第4話 ファントム

 中に入った次の瞬間、バタンと背中でドアを閉めた。


 ショウは「え?」と間抜けな声を出している。


 一瞬、棒立ち状態だ。うん、立ってる。


「ショウ様!」


 アテナが素早く反応してくれた。ドア越しに心配そうな声だ。


「大丈夫。ちょっと…… 驚いただけだから。心配ないよ。そっちの意味では」


 ドアの向こうでは納得できない空気感が丸わかりだが「大丈夫だよ」ともう一度言ってから、目を合わせないようにして対面ソファに向かったショウだ。


「あの…… なぜ?」


 多分、前回の「妖女メイド」と同じ人がそこにいる。顔は全然違うが「同じ人だ」と思わせる雰囲気をまとわせている。


 ただ、思わず出てしまったショウの「なぜ」は、人がいたからではなかった。


「前回、閣下がおっしゃったからですわ」


 ショウが精一杯の精神力で視線を顔に固定して見つめ返すと、美女が微笑んでいた。

 

「何を?」


 絶対、は言ってない。


「次は暗器無しで会えることを期待しておくと、おっしゃいましたので」


 もしも、その表情だけを見たら、大手IT企業の受付に配属された入社3年目のベテランさんという感じの余裕を感じさせる微笑だ。


 だが、ショウの困惑は、そこじゃぁないのだ。


「それは言ったけど。裸で来いなんて言ってないよ」


 目の前にいるのはブロンド・ショートの20代後半と思える清楚な女性に。一糸まとわぬ姿で、両手をおへその下の部分で軽く組んでいる…… らしい。


 首より下に視線を下ろさないように努力してしまうが、困難すぎるミッションだ。


 正直、前世のショウなら、こっちが恥ずかしくなって瞬間的に逃げ出していた。


 普通なら「目のやり場に困る」と言うべきシチュエーションなのだろうが、ショウの心には女性のヌードを前にした興奮とかエッチさとかよりも、ひたすら困惑の感情が涌き起こっている。


『困ってるからこそ見ちゃってるだけだからね! 観察してるんだよ、オレは』


 誰に言い訳しているのかもわからいまま、ついつい視線が降りてしまうことに自己弁護中だ。


 あ、やっぱり髪の色と同じなんだ?


 スタイルは確かに良い。今回は服を着ていないから、前回の「けしからんスタイルの良さ」が本物であったのがわかる。


 確かに、これなら暗器は無いように見えるけど……


 前回は「妖艶」だったが、今回の雰囲気は「どこにでもいる、素朴に美しい若い女性」の雰囲気だった。


 しかも、ショウがついついジロジロ見てしまうのを全く意に介していないらしい。


 異様な光景だった。


「これなら、何も持ってないことが一目でお分かりいただけるかと」

「はぁ~」

 

 一つため息を吐いてから言った。


「君なら針一本か、数センチの刃で十分だろ? 髪の毛に隠すなり、どこかに入れておくなり、それにオレ程度なら素手でも十分なのはわかってる。わざわざ裸にならなくても良いと思うんだけどね」

「ふふふ。閣下がなさりたいならこの両手なりM字なり、お好きな形で縛っていただいても構いませんわ。ご納得いただけるまで全身をお調べいただいてもけっこうですの」

「冗談でしょ」


 おそらくだけど、彼女がその気だったら、ここに座るまでに10回くらいは殺されているはずだ。向き合って、まだオレが生きているって時点で、既に相手に害意が無いのは分かってるよ。


「ふふふ。20回以上です」


 わっ! 心を読まれた?


 オレの周りって、心を読むオンナの子が多すぎない?


「閣下。ご忠告を一つ。相手がどのような格好をしていても、視線を外すのは危険ですわ。特に女は身体そのものを囮にするなんて基本ですもの」

「でも、君なら、わざわざ脱がなくてもできるんでしょ?」


 暗殺を、という言葉は省略した。


「これはサービスですって申し上げたら信じていただけるかしら? でも、美しい奥様方のおかげで目が肥えていらっしゃるでしょうから、私など見劣りがして恥ずかしいですわ」


 恥ずかしいと言いつつ、表情は変わらない。


「ともかく座ってよ。あ、何か着る?」

「お優しいのですね。でも、このままで失礼させていただきますね」


 むしろ、こっちが落ち着かないよ! と言いかけるが、全てを諦めてソファに深く座った。


 相手は、チョコンと体重を全く感じさせずにソファに浅く座った。


 ちょっと想像してみてほしい。


 会社の受付風の、真面目そうな美女が裸で対面に座っている状態だ。しかも、相手はこちらを瞬殺できるだけの技量持ちの女。


『目の前にいるのは猛獣…… いや、怪獣だと思った方が現実に近いんだろうなぁ』


「あら? 閣下、美少女に失礼なことを考えていらっしゃいませんこと?」


 女の言葉には余裕があった。


「いや、そんなことはないですよ。ところで、来てくれたと言うことは期待していいんですかね」


 こちらの用件は分かっているはずだ。


「先に、ご説明いたしますね」

「説明してくれるの?」


 何を説明してくれるんだろ?


「王家の影と呼ばれる組織は、祖王以来のもの。つまりサスティナブル王国の歴史そのものなのです」

「それだけ情報を重視したってわけだね」

「はい。代々続いた組織は国王とだけ密接な関わりを持ってきました。古の掟により、長は現国王の命令のみに従う約束です。その約束は国と結ばれるのでは無く、国王と直接結ぶことになっています」

「なるほど。でも、婚約者内戦の時に王朝が変わったはずだけど?」


 ショウは、それは調べてあったから可能性が見いだせたのだ。そして、希望通り目の前に来てくれたことで、可能性がグンと高まった手応えがあった。


『いけるかも』


「はい。おっしゃる通りです。王朝が変わっても、我々は新たな国王と約定を交わしてまいりました」

「それをオレとも結んでくれますか?」


 ズバリ切り込んだ。


「率直に申し上げれば、こちらこそお願いいたします。既に先代の長は王を追って逝きましたので、私が参りました」

「え?」


 え? イクって? あの世へ行くって意味だよね?


「そういう約束ですから。長たるモノは二人の王に仕えぬことが絶対なのです」

「となると、あなたが今代の長ということで合っていますか?」


 念のために確認しておくのはクセのようなもの。


「大事な契約の場に、他人を送り込むほど楽観的にはなれないタイプなので」


 ニッコリした顔は、新規契約を獲得した腕利きセールスさんのようだ。どこか余裕を見せつつ、嬉しさを隠しきれないと言ったところだ。


「名前って、聞いても良いの?」

「王だけがを呼べることになっております」

「名前を教えてくれるんだ」

「ファントムとお呼びください」

「それがの名前ってことで良いんだね」

「はい」

「で、君の名を教えて欲しいんだけど」

「え? そ、それはファントムと」


 今日初めて見る焦りの表情だ。


「だって、ファントムは君たちの名前でしょ? 今オレの前に座っているあなたの名前は教えてくれないの?」

「そ、それは、その……」


 大きく息を吸って吐いた後で、ファントムの長を名乗る美女は真っ直ぐにオレのことを見つめて来た。


「いいえ」

「教えてくれるんだ。よかった。で?」

「私は名前を持っておりません。だから、契約が果たされた後であれば。閣下がお好きなようにお呼びください」

「名前がないって言うのもアレだけど、契約が必要なんだ? 書類にサインしてすませるってわけにはいかなそうだね」

「今回は、婚約者内戦の時と同じで、王朝が変わる位置付けなのです。それゆえ、今回の長が女である私であったのは僥倖でした」


 その瞬間、ショウは昔読んだラノベを思いだした。影の組織との密約には「血の契り」が必要だという設定だ。


「まさか、裸になってました?」

「あら。さすが王国の麒麟児ですね。想像ができてしまわれたようで。ビックリさせることができなくて残念ですわ」

「つまり、長と肉体的に結びついて、その血筋が影との契りとなるという仕組みですか」

「はい。王 ※が変わるときは、必ず、初代様と血の契りを交わす。それが双方の保証になるかと」

「ちなみに生まれた子どもはどうなるんです?」

「詳しくは申し上げられませんが、一番優秀な子どもが次代の長となります。念のために申し上げますが、私は殿方との行為はしたことがありませんわ。でも、ちゃんと見たことがあります。あの細いお身体でも大丈夫なのですから、私だったら大丈夫だと思いますわ」


 どうやら、ショウと妻妃とのエッチシーンもしっかり見られていたらしい。誰とを見られたのか、それとも全員なのかは、わからぬが。


 しばらく、ショウは真剣な顔で黙り込んだ。それを何も言わずに見つめる裸の美女。


 おもむろに、ショウは「教えてください」と言った。


「何を、でしょうか? 私に答えられることならば」

「あなたは今まで生きてきて幸せな瞬間ってありましたか?」

「あの? いったい、それはどのような関係があるんですか?」

「オレとあなたの子どもがファントムと帝室とを結ぶになる。それは分からなくはない」


 女は目を見開いたままコクコクと頷いた。


「為政者として些事だと言って飲み込むべきだとわかっている。しかし、どんな形であっても、単なる道具として子どもを使いたくないんだ。だから、今の長であるあなたが幸せを感じられるのか知りたい」

「もしも、私が幸せではないと言ったら?」

「この契りは結べません。たとえ皇帝失格と言われても、無しでなんとかしようと思います。もちろん、じゃあ自分の子どもじゃなければ良いのかって話なんですけど、オレは世界の全部を背負える英雄ではないんで。せめて自分の周り…… 家族は幸せでいて欲しいという気持ちなんだ」

「家族?」

「えぇ。家族でしょ。だって、オレ達の子どもが生まれるわけだし。家族だって言ってはいけない掟でも?」


 今度は女が目を見開いたまま、押し黙った。


 やがて女は言った。


「幸せです。なんのウソも、理屈もなく。私、今、幸せです……」

「子どもも幸せを感じてくれると思いますか?」


 大きく目を見開いたまま、女は何度も何度も首を縦に振った。


「あなたの子どもなら、ぜったいに幸せって言います。きっと言わせられるようにしてみせるわ」

「わかりました。それならファントムと契りましょう」

「ありがとう」


 次の瞬間、なぜか女は両手でパッと胸と秘部を押さえて身体を丸めたのだ。


「えっと、どうした?」

「バッ、バカ! 恥ずかしいの!」

「え? 今さら?」

「もう! ちょ、ちょっと横を向きなさいよ!」


 慌てて横を向いたと思ったショウの横に女は瞬間移動をしてきた。


 頬にチュッとキスした唇は「名前を考えておいて」と囁いてきた。


「え? えええ! いない?」


 今、囁いたはずの女がどこにもいない。パパパパッと見回すが、種も仕掛けも見当たらない。


 その時、ドアの方から「今晩お城で独り寝を。その時に」と声だけが聞こえた。


「わかった」


 返事は無かった。


 そこで、ふとショウは不思議に思った。


「あれ? けっこうドタバタした気がするのに、外にアテナの気配が無い?」


 立ち上がると、ドアの下から紙がスススッと入って来た。


「ん? 寝てるだけだから心配いらない。朝には目覚める」


 そっとドアを開けると、可愛らしく寝入っているアテナだ。


「こわ~ アテナですら無力化できちゃうんだ」


 確かに武力で来るなら最強だけど搦め手がありうるってことだ。こういうこともあるんだなぁと妙に納得してしまった。


 お姫様抱っこで、とりあえず執務室に連れ込むと、ソファに寝かせる。


 さっき向かい合ったローテーブルに紙が見えた。もはやイリュージョンショーの世界だ。いたはずがいなくなり、無かったはずが現れる。


「このお城の中だからできました。自分を責めちゃうからゴマカしてあげてくださいね。この部屋は朝まで安全です」


 そして小さな文字が添え書きされている。


        燃やしてください


 その瞬間、あ、この文字はあの人の素の文字なんだということを直感してしまうショウであった。


 アドバイスは受け入れるタイプだ。


 言われたとおりに壁のランプの炎をすぐ使ってから、いつも使っている部屋に向かいかけて立ち止まった。


『初めてって言ってたし、さすがにちゃんとした部屋の方が良いよね?』


 城に泊まるときは、たいてい専用執務室に置いたソファで寝る。王族の居住スペースはなんとなく使ったことはなかった。


『でも、今日は使っても良いかなぁ。客室みたいな所だってあるだろうし』


 しかし、王宮はわざと入り組んだ構造になっているため、慣れない場所に行くには必ず案内が必要なのである。


 歩き出して、途方に暮れかけた所に、ちょうど王宮メイドが現れた。雰囲気的には、ちょっと幼い感じ。オレと年は変わらないみたいだから、ひょっとしたら見習いかも。


 でも、引っ詰めダンゴにしたブロンドに清潔感があって、イタズラっぽい表情が好印象だ。


 仲間になりたそうにこっちを見て…… ない。素早く端によって、王宮メイド式の略礼のポーズだ。(モノを運んでいることがあるため、背筋を伸ばして目線だけを下に落とす形。手が空いていれば、5度の角度でお辞儀をするコトもある)


 相手が、こっちを認識してくれているなら、道案内くらいは頼んでも良いだろう。


「あのさ」

「はい」

「この辺で良い部屋ない? ちょっと豪華なベッドのある部屋がいいんだけど。オレを連れてってもらえないかな?」


 聞いた瞬間、王宮メイドが口をパクパクさせた。


「え? あ、あの、あ、どうしよ。私がお相手を? あの! よ、喜んで!」


 ヤバい! そりゃ、一人でいるとこに「ベッドのある部屋に案内しろ」は誤解を招くよね。


「ゴメン、違うんだよ。そのぉ、誤解だよ。部屋に連れてってくれるだけで良いんだ。君は部屋に入らなくて良いからね」


 ん? クスッと笑った?


 こちらになります、と案内しながら王宮メイドは、小さな声。案外と近かったっていうか、すぐ目の前だった。


 ドアを開けてくれた。室内にはなぜか、既にランプが灯されている。


「この部屋は使って大丈夫なの?」


 内部は、思った以上に豪華な設えだ。


「はい。本日、ご用意させていただきました。こちらのお部屋は客室になっておりますので」


 へ~ こういう部屋を用意しておくのも王宮メイドの仕事なんだ? たいへんだなぁ。


 ふっと見ると、メイドちゃんがドアの所で振り返っていた。


「ありがとう。それと、ごめんね、誤解させちゃって」

「大丈夫です。閣下がお優しいのは全員が心得ておりますので。でも、誤解じゃ無かったとしても、みんな喜ぶと思いますので。いつでもお申し付けくださいね」


 それはちょっと、と言いかけたところで「それでは、ここで」とドアを開けて出ていこうとした。


 ゆっくりとドアが閉まる。


「ありがとう」


 顔だけをぴょこっと出してきた。


「いえ。このお部屋なら、王宮に棲み着いた亡霊が出るにはピッタリですものね」

「亡霊が出るの!」

「はい。でまーす」


 満面の笑み。


「それと、ありがとうございました。姉をよろしく」

「姉?」


 バタンとドアが完全に閉まった

 

『姉…… あ! 亡霊じゃん!』


 その晩、確かに亡霊ファントムは現れたのであった。




※王統:王の血筋のこと。建国の時の「ハノーバー朝」から、現在の「ウィスラー朝」、そして今回のショウの血筋「エターナル朝」である。

  



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

ファントムの長に固有の名前がないのは本当でした。そのため、三度目の最中に「君の名前はヒカリだよ」と命名しています。夜明けまでに、4度にわたるピロートークをしています。その中で、いろいろな約束事や符丁を覚え、ハンドサインやシグナルを練習し、できること・できないことを教え込まれました。

案内してくれた王宮メイドが本当に妹だったのかは、教えてくれませんでした。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇










 






 



  


 

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