第38話 グラの深層

 グラに帰り着いたエルメスの心は喜びに打ち震えていた。だが、どれほどに見たくなくても、やるべきことを優先するのはいつものこと。


 旅装を解くよりも先に、山積した問題が押し寄せてきた。


 次々と押しかけてくるアマンダ王国の官僚達と、残留部隊の文官達から話を聞かねばならない。執務机は提出された報告書や意見書が崩れんばかりの山となる。


 仕方のないことであるが、どうにもウンザリ感は拭えない。


 ともかく、こういう時は「聞きたくない情報」を優先するのは当然のこと。それであっても厳選して聞くようにしたが、一通り話を仕入れるだけでも長時間となるのは仕方のないことだ。


 これをいい加減にすると、その処理のために、何十倍も手間と時間とコストがかかることになる。


 エルメスがコツコツと処理するのも、やむを得なかった。


『どうにも、ウチの連中との相性の悪さであるな』


 戦友達ともは気の良い男達だ。戦場に出る仲間として何の不安もない。エルメスの下知に応じて死に物狂いで槍を振るい、剣を抜く。どれほど困難な戦場であっても最後まで戦い抜くだろう。


 しかも、ただ命令に服従するだけでは無く、戦いの目的を考えた上で、それぞれの裁量を発揮した素晴らしい結果を生み出す。


 そして、戦いが終われば、素晴らしく気持ちの良い杯を交わせる戦友ともである。


 育ててきたのは、そういう男達だ。


 しかし、ここの戦いは、言葉の裏の裏を読み、人々の悪意に満ちた書類の表も裏も見通してこそ、結果が生まれる。


 もちろん、優秀と目される文官を領地から次々と引っ張ってきたが、平時の行政組織なら力量を発揮する者であっても、末期の王国にはびこる魑魅魍魎と戦うには力量不足なのである。


 したがって、あっちこちから上がってくる案件を、エルメスが目を通さざるを得ない。ホンのちょっとした部分に、思わぬ悪意が紛れ込まされているからだ。


『先日は、宮殿内の花を納入する業者であったな』


 宮殿には、あらゆる所に花を飾るものだ。ガーネット家の館でも、専門の業者と担当を置いて花を飾らせている。


 その業者を入れ替える、という報告書だ。そんな些細なことを、最高責任者が一々決裁するまでもない。


 しかし、逆に言えば「それが自分まで届いたこと」に疑問を感じたのだ。あるべきものが見当たらず、無いはずの物があれば、疑問を持て。そんなことは戦場の基本だから、躊躇なく担当官を呼び出して尋ねた。


 結論から言えば、余計な圧力を掛けてきた貴族家と、王都にはびこる教会との権力闘争の結果、貴族家の権力で新たな業者がねじ込まれたという話だった。


 それを公にできない担当官は「報告書」のカタチでエルメスに届く報告書の片隅に潜りこませた。


 ……ということになっていた。


 エルメスは直ちに、その担当官をクビにしたのである。


 その男の真の狙いは「エルメス様が旧権力側にすり寄って、不正な業者選定を担当に」という実績作りだったのだ。悪意のある貴族から何かを受け取っていたのは、後で調べが付いたこと。


「あぁいう陰険なことを仕掛けてくるのであるからな」


 業者の選定にエルメスの意図が入る。それ一つの事実であれば、エルメスはビクともしないだろう。権力だけで言えば、宮殿に出入りする者をすべて「エルメスのお気に入りの業者」に変えることだって正当な権利の範囲でできることだ。


 しかし、エルメスの意図しないところで、どこかに加担してしまったとしよう。


 そうなると、相手側はチクッ、チクッ、チクッと、小さなことを積み上げてきて「エルメスの真意」をねつ造する材料にすることが可能になってしまうかもしれない。


 あの時も、業者を変えること自体は問題なくても、わざわざエルメスに書類をあげることで「最終決済をしたのは」という話に持っていくだろう。


 普通の人は、信じたいことを信じる傾向が強い。したがって、書類にエルメスのサインが入った書類をいくつも見せられれば「エルメスが実は旧貴族の味方で」をウワサすることが可能なのだ。しかも、恐ろしいことに、ちょっとした情報操作によって「教会の味方をしている」という証拠に使うことすらできるのだ。


 そう言うあれこれの細かい悪意を、全て潰せているのかどうかエルメスですら自信は無い。


「我は、教会の者どもに魔王などと呼ばれているらしいが、一国を治める魔神ノーマンでも、伏魔殿を支配するホンモノの魔王リンデロンでも、連中に見せてやりたいモノだ」

   

 ともかく、脂汗を流したエルメスが最高度に緊張しながら執務するのは、自分の限界を知っているからなのである。


「自分はノーマンでも、リンデロンでもない。ただの武人である」


 それこそがエルメスの心情であり、嘘偽りのない、心からの本音だ。


 だからこそ、心を緩める瞬間が必要だった。


 とりあえずの書類を決裁し終わったのは真夜中であった。


 心得たもので、そのタイミングを見計らってワインとグラスを抱えたアインスとツバイがやってくる。ツマミは、市場で二人が直接買ってきたものを、念のため、複数のメイドに毒味させてある。


 書類仕事には向かないだけで、二人ともこのあたりは万全の仲間なのである。


「久しぶりのショウ君、相変わらず、楽しいことをやってましたね。おっと、こいつは羊の乳でできてるらしいですよ。塩気が強くてツマミには最高ですね」


 アインスは楽しくてたまらないという表情で、腰から外したナイフでチーズをそぎ落としてみせる。


 お上品な食べ方よりも、野営中にたき火を囲んだ時のやり方の方が、エルメスが喜ぶのをちゃんと知っているのも二人の良さだ。


 ドクドクとワインをグラスに注いでツバイが「それにしても、なんか、ヤバいモノを出したらしいッスね」と、こっちは半ば独り言。


 北方遊牧民族の民は、畏怖の気持ちを持ったらしい。ネメシスの雷という言葉を何度も聞いたが、エルメスからしたら、横の窪地に累々と折り重なるようにして横たわっていた、なんの傷もない死体の方が、よほど驚いた。


 あんなものを戦場で使われたら、これまでの戦いの意味が無くなってしまうではないか。

 

『それでいて、しっかりと、我らに良いところを持っていくように仕向けるのであるから面白いヤツよ』

 

 もはやエルメスは、帰りの道中のように、途轍もない上機嫌を取り戻している。


「我らの麒麟児に! チンチン」


 グラスをぶつけるようにして、一気だ。


「ふむ。アマンダのワインも慣れてくると美味いな」

「そうですね。値段も安いし。これならウチの領に輸入してもけっこう人気になる気がします」

  

 アインスが言葉に応じつつも「上機嫌でしたね」と言葉を促した。


 エルメスは、グラへ入るまですこぶるつきで上機嫌であった。


 久し振りの実戦に身を投じられた充実感は確かにあるが、それ以上に「サスティナブル王国の重鎮」として、未来を見せてくれた若者に対する喜びが爆発したのだということを、側にいる男達は分かっていた。


「小僧が麒麟児であるは、疑いようのないことではあったが、まさかここまでとはな。建国の三賢を連れてきても、ここまで上手く行くかどうかだぞ」

「しかも、今回はウチらの仲間と作ったゴールズを連れてきてないんスよね」


 ガーネット家騎士団の中でも、ゴールズに対する評価は高い。その中核は確かに身内と言うこともあるのだが、それ以上の存在になっている。


「そもそもゴールズの中核は我が家であったのは確かだが、そんなことは霞んでしまうほど、小僧の育て方が上手かった」

「仔犬を与えて、育ててみたら大型犬だったってところですか?」

「いや、サスティナブル帝国にとって考えれば、大型犬どころかフェンリル神狼」であるのかもしれぬぞ」


 ひぇっとツバイが驚いて「そこまでっスか?」と声を出しながら、空になったエルメスのグラスにワインを注ぐのを忘れない。


「自分の手勢とも言うべき戦力ゴールズを特異な能力を持った強力な部隊連合に育て上げること自体が希有なことだ。だが、小僧のスゴさはそこだけではない」


 アインスは「引っこ抜きましたもんね」と笑顔になる。


 ショウのやり方は「既存の勢力からの上澄みをかき集める」というもの。その結果を意図しているのかどうかは不明だが、他の行動から考えても、そんな大事なコトを意図してないとは思えない。


「我ら御三家と近衛に、国軍であるからな。我々とのつながりだけなら御三家から、そして、精強な軍を作るだけなら侯爵家からも少しずつ引っこ抜けば良いだろう。しかし、彼は、そうしなかった」


 優秀な隊士を我が物に引き入れるということは、本来的に相手の弱体化が起きることになる。御三家は自発的に差し出すカタチであったが、近衛と国軍から引っこ抜いたのは意図があったに違いないのだ。


「もはや、近衛は我が副団長をしている意味すらないほどになったのである」


 エルメスが集めた王都(今は皇都であるが、エルメスの頭の中では慣習的に王都のままである)のウワサにも、近衛は既に実体を喪い「街の警邏部隊パトロール」 としか意識されてない。


 もちろん、かつての副団長としてエルメスも承認したし、今では「遠征中につき務めを果たせないため」という理由で副団長を退任してしまった。


 したがって、団長と副団長が空位であり、現在の組織は「王都治安部隊」の一組織として扱われているのだ。


 そのくせ、能力のある隊士が「ゴールズへの昇格」を夢見られるようなシステムを残しているため、士気は意外と落ちてないという。


「国軍も、徹底的に儀仗を鍛えられているらしいって聞きました」

「あぁ、徹底的にってことであるな。しかも、彼ら自身が望んでいるんだそうだ」


 これも伝わってきた話としては面白すぎる。


 本来は、王都に置かれた国軍は、どこにでも即応する派遣部隊のはずだった。ところが、この部隊に徹底的に王都の治安を任せたのだ。


 しかも、つい最近まで、ゴールズのパトロールは王都民に大人気、ゴールズ本邸の前の騎士団交代式も、王都最大の見世物となってしまった。


 それらを全て引き継いだことになる国軍は、バカバカしいほどの大人気になってしまったため、志願者が殺到しているという話だ。


 そして、国軍からもゴールズへの昇格は「実績」がある分だけ、隊員からの現実的な希望となって存在しているから、内部の士気が極めて高い状態なのだ。


「えっと、儀仗兵をやってると強い兵になるんっスか?」


 これは、ツバイなりに気を遣っての質問だ。


「うむ。こと、国軍に関して言えば、儀式に合わせて徹底的な集団行動を訓練するわけである上に、新しく備えたハルバードを揃って使う訓練ともなっている。彼らを集団で使う場面が来たら、今までの比ではない破壊力となるであろう」


 昔、ショウを自領に連れてきたとき「騎馬隊に負けない歩兵隊が作れます」と言い切られて、驚いたのがつい昨日のようだ。


「そして、今回は、せっかく育て上げた手勢を全て別の戦場に投入して、自分は別の部隊を実戦で鍛え上げていく。恐ろしい男だぞ、全く」


 ごく普通の侯爵家、子爵家のありふれた騎士達が、ショウの元で過ごすと一流の戦士になってしまうのである。


 考えてみれば、そのショウ自身を初めて戦場に連れて行ってから、まだ二年も経ってない。


『あの小僧が、今や皇帝であるか。我が考えてもいないことを次々としてくれる。それに、我をジイジにしてくれたことも感謝であるな』


 エルメスは、思わず笑って5杯目のワインを飲み干した。


 ふと思った。


 伝説の神獣・麒麟。


 姿を浮かべながら、ツバイの注いでくれたグラスに口を付ける。


「天駆ける存在であったな。どこまで行くのであるか。大鷲の羽でどこまでもついていってみせるからな」


 楽しみにしておけよ。


 エルメスが掲げたグラスに友が合わせた。今日何度目になるかも忘れて、友と飲む快いワインを楽しんだのであった。


 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

 作中であまり触れてきていませんが、国を占領して制度を変えていくだけでは無く、ローディングや北方遊牧民族で荒れ放題になった国を立て直すためには、政治的な判断と、文官が大量に必要です。そのためのあれこれは頭の痛すぎる問題ですが、今回は、北方遊牧民族の問題に方向性が出たただけでも、相当な進歩となりました。

 ここに、ショウ君がやって来るとき、ベイクが傍らにいることが意味を持っていきます。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


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