第37話 焼け焦げベーカリー

 旅の途中でもベイクドサムの朝は早い。日の出前には、活動を開始している。


 戦場においての情報活動は夜よりも朝の方が目立たないのだ。影を使うにしても、夜の闇に紛れるよりも、朝のゴチャゴチャに紛れてしまった方が目立たないのが付け目だった。


 届いた情報を朝一番で頭に叩き込むと、すぐさま、朝食を用意するたき火でメモを焼き捨てつつ、紅茶を自分で淹れる。


 雑と言うよりもベイクのやり方は、およそ「茶を淹れる」やり方では無かった。


 もしもメイドが見てしまったら悲鳴を上げそうなほどに雑な「戦場式」の淹れ方だ。味や香りを楽しむためでは無く、ひたすらカフェインと苦さを摂取するために飲む茶だった。


 飲んでいる姿もひどい。


 クチを半開きにして、焦点の定まらない目でボンヤリとたき火に顔を向けているだけにしか見えない。ずっと付き合ってきた恋人の裏切りを知って愕然としているところだとか、妻の浮気を知って意識が宇宙に飛んでいった男の顔だとか、そういう連想しか産まない表情だ。


 とてもではないが、何かを考えているような顔では無い。


 しかし、その頭の中はとてつもない高速回転中だった。


 いや、むしろ、この瞬間こそがベイクの瞬間最大中なのかも知れない。


 手元に置いている副官を全て幼馴染みで固めているのも、この瞬間のことを知っているからに他ならない。


 なにしろ、高速回転をしているベイクは精密機械だ。ちょっとしたクラッシュで頭の中が焼き切れかねない。そこまで行かなくても、こんな時に話しかけられたら、一日中、いや数日間は不機嫌なベイクができてしまうことになる。


 実際、子どもの頃のベイクは、集中しているところを乳母や家庭教師達にあれこれと「気を利かせ」られて、年中、癇癪を起こしていた。


 口さがない幼馴染み達は、そんな時のベイクのことを「焼け焦げベーカリー」などと呼んだほどだった。


 常に不機嫌の塊。イライラはヒートアップし続けるから、全ての人間を切り捨て、攻撃し、徹底的にやっつけても心が痛まない人間だったのだ。


 シュメルガー家の跡取りの可能性すら目されるだけに、大人達が気を遣って付けた学友達は優秀だったし、何よりも温厚で、配慮のできる人物だった。


 だからこそ、ベイクの「デリケートな時間」に気付いたのである。


 もしも、彼が御三家という高貴な生まれの子どもでなかったら、今ごろ、どこかの反社会的組織でも仕切っていたかもしれない。とにかく、あの頃のベイクにとって全てが敵だった。


 それを優秀で温厚な幼馴染み達が、ギリギリの所で気付いたお陰で、ベイクは踏みとどまれた。

 

 天才とは、危うさを常に孕んでいるのである。ほんの一歩でも踏み間違えていたら、未来を切り開くのではなく、社会を切り捨ててしまう存在だったかもしれないのである。


 しかも、今や精神的主柱として、心から仕えたいと思えた相手を見つけた。自分の置き場が生まれた以上、この天才は、やるべきことを次から次へと見つけてばく進中である。


 いきおい考えなくてはならないことが膨れ上がっていた。


 だから、こうやって「ボーッとして見える時」が圧倒的に増えつつ、ベイクの頭の中には、大陸全体の絵図が見えているのである。


『王都の方は問題なし。メリーメリッサは実に優秀だ。卒業式のスピーチも大好評だったそうだし、姪っ子に甥っ子も元気だって言うし。少なくともトップの人間に大きな変化は見られないとある。よし、後は、こことここを調べさせておけば良いか。それにしても頼もしいなぁ」


 頭には、祖父よりも、ブラスコッティの顔が浮かんでいる。


『さすがスコット家のセガレだよ。ターゲットさえ絞っておいてあげれば、ちゃんとやるべきことはやるんだから』


 数日前に入って来た情報によれば、離宮に閉じ込めてあるゲール元王子が壊れ病となって重篤な状態だという情報もある。


『今回の情報は、ビリー、チャーリー、デイブにエドワード、そしてフォルテか。並み居る王弟達は、し。計画通りと見て良いな』


 事実として、ゲール元王子はブラスの成果ではないが、現象面から見てベイクは、全てをブラスが「実務」を果たした結果だと考えているのである。


『皇帝が治める国に前国王の身内がいてはいけませんからね。それに、ショウ様がこっちにいらっしゃる間に実行される分だけ、暗黒面との関係性が限りなく薄くなるというモノです」


 冷たい計算だが、なるべく新皇帝とは関係ないところでひっそりと死んでもらうことで、人々に暗い部分との関係性をチラリとでも感じさせないようにするのも政治なのである。


 どれほど、想像したとしても、2千キロ離れた戦場にいる皇帝と、前王の息子や弟たちの病気を結びつける者は少ないのが現実なのだ。


 特に貴族達であれば、手段があることは知っていても、目の前の現象を優先して信じようとする傾向の方が強いのである。


『あとはゴンドラですね。でも、ここは母が付きっきりですか。さすがに、これを今すぐどうにかするのは難しいと。でも、本人は回復してないみたいだし、母親もトライドン家の分家の娘で軽い。こちらは、もうちょっとしてからでも、十分に対応できる。今は大丈夫でしょう』


 皇都を立つ前に、そのあたりは当主であるライザーと打ち合わせ済みにしてあるのがベイクの先読み力である。


 ツラツラと、皇都の人間関係を高速で浮かび上がらせてはチェックし、シミュレーションをあれこれとする間に、カップの紅茶のような液体を喉に流し込んでいるベイクなのである。


 無意識のうちに、グラグラと煮立っているナベに茶葉をバサッとぶち込んで、グルグルとお玉でかき混ぜている姿は、まさか、これが政府高官だとは誰も思わないだろう。


 どちらかと言えば、背景を怪しげな家の中にして、黒いマントでも着せれば、悪魔を呼び出す儀式でもしている闇の司祭とでも言った風情。


 実際、そんな想像をした幼馴染みは多いのである。


 そして、また、紅茶らしき液体をカップに入れると、今度は東側の情勢をチェックし始めている。


『2ヶ月遅れの情報だけど、元の「ノース自治区」のマイセン伯爵とアンスバッハ伯爵は、すごいな。もう、ほぼ、元の国境線まで押し戻して、今やガバイヤの北を侵食中なのだからな。彼らの手腕はスゴイよ。まさに昇爵モンだろ』


 マイセンの智とアンスバッハの勇がセットになっているせいか、ベイクの評価は非常に高い。守り切ったこともすごいし、攻め込んだ所もスゴイ。


『だけど、彼らの本当のスゴさは、守ったことでも攻めたことでもない。人的な被害が極端に少ないと言うことだよ』


 ショウとの契約により、彼らが物理的な被害が出ても支援してもらえるというのは確かに大きいらしいが、だからと言って、こうまで割り切った作戦はなかなかできない。


 徹底的な遅滞作戦と補給線遮断、そして、どこまで行っても相手に手応えを感じさせない作戦は、マイセンの先読みとアンスバッハの指揮能力によるモノが大きいのだということまで、ベイクは掴んでいた。


『フリーハンドで戦場を任せられる人物は数少ないです。この二人なら大丈夫でしょうけど、かと言って、地元から引き離すとダメになる人は多いですので、見極めが大事でしょうね』


 ベイクの頭にあるのは「コンソメスープの表面にできる油膜の輪」のようなイメージだ。


 スープの表面に浮かぶ丸い油膜と油膜とがぶつかって合体すると、一気に大きな油膜の輪ができる。


 そのためには、油膜がガバイヤの北の地に残っていることが重要なのである。


『テノールも、思った以上に有能みたいだけど、これはアポロンのやつの使い方が上手いせいもあるのかもだからな。とはいえ、ガバイヤへは攻めるカタチさえあれば十分なんだ。救恤隊は、予定以上に成果を上げたみたいだし。じっくりと構えて大丈夫だろう』


 戦争が国家を消耗させるのは古今東西、真実である。だからこそ、戦争は、最初に最大のコストを集中させて短時間で終わらせるのが、一番コスパが良いのである。


 だが、最大のコストを集中できないとしたらどうするか。


 最低限のコストで、相手の主導権を奪うことにだけ専念すれば良いのだ。


 それが今なのである。


『皇帝直属軍として、それぞれの部隊が特殊部隊になっていますけど、少数戦力と言えども、けっして侮れない能力を持ってる。かつてのサウザンド連合王国の傘下にあった小国くらい、単独で叩き潰せる戦力なのだから。しかも国庫の負担は少人数ゆえに少なくてすむ。さすがショウ様、素晴らしい戦力を作ってくれました。最高ですよ』


 ガバイヤ王国を何とかしたいというのなら、普通で考えれば10万単位の軍を長期間張り付ける必要があるのだ。


『そのあたりの戦略や戦術になると、オレが何とかできる部分じゃ無いけど、そこを期待できちゃうのが、我々の皇帝のスゴイところさ』

 

 とりあえず、今は最低限のコストでガバイヤ王国が身動きできないようにできているのは大きい。


「で、そうなると、後は、今回やってる北とシーランダーか。どっちも遠隔操作になっちゃうけど、北はもう大丈夫そうだ。えっと、ダイモン族か。あっちとの連携についての使者が、そろそろ帰ってくる頃だな。おっと、せっかく名前を決めていただいたんだ。それも早く教えないと」


 とりあえず「味方にする」ところまでは連絡済みである。せっかく仲間にした以上、彼らの名前くらい教えておかないと、余分なトラブルが発生しかねない。


 それらを防ぐのはベイクの役目だ。


「えっと、名前以外に、符丁に割り印と、それに主な顔ぶれかぁ」


 ひとつ話が進むと、やるべきことが三つ増える感じだ。しかし、その一つひとつが「大陸統一」という夢の物語を完成させるのだと思えば、ベイクはちっとも辛くなかった。


 ただし、夢中になり過ぎて、たき火で焦がしたズボンを繕う当番兵は「ここんところ、毎日じゃないか!」と心の中で悲鳴を上げていたのであった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

 ベイク君は、グラへ向かう途中も、こうして、大陸中の情報をかき集め、コントロールしています。もちろん、これらのは、ショウ君と相談して決めていますが、相談できないことも大量にあったりして、取捨選択をするのもベイクの力量です。そして、それらのウチ「知るべきことは知っておいて、知らなかったことにしておく」のも上に立つ者のやるべきことだったりします。

 つまり、旅の途中って、下っ端が雑用に追われて大変そうに見えますが、実はトップが一番大変だって感じなのです。

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