵兵の死骸のみが残されると言われている。


 ゆえに、皇帝の命令が一度発せられれば、数百の部隊など瞬時に刈り取られてしまうという。


 この二人が、皇帝の安心の具体的な保険なのであった。


『おっと、集中だ集中。まずは、目の前の者どもをなんとかせねば話は進まないからな』


 ロースター鎮正将軍が右手を挙げると、あらかじめ定められたとおりカタパルトには薄い布地でできた袋が載せられた。

 

「距離60、2射連続」


 全カタパルトの準備を見定めて、ロースターはその右手を振り下ろす。


「撃てっ!」


 小気味よい音を立てて敵と味方の間ほどに次々と落下した布は、落ちた衝撃で中身が地面に広がった。


 ギャハハ


 緊張から抜け出した敵は爆笑していた。


 元兵士達は、敵がカタパルトの準備をしている段階で、身を縮こまらせ、盾を持つ手に力を入れていたのだ。

 

 ところが、なんと無様なことだろう。


 せっかく持ち出したカタパルトから打ち出されたのは、落下すると破ける袋に過ぎない。しかも、全く届いてなかった。


 なんたる失態か。


 爆笑、高笑、嘲笑の渦が敵陣に広がった。


 連射の命令通り、続けて同じものが即座に打ち込まれ、同じように途中で落下した。落ちた袋は着地の衝撃で全てが破れると、中からは砂か砂利と言った感じのものが広がった。


 敵陣に被害を与えるどころか、届いたものもゼロである。


 いや「討伐軍などと言っても大したことが無いのだな」という油断を誘うという意味ならば効果があったのかも知れない。


 後ろに離れて「督戦」の役割を果たすとおぼしき騎馬隊も、あからさまにホッとした様子だ。


 しかし、連射の着弾を見る前に、素早く次の命令が伝えられている。


「火矢を放て、各自、最速最大だ」


 ロースターが命じるまでもなく、既に準備万端になされた火矢が準備され次々と射かけられる。


 もちろん、この距離では敵陣に届く弓などないから、敵はさらに爆笑だ。


 届きもしない距離から必死になって、しかも火矢を放ってくるなど、戦を知らぬとしか思えなかったのだ。


 しかし、笑いは、すぐにピタリと止まった。


「着火しました!」


 本陣に観測の声が上がる。


 猛烈な光と熱を放って、先ほどの袋からこぼれた粉が燃え始めたのだ。


 袋の中身は「テルミット」であった。高熱と白光を放つ炎が彼我の間に壁となった。


「各隊は、与えられたツボを装てんせよ!」 


 カタパルトに載せれたのは背の低い箱。そこには見たこともない透明で薄い「ツボ」がびっちりと並んでいた。


 ツボは「ペット・ボトル」というらしい。


『なんで、こんなツボをのかはわからんが、サスティナブル帝国の名前になんて一々ツッ込んでも始まらないからな』


 大事なのは使い方と結果なのである。名前などどうでも良い。


 カタパルトにとりついた兵士はキビキビと準備し、箱を装てんした。


 その様子を見極めたロースター鎮正将軍は「目標、敵部隊。距離100、三射!  全て撃ち尽くせ!」

 

 ドウッ ドウッ ドウッ


 次々と、ペットボトルが宙を舞う。


 先ほどとは違い、敵軍のど真ん中、やや後ろ寄りに次々と落下した。


 ひぃいい! 


 そんな声が聞こえた気がする。


 しかし、当たっただけでは大怪我などするはずがない。液体入りのペットボトルには、破壊力などほとんどないのだから。


「確認できませんが、着地点は狙い通り敵の中央部です。確実に破裂していると思われます!」


 それは、何度も練習したこと。ただし、練習の時の中身は水だった。


 今は最悪の液体が入っているのである。


 全てのカタパルトが三射した。


 つまり総計2400本のペットボトルが全て飛んで行った時点で、早くも「腐ったタマゴの臭い」がした気がしたのである。


 ロースター鎮正将軍は全力で命じた。


「総員退避!」


 カタパルトを置いたまま、最前線の兵士達はダッシュで逃げるのは練習通り。


 とっさに、敵が追いかけてくると思いきや、敵陣は、それどころではなくなっていたのである。


 サスティナブル帝国皇帝は、付近の建物屋上に上がって、その光景を見つめながら、しみじみと自分のなした「非人道的」攻撃のことを考えていたのである。



・・・・・・・・・・・ 

 


 ppmって単位がある。1ppmは1000000(百万)分の1ってこと。


 えっと、気体だと分かりづらいと思うんで簡単にたとえると、水を入れた1メートルの「サイコロ」容器に1滴垂らした状態とでも思ってほしい。


 これが1ppmだ。


 そして、日本人なら温泉は好きだよね? 特に硫黄の匂いのする温泉は大好きだ。入った後にポカポカするし、あっちこちの痛みも消えた気がして最高ってね。


 あの温泉の「臭い」の元の大部分は硫化水素という気体だ。危険性が高いため、ものすごーく厳密に限界量が定められていて、空気より重い気体のため「床近くで10ppm」が限界なのだ。まあ、硫黄系の温泉は換気を徹底しているので、限界値に達しないようになっているはずだ。


 それだって、しばしば事故は起きる。


 怖いのは「硫化水素はクサイ」という意識があること。実際、温泉の臭さの元を知っている人は多いし、中学の理科の時間にやった「硫化水素発生実験」を覚えているはずだ。


 でもね、一定の濃度を超えると硫化水素の臭いを感じられなくなるというマジックを知っている人は少ないんだ。まして、その体験を語れる人は少ないよ。たいてい、そのレベルを体験すると即死なので……


 そして、これだけ怖い気体なのに、わりとありふれた所に発生している。


 例えば「冷蔵庫のハムがカビた」とするでしょ? あれにも超微量の硫化水素が発生しているし、台所の漂白剤を段ボールにこぼせば、やっぱり、ほんのちょっぴり発生しているんだよ? そしてたっぷりとニンニクを食べた翌日の体臭にも、ほんのちょ~っと混じっているらしい。


 自然界でも、ごくありふれた気体だけど、一定以上の濃度になると凶悪な働きを持っている。ちょうど、空気中の二酸化炭素濃度程度の硫化水素は人の命を瞬時に刈り取る。


 まず気道系統をやられるから、呼吸困難が始まる。ついで肺胞から吸収されて全身に回っていく。まあ、肺をやられる段階で、ほぼ即死だ。まして医療技術による救命措置も、治療も不可能なこの世界では、一度、軽度の気道熱傷レベルまで吸ってしまえば死亡確定なんだ。


 違いと言えば、苦しむ時間が短いか長いかだけなのであった。



・・・・・・・・・・・


 ロースター鎮正将軍には、使い方と効果、そして「撃ったら逃げろ」という指示だけは徹底して言い聞かせてあったのもそのためだ。


 カタパルトで撃ち込んだのは2リットルペットボトルに別々に詰め込んだ、とある2種類の液体だった。


 褐色のものと無色透明なものとがある。


 その液体は、かつて、ちょっとした家庭には置いてあった、それ自体は極めてありふれたものだし、大したモノではない。


 けれども、敵陣に落ちたペットボトルが破れて、二つの液体が混ざった瞬間から、硫化水素が凶悪な勢いで生成されてしまったんだ。


 おりしも無風の快晴である。ちょうど朝凪の時間を狙ってもいる。


 生成された硫化水素は静かに、そして素早く敵陣に広がって、濃密なガスの空間を作り上げた。


「うわっ、くせぇ」


 それが第一声。


 声を続けるまでもなく、人が倒れる。


 次に、ゴホゴホ咳き込む音が響いたが、その後の声を聞く仲間はいなくなった。


 苦しむまでもなく、次々と倒れていく。


 それを遠望する側からすると「異様な光景だ」としか言えなかった。


 火も煙も見えない敵陣で、ただひたすら人が倒れていく光景だ。辛うじて断末魔の動きができた人間は一様に胸を押さえて倒れていったのだ。


 ものの数分で敵は壊滅、というよりも、ただ遺体だけが広がる光景である。


 辛うじて、督戦役兼予備隊の役目を後ろでしていた少数の騎兵が生き残っていた。彼らはルビコン爵爵家の騎士団員であろうか?


 即座に馬を操って脱出を図ったのは冷たい対応ではあるが、結果論としては賢明だったことになる。


 とっさに、倒れた仲間を救おうとしたものは誰ひとり、助からなかったのだから。


「圧倒的じゃないか、この光景は」


 ロースター鎮正将軍は、遠望する敵軍の姿に茫然となるしかない。


 しばらくすると、テルミットの付近で爆発が起き、強い風が起きた。


 一般にはあまり意識されないが、硫化水素は可燃性のガスであり、濃度次第では爆発的な燃焼をするのだ。


 敵との境界を作るように火の壁を作ったのは、このためもあったのだ。


 一定の濃度以下のガスを焼き尽くしてこちらに流れてこないようにする意味と、さらに濃くなれば爆発炎上してガスをあちらへと押し戻す役割だ。


 戦らしいことは何一つなかった。

 

 ただ、カタパルトを運び、何度か放っただけ。


 来て 見て 終わった


 たったそれだけ。戦いの雄叫びも、怒号も、そして悲鳴すら聞こえぬ間の終結だ。


 騎馬隊は城門が開くのなど待っていなかった。城壁沿いに逃げたのである。


 脱兎のごとく逃げ出すなど、騎士団としてあってはならない行為ではあるが。それは戦場でのこと。


 ここは、もはや「戦場ですらない」のだ。兵士だった者を、単なる骸に変える場所でしかないのだと理解した。


 それは、カタパルトで打ち込まれた何かによって引き起こされた。


 それを理解してしまった以上、城の中に逃げ込めるはずもなかった。カタパルトは城壁越しに、同じ事が可能なのだから。


 そして、天守から見ていたハズのルビコン伯爵家当主も考えたはずだ。


 これが、中に打ち込まれたら、どうなるのかと。


 間もなく城の大門が開放されると、中からガマガエルのような男が多くの臣下を引き連れて姿を見せたのである。


 ルビコン討伐戦は、味方すら唖然とする展開で、事実上の終了が告げられたのである。

 


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

今回は、あまりにも危険性が高いため、自主規制として薬品名(商品名)を載せていません。また、いつものことですが、マネできないようなシカケとして、化学的に致命的なウソを混ぜています。読者の方々のレベルからすると、お気付きになったかも知れませんが、その部分は「わざと」ですので、けっして商品名や薬品名、化学的間違いについての記述をしないようにご協力ください。(誤字訂正のご協力はお願いします。ムシの良いお願ばかりですみません)ただし、今回の片方の液体は、すでに発売停止になっています。

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