第10話 勝利の響き

 ぐるりと見下ろしたテノールは、誰に聞かせるまでもなく、ひとりごちた。


「なるほど。こうして見てみると、思ったよりも多くものだな」


 予想通り天中をもっての一斉攻撃が始まった。


 の副司令代理を任せられたルチアは、それを「怯え」と取ったのだろう。辛うじてテノールにだけ聞こえる声で言った。


「しかし、相手の健全な戦力は少なくなっていますからね」


 松葉杖を突きながらハシゴに取り憑こうとしている敵の兵士まで見える。ザッと見ても包帯一つしてないものは半分程度にも思えた。


「こっちだって動けるケガ人はみんな出しているんだからな」


 テノールは吹きすさぶ風に負けない声で言った。


『ん? 違うのか。敵が多く感じるというのはではなくて、いろいろと感じ取れるものがあるという意味だったか』


 ニィルを横に置いたテノールは、落ち着いた表情だ。


 カインザー家騎士団員として長年仕えてきたルチアは「若様」の雰囲気がガラッと変わった事に驚いていた。やはりドミンゴを喪ったことが影響しているのだ。


 しかし、この雰囲気は悪い予感を覚えない。むしろ、何か「一皮剥けた」印象だ。


『以前の若様なら、なんだかんだで、ニィルさんをここにつれて登ってくることはしなかったはずだ。まして重要な役目を与えるなんて考えもしなかっただろう』


 ここは本部棟の最上階からさらに建物を突き抜けたH形鋼で作られた「天守」だ。6畳ほどの広さになって城をグルリと見渡せる。


 通常は観測員を置いて下の司令部へと伝声管(ビルの雨水管として使われていた塩ビ管を利用)を使って情報を伝えることになっている。


 城の全てが見える場所だ。逆に言えば、城の全ての壁から見える場所でもある。


 ここにいるのは正規のクラ城司令官を示す紅のマントを付けたテノールと、ドミンゴの鎧を着けた料理番のカレラス、参謀兼連絡要員としてカインザー家騎士団から連れてきたルチア、そして、ニィルの4人である。


 武芸はさっぱりのカレラスが果たす役割は、こうして堂々と胸を張り、手を振ってみせることだ。


 ドミンゴは敵が差し向けた暗殺者によって重傷を負うも、決戦を自分の目で見守るために、身体に無理してでも、こうやって、みなを応援している。


 それがシナリオとして、各地区の防御隊長へと通達されていた。


 遠目に見ても痛々しい包帯で顔の下半分を覆っていた。


 体型が最も似ている男だけに、下からだと全く分からないだろう。いや、時折こちらを見上げて手を振ってくる部下達は「分からないことにしたい」のだとも思える。


 分かっていても必要なウソは付く。それがテノールの下した結論だ。


 同時に、屋上からここに上がってくるハシゴは最初に切り落としてしまった。「最後までここで指揮を執る」という決意を内外に示す意味であった。


 そこでルチアは、ひとわたり見下ろしてから言葉を出した。


「全地区、順調ですな。あえていえばA地区とG地区がやや弱く、E地区は熱量が上がっていますな。逆にBチクは硬いです」


 城の正面をA地区として時計回りにHまでの8分割。それぞれに地区の隊長を置いて、なおかつ、その中で弱いところに予備隊を当てて手当てをしていくやり方だ。


 もちろん、総予備隊も300人の規模で用意している。これを、適切に駆けつけさせることで、あるいは、全体のバランスを見て人数に「比較的」余裕があればそちらから危機的な場所に応援をさせる。


 それらの指示がどこまで適切に行えるのかが敵の一斉攻撃に対する防衛の要となる。しかも、いったん命令して兵達が動いてしまうと「今の、やっぱりなし」もできないし、命令が間違っていれば無駄に人が死に、落城が早まってしまう。 


 ルチアは、チラリとテノールを見てからニィルを見た。戦場を目の当たりにする女性とは思えないほど落ち着いている。しかし、テノールへの信頼をくっきりと浮かべながらも、表情には一ミリの甘さが見られない。精一杯、何かを感じ取ろうとしている姿だ。


『こうなってくると、オレも務めを果たさないわけにはいかないな』


 ルチアは、ドミンゴの代わりとなる「常識的な案の具申」をする役目を任されている。たった一人で重い判断をし続ける人間には絶対に必要な補佐のポジションだ。


 そして、言わずもがなのもう一つの役割がある。それは、お抱え騎士として長年仕えてきた者にしかできぬこと。


 つまりは落城後に司令とその「妻」が俘虜となって辱めを受けぬようにする任務である。


 ここに持ちこんだ剣は、そのためだけにあると言って良い。しかし、司令官の妻はジッと下を見つめている。真面目な態度を見せているが、怯えは全く見えなかった。


 ルチアは「さすが、若様が愛した方だ」と思ってしまう。二人の会話も落ち着いたものだった。


「テノール。あそこの元気がないのは?」

「ああ、よくわかったね。あそこはE地区さ。搦手門からめてもんといってね、お屋敷で言えば裏口に当たる所なんだけど、そこを狙って相手の主力が集中しているからだろうね」


 サッと指を指した。


「ほら、あそこで右手を吊っている人がいるだろ? あれが敵の司令らしいよ。もう、何度も射ているのに、毎回、復活してくるんだよね。しかも、彼が陣頭で声を出すから敵兵の士気がハンパなく上がるんだ。実に困った敵だよ」

「まぁ、それは本当にお困りですよね」


 内容は深刻なやりとりのはずなのに「奥方様の返答」が、実にノンビリした声であったことに、思わず苦笑してしまってから、ルチアは愕然とした。


『このご夫婦は、既に死を超越していらっしゃるのではないか? だから、この時間すらも、愛する人との大切な時間にできるということなのか!』


 それは立場を忘れた公私混同に見えて、大いに違うことなのだとわかってしまった。「二人で事を成し遂げよう」という思いがつのり、それ以外のことはどうでも良いと思っているのであろう。つまりは「自分達の命すらも計算外」の究極なまでの決意なのである。


 最初の30分ほどは、全ての壁が順調に見えた。しかし、次第に人数の波が確実に、ヒタヒタ、ヒタヒタと、砂浜を侵食するかのように押し寄せてきた。どの地点でも敵の大攻勢に圧倒されようとしていた。


 突然、ニィルが言った。


「困っている人が増えてきたわ」

「どこ?」

「あそこ。E地区と言ったわね。あそこが一番、困っている人が多いみたい。次はHね」


 細い指が指しているところを自分でも確認するなりテノールは躊躇なく「Eに300人全部送れ。ただし、持ち直したら200はそのままHに動け」


 ただちに、ルチアは下の指揮所に伝達すると、そこからさらに伝声管で予備隊詰め所に連絡が飛んだ。


 怒濤の勢いで飛び出していった予備隊は、そのまま守備兵の持ち場を奪い取るようにして守備に加勢し、壁の優位を持ち直した。


 危うく溢れかけていた壁の敵兵は、再び押し戻され始めたと見るや、そこからブワッと黒い塊がHへと向かったのである。


 崩れそうな場所に与えられた「新戦力」は、たとえ数百であっても、場面を変える力があるのだ。


 激闘半刻。持ち直したと見るや、さきほど出ていたた予備隊は、塊をだいぶ小さくして戻ってきた。


 しかし、彼らに休む暇はない。


「Dと、Cが困っていらっしゃるわ。B地区は、まだ硬いみたいだから、少し剥がして上げては?」


 ニィルの声にテノールが見下ろすと、確かにBにはまだ余裕があった。B地区から絆創膏として剥がしてCDに当てれば、確かに余裕が生まれるだろう。


「伝達。Bの隊長にCとDに応援200ずつ出せ、だ」

「そんなに?」


 各防衛隊は千名ちょっとで構成されている。つまりは4割近い人間を剥がして、差し出せという命令は無謀に近い。


「B地区が保たなくなりますぞ?」

「構わない。それよりもCDが同時に破られたら、いっきに中からやられ始める。そうなったら終わりだ。だがBの攻撃に来ている連中は、飛び込むよりも守備兵を叩く方に熱が入っているからな」


 応援をされる方は、助かるだろう。


 だが、仲間の4割を喪うのは、現在叩かれている守備兵にとっては「死の宣告」に近い。しかし、上から公平にリスクだけを見ると、Bの守備兵が減ることよりもCDを保たせる方が重要なのも頷けた。


「すみません。差し出がましいことを」

「よい。それよりも早く伝達を」


 テノールは、ルチアが心配した甘さなど微塵を見えなかった。あるのは、ただ、城を1秒でも長く保たせるということだけ。そのためなら、たとえ守備兵が全滅する命令でも出そうという決意が見えていたのである。


「Hの方々がお困りよ。しかも、ものすごく」

「わかった。もう一度、予備隊を全てHへ出せ。別途指示があるまでHで狩れと」

「わかりました」


 再び命令を伝達しているルチアをチラッと見てから、テノールは、心から満足して「嫁」を見てしまった。


 ニィルを「観測役」にするのは一種の賭けでもあった。しかし、ここまで順調に結果を出している。


 戦の知識も無ければ、戦場も初めて体験するニィルが、この役をこなせるのはワケがあった。


 長年、専属メイドとして侯爵家に仕えてきたニィルは、数千人規模の大規模なパーティーをはじめ、大きなパーティーを数え切れないほどに経験してきた。


 溢れかえり、どこの誰だかも分からない人が動き回る中で、仕えているテノールに対しての人間関係を全て把握しつつ、どこでどのように対応すれば良いか、瞬時に判断をするのは当たり前のことなのだ。


 時には目で見えぬ場所、音すらも伝わってこない裏方の流れ、他人のウワサ話、あらゆる空気を掴んで、主に行くべき場所、気を付ける場所を的確にアドバイスできなければならない。それだけの「空気」を読む能力を発達させないと、とてもではないが侯爵家後継者の専属メイドは務まらない。


 テノールは、そこに賭けたのだ。いや、愛する人を信じたのだろう。


「困っている人達が一番多い場所を掴んでいてほしいんだ。そして、そこの空気が破壊されそうになったら、すぐ教えて」


 それがニィルへの指示だった。


 愛する人の頼みに、最初は「無理です」と思ったが、戦闘の流れなどちっともわからなくても、考えてみれば「困っている人達」がどうにもならなくなりそうだという空気を掴むことなど、難しくはないのだと思えてしまった。


 そこから、ニィルとテノールのコンビは、最善手を打ち続けることに成功したのである。


「テノール様」

「ん? あ、あぁ。わかってる。だが打てる手は、もう残ってないな」


 総予備隊はH地区の狂乱に掴まり脱出することは不可能になっている。他の地区も、既に手持ちの予備隊を使い果たし、それでもなおかつ、最後の力を振りしぼっているところだ。


 もはや、応援を出せる余裕など一兵もなくなっていた。


 そこに、敵の鬨の声が響いた。


 慌てて見下ろせば、H地区の壁だ。敵兵がバラバラと城の中へとこぼれ落ちてきている。完全に、内側で橋頭堡を作られていた。


「ここまでか。パバロへ命令を」

「ハッ」


 カインザー家騎士団から連れてきたもう一人のベテラン騎士に与えた役割は「倉庫の始末」である。すでに、油も掛けてある。後はたいまつを落とすだけにしてあるはずだ。


 伝声管に取り憑いたルチアが「命令。チェリモニア・フィナーレ終わりの儀式だ。繰り返す。チェリモニア・フィ「中止だ! 命令中止!」ハッ! 命令、ただいまの命令は未達。中止である。繰り返す、中止である」


 倉庫を燃やせという「最後の儀式」の暗号コードは、繰り返される前に、司令官によって取り消された。


 でもなぜ?


 それは、ニィルが真っ先に気付いて、テノールの袖を引いたからだ。


 トン トン テタ トン トン テタ トントントントン トントン テッタ 

 トン トン テッタ トントン テッタ トン テッテタ トントン


 すっかり耳に馴染んだヤンキードゥードゥルのリズムだった。


 おそらく、近づいてくる歩兵達の後ろ側にいるのだろう。スネアドラムのよく響く音が空に届いていた。


 それは、あっと言う間に城の全てに届き始めると、一斉に歓声が上がったのだ。


 微かに聞こえた音は、あっと言う間に大きく、力強く響いてきた。耳を澄ませば、笛の音まで入り込んでいるではないか。


「来たっ」


 それは、この天守の中だけではなく、城のあらゆる場所で叫んだ言葉だろう。


 遠くに見えたはずの黒い絨毯のような人波は速かった。あっと言う間に城を攻めている攻囲の後ろに届いていたのだ。


 それは波が押し寄せる姿に似ていた。


 歩兵達が堂々の行進をして続いている。両サイドから怒濤のように騎馬の集団が別れて回り込んでくる。


 もはや城の方を向いていられる敵兵よりも、後ろから来た新手への対応に追われる敵兵の方が多くなっていた。


 H地区に作った橋頭堡を守る敵兵達は、後から続くはずの味方がいなくなったことに驚きの表情だ。当然、橋頭堡を叩きつぶすべく立ち向かっていく守備兵は、一段と力が入っている。やがて、城内の敵兵は消えてしまった。


 逃げていく姿だけが見えている。


 我々は勝ったのだ!


 ルチアは、全方位を念入りに確かめた後、司令官に「おめでとうございます。確定しましたな」と伝えると、オッサンらしい笑顔で、不器用にウィンクをしてくる。


「ん?」

 

 テノールが問い返してくる前に、横にいたカレラスと肩を組んで「おい、ここからの眺めはめったに見られないからな、あっちだ、あっちを見てみろよ、ご同輩! 心配している人がいるからよ!」と嬉しそうな声を出していた。


 ハッとなったテノールが横を見ると、そこには愛する人が、ハラハラと玉の涙をこぼしている。


「ニィル」

「ごめんなさい。安心したら、なんだか」

「いや、ありがとう」


 その瞬間、ルチアの右脚が、ありえないほど無礼なカタチで床を踏みつけてダン! と鳴らした。


 ハッと見ると「失礼」と言いたげに、ルチアが向こうを向いたまま、肩をすくめて見せている。


 どうやら、言葉が違っていたらしい。


「愛してる、ニィル」

「愛しています。あなた」


 今度こそ、オッサン達は、背中の方には一切の注意を払わなかったのである。


 

 1月23日。夕刻。


 応援部隊となったゴールズは、東部方面騎士団と守備隊、そしてカインザー家の全私兵団を根こそぎ戦場へと連れきていた。


 騎兵、歩兵を合わせて3万を超える戦力は、ガバイヤ王国の実働戦力と拮抗する大兵力となった。


 ゴールズという精神的主柱、そして、何よりも万を超える新たなる戦力という数の力は大きかった。


 もちろん、ムスフスやウンチョーと言った怪物達が自由に暴れ回ったことは大きい。いくつもの場所で怪物に追い回された敵兵は、ただ逃げ惑うだけになったのも当然のこと。


 だが、やはり包囲部隊を外から攻めて来た「数の力」がものを言った。


 戦場に新戦力が到着した、と言う事実だけであったとしても、怒濤の勢いでガバイヤ王国を崩壊させたのは変わらない結果をもたらしたはずであったが、そこに「数の力」は暴風のような破壊力である。


 あっと言う間に、敵兵のいなくなったクラ城の周囲であった。


 救援部隊の総司令官アポロニアーズによる夜間追撃禁止の命令の下、その夜、城内は大いに沸き返ったのであった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

 ゴールズだけ、あるいは騎馬部隊だけであれば、とっくに到着していましたが、今回は「騎馬による寡兵による救出作戦では損害が大きくなる」というミュートの判断を参考にして、アポロニアーズ(派遣部隊の全権指揮官)は使える兵隊を近隣からかき集めて全部連れてくる形を取りました。

 ただし、ミュートの予想だと3~4日余裕を持って到着してくれるはずでした。その意味で、ガバイヤ王国の焦りを見誤ったとも言えます。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 

 

 


  








  

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