第30話 燃える恋
我が名はオイジュ・ミソグラー=イナーリ。
偉大なるサスティナブル王国六侯爵家の一つ、トライドン侯爵家の嫡男にしてひとり息子。第二王子とも第三王子とも
あ、第一王子とは「お前だと、まだ危ないからやめておけ」と言われて近づかなかったけど、なんだったら、仲良くなれたはずだ。よく「我が邸に遊びに来い」って言われてたし。
ともかく、典型的な「|Born with a silver spoon in one’s mouth(銀のさじを咥えて生まれた子)」ってやつだ。
アホな王子達のご機嫌を取る以外に、生涯、苦労知らずで良いはずだった。
世が世なら、御三家のご令嬢のひとりを嫁にしつつ、宮中の官僚か王領の地方監あたりからの出世コースに乗っていたはずなんだ。
それなのにゲールがつまらないことをして、さらに伯爵家の息子が余計なことをしまくるから、あやうく
かろうじて王立学園は卒業させてもらえた。でもそれだけだった。
侯爵様の嫡男だ。普通なら引く手あまた。卒業までに婚約者のひとりやふたり、あるいは側妃まで決まっていてもおかしくない。けれども卒業式に出席もできなかったオレだ。
婚約者を見つけるどころか、分家筋や子貴族からすら釣書が届かない。誕生日パーティーでも開いて見つけようにも、本領で蟄居生活ではどうにもならない。
人生終わったかと思ったのは、マジだ。
でも、腐っても仕方ないとある意味で開き直ってからは、本気で武術を鍛錬したし勉強もした。
そんなオレを父上は見捨てないでくれた。
なんだかんだで、我が家の伝統食を食べろと命じること以外は甘いのかもしれない。なんと、一連の騒ぎで果たしたトライドン家の功績全てと引き換えに、再びチャンスを与えられたのだ。
親には感謝しかない。
それは本当だ。
だけど……
「こんなハズじゃなかった」
ガバイヤ王国征服戦の参謀本部付だ。学園を卒業しただけの人間には過ぎたる待遇だと思われるかも知れない。
だが、バカにしていた伯爵家の息子は英雄としての道をひたすら突っ走って、今や並ぶもののない「皇帝」とかいう聞いたこともない立場になってしまった。
父上の説明に寄れば、占領したアマンダ王国どころか、サスティナブル王国の王すら決められる立場になったため、国王陛下よりも上の存在として「皇帝」という地位を作ったのだという。
すげぇー インチキくさい立場だけど、それを言い出す人はひとりもいない。
それどころか、配属された参謀部でも伯爵家の息子を心から尊敬しているのが丸わかりだ。学園時代は煮え湯を飲まされた先輩達ですら忠誠心の塊になっていた。
考えてもみてくれ。
学生時代にバカにしていた格下が出世して、就職先の先輩達はそいつを尊敬しまくってる状態だ。その中でも、それなりに実力を見せられれば話も違うんだろうけど、実際問題として、参謀のスタッフは選りすぐりの秀才ばっかりだ。
信じられるか?
実際、数千人単位の装備品や数万人分の補給計画や食料輸送計画に必要な輸送力を半ば暗算で終わらせるのは普通って世界だ。
そんな中でオレができることは限られている。書類を整理したり、新しく生まれた「エンピツ」とかいうものを削ったり、紅茶を入れてみたり、各部隊に走り使いをしたりするくらいだ。
要するに「従者」みたいな仕事ばかり。それだって、確かにムチャクチャ忙しい。それに先輩方は、オレの家のことがあるにしてもすごく優しい。無茶なことを言われたりすることは全然ないし、オレの体調まで気遣ってくれる。
けれども、スタッフの中で自分が重要な仕事を任されるイメージが全然湧かないんだ。
下積み仕事で忙しいってことよりも、そっちに萎える。
いっそ、最前線で働かせてくれるなら、ヤリ働きを見せられるのかもと思ってもいた。
それなのに……
アスパルの会戦では参謀本部に敵が突っ込んできた。あの瞬間に絶望した。
壁越しの敵に文官オンリーの先輩達は懸命に槍を突き出して戦おうとした。
その姿を目の前にしたオレは、敵が上ってこられない指揮所で震えているだけだったんだ。
すぐ下では伯爵家の息子が、御三家のご令嬢と一緒に戦っているというのに、だ。
文官もダメ、戦士としても意気地無し。じゃあ、どうしたら良いんだよ。
そんな鬱屈した思いで、束の間の休憩を与えられて裏庭を散歩した。こうしている間も、ヤツは国を左右する話をしていると言うのに。
ん?
「どうしましたか?」
すごく綺麗な人だった。髪の毛が乱れて、服装も乱れてる。
まさか誰かにヒドいことをされた? 今回来ている人達なら女性に乱暴するなんてことはしそうにないけど、戦場では何があるかわからない。
オレはオタオタしていた。
「ありがとう。お尻が痛いから、キノコちゃんを見ていただけだから大丈夫よ」
「えっ?」
美女がポツンとしゃがんでいる。
髪と服が乱れて、お尻が痛いと言う。
そこまでは、何となく分からなくはない。対応だって、できれば城のメイドでも呼んでくればいいと思った。
でも、なぜ「お尻が痛いから」と「キノコちゃんを見ていた」とがつながるのか意味不明。
しかも「キノコ」ではなくて「キノコちゃん」とまで言っている。
なるほど女性の目の前の花壇にはお見事としか言いようのないサイズのキノコがにょきにょきと生えていた。
「えっと、なるほど。き、綺麗ですね」
「え? あなたもキノコちゃんの美しさが分かるの?」
いきなり両手をつかまれてしまった。いや、なんだ、この食いつきは?
「いや、えっと、キノコのことは詳しくありませんけど」
困って花壇を見たら、何種類か生えていた。形や大きさが、あれなのはともかくとして、奥側にポツンと赤いキノコが細くニョキニョキと生えていた。
「あ、あれなんて綺麗ですね」
思わず手を伸ばそうとした。
「あ、触ってくれるんですね。ねぇ、ホントに触ってくれるの?」
なんだか嬉しそうだ。
「えっと、触ったら喜んでいただけますか?」
「えぇ。すっごく嬉しいです。あれってカエンタ
美女に喜ばれたなら、キノコを触るくらいはどうってことない。
手を伸ばしたら、美女がキラキラした目で見つめてくれてる。
「あ、一応、言っておきますけど、あれって毒キノコなんです。こんなに可愛いのに、すごい毒を持っている困ったちゃんです」
「え、毒キノコ?」
触るくらいなら大丈夫か。
「食べたら100パーセント死亡で、触るだけでも皮膚が焼けただれるってことが本に書いてあったのですけど、私、触った人を、まだ見たことがないんです!」
……え?
慌てて手を引っ込めたら、美女は「ですよね~」とテレた笑いを浮かべてる。
なんで、このシチュでテレた顔になるのかは分からないけれども、不思議な魅力を感じたのは事実だった。
「あ、大丈夫です。本気で触らせようなんて思ってなかったですからね。半分、冗談のつもりだったので」
半分かよ!
そこから、美女は、目の前のキノコちゃん達のことや自分のことを嬉しそうに語ってくれた。ただ、オレは途中でキノコの説明なんて聞いてなんていなかった。
人は、胸がドキドキした状態で異性と見つめ合うと、その人を好きになりやすいと言われている。
吊り橋効果と言うらしい。
確かにこれは運命だったんだ。
オレはこの瞬間に、燃えるような恋をしたんだと思う。
美女はヘレンさんという。侯爵家の家庭教師として働いているけど、ご本人も子爵家の人だというから、家格としてオレにふさわしい相手だ。
オレにとっては命がけの出会いこそが、恋になったというわけだった。
なんとしても、この人と一緒になってみせるぞ!
※カエンタケ:現代の日本にも同じ名前のキノコがあります。初夏から秋にかけて枯れ葉の間などに生えてきます。致死量が数グラムと言われるほどの猛毒です。触れるだけでも皮膚炎になると言われていますが、日本では皮膚障害の実例は見当たりませんでした。つまり、誰も見たことがないんです。だからと言って、見かけても触らないでくださいね。なお、そっくりさんで食用になる「ベニナギナタタケ」というものがあります。間違えると、本当に命に関わります。ネット知識だけでキノコを食べないようにしてください。
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作者より
オイジュ君の鬱屈した状態と、いい歳をして、剥き出しのお尻を叩かれて「大事なものを喪った」ヘレン先生の出会いでした。
後々、参謀本部の走り使いとしてロマオ領と往復する度に、オイジュ君はヘレン先生のところにセッセと通い、愛を育てました。ヘレン先生が「わ~ らっきー 食毒不明のキノコをテストできる相手が見つかったかも!」と思ったのかどうか。
ただし、トライドン家の伝統食の話をしてみたら、ヘレン先生は異様に興味を示してくれたのは事実です。
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