第60話 新年のご挨拶

 元ロウヒー邸は、様々な意味で便利だった。


 大国の侯爵閣下が体面を保てるだけの設えも、機能もしっかりと用意されている。


 メリッサが使っているのは「謁見室」と呼ばれる一番格の高い応接室である。


 ズラリと並んでいた挨拶客も、これが最後の一人となった。


 侍従から渡された「手土産品」の目録を確認した上で「本日は、ようこそいらっしゃいました」とニコリ。


 国王代理の第一夫人の直接の対応である。しかも、テーブルを挟んだだけの距離で笑顔を間近にすれば、いい歳をしたダムド男爵も腰砕けである。


 型どおりの挨拶を述べると、たちまち、鈴を転がすような声で言葉が返ってくる。


「王都から近い分、何かとお忙しくいらっしゃいますことと存じますわ。それに今年は、何かと物入りかと。ささやかではございますが、ご子息の初 ※が肥ゆることを願ってのものでございます」


 ダムド男爵の長男が、今年、初馬であることは事前にメモが出されている。もちろん、ダムド男爵からしたら「息子のことを知ってくれている」と好意的に受け止めるのは計算のウチだ。


 メリッサの細い指がスッと差し出すのは小さな革の包み。といっても、この革袋だけでも意匠を凝らした分、中銀貨3枚はする代物であるが、中身は小金貨が10枚入っているのである。


 親貴族に新年の挨拶をするのは子貴族の義務だ。少なくない金額の「ご挨拶の品物」を持参するのがマナーである。


 代わりに親貴族から「新年の祝い」として金貨を渡すのが仕来りなのである。


 ダムド男爵はの子貴族ではないが、今年に限っては挨拶に来た全貴族に渡すことにしたのはショウとメリッサ、そしてノーブルとで話し合ってのことだ。つまり、ハッキリと「ショウ」と「カーマイン家」を分けたと内外へ示したと言っても良い。


 そして、これだけの大金を渡すことには二つの意味がある。


 一つは、全ての貴族家が傘下だと思っているよという宣伝効果。これを受け取った側は、そのまますぐに子貴族だと言うことにはならないが、貴族として「受け取ってしまえば、非公式ながら関係性が生まれる」ことを受け入れたということになる。この心理的な関係性は大きい。


 そしてもう一つは「お裾分け」という意味だ。


 昨年から事実上「王家の直轄領からの収入は全てがゴールズのモノ」となっている。もちろん、これは必要経費を賄うという意味で、けっして私腹を肥やすというモノではない。だが、だからと言って、王領を接収した現実を見ている者の感情が受け入れられるのかと言えば、そうならないのが人間というモノなのだ。

 

 ただし、今回の資金の出所は、ガラスやアルミニウムなどの売り上げから生まれた莫大なショウの個人資産からだというのはナイショである。


 ダムド男爵も笑顔で小袋を受け取った。男爵家の家計はおしなべて苦しい。ずっしりとした革袋がどれだけの価値があるか、見抜けないようでは貴族家の当主などやっていられないのだ。

 

 自分の娘よりも年下の、国王代理第一夫人に対して、ダムド男爵は深々と頭を下げる。


「これは、これは、このご厚情、けっして忘れませぬ。一朝ことあらば、かならず一家を挙げてはせ参じさせていただきます」

「サスティナブル王国の御ために、頼りにしておりますわ。ダムド様」

「ははっ! ありがたきお言葉、感謝に堪えませぬ」


 ここで非公式会見やパーティーの時のように、相手を「様」で呼ぶのはわざとである。としての立場なら「ダムド」と呼び捨てが正しいが、人間というモノは理屈は分かっても気持ちはすぐに変わらないものだ。


 熟慮の末、こうして「貴族的無礼講」としてのやり方を使っておくようにしたのが苦肉の策なのだ。


 こういう敬称の付け方一つでも綻びになりかねない。細心の注意を払ってのことだ。


 頭を上げたダムド男爵の横に、侍従が静かに立った。「帰れ」の合図である。


「それでは、これにて失礼いたします」

「またのお日を」

「ご重畳の一助を拝謁、まことにありがたきことにございます。これにて」


 バタンとドアが閉められて、メリッサはさすがにぐったりである。


 朝から休憩を挟んで8時間である。


 とはいえ、男爵家、騎士爵家はメリッサとメロディーで手分けをした分だけ、ずいぶんと助かったのが現実だ。


 そして、子爵や伯爵クラスは、バネッサとニア、クリスに任せていた。


 正妻が男爵以下に対応し、子爵・伯爵への対応が側妃達というのでは一見逆のように思われるが、この三人は、ただの側妃では無い。


 第一子を産んだ侯爵家元令嬢に、ゴールズ王都本部の事務長であり、しかも前国王に側妃を命じられた元子爵令嬢、そこに閣下のご幼少時からの家族である妹分の側妃である。


 客側としたら、その三人と話せるだけでも満足度が高くなるのは当然であった。


 少し離れた位置に立つ護衛を振り返った。


「ご苦労さま。これで下がってくれて大丈夫よ」

「はい。メリディアーニ様」


 メリッサは、ずっと付き添っていた護衛を下がらせたのが、この会話、実はおかしい。


 本来は、最大限に丁寧な物言いをしたとしても「ご苦労」のひと言なのである。護衛の方も、警護対象者の名前を呼ぶなどありえない。


 同級生ならではということと、韜晦したとは言え、やはりカーマイン邸での活躍があるからの特別扱いであった。


「ねぇ、サム?」

「はい」

「お礼だけど、ホントに、こんなイスで良いの?」

「はい。初めての警護をした良い記念になりますので」

「そうなの。わかったわ。後で届けさせるからね」

「ありがとうございます」


 意気揚々と引き上げるサムは、嬉しくてたまらないという姿だ。


 なにしろ、丸一日、メリディアーニ様が座ったを手に入れたのだから、もう、天国である。


『生きてて良かった~ 卒業まで、毎日、クンクンできる! 幸せ!』


 とまあ、かなりアブナい男であることは事実であるが、サムが警護を任されたのはアテナの推薦であった。


 というのは、今回、メリッサの担当する方に「ひょっとしたら?」という領主が相当数混ざっていた。というよりも、メリッサ側に集めてあった。


 要人警護の場合「絶対大丈夫」が基本である。したがってメリッサが担当する一部の小領主達のような「ほぼ大丈夫」は、イコールで危険人物扱いをせよということである。


 ところが、今回は新年の挨拶であるから、できるかぎりソフト路線に見せかけるのは必要な演出だ。しかも、信頼が危うい人間ほど「信頼しているよ」というメッセージを欲しがるのものなのである。


 だから、バネッサ達の護衛は5人で、メロディーの護衛は2人。


 メリッサの護衛を1人に絞るとしたら誰が良いのか、と武芸に優秀で絶対的に信頼できる人間を手を尽くして探したのだ。


 最後の最後でアテナに相談した結果、少し首を捻った後でこういう風に言った。


「守るということに関してと、武術に関してはサムを信頼して良いと思う。でも、あなたメリッサから3メートル位以上離して立たせること」


 条件づきの推薦であったが、確かに、サムは実績もある。3メートル以上というのはよく分からないが、アテナがそういうのなら大丈夫だろうということで、今回の任務を打診した結果だった。


 サムは、おねだりを一つして、喜んで引き受けてくれた。


 それが「任務が終了した後で室内のモノを何か一つ、記念にください」という非常に地味なお願いだったのだ。


 確かに、壁に掛かっている絵や置かれている彫刻も、さすがの侯爵家の応接室だけに高価なモノばかり。当然、そういうモノを欲しがるのだろうと思っていたら、なんと「イス」が欲しいという、実に慎ましいおねだりだった。


 もちろんメリッサは約束を守る。


 侍従を呼ぶと直ちに命じたのである。


「サムの家に、このイスを届けてあげてちょうだい。そうね。そのままというのはさすがに失礼だから、カバーやは、全部新品にしてあげてね。きっと喜んでもらえるわ」

「かしこまりました。直ちに手配いたします」


 もちろん、優秀な侍従は「失礼の無いように」とフレーム以外の全てを新品に改め、磨き込んでから届けたのは当然の仕事であった。



 その後、王都のとある一室で少年の絶望の悲鳴が聞こえたのは秘密である。



・・・・・・・・・・・



「ふぅ~ 結局は挨拶関係を全部頼っちゃったね。ありがとう」

「そんな。お言葉は嬉しいですけど、当然だとおっしゃってくださいね。夫が十分にご活躍いただけるように働けるなんて、妻として、とても嬉しいことですから」

「いや、オレの苦手なところだし、大変だっただろ?」

「めっそうもありませんわ。でも、こうして考えてみると、ショウ様に愛していだけける女性が増えるのはいいことばかりかもしれませんね」

「え?」

「来年になれば、ミネルバ様もお身体は回復されていらっしゃるでしょうし、リズムちゃんも。それに、そのうちにはリーゼちゃんだって」

「あ、それは、そうなんだけど」

「ふふふ。けっして、ご心配なさらないでくださいね。私達は十分以上に幸せだし、みんなで上手くやっています」

「うん。信じてる」

「だた、あの」

「ん? どうしたの? 何か不安?」


 ゆっくりと首を振った妻は、キラキラとした目を夫に合わせる。


「できれば、お言葉と、それにキスをくだされば、ぜんぶ、大丈夫にいたしますので」


 ニコリ。


「あ、えっと、メリッサ」

「はい」

「頼んだよ」


 それこそが、夫からほしい言葉だ。


「はい。お任せください。夫婦ですから」


 差し出された桜色の唇に合わせながら、久し振りに一緒の夜を過ごせる幸せをどちらもが噛みしめるのであった。

 


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

※「初馬」:産まれた男の子に、初めて「専用の馬」を与えること。多くは6歳前後となる。サスティナブル王国の貴族家(主に男爵以下の家)に伝統として存在する習慣。子どもが順調に育っていることの吉事として受け止められているため、親戚や両親と親しい友人はお祝いを持ってくることになっており、親貴族も「初馬のお祝い」を渡すことになっている。


 デビュタントの後から新年を挟んでのこの時期、王都に出てきている多くの貴族同士が社交に入ります。今日の日本の政治家の間でも、年末は「餅代」として百万円くらいの金が派閥の領袖から渡されているそうです。当然、貴族社会でも、親貴族に貢ぎ、その返礼で親貴族はそれ以上のモノを渡すっていうのがミエというものです。

 ということで、今回は妻妃総出で(ミネルバちゃんは出産間近なのでパス)新年の挨拶(社交) を乗り切る場面を描きました。

 この分だと、あと2,3人、増えても良さそうですね、と無責任に思ったりして。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 


 



 

 

  

 

 

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