第57話 あーちゃん

 恐るべきは「皇帝メイド」のみなさんの技術だと思う。


 速歩で廊下を歩くオレと同速度(女性の全力疾走に近い)で従いながら、ズボン以外をスポンスポン脱がしていくんだからね。


 本来なら、ありえない行動だけど「くれぐれも」と命じておいたから、ひょっとして練習をしたのかもしれない。それほどに、見事なチームプレイでオレが脱がされていく。


 もちろん、産屋に入る前に全身を洗い流すため、一刻を争うからだ。


 妻と子どもに会いたい一心で、感染の危険性を高めるのは御免被ると、冷静な時に考えておいて良かった。今だったら、絶対に「顔を見るくらいなら大丈夫」などと根拠のないことを言ってしまったに違いない。


 それほどに心が急いていた。


 入浴メイドのみなさんは、一糸まとわぬ姿で取り付いてきたけど、これはオレを惑わすためではない。一刻を争って、なおかつ洗った身体に雑菌を付けないように、最大限、気を付けてくれたからだ。


 実際、それぞれお見事な身体だったけど、心が薄膜で隔てられているように0.01ミリうすうすも動かされなかった。


 だから、浴室から産屋までの廊下は、普段邸内で働いている者であっても立ち入り禁止にしたのはメイド頭のレンだ。(シュメルガー家より本人の承諾を得た上で譲ってもらった)

 

 なお、以前からのメイド頭であったアザリンは「宮殿での侍女頭」となるべく公爵家を借りて研修中。ものすごーく大変らしい。なにしろ大陸の中心地における侍女は千人をくだらない。それを管理するだけでも並の力では務まらないんだよ。


 それはさておき、現在、皇帝私邸を切り回しているレンが精一杯の目配り手配りの結果が、廊下の立ち入り禁止ってわけ。


 バスローブ姿の皇帝陛下を目にする者があってはならないと言うのが理由らしい。まあ、そう言うゴチャゴチャは後で聞いたんだけどさ。


 ともかく、途轍もなくやつれたニアの前に立てたのは産後2時間経っていたんだ。


「ありがとう。可愛い女の子だって?」

 

 もちろん、もう、ずっと前に手紙で聞かされてはいたけど、いざ生まれてみると、愛しさがこみ上げてくるよね。


「申し訳ありません」


 ベッドで身体を起こしたニアが頭を下げてくるから、慌てて抱き留める。


「なんで! 君が元気で赤ちゃんが元気。最高じゃん。これ以上に良いことなんて無いよ。あ、将来は顔が君に似た方が美人になるかもだけど」

 

 そのまま、身体を起こしたニアをギュッと抱きしめて「ありがとう」と心から感謝を伝える。


 ふわりと立ち上るニアの馴染んだニオイと、微かな別のニオイ。ついさっきまで命の誕生へと戦ってくれたんだ。この世界で女性だけができる、最高の戦いを勝ち抜いてくれたんだと思うと、愛しさがひとしおだ。


 この感動ばかりは、きっと慣れることなんて無いんだろうな。


「ありがとうございます。さすがショウ様です。娘であっても、きっと喜んでいただけると信じてはおりましたが、いざ、こうして抱きしめられると…… 本当に幸せです。愛しております」

「オレこそ、最高の幸せをもらったんだ。本当にありがとう。さて、我が子は?」


 と振り返ると、そこにはミィルが控えていた。


「先ほど、初乳を飲んだばか ※ですので」

「へぇ。生まれて2時間で、もう飲めるなんて、元気だね!」


 ミィルが慎重に動いている。


「パパですよ」


 身体をくっつけるようにして受け渡し。さすがに三人目ともなれば、オレだって抱くのも慣れたもの。


「あっ」

「どうなさいました」


 思わず出てしまったオレの声に、ニアが心配顔。


「ごめ~ん」

「?」

「マジで、オレにそっくりだわ」


 一瞬で、産屋のみなさんが生温かい笑い声。


 みんなが「パパに似た女の子は幸せになれるって言いますよね、きっとこの子も幸せになれるのね」などと気を使った言葉が行き交っている。


 でも、さ、どう見てもオレだよ。たぶん、三人の中でも一番似てると思う。


 そこにが顔を近づけた。


「確かにショウの生まれた時、そのままですねぇ」


 温かな声で、しかしハッキリと告げた。


 実はによる、この一言は、案外と重いものだったのを、フォルが生まれた、ずいぶん後で知った。オレは覚えてないんだけど、フォルの時もサステインのときも母上は同じように発言してくれたらしい。


 息子の知らんところで母上は「貴族の息子を持った母親」として応援をしてくれていたんだ。

 

 これは「生まれた赤ん坊は、確かに息子の子どもだと承認しました」という宣言の意味がある。夫の母親による、この一言が無いために病んでしまった妻の話というのは珍しいことではないらしい。


 そして産屋で立ち合った妻妃が和気藹々と「パパショウ様に似ている」と言っていて、考えてみたらフォルやサステインの時と同じく繰り返されているんだけど、ようやく、その幸せの意味を噛みしめてしまったんだ。


 DNA鑑定なんてない世界だからね。


 夫の母親が「息子の生まれた時とそっくり」と発言し、他の妻や側妃が「似ている」という言葉を和気藹々とした雰囲気で口にするというのは、これ以上に無いほど平和なことなんだよ。


 オレは、その優しい世界で宣言する。


「ニア、名前を付けてもいいかい?」

「ありがとうございます!」

 

 目を輝かせている。そうだよね、長女でもパパが名前を付けるのは珍しいらしいもん。


 いくつかの候補があって最後まで悩んでいたんだけど、この可愛らしい顔を見ちゃったら、ピピピッと一つだけ煌めきと共に決まったんだ。


 これしか無い。


「考えてみたんだけどアウローラはどうかな? 美しい夜明けって言う意味なんだけど」

「なんてステキな名前!」

「幼いウチは自分でアーちゃんって呼んでも可愛いしね。あ、5歳まではチイ姫と呼んであげて」


 確認はしてないけど、部屋の片隅ではレンが「チイ姫」と、何度も口の中で唱えているはず。部屋を出るやいなや、働いている全員に「チイ姫」という呼び方が通達されることになるんだよ。


 これは、サスティナブル王国の伝統だった。


 長男は若様、長女は姫様と自動的に呼ばれるんだけど、次男次女以降は当主が呼び方を決めるんだ。ここで、呼び方を宣言しておかないと家中の人間が困るからね。


 ちなみに、妻妃と養育係は名前呼びあーちゃんを使うことになる。普通は養育係に名前呼びはさせないんだけど、ここはオレのこだわりで強制してる。


 あ、強制って言えば、オレがメリッサにお願いする形でミィルに「実の母と同じように振る舞え」という命令が出されている。したがって、ミィルは自分の判断で、いつでも子ども部屋に出入りできるし、子どもたちを名前呼びすることが可能だ。


『こうしておいて、子どもたちが立派に幼児教育段階に育ったら、皇帝の子育てを担当した栄誉として子爵家あたりの養子にしてもらえばいいよね』

 

 権力による横暴は、できる限り自重するのが平和のためだけど、家族のことくらいは、ワガママを言わせてもらおーっと。


 そう言えば、ミィルのお姉さんも子爵家へと養子縁組して、いよいよテノールとの婚姻もカウントダウン状態だ。


 オレが行ったら、テノールにも長期休暇をあげないとだよなぁ。 


 なんてことを考えながら、アーちゃんの顔を覗き込んでみたら、ふわぁ~っと歯のない新生児の唇がアクビをしてくれた。


『わぉ! 可愛い』


 束の間の平和を噛みしめる。


 この幸せを、大陸中の人に感じてもらえるように、早くしてあげなくちゃだよね。

  

 

 

※初乳を飲んだばかり:新生児が生まれたばかりで、オッパイをゴクゴク飲めるわけはないのですが、オッパイを吸う動きをお母さんが感じることで、オキシトシンと呼ばれる物質が脳内に分泌されるそうです。これが、免疫物質がたっぷりと入った初乳の出を促し、産後の肥立ちが良くなると言われています。また、生まれてきた赤ちゃんにとっても、幸せを感じると思われています。(ホントですよ!)



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作者より

新生児の歯のない口が「へにゃり」とアクビをする顔と、空間に視線を泳がせて「へらっ」と笑う顔は、たまらなく可愛いですよね。実際には生後間もなくは焦点が合わないそうですが、何もない空間を見つめて笑顔になっているのを見ると「あ、聖霊トロルが来ているのかも」と感じてしまいます。

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