第56話 寛容(クレメンティア)
大広間には声にならないざわめきが広がった。
男の子の半分くらいは、自分の胸に手を当てている。このあたりの直情的な動きが男子の男子たるゆえんだ。
一方で、女子たちの方は身体が固まったままの子が大半だ。こうやって、すぐに身体で反応しないで、女の子特有の共感能力を働かせながら考えられるのが特徴だ。
どっちが良いとか悪いとかではなくて、それぞれの持ち味なんだよね。
文化人類学なんかでもよく言われるけど、子どもが猛獣に襲われた時、男は「力対力」の理屈に沿って行動するから、たとえかなわない相手でも敵に向かう。女は子どもの「痛み」に共感するから子どもを抱きかかえて背を向ける、という話だ。
どっちが良いとかという話ではないよね。
ともあれ、デビュタント組だけではなく、居並ぶ大人、そして給仕しているメイド達までも耳をそばだててる。
「諸君は、本日、サスティナブル帝国の大人となった」
見渡す顔に、誇る気持ちが浮かんで見えるのは嬉しい。ついでに言えば、会場の後ろにいつもと違う装いのミィルが現れた。笑顔と共に、小さく右手を振ってくれたのが何よりも嬉しい。
しかし、その嬉しさを今は出してはダメだ。改めて顔を引き締めて話を続けた。
「さて、ここで考えてほしいのだ。先ほどキュウシュウがサスティナブル帝国の一部になったと言ったね? だがキュウシュウでは、ここ数年続く混乱のため、今年、デビュタントは行えてない」
声にならないざわめきこそが、オレの狙ったところだ。
「なにか不思議かな?」
もちろん、デビュタントで緊張する中、返答できるような無作法ものなどいるわけがない。
「アマンダの人間までデビュタントをさせるのか?」
驚くべきことに、その声は公爵家の家族席からだ。すなわちベイクである。
隣にいるシルビアーネさんまでビックリした顔で隣を見ているよ。そりゃ、国王の演説中にヤジを飛ばした貴族なんて、もはや事件の世界だもん。
「諸君、今、どう思ったのだろう?」
恐らく、オレが怒り出すのではないかという一種のビクビク感がみなぎってる。
「今の声は、君たちの声だ。そして、この場にいる多くの大人達の声だろう。さすが外務大臣補佐のベークドサム卿である。みごとに諸君の気持ちを代弁したね」
穏やかな顔をして「大儀である」と堂々と誉めると、貴族式の礼で答えるベイクだ。横のシルビアーネさんまで深いカーテシーで答えてくれる。
あ~ すっかりご夫婦ですねぇ。
なんだかほのぼのとしたモノを見せられた気がして、思わず顔が緩んでしまう。しかし、話はここからだ。
皇帝の緩んだ表情で会場中の紳士淑女がホッとしている中、いきなりテンションを上げた。
「アマンダの人間など、もう、この世にいない。1人もだ。私が最初に言ったはずであるな? 既に西にあった王国は帝国の一部となり、キュウシュウと呼ぶ場所となったと。ここにいる者達は、先ほど臣下の礼を見せてくれた。であるのに、皇帝の言葉を信じぬというのか!」
大広間の空気に得体の知れない緊張感がビリビリビリビリと空気を震わせた。
次の瞬間、公爵家が動いた。
臣下の礼をとっさに取ったのだ。それを見て、慌てて会場中の人間が拝礼した。
全員が、ことの意味を理解したのだ。
もしも「アマンダ国民が、まだ存在する」と思っているのなら、それは皇帝への叛逆と受け止めるぞ、という厳しい意志表明がなされたのだと。
皇帝が外征に出ずっぱりであるため、貴族家当主は話をする機会などほとんどない。国会に出席している高位貴族ならまだしも、本人と一度も面談をしたことのない貴族も多いのだ。
その意味において「皇帝陛下の人となり」は未知である。
今年の春「新年の祝い」を多くの貴族が受け取っている。例年にない太っ腹ぶりを見せてはくれた。しかし、彼らは忘れてない。優しく応じてくれたのは「妻達であって、皇帝陛下ではない」ということを。
一方で、皇都にはずっと流れ続けているウワサがある。
「皇帝陛下は弱き者に甘すぎるほど甘い」という話。今までの各種の施策も常に弱者に焦点を当てていたし、実際、困窮した下位貴族の娘にドレスを自腹でプレゼントしたのも皇帝だった。
これまでの王のなしてきたことからしたら、考えられないほどに甘い。
しかし同時に、何度も何度も繰り返し流れるウワサは、その続きをまとっている。
すなわち「皇帝陛下は苛烈なり。些細な不正にも苛烈に断罪なさる」との話。
実際、かつてオレンジ領で行ったように「不正を働いた役人を処刑した」というビラビラが何度も皇都にバラ撒かれている。役人だけではない。庶民から不正に金を巻き上げた商人も一家抹殺された。そのウワサを証明するように、皇都には、ある日急に兵士がやってきて更地になった商家跡というものが何カ所もある。
すなわち「お貴族様の危なさ」を十分に持ち合わせている。それどころか、ひと一倍の「危なさ」を発揮しかねない性格なのだ。
その皇帝から、こんな場で勘気を被ったら何が起きるか分からない。
特にデビュタント組の足は震えてしまった。
ホンの一瞬の沈黙が永遠に続くかと思えたであろう。しかし、次の瞬間、不思議な優しいトーンに戻して「話を聞いてくれ」と呼びかけたのである。
「君たちの心からアマンダ王国という言葉を消さない限り、永遠にアマンダ王国は残ってしまうのだよ」
鋭い子は、ここで皇帝の言いたいことに気付いたらしい。何人もの顔が「ハッ!」となった。
「諸君は、私の実家がオレンジ領と呼ばれているのを知っているだろう。正式に言えば、オレンジ・ストラトス伯爵領だ。お隣のカインザー侯爵が治めている土地はアップル領だったね。だが、よく考えれば不思議であろう? なぜ、そんな名前が残っている?」
笑顔を浮かべて人々を見渡してから皇帝はニコリと笑顔を見せる。
「我が妻、ニビリティアは歴史を調べるのが好きでね。最近、私も知ったのだが、我が故郷を含めて、オレンジ領、アップル領といった特別な名前が残っている土地は、サスティナブル王国が建国した当時、小国があった場所なのだよ」
これは事実だった。王立学園では、わざわざ教えてないが、当然、その家の者は理解している。(つまり、ホントは前から知っている)
ただし、長い歴史の間に領主の血統は入れ替えられてはいるが、昔、そこが別の国であったことは事実なのである。
「君たちは『オレンジ国の人間がデビュタントに出るのはおかしい。まして壇上にいるなんて!』って言うかい?」
ハハハとベイクが笑ってくれたため、周囲の貴族達も合わせて笑ってくれた。皇帝陛下のジョークだと判断しての対応だ。
このあたりの感情コントロールは貴族の
「ありがとう、ありがとう。つまりはそう言うことだ。長い年月が経てば、かつての敵国も、こうして壇上に立つことだってある」
さすがに、二度目のネタで笑って良いモノかどうか一同が迷っているらしい。気にせずに話を続けた。
「キュウシュウは我が国である。そして、近い将来、我が国が増える。その時こそ、今日の話を思い出さねばならないのだよ」
シーン
「諸君の中には、今までに辛いいきさつがあった家もあろう。許しがたい苦しみを味わった者もいるだろう。しかし、だからこそ、この困難を話しているのだ。若き帝国貴族とその伴侶となる諸君。君たち一人ひとりの胸の中にある
ザッと大広間にいた全員が、
「サスティナブル帝国万事!」
「ショウ皇帝万歳!」
「永遠なる帝国のために!」
「成し遂げて見せます!」
その声がデビュタント組だけではないことを嬉しく思いながら、ひとわたりの熱狂を収めるために「ありがとう」と声を出す。
皇帝の言葉にピタリと叫びが止まった。
「諸君の決意は、大変嬉しい。そして、ここで嬉しい知らせとお詫びを一つせねばならない。まずお詫びから。この後に行う予定であった諸君との触れ合いを明日のパーティー前とさせてほしい。だが、これは諸君を軽視するつもりではない」
初日に、国王の演説と「握手会」で、翌日がデビュタントのパーティーであるのが普通だが、事情によって順番が変わることはたまにあることだ。
だが、いったいなぜ? と人々は思った。
「皇帝として新たな領土が増えれば、そこに心を配るのが役目だ。しかし同時に、私は父親でもある」
この瞬間、居並ぶ高位貴族はパッと明るい顔となる。次のセリフが読めたのだ。
「歴史を調べて教えてくれた妻のニビリティアが、たった今、母になったと言う知らせが入ったのだ。女の子だそうだ。諸君への祝いの言葉と共に、我が家に新たな命が生まれたことを、ここに報告させていただく」
それこそが、会場の後ろから合図を出してくれたミィルが教えてくれたことだ。(ミィルへの連絡はファントムが最速で届けました)
うぉおおおおお!
会場が万雷の拍手と歓声に満たされる中、ショウはゆっくりと会場を後にしたのである。
だが、およそ「どんな巨人が通るんだよ」と言いたいほどの大扉が閉まりきる前に、我慢は限界。
ショウは全力でダッシュしたのであった。
アテナは瞬時にスカート部分をビリリと剥ぎ取って、戦闘ドレス姿へと早変わり。同時に譜代の侍従から剣を受け取りながら追いかけるのは当然のこと。
「ニァアアアア」
宮殿の廊下に、皇帝の叫びが響いたとか、響かなかったとか……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
作者より
ニアちゃん、第三子を無事に出産しました。ちなみに、デビュタントの会場は宮殿ですから、皇帝私邸まで馬で走り抜けます。道々には、誘導の灯りと、テムジン達の「夜道駆け用ガイド」が控えていましたので、最速で到達しました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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