第8話 アスパルの会戦


 5月7日 払暁明け方 アスパル平原

 

 古来、戦場は交通の要衝であり、なおかつ一定の広さを要求するものだ。


 したがって、奇襲や遭遇戦、追撃戦を除いて、いや両者が正面切って激突する「会戦」ともなると、場所がどこになるのかは自然と決まってくる。歴史上で見ればローマの「カンネの戦い」しかり、日本の「関ヶ原の戦い」しかりである。


 王都・カイの近くにおいては「ここしかない」と誰しもが思う場所が、アスパル平原であった。なだらかな丘から流れ出している幾筋かの川によって作り出された平原は、まるで集団が戦うために作られた競技場のような趣の場所である。

 

 ガバイヤ王国の王都・カイには、日付と場所を指定した公開「果たし状」を大量にバラ撒いてきた。


 多くの民が注目しているのである。無視は不可能だろう。


 だから遠征してきた側は、有利な位置取りで相手が来るのを待てば良かった。もしも、これでガバイヤが迎撃してこなければ、王都を火の海にするだけだ。民に迷惑を掛けることはけっして望むことではないにしても、その結果として民が国王を恨むことになるのは目に見えている以上、やらない手はありえない。


 それが常識というものだった。


 ……この「常識」には、少々注釈が必要かもしれない。


 近代国家においての戦争では、勝っても負けても攻め込んできた国を恨むのが普通である。


 ところが、封建国家においては違う。


 民の期待とは常に「我らが国王様が守ってくれる」である。


 だからこそ税も納め掟(法)や命令に従い、王の手足となる貴族に敬意も払う。


 これが民と王との暗黙の契約なのである。

 

 したがって封建社会においての戦争では…… 特に負け戦ともなれば攻めてきた相手よりも「守ってくれない君主」を民が恨むのは常識なのだ。


 したがって、防げるはずの敵を防がずに王都を戦場にしてしまえば、その瞬間に民は攻めてきた国よりも、守「ら」ない国王(領主)を恨むことになる。


 日本においてこれが顕著なのは戦国時代であった。特に武田家は侵略の際の悪事が甚だしいことで知られていた。雑兵は積極的に人質をさらって身代金を奪い、女を売り飛ばして金に換えたと言う。では、周辺の小国の農民は武田家を恨んだかというと、むしろ「それだけ強い武田様」と敵対した領主を恨んだ。そのため、周辺の弱小国は侵略される前に、民にせっつかれるようにして積極的に降伏することになった。結果的に、敵国への悪事が武田信玄による信州支配を素早く進めさせることになった。


 弱い領主に治められた民にとって、積極的に近隣の強国に吸収された方がマシな結果となる。その意識が戦国時代にいくつもの強国をつくり、やがて織豊政権、徳川へと続く歴史を作ったのだ。


 戦国を終わらせた後、300年も続いた「パックス・徳川家」から、いきなり近代国家になったためだろう。日本人には、この感覚が分かりにくいのだ。


 もちろん、今回のガバイヤ側も帝国側も、そんなことは常識だ。「果たし状」に書いたとおりの決戦になることは疑いようがなかった。 


 だから、先に到着して待ち構える帝国側は少数であっても準備万端。朝食を早めに使った上で堂々とした布陣を敷いている。


 歩兵は得意の三段構えになった横陣でハルバードを構え戦場の主役といった風情だ。


 中心となるのはエレファント大隊である。


 元々400名ほどであったが、各中隊長が集まって「特攻部隊」を編成する可能性は、結成当初から想定されていたこと。実戦経験を踏まえて熟考した結果として、各中隊の人数を増やした。今やゴールズ最大規模となる500名の大隊となっていた。


 そこに今回は東部方面軍の歩兵隊が後詰めで2千。間隔を開けて、各100名ほどの部隊に分かれて陣を敷いて予備隊として待ち構えている。手にするは、クラ城救出戦でも使用したハルバードである。


 歩兵隊と連携するライオン大隊は二つに分かれて歩兵の横に構えていた。増員されたエレファント大隊との連携を考える都合上、近衛騎士団の中から少しずつメンバーを引き抜いたため、今や200名だった大隊は300名を超えるまでになった。


 遠征の間も歩兵との連携訓練は怠りなかった。今や歩兵の突撃の合間を縫っての一撃すら可能になっている。ライオン大隊と後詰めの東部方面歩兵隊との間に距離があるのは、この突入を妨げないようにするためだ。


 敵に向かって歩兵隊の左後ろにはホース大隊が集団を作っていた。


 元シュメルガー家騎士団長であるトヴェルクは、戦術能力が卓越している。優れた作戦遂行能力を発揮し、敵味方の陣形に応じた独立しての遊撃を自由自在に行うことが期待されていた。隊員達もその変幻自在な指揮に応じられる練度だけに、集団での攻撃力だけで見れば、今やガーネット家騎士団に勝るとも劣らないレベルとなっていた。


 特筆すべきは、この会戦においてテムジン達を臨時に「独立狙撃隊」として組織に組み入れていることだろう。若干の増員を含めて臨時のテムジン達と合わせて300名近くとなった騎馬部隊は、それだけでも一大戦力である。


 中央よりもやや右後方に構えるのが迦楼羅隊だ。


 従来は中央本部に配置されてきたのは「キメの一撃」を期待される破壊力を持っているからだ。


 だが、元ガーネット騎士団の精鋭であるだけに個々の戦闘能力は極めて高い。その騎馬部隊に乱入されてしまった敵は、陣形を保つだけでも甚だしい困難に直面することになる。


 裏返せば、集団による突撃であれば大軍に風穴を開けるくらいは十分に果たせるはずだと期待されているだけに、彼らはアスパル平原にやってきた敵が大軍であればあるほど士気が高まるのであった。


 その騎馬部隊に挟まれるようにして設置した「本部」はミュート達参謀本部が護衛の歩兵達を含めて100名ほどで構成されている。


 本部のど真ん中には、遠くを見渡せるように得意のH形鋼の矢倉が立てられて指揮所になっている。これは本部が逃走する可能性を一切考えてないということ。


 会戦に向けて、自信の表れであろう。


 皇帝のみに許されると定めた「白い羽根飾り付きの紫のマント」を身にまとって、そこに堂々と立つのはショウである。

 

 本部の前にいくつもの小集団に別れて戦場を駆け回るべく用意しているのはピーコック隊の200名。


 この部隊だけは増員ができなかった。特殊な訓練で鍛え上げられた彼らの一員となるには、容易なことでは無いからだ。


 つまりは、この戦場において帝国は3千を少しばかり超えるほどの戦力で臨んだことになる。


 一方で、迎え撃つ側のはずだったガバイヤ王国軍が戦場に現れたのは朝陽が見えてからのこと。


 国内戦の有利を少しでも活かすべく戦力を揃うのを待ったせいだ。


 大将は王によって命じられたリマオ軍務大臣自らが務めるが、実際の指揮はキャラカ参謀長が執ることになっていた。


 しかし、リマオは政務畑が長いだけに戦場でメシを食ったのは20年前のこと。


 キャラカはキャラカで、長く務めたのは「帷幕せんりゃくで戦いを決す」る役目である。大軍の配置を考えることはあっても、大軍の指揮を執ったことなど一度も無い。まして戦場の駆け引きなど、戦いが始まってみないとわからない。


 その意味において、キャラカ自身が不安だったのだろう。


 数で圧倒しようとした。


 古来「大軍に奇略無し」と言う。ある意味でキャラカの取ったのは軍略家として当然の対応である。


 実戦経験の豊富な現場指揮官をかき集め、各貴族家の兵を徹底的にかき集めた結果、歩兵だけでも2万5千を越え、騎馬が5千を超える大軍勢としたのだ。


 急遽集められた大軍だけに行動は鈍かった。陣構えがなかなか決まらない。

 

 こういう場合、遅れてきた側の陣が「ある程度」作られないと、逆に攻めあぐねるモノだとショウは知っていたし、帝国側の各大隊の指揮官達も熟知していた。


「逸るなよ。獲物が揃うまで待つのだ」


 奇しくも各部隊で同じような言葉が何度も沙汰されたのは、兵達の戦気が溢れんばかりに立ち上っていたからだ。


 なにしろ、この一戦が宿敵とも言うべき東の大国を平らげる戦いであることを、全員が知っていたのであるから。


 歴史的会戦を前に「親分」が背後に見えているのである。どれほど敵が多かろうと、そんなことは関係ない。歴戦のゴールズの兵達が思い浮かべるのは、自分達が勝つ姿だけであったのだろう。


 怯えなど一滴ひとしずくも無く、あるのは「勝利」に向けて膨れ上がった戦意だけであった。


 ところが、その爆発寸前なまでに膨らんだ「戦うぞ!」の空気は、丘の間から敵の大将旗が見えたとき、とうとう我慢の限界に達してしまったのである。


 エレファント大隊は、ハルバードを構えたまま、ズン、ズン、ズンと三歩進み始めてしまった。


 歴史上名高い「アスパルの戦い」は、この三歩から始まったのである。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

いよいよ始まります、アスパル平原の戦い。歩いたのが三歩で良かったです。二歩にふだと縁起が悪いですものね! そう言えば、そういう名前の人もいたなぁ…… しみじみ。(分からない人は第2章 第3話「戦略演習Ⅰ」を見て下さい!)

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 



 

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