第59話 基礎体力 


 なんと言っても、王都からオレンジ領、アップル領、そしてシュメルガー領へと「高速道路」がつながっている。そして、王都からシュメルガー領までの道には民間も使えるステイションがあった。増える交通量を見こんでの商家や宿だって頻繁に見かける状態だ。


 帝国内でも、ここが一番早くから整備されてきたから、全線が完全に舗装されている上に幅も広い。無料で開放されている道路に、私道を自由に繋げていい。(接続する方法については厳しく定められている)


 唯一の規制は「軍の優先」だけ。それだって、軍の馬やら行進を見かけたら道を譲ってねってレベルの話だ。江戸時代の大名行列が通る時みたいに、端によって土下座する必要も無い。


 だから、商人達の荷運びが活性化する一方なんだよ。道のがたつきが無い分、同じ荷馬車で3倍の物資が運べるらしい。こうなってくると、輸送コストがガーンと下がってモノの値段が安くなる。そこから経済が活性化していくんだよね。


 今やオレンジ領での空前の好景気はアップル領、シュメルガー領にも確実な広がりを見せている。


 治安の問題を常に監視しなきゃだけど、ちゃんと働く場所さえあれば、悪事に向かう連中って決まってくるんだよね。あ、もちろん、この世界には人権なんてないので、盗賊達は首チョンパが基本だよ。


 まともな働き口が引く手あまたなのに、好んで犯罪に手を染めるヤツは、片端から抹殺されていくのは、この社会では正義なんで。


 ともかく、カネが回れば税収も自然とUPしてくるから、兵士の装備だって待遇だって、それなりにできるようになるわけだ。例のハルバードも東の前戦に送る分を確保しつつ、御三家とアップル領まで行き渡らせたよ。すぐに使うことはないだろうけど、こういうのは標準化した方が、後々便利だからね。


「結局、民が豊かになれば軍でも使えるし、軍で整備したものを民間に開放すれば、回り回って軍事に使えるんだ」


 太平洋戦争に突入する直前、アメリカは完全に車社会になっていた。それは国内に100万人の自動車修理工を抱えているという意味になる。そう言う人達は短期間の訓練で軍用車の整備や修理ができるようになった。いや、そもそも「エンジン」という仕組みを理解しているから、飛行機だって戦車だって、その応用に過ぎないわけで、あっと言う間に「兵器の整備・修理」ができるようになった。それに、そもそもの話として、一般の兵士でも車のエンジンを見るくらのことは普通だった(昔の車はよく壊れたので、たいていのユーザーは修理経験があった)


 ところが、哀しいほどに貧しい東洋の島国は、モータリゼーションを迎える前、どころか気配すら無い。田舎の最先端が蒸気機関車だ、なんて話は普通のことだ。


 徴兵するのは簡単だが、それを「兵士」として使い物になるようにするのは極めて大変であり、機械整備や修理と言えば「内燃機関とは何か」というところから勉強するしか無い状態だ。


 激戦で有名なガダルカナル島の戦いは飛行場の取り合いでもあった。いよいよ飛行場が占領されると読んだ日本軍は、少しでも敵に嫌がらせをしようと考えて滑走路をボコボコにしてから放棄した。その工事は陣地構築を後回しにしてでも人手をかけて頑張ったらしい。ところが、日本軍が人力で苦労して掘った穴は、アメリカ軍が持ちこんだブルドーザーであっと言う間に整備されてしまったそうだ。


 日本には「建設機械」の概念を持っている人間はほとんどいなかった。アメリカでは「え? そんなの当たり前だろ?」だった。


 いわば国としての基礎体力が違いすぎたんだ。まるで小学生とオリンピック選手の体力差だよ。そんな格差があったら戦争なんてできるわけがない。


 つい最近の戦争だって、ドローンを民間人が当たり前に操縦できる国は、戦車の数なら比べものにならない相手とイーブンに持ち込めた。


「だから、民を豊かにして体力を付けるのが基本だし、教育が国全体に行き渡ることって大事なんだよ」


 シュメルガー領までの道のりは「高速道路」が完備されて、途中の街ではオヤツまで買えちゃうんだから、これじゃあ、行軍と言うよりも単なる移動に近い。


 途中でカイを拾うにしても、全てが舗装道路だからロスなんてほとんど無い。

  

 もちろん、軍としてもステイションの事前配備に抜かりはない。

 

 食糧、水、それに飼葉も備蓄済みだから、携行品は最小限で良いのは楽チンだ。


 いきおい、移動中もアテナと話をする余裕がある。ちなみにベイク君と幕僚団は、移動中も議論やら指示やらが止まらない。前からもう白からも伝令がしきりに来たり出したりなのでとても忙しい。


 他人様が寝静まる時間も仕事をしているベイク君にはコーヒーを差し入れしておいた。


 アテナとの話題は、やっぱり子育てのことになった。


「アテナも、そうだったの?」


 メリッサたちから聞いた話で納得したけど、やっぱりモヤッとしてる。


「私は覚えていませんけど、一般的には、3歳までは安全第一だそうです」


 高位貴族の子どもは、男女ともに3歳までは外に出すのは最小限。勉強は早くから始めるけど、運動らしい運動となると女子は5歳、男子は7歳からが標準になる。それまでは「私邸の庭」から出すこともない。家から出るとしたら、社交のためによそのお宅にお邪魔する時だけだ。それだって、馬車を挟んだドアトゥードア。

(男の子が5歳で馬をプレゼントされ、自宅の馬場で乗る練習をするのは別の話)


 ともかく、幼いウチは徹底的に「外出」は避けるし、海や山にレジャーに行くなんてありえないっていうのが高位貴族だ。


 これは、主に病気対策という意味でやっているそうだ。


 この世界の医療レベルは低い。経験的な薬としてハーブや薬用植物があるにはある。しかし「病気になったら体力勝負」が基本となる。


 そして、病原菌やウイルスの概念はなくても「病気はうつる」というのは経験的に理解している。だから、前世的な言い方をすると「免疫力が上がるまでは、できる限り会う人を少なくする」という考え方らしい。


 そう言えば、日本でも「七五三」と言うものがあったなぁ。


 本来は「数え年」でやるものだ。だから「七」は、満6歳を意味することが多いんだけど、不思議と世界各国の「義務教育」は6歳前後から始めることが多いんだよ。


 そして幼稚園は世界的に言うと満4歳からが多いらしい、すなわち数え年なら「五歳」ってこと。


 ついでに日本の保育園の話になるけど保育士さんの配置基準が3歳で大きく変わる。2歳児までは「保育士1人に対して子ども6人」なのが3歳児クラスになった途端「保育士1人に対して子ども20人」だもん。格差だよね~


 昔も今も、そのあたりに節目があるってことを経験的に知っていたのかもしれない。


 ちなみに、生命として男は女より弱いもの。だから、自然出産による男女比率は微妙に男の方が多く生まれる。つまり、始めから「男の方が弱っちぃから多く死ぬよね」っていうのが神様の見解なんだろう。


「私は5歳になったら、すぐにオウシン先生のところに留学させてもらえたのは良かったのですけど。あれは、兄さん達が大事にされすぎたという反省だったそうです」


 たしかに、バッカスもアポロンも武芸の方はアテナほどではないらしい。もちろんアテナが天才だって言うのもあるにしても、お兄さん達の才能はどっちかというと文官か、「指揮官」としての才能だろう。


「上の兄達や姉の話はいまだに、家の中でいろいろと残っているのが実情なんです」


 珍しくアテナが暗い顔をした。


 ガーネット家の子どもたちが、幼児期に次々と亡くなったのは、いまだに傷として残っているらしい。長男、長女、次男が短期間で次々と同じような病状を辿って「病死」を遂げたのだから、そりゃあ、貴族家じゃ無くても悪夢だよね。


 ちょうど、その時に迎えたシュモーラー家から来た第二夫人が疑われたというか、疎まれてしまったのは、やむを得ないところだろう。なにしろ、アテナは第二夫人の名前すら聞かされてないんだから、その扱いが分かっちゃうよね。


 ただ、人柄はとても良い人だったらしい。だからこそ、表立っての非難はできないし、なんの証拠も、あるいは疑わしい状況すらなかった。


 けれども、現実に次々と子ども達が死んでしまえば、周りの目がどうなるかはある意味必然だ。


 チラリと思ったのは「チフスのメアリー」という話だった。


 本人はいたって健康なのに、チフス菌を排出し続ける体質で、しかも「住み込みの料理人」を自分の天職だと思っていた人がいたんだ。


 もちろん、雇ったお宅では次々とチフス患者が発生したよ。


 ひょっとしたら、そういう感じの人だったのかもしれないね。


 ただ、口さがない人は「毒婦」とまで言い始めた。その第二夫人の責任では無いかもだけど、状況から見ると極めて悪いよ。


 エルメス様が公平な判断を下す人であったけど、そのエルメス様をして、今では名前すら残されてない第二夫人を実家に戻す決定をしたのはやむを得なかったんだ。


 せめて感染症対策は、何とかしたい。


 今のところ、ミネルヴァが医学に関心を持っているから勉強してもらっている。サステインが乳離れしたら、抗生物質の使い方についての実験も進めてもらうことになっている。


 そこには「幼児用」に使われるクスリも出しておいた。医療機関によって違うけど、都会の処方薬局だと使用期限が半年以上残っていても廃棄するのが普通なので、できるだけ使用期限が長いものを出しておいた。


 このあたりは、実用までの道のりがミネルヴァ頼りってところもあるけど、とにかく「無事に育ってくれ」っていうのが、どんな世界でも親の願いなんだろうなぁ。


 ということで「少しだけ」荒い子育てをお願いしておいたけど、このあたりは自分が側にいられない以上、お任せになるのは仕方ない。


 それに、あのエルメス様だって、そうやって育ってきたんだもん。いざとなったら、サステインもオウシン先生のところに留学させればいっか。

 

 あ、でも、サステインまで槍を構えて「ひゃっはー」しちゃう人になるのも困るかも。


 あぁ…… 子育ての悩みは尽きないなぁ。


 これなら、予定する戦場に、こちらが思った通りに来てくれる敵の方が、よっぽど楽だよなと、思ってしまうオレだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

 これにて、西部編終了です。さりげなく、最後は「感染症」というか医療の問題も踏み込みました。この世界には便利な「ポーション」も魔法の「ヒール」もないので本当に大変です。

 さて、数日~一週間程度のお時間をいただいて、東部編で再開します。

まだ、フォローなさっていらっしゃらない方は、できれば、この機会にしていただくと再開を見逃しません!

 よろしくお願いします。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

  


 

   

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る