第9話 最後の最後まで
籠城して半年。完全包囲をされてから数えても3ヶ月だ。
テノールにも敵の雰囲気がイヤでも分かる。
「こりゃあ、昼食をちょっと早めないとですね」
「御意」
ドミンゴは、そこにいる若手将校に「通達。中天までに昼食を食べ終わるようにせよ」と伝令を命じた。
復唱した伝令が階段を駆け下りていく姿を横目に、ドミンゴは若き司令官に向き直って小さな声で言った。
「あと2時間は猶予がありましょう。お部屋でお休みください。食事を持って行かせます」
「いや、むしろドミンゴが先に休むべきだろう」
ドミンゴが言っている意味が分かるだけに、それを受け入れるわけにはいかないとテノールは思った。食事を持ってくるとしたら、ニィルに決まっているからだ。
敵の大攻勢が始まるというのに、司令官だけが「親しい女性」と休んでいることなどありえない。
「テノール様? これは必要なことなのです。司令官殿に思い残すことがあってはなりませんので。十分にお話し合いを」
ドミンゴの目は真剣だった。年配の者が若者に心から諭すときの目だ。
この世に思い残すことがないように、という配慮をしていると言うことだ。ドミンゴの目は「これが最後になります」と言っていた。
「そこまでなのか?」
「はい。敵の半分は壊滅できると思いますが。倉庫への手配も必要かと思われます」
ドミンゴの言う「倉庫への手配」とは、絶対条件のこと。
クラ城には1年間籠城できるだけの物資が蓄えてあった。本格的な籠城から、まだたったの3ヶ月であるだけに、食糧をはじめとして物資は有り余るほどに残っている。これを敵に渡すことだけは避けなくてはならない。
ショウ閣下からも「倉庫の中身だけは渡すな」と言われている。倉庫さえ始末してしまえば、この城を渡しても構わないとまで言われていたほどだ。
ドミンゴの言う手配とは「倉庫を焼き払う準備を進める」ということ。すなわち、ドミンゴは、今日、落城すると見ているわけだ。
「残念ながら…… 兵卒の半分は逃げられるかも知れませんが」
当然、司令官は、焼き払った倉庫を確かめ最後の最後まで残ることになる。
「もちろん、逃げるつもりはない。はじめからな。ソチには貧乏くじを引かせてしまったな」
「滅相もない! この城で共に戦わせていただいたことを心からありがたく思います。端的に申し上げて、百回の生を受けたとしても、この立場を譲りたくはございません」
若き司令官は、ホンの少しだけ言葉を探した後で「どうもありがとう」と頭を下げた。ドミンゴは、指揮官のその姿を見ないフリをしながらも返礼をするという器用な対応を取った。
「ともあれ、私はゆるりと散歩して参ります。どうぞ、お部屋にお戻りいただくよう。念のため、昼食以外は部屋に入れぬようにお願いいたします」
「そうか。あい、わかった。よろしく頼む」
ドミンゴが何かを考えていることはわかったが「何」まではわからない。ともかく、自分の「最期」であるのはともかく、愛しい人に最後の言葉をかわす時間だけは作る責任があると考えたのである。
司令官室にニィルが昼食を届けた後、ドミンゴは最も信頼できる騎士達に部屋から10メートルほども離れて、厳重な警備を命じたのである。
では、命じたドミンゴはと言えば、自ら若手の幹部を数名引き連れて、鎧姿のまま各地を巡検したのである。
足取りは急ぎ足であったものの、一人ひとりに声をかけるかのように、気さくな物腰。先触れが「テノール司令官の巡検である」と叫ばせつつドミンゴは精力的に動き回ったのだ。
・・・・・・・・・・・
「ニィル。できれば逃げてほしい。どうしても逃げたい者達を集めて脱出部隊を編成するつもりだ。そこに混ざ「答えは必要でしょうか?」……すまない」
ニィルの目が、珍しく抗議をする目だった。
「はい。そのご質問を口にされたことについて、テノール様のお詫びを受け入れますわ。そんなことをおっしゃるなんて、あんまりです」
「だけどな、精一杯頑張るつもりだが…… 頑張るんだが、向こうも必死だ。おそらく明日の朝陽どころか、今日の夕焼けすら見せられるか」
「ふふふ。それなら、これが二人で一緒に食べられるお食事だったのね」
ニィルは「最後の」という言葉をわざと省いて見せた。
「あのぉ、テノール様?」
「今さらだろ、様はやめろ」
ニコッとニィルは笑った。
「うん、じゃあ、テノール。私が不幸だと思う?」
「そ、それは」
「好きな人の側にいられるのよ? 最後の最後で、二人の人生を重ねられたのだもの。私は少しも不幸なんかじゃないわ。幸せよ。あなたは一人の女を幸せにしてくれたの。だから自信を持ってちょうだい」
ニィルは心からの笑顔を見せる。
「私が欲しいのは、そんな哀しそうなお顔ではないわ。ねぇ、ドンカンさん? あなたの一言さえもらえれば、目の前にいる女は最高に
スッと腕の中に入ったニィルを、そっと抱きしめながら、一度、ゆっくりと目を閉じる。
再び、開いた目は愛する女の瞳を見つめていた。
「ニィル、愛してる。結婚してくれ」
「はい。テノール。愛してる。あなたに会えて幸せよ」
「ありがとう。オレも、君がいてくれて幸せだった」
「ね? でも、テノール。一緒に最後までなのは、全然いいんだけど、あなた諦めが良すぎない?」
「え?」
「ここに来る前に、妹から手紙が来たわ。そこに書いてあったの」
「ミィルちゃんだったよね?」
「そうよ。今をときめくショウ様のお抱えね? ミィルは断言してた。テノールは絶対に死なせないっておっしゃってくださったんですって」
「閣下が?」
「妹は、イタズラはするけど、ウソを吐かない子よ。だからミィルを、というかショウ様を信じない? どんな危機であっても最後まであなたが頑張れば、絶対に何か起きる気がするの」
「何か、か……」
「それにね? あなたは子どもの時言ったわ。私のことを幸運の女神を連れてきたって」
「そりゃそうだよ。君が行儀見習ってカタチでウチに来たら、すぐ妹が無事生まれてくれて。それにオレが王立学園に入学するまで、ずっと豊作だったし」
「試験でも、満点続きだったものね」
「そりゃ、満点の報告をすると、君が必ず褒めてくれるのが嬉しくて」
「こんな時だから、自慢しちゃうわよ? ね、どうなの? 幸運の女神がここにいるのに、戦う前から負ける気満々なんて、あなたらしくないと思うわ」
「それは、そうだけど」
「大丈夫よ。あなたならやれる。きっと大丈夫。そして、最後の最後になっても私が守るから。あなたは絶対に諦めないで。約束して!」
深い呼吸を何度しただろうか。テノールは、もう一度だけ大きく息を吸った後で、初めて笑顔を見せたのだ。それは何日ぶりに見せた心からの笑顔だっただろうか。
「わかった。諦めないよ、約束する。第一、オレの特徴は諦めの悪いことだからね。君を妻にするまでに何年かかったと思ってるんだ」
「そうね。粘り強いものね、あなたは。さぁ、元気が出たのなら、おひげを剃らせてちょうだい? おひげを伸ばすのもいいけど、今のおひげは似合ってないもの」
「あぁ、わかった。頼むよ」
そこから、テノールはカミソリを当ててもらいながら、二人の結婚生活を語り合ったのだ。
一時間もたった頃だろう。身体も拭かれ、髪をセットし、全てがサッパリとしたテノールは、目の下のクマまでもがいつの間にか取れていた。
「じゃ、行ってくるよ。ただ、今日は、始まったら指揮所にいて欲しい」
もちろん、意味は分かっている。諦めないことを約束するのと、
「わかったわ。ここを片付けたら、必ず行きます」
「あぁ。待ってるよ。さて、ドミンゴにも昼を食べさせて上げないとだな」
しかし、ちょうどドアを開けた瞬間、騒ぎを感じ取ってしまった。
隣の第二棟だ。
走り出したテノールは護衛の騎士に「妻を頼んだぞ!」と声をかけて去って行った。
もちろん、テノールよりも10歳は年かさの騎士達は分かっている。あれほど頑なに「司令部付きメイド」の扱いを公の場では変えなかった指揮官が、初めて叫んだ本音だ。
全員が優しい笑みを浮かべていた。
「それでは、奥様、我々が必ずお守りいたします。何でもお申し付けください」
騎士達に、改めて恭しい態度を取られて、真っ赤になってしまったニィルだった。
・・・・・・・・・・・
少々時を遡る。
騒ぎが起きたのは隣の第二棟であった。
巡検は、最後に傷病者の部屋になった。昨夜のケガ人達がとりあえず入っている部屋の一つだ。苛烈な攻防戦だったため重傷者も多かった。
「諸君、場合によっては、諸君にも戦ってもらわねばならぬかもしれん。動ける者は全て出てきてもらう」
入り口で、ドミンゴは淡々と、しかし、すまなそうに言った。
「任せてください! 司令!」
「昨夜は先に寝ましたからね、今日はバッチリですぜ!」
まだ血に染まった包帯を気にも留めず、それぞれが陽気に声を張り上げる。
「おぉ、おぉ、頼むぞ。期待しているからな」
声を上げる元気がある者はいい。ドミンゴの目は、動かなくなったベッドに吸い寄せられた。
『ここでもか』
戦死者何名という「数字」は常に意識している。しかし、数字と目の前の仲間の死は、全く別の意味を持つ。
せめて、顔を拝むのが上に立つ者の義務だとゆっくりと近づいた。その時だった。
グボッ!
掛けられたシーツ越しに剣が胸を刺し貫いたのだ。見事に鎧のすき間を狙った一撃だ。
一瞬の静けさ。
「やったあぁあああ! ガバイヤ王国軍、第一特殊戦隊ツェーデが、敵司令官テノールを討ち取ったりぃいい!」
「こ、このぉおおお!」
最後の叫びは、おそらく、敵の精一杯の生きた証であったのだろう。
だからこそ、憎き暗殺者の「生きた証」は奪わねばならない。
城兵達は、死にかけたケガ人である敵の最後の最後で得た「暗殺の成功」という冥土の土産を刈り取ろうとしたのだ。
「馬鹿め! それはテノール様ではないわ! 厩番のゴンスケよ! おまえが刺したのは、単なる当て馬。ニセモノ! 影武者なんだよ、バーカ」
「な、ん、だ、と……」
すぐ横にいた騎士は、その一言が敵に染み渡る時間だけをキッチリと読み取ると、シャキーンと一太刀で命を確実に刈り取ったのだ。
次の瞬間、病室中の男達は「ドミンゴ様!」と駆け寄ったのだ。
クラ城の副司令官ドミンゴ・パッソ=カリレライ騎士爵は、この日、46年の生涯を終えたのであった。
テノールが駆け込んだ時には、既に、こと切れていたのだという。
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作者より
ドミンゴは、戦後、クラ城の功績により一代限りの二階級特進で「子爵」に昇爵し、息子のドシウスは男爵へと昇爵されました。
ドミンゴは「まだ、忍び込んでいる敵がいるはず」を前提として動いていました。そのため襲われることは予測していましたが、実際にツェーデは本当に瀕死のケガ人であったわけです。その重傷者が、今、亡くなったのだと思って近づいたため、防ぎきれなかったようです。もちろん、ツェーデが鍛え上げられた兵士であったことも暗殺が成功した要因です。
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