第18話 溢れてしまった国

「ここもダメであるか」

 

 思わず、声が出てしまうエルメスだ。


「他にも、こちらとこちらの街からの連絡も途絶えました」


 最近抜擢した補佐官のネストが筆を使って赤い×を書き込んでいる光景だ。毎日とは言わないが、その×印がどんどん増えていた。


 エルメスの前に置かれた巨大な地図はアマンダ王国のものである。主な街が絵記号で表示され、国土の上(北)側にある街の十個以上に赤で×が付けられている。


 北方遊牧民族に襲われた街が激増中であるが、その前に、他国人であるエルメスが、アマンダ王国の詳細な地図を目の前にしているのは、本来なら異常なことなのである。


 普通の地図であっても機密扱いにするのはよくあること。


 それなのに、ここに置かれているのは街の名前や規模、砦、補給基地などの全てと、橋の一つひとつに至るまでまで描かれた詳細な地図というのは、どんな国家であっても、最高機密だからだ。


 そんなモノを、ドンとテーブルに置いて、なおかつアマンダ王国の官僚達が補佐して作戦を立てる。


 それもこれも、アマンダ王国を属国化した上で、エルメスが「統制官」という新設された地位となる手続きが終わったお陰だ。


 誰も聞いたことのない、この地位はアマンダ王国の宰相と同一権限を有していた。それどころか、宰相の任免権すら保有している強力な権限を持っているのだから、宰相よりも立場は上。というよりも、議会が存在しない「王国」において、事実上の「王」と同一の権限である。


 エルメスの立場の上に立てるのは「国王代理」すなわちショウ皇帝だけなのである。


 ただし、王宮外に対してはあくまでも「アマンダ王国に協力するサスティナブル王国側の最高責任者」の形を取っているので、大きな反発は見られなかった。教会の役職者ですら、そのカラクリは分かってないらしい。


「引き続き、監視をしておりますが、時には監視部隊が丸ごと捕捉されるケースもあるため、とてもではないですが、地図に書き込めた状況が一番楽観的なモノかも知れません」

 

 ネストは、同僚のエイブからの資料をもう一度確認しながら、そのように補足する。


 一方、他の補佐官達も、手元の資料を読み取っては、なにやらまとめている。


『ふむ。グレーヌ教も案外とだらしない』


 結局、北方遊牧民族を食い止めるために、グレーヌ教は全く役に立たなかった。もう少し何とかなるかと……せめて時間稼ぎくらいにはなるかと期待した手であったのだが。


 初期に枢機卿クラスと僧兵達が事実上全滅してしまったため、迎撃についてはグレーヌ教自身が諦めムード一色。


 地方の小さな教会を祀る下級司祭達が住民達を鼓舞し、避難させているのが目立つ程度だ。


『教会側の戦闘力や政治力を削ぐのには役だったが、結局それだけであるか。そんな体たらくなら、なけなしの国軍も同時に使った方がまだ、マシであったかも知れぬ』


 既に最初に侵攻してきた部族以外の集団が「楽して奪えると聞いた」とばかりに、次々と入って来ているため、対策すべき地点を絞ることすら難しくなっているのが現状だ。


 数少ない正規軍とガーネット家騎士団を投入して、なんとか敵を食い止めようと現場に向かうが、到着した時には敵が雲隠れした後、というのが頻発していた。


 かといって、今や危険地帯になってしまったアマンダ王国の北部地域を、当てもなく部隊をウロウロさせるのは危険すぎた。


 できるのは少数精鋭による敵の「監視」が精一杯。それだって、何とか任務を果たせるのはエルメスが鍛え上げたガーネット家騎士団の部隊と、アマンダ王国騎士団の精鋭だけだ。


 ともかく、使えるコマが少なすぎ、敵は増えすぎているというのが現状だ。


「南の国軍を全部北に引っ張ってくるしかないって!」

「しかし、すり抜けた部族が南に入りこんだら、国の滅亡レベルだぞ」

「ここはせめて、セイフティ・ゾーンを作るべきだ。王都すら危ないではないか!」


 喧々諤々、意見が飛び交っている。


 補佐官として採用された若者達は、どれも優秀だ。下級官僚、国軍の士官、大商会の番頭見習いに至るまで。これはという人物を引き抜いては、ここに連れてきた。


 もちろん、国軍の重鎮や元大臣達も部屋に来てはいるが、未曾有の事態に思考停止となってしまっているせいで、補佐官達は、自分達でなんとかしようという熱気に溢れてケンカ寸前の議論を繰り返すのだ。


 これが、元アマンダ王宮の大会議室における最近の光景になっていた。


 才能ある若者達を見つめながら、ふと、エルメスは考える。


『結果的に、国王代理をショウ君に押しつけたのは大正解だったわけだな』


 エルメスがトップに立って、優秀な若者達を抜擢して国難に当たらせられた。それもこれも「国王代理をショウ皇帝に押しつける」という荒技が産んだ結果なのだ。


 大人として忸怩たるやり方ではあったが、背に腹は代えられなかった。国王という名の非常大権がない王国において、数百万の民を救うには、これしかなかったのだ。


『民のためには汚い大人の一つを演じるくらいはと割り切ったつもりなのだが、やはり合わせる顔はないな』


 しかも、若き麒麟児がどれほど困惑し、迷惑を感じていたとしてても、きっと「わぁ~ そうなりますかぁ」などと韜晦した笑いを浮かべるだけで抗議もしてこないだろうと思えてしまうと、もはや不憫にしか思えない。


 その、困ったような笑みを浮かべた若者が、アマンダ王国を目指して、西部山岳地帯に踏み入れたという情報が入ったのは5月に入ってからだった。


『全く、なんと情けないことだ。御三家の一角だ、公爵様だ、国軍最高司令官だなどと言われているのに、少年に期待してしまうなんてな!』  


 今、ここで各地に指示を飛ばしているのは、全て「対処療法」に過ぎない。近くの街が襲われたら、その側の街にこないように威嚇する部隊を派遣する。


 そこで対決に持ち込めれば、まだマシだ。しかし、多くの場合、サッと消えて、こちらの気付いてない街を襲ってくる。


『まことに、連中の生活の仕方は厄介なモノだ』


 北方遊牧民族は、その特異な生活スタイルによって、補給部隊を必要としないと言われている。その程度のことは知っていた。


 だが「騎馬だけで構成された部隊」がどれほど厄介なモノなのか、思い知らされたのが、今のエルメスの立場なのである。


 そして、抜本的な対策は何一つ取れない中で、ただ一つ、こうして「被害に遭った街への対策」と「周辺への手当て」だけが習熟していく現状に、ため息を吐くしかなかったのである。


 たった一つの希望は、今までにもあった「南への侵入」は、夏の訪れと共に、おおむね元の地域に戻るのが常であったと言うこと。


「もうすぐ夏が来るのが救いだと言えばそうだが、今年は、素直に帰ってくれるかどうかだな」


 エルメスのカンは「帰らない」と告げていたのであった。

 


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

アマンダ王国の置かれた現状は、かなり悪いです。それと、北方遊牧民族は、チャガン族だけではなく、我も我もと「美味しいところ」を奪いに来ています。そのため、手に負えなくなってしまいました。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

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