第29話 情報公開
ロマオ領館の会議室には、いつものメンバーだ。
参謀スタッフも呼び寄せているが、とりあえず外で待機してもらっている。
連日、激務だっただけに、少しだけ休息タイムの意味もあった。特に、出発以来、下っ端としてこき使われ続けてきたオイジュ君も庭の花壇でも見て和めるでしょう。
けれども会室の中はピリピリしていた。
中にいるのはベイクにミュート、ノインにアテナとショウ。急遽やってきたアポロンとムスフス。現地の歩兵を監督する都合上、ジョイナスはカイに残ったためカクナールにトヴェルクも顔を揃えていた。
ある程度の安全性に納得できたため、今日はカイも部屋の中にいた(昨日までは廊下で警備していた)
そして、ショウの横には、まだ動きがぎこちないシャオが座っているのは、ガバイヤ王国の伝統としては異例だろう。しかし「今後のために」とショウが指定して出席させているので問題はない。
ロマオ側に座るのはロースター総督と妻のマリア、そして新領主となる息子のジョースター、そして家宰のルル、騎士団のハインツとデルモンテである。
ガバイヤ王国のやり方から考えると、異様なまでに「女性比率」が高いが、帝国側はそれを当然として受け止め、ロマオ側は「新しき器には新しき水」として受け止めているので、その点では問題はない。
しかし、今後のロースター総督のなすべきコトとロマオ側の未来がかかっていると言われている会議だけに、その緊張度は異様なほどに高い。
ベイクは硬い空気を割るように「最初に条件を詰めましょう」と切り出した。
テーブルにはガバイヤ王国の地図を載せた。といってもショウの前世で言えばA0サイズだ。新聞紙を目一杯広げて2枚並べた大きさといえばわかりやすいだろうが、会議用のテーブルを占拠している状態となっている。
ガバイヤ王国全体の地勢情報が、その4枚に押し込められていた。もちろん、4枚全部ではテーブルには広げきらないため、ロマオ領の載っている分を一番上に載せたのは、わかりやすさを示すためだ。
「おぉ」
どよめくロマオ側の人々。
シャオちゃんが目を丸くしているのを横目で見て、ショウは「よし、よし、地図の重要さを知っているんだね。良い傾向だ」とニンマリしている。
「王宮から持ち出した詳細図です。正直、これが手に入ったのは、最高のラッキーでしたです」
ベークはこともなげに「ラッキー」と言うが、ロースターは「城を落としたときに、真っ先に狙ったんだろうな」と漠然と考えて舌を巻いている。
王国の宝物庫など目もくれず、真っ先に文書管理室を押さえたという話は既に漏れ聞いているのだ。
巨大なこの地図にはあらゆる情報が書き込まれていた。山であれば高さも、川であれば橋の位置も、王立の倉庫や武器庫、さらには各貴族家が届け出た城と出城の形まで、全てが網羅されていた。
「これは? なるほど。こんなものがあったのですね。これほどのものは私も見たことがなかったです」
城での軍事的な会議でも、位置関係程度が分かるモノしか出て来なかった。
味方にも見せてなかったのかと、ロースターは、忸怩たる思いを噛みしめてしまう。
なにしろショウの前世から見ても、思った以上の精度の地図だった。
昔、江戸東京博物館で伊能忠敬による「大日本沿海輿地全図」の中
「私も予想していた以上だったので、正直、驚きましたです」
ベイクも肯いている。ちなみに、サスティナブル帝国にも王都周辺や御三家の領地などの一部を除けば、これ以上の精密な地図は作ってないのをショウが確認済みだ。
これほどの「機密の塊」だ。ただでさえ、精密な地図は最高機密にするのが常識であるから、侯爵クラスでも見たことがないのは理解できる。しかし、ショウとしてはロマオ側の出席者も、ちゃんと驚いてくれることに満足した。
それは、みなさんが水準以上の人材である証拠だ。
ここからはショウが説明した。
「地図を、一般販売しようと思っています」
「え? これをですか?」
「いえいえ。さすがに、この精度だと販売用に模写するのは難しいでしょう。二通り考えています。一つは簡易的な道路地図のようなものとなります」
「おぉ」
皆がどよめいたのは、簡易的な地図ですらガバイヤ王国では「自分で作成する」ことすら禁じられていたからだ。これは移動が必要な民間人にとっては辛いこと。
「それを見れば商人の馬車が、次の町までどのくらいで到着できるのか分かる程度にはしたいです」
「例のビラビラを作る方法ですね?」
「はい。あれを使えば、ある程度安く作れます。道さえ分かれば、今よりもグッと流通が加速するはずですので」
「なるほど。援助していただく食料も無駄なく送れる寸法ですね」
ロースター総督は、何度も嬉しそうに頷いてから「もう一つは?」と聞いてきた。
「この地図の複製をいくつか作って、皇都はもとより主な街に置いて自由に……っていっても対価を取りますが、閲覧して写せるようにしようと思います」
「ずいぶんと思い切ったことを」
道路地図は軍事機密だ。それを民に閲覧を許すなどありえない発想だと思ったのだろう。
その驚き顔を目にして、ショウは謎のモノローグモードになってしまった。
・・・・・・・・・・・
まさかと思うだろうけど、人工衛星で上から見下ろすマップが作れて、ネットを使えば戦場での道案内までできる時代になっても、道路標識をイジるのは侵攻軍に対して地味に有効だ。
第2次世界大戦では撤退戦での遅滞戦術の一環として、ソ連軍は徹底して道路標識をイジった。それがあまりにも有効だったという成功体験のせいで、ソ連は崩壊するまで国内地図を全面的に公開禁止にしていたほどだった。
ちなみに、21世紀になっても詳細な国内地図を軍以外に持たせない国や地域は存在する。近くの共産党の国では特定の地域の地図を作ると「スパイ活動」として重禁固刑とか死刑になることがあるよ。
あの国では観光客が記念写真を撮ったときに「軍事機密を撮影した」と難癖を付けて公安に掴まった人が後を絶たないのが現実だ。
まして、この世界での地図があるのとないのとでは、軍事作戦の成否が左右される可能性まであるのだ。
・・・・・・・・・・・
地図を一般公開すること。
それは国としての一大事なのである。
ロースター総督は、軍事的な問題点がいくらでも頭に浮かんでしまうからこそ脂汗を流しているのだろう。
ミュートは「ご心配なのは分かります」と言葉を挟んできた。
「しかし、カイに対して全面反攻するだけの力がある貴族は、もうこのあたりにはいませんでしょ?」
「それはその通りなのですが、前例がないので」
出てもいない額の汗を拭う仕草を頻りにする。これだけ顔色を変えているのは、優秀な人間だけに「地図の怖さ」の方が先に来るからであろう。
ようやく顔を上げたロースターにショウは笑顔で言って見せた。
「まあ、ガバイヤ王国が建国されて以来、敵国がなくなったのは初めてですものね」
ロースターは、表情を作るのに苦労しながら、それでも精一杯おどけた声で返事をして見せたのだ。
「おかげさまでサスティナブル帝国に侵略されることがなくなったのは確かですけど」
おそらく、ユーモアなんだろう。無理やりな笑いが、会議室でひねり出された。
しかし、イケオヤジはすぐに言葉を続いた。
「まだシーランダー王国が残っています」
「うん。それは覚悟の上かな。まあ、さすがに公開版からは武器庫や食料庫は描かせないし、各貴族家の城の配置は空白にしておきますけどね」
ささやかな嫌がらせである。
空白にすると言うことは「ここに何かがありますよ」と受け止めるに決まっているのである。
恐らく、写し取った側は、そこに各貴族家の城を勝手に描き込むだろう、ということをショウは笑顔で宣言しているのである。
「さて、この地図に載っている各貴族家の城ですけど、これから、これを置いていきます」
そこに取り出したのは、ガバイヤ王国で使われていた金貨と銀貨、そして銅貨である。
「完全に味方する家には金貨を、態度を保留しそうな家には銀貨、敵に回りそうな家には銅貨を。そして徹底的に叩きつぶすべきだと思われる家にはこちらを置いていきましょう。あ、たくさん用意したんで、予想できる兵力千ごとに一個置くことにしましょうか」
指先で摘まんで見せたのは赤い半球体。誰にも説明してないが、前世であった、コインを入れると出てくるカプセルの色付きの半分の方である。いくらでもゴミになっているが、素材が珍しい上に「赤」で表示できるのがそれっぽいと思ったのだ。
一同は、見たことも聞いたこともないやり方に唖然とするばかり。
「今日から徹底的に議論して、全ての貴族の家に、コインかコイツを置いていきます。それが、最初に話し合うべきことなのです」
ゴクリと、ハインツとデルモンテは何かを飲み下した気がした。
今後のための重要な会議であるということは聞かされてはいた。
しかし、まさに、これからガバイヤ王国の全ての貴族家の運命を自分達が決めてしまうのだと思うと、震えが出てしまったのであった。
「さて、それでは、ロマオ領周辺から次第に広げる形で考えた方が簡単かな? もちろん、後でコインを置き換えることもできますからね。気楽に、いきましょー」
ロースターもまた『若さで見くびったつもりはなかったが、それでも、甘すぎたか』と寒気がした。
その目の前で、まだ少年の笑顔を作った皇帝が「おきらくに~」と声を上げる本性のすさまじさに、圧倒されていたのであった。
その日、赤い半球体が置かれたのは6家であった。
運命は決したのである。
※大日本沿海輿地全図 中図:日本全体を8枚の紙に書き表したもの。縮尺は1/216000=4キロが10センチ弱になっているので、現在の「ロードマップ」くらいに考えてください。ちなみに「大図」だと246枚で1/36000になっている。大図を全部広げるには体育館の半分ほどの広さが必要です。
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作者より
軍で使う地図に「コマ」を置いて考えるようになったのは近代軍ではアメリカ海軍が最初だそうです。イギリス海軍は伝統的に「プロの技術」を売りものにしていたため、アメリカさんの素人っぽいやり方を嘲笑ったのだとか。
現在では、軍事演習などにおいてコマを配置するやり方は当たり前になったようです。
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