第35話 カイの廟堂にて
ガバイヤ王国の都・カイでは、事態が説明され、あまりにも深刻な問題なのだと理解され始めていた。
「国内の北半分の畑は、根腐れと呼ばれる病で使い物にならなくなりました。全滅とまでは言えませんが、8割の村で発生しています。その結果、辛うじて収穫できた量は例年の2割、しかも中身がスカスカの極めて質の悪いものしかないと言ったところです」
バッキン内務大臣は、部下に調べさせた情報を読み上げている。
現代であれば、地図上にグラフを載せて作った図を見せるところだろうが、この世界には「マトリクス」の概念すら、サスティナブル王国の中枢部にしか存在しない。グラフに至っては、秘匿事項となっている。
しかし、バッキン内務大臣の表情だけでも、事態の深刻さだけは伝わってくる。
「黒き森に近い辺りの畑は、南であるのと、森の影響なのか若干マシですが、平年並み、なんて場所はありません。どこをどう調べても、一番良い畑で例年の半分ほどでしょう。ざっと計算させたところ、今年の収穫で生き延びられるのは良いところ民の半分ほどかと」
「半分! そんなはずはない。今年の税収は途轍もないものとなったのだ。イモなら他国から買えばよいではないか」
ムスベ商業大臣は「金ならある!」と叫んだ。
「我が国の民の半分を食べさせるだけのものが買えると?」
「税収はたっぷりと集まっているんだぞ」
そんな主張をバッキンは「ふん」と鼻息だけで小馬鹿にする。
「なっ」
あまりにも非礼な態度に、ムスベは怒るよりも唖然となってしまう。
「サウザンド連合王国でも不作、サスティナブル王国でも不作気味だそうですぞ。他国から買うにしても足下を見られて途轍もない値段になる。現に我らが都カイにおいても、今ですら食い物は10倍ではすまないのですよ。それだって、手に入れば良い方だ」
「10倍だと?」
ムスベは財政と商売のことには詳しいが「小売り」のことまでは見ていない。下々が何を食おうが、自分の関知することはないと思っていたのだ。
「しかし、お陰で農家に臨時収入が出ただろう!」
今度は「はっ」と横を向いて、息を吐き捨てたバッキンである。
「今現在、北の農家を回っている商売人が何を扱っているかご存じないようですな」
「な、なにを!」
「
バッキンの顔に浮かんだ、あからさまな皮肉な笑いにムスベは顔色を赤くしたり、青くしたりしている。そんな話は聞いたことがなかった。不況になると子どもを売る民が現れるということはどうしても多くなるが、これから収穫期に入るところではないか。
いくらなんでも、食糧の値段の上がり方が早すぎる。しかも、農家が自分達が生きる分も持ってないというのどういうことなのか。
そこにシャーラクが口を挟んだ。
「農家に残っていた去年の分は、もはやまるっきり無いぞ。どこぞの商人が来て、農家が示す額の倍でも三倍でも出して買いあさっていったそうだ。だからこそ、農民がいろいろと買うカネを手に入れていたのでは無いかね?」
「どこぞの商人? いや、都の商人達は『食糧の買い占めなんてしてません』ってことは確認しておりますぞ」
ムスベの反応は、ニブイ。
シャーラクは「私も、調べたのだがね」と言ってから、パチンと指を鳴らすと、召使い達が3人がかりで巨大な地図を掲げた。
キャラカ参謀は、密かに『それだったら、初めから地図を出しておけば良いのに。ひょっとして指を鳴らせるところを見せたいのか?』と思ったが、もちろん黙っている。
そこで、もう一度指を鳴らすと指示棒が差し出されてくる。嬉しそうに受け取ったシャーラクは、王国の北側を指示棒でグルグルと示す。
「この辺りの農村に現れた食糧の買い付け商人は、全てこちらに向かった」
シャ、シャ、シャと、地図を指示棒が滑っていったのは左斜め上。本来は、侵略する予定だったシュモーラー家の飛び地の辺りだ。
「おそらく、買いあさっていたのは、ここの連中でしょう。どうやら、今年の冷害に連中の方が先に気付いたに違いない。だからあらかじめ買いあさっておいたのだろう。ウチでこれだけひどいのだから、あの土地だと、もっとひどいはずだからな」
メハメットⅣ世は、初めてそこで口を挟んできた。
「ムスベ、我が国の通貨以外に…… いや、カネについて最近起きていることは知っておるな?」
「は? え、えっと、あの、通貨以外にと申しますと、あ! 金貨以外に、とても純度の高いツブ金が出回っているそうです。しかし、他国の金貨ならともかく、ツブ金は商人どもが他国との取り引きに使うのは珍しいことではないのです。それに密貿易の取り締まりなら、内務大臣の管轄だと思います」
密貿易を取り締まってないことを責められるのかと思ったのだ。
「密貿易と言えるのかどうかですね。おそらく金は100キロ以上の単位で出回っています」
驚くべき発言をしたのは軍務大臣のリマオであるから驚きだ。
立ち上がってシャーラクの横に行って、さりげない仕草で指示棒を受け取ろうとしたら、無視された。仕方なく、指を鳴らそうとしてスカッとしか音が出なかった。
シャーラクが思わず失笑したのを恨みがましく睨んでから、リマオは仕方なく手を伸ばして説明をした。
「我々の偵察によれば、荷馬車は北に向かっています。そちらから回ってくる商人達は、ほぼ全てがツブ金を用いて買いあさる連中です。またはツブ金を王都で両替をしてから買い付けに回っております」
その指先は、さらにそこから下に何度も振られている。
「連中が、我々の都に向けて作った城がこちら。おそらく、我が国に仕掛けてくる拠点とするつもりでしょう。だから、いったん、ここに(飛び地を指している)集めた食糧を下のこちら(クラ城を指している)に。既に、両地の間には道まで繋がっております。おそらく、ここを使って補給している様子だと見えます」
全員が「なんと」と絶句だ。
キャラカ参謀は、事前に知らされていただけに、ムスベの反応と全員の目のないところで指を鳴らそうとしているリマオの手を密かに見る余裕があった。
いや、余裕なら末席に控える滅西将軍・サルードと鎮西将軍・コーエンもあったのだ。今回の廟議の目的は、出兵の聖断をもらうことだからだ。
そのため、回りくどいが、内務大臣のバッキンが最初に発言するのを譲ったのである。反対しそうな人間には、先に発言をさせた方が何かと都合が良いのだ。
「連中は、我が国の不作を見越して食糧をさっさと買い集め、こちらの攻略をするための食糧にしようという作戦のようですな」
自信満々に断言するリマオだ。
「ということは、本来、我が国にあるべき食糧が、ここに?」
とムスベは口をパクパク。
これでは、自分の管轄である「商人達」が敵国に便宜を図ったと非難されかねないと焦ったのだ。
「食糧がここにあります。我が国の今年の収穫だと民が半分死ぬ。さて、どうしましょうか、というのが我々が考えるべきことなのです」
リマオは得意げな顔をしながら、また指を鳴らそうとしてシャシュと情けないスレた音だけをさせた。
ムッと顔をしかめると、仕方なく「あれを出せ」と言葉で指示した。
控えていた下士官が、さっきと同じような地図を横に掲げた。
キャラカは『え? こっちの地図をわざわざ、また出す必要なくね?』と思ったが、何も言えなかった。
「さて、みなさまにご相談です。莫大な戦費は掛かりますが、ラク草原にある敵の城には莫大な食糧が眠っています。偵察によりますと『クラ城』と呼ばれておるそうです。この倉をぶんどりに行く作戦に、ご反対の方はいらっしゃいますかな?」
カイゼルヒゲを何度も何度も伸ばしながら、リマオは「ご反対の方はいらっしゃらないようですな。陛下、ご裁可をいただいても?」と腰を低くした。
「ふむ。先日持ってきた件であるな? 我は諸君の決定を許そう」
この辺り、年齢は若くても、君主として一種の老獪さがある。重臣達が賛成するなら、やっても良い、ということは、すなわち「自分としては責任を取らないからね」と言っているも同然である。
しかし、反面、このままでいけば民の半分が死ぬのである。
ここで「何もしない」という選択肢を取ることはできなかったのである。
突然、バッキンが「ご一同?」と発言してきた。
「私は反対したいと思う」
リマオが、激怒の表情で睨みつける。ここまでお膳立てしたのは何のためなのだ。
「根腐れの病を起こした畑では、少なくとも3年は、何度も何度も土を掘り返し、空気を入れて、しかも人間には食えないような草を何種類も植えないと、再びイモを植えられるようにはなりません。つまり、今後3年間は、食糧危機に見舞われるということです。どれだけの食糧が集められているのか分かりませんが、この城にそれだけの食糧があるとでも?」
「では、シュモーラー家の飛び地の方を優先しろと卿は申すのか!」
「違います。まあ、以前は、そちらの攻略に賛成したことはありますが」
そう言ってバッキンは「貧すれば鈍すると、申します」と天井を見上げた。
「今の状態で城を取りに行って勝てればとりあえずは良いとお思いでしょうが、勝てたにしても、それでは続かないと思います」
「勝つのを疑うというのか!」
「まあ、勝負は時の運と申しますからな.しかし、私が言いたいのはそこではないのです」
「クッ! この敗北主義者め!」
リマオの罵りをガン無視したバッキンは「受け入れられない提案となりますが」とため息を吐いてから、周りを見渡す。
「サスティナブル王国へ和睦の使者を。頭を下げて援助を乞うのです。ひょっとしたら領土の一部を削られるかも知れませんが、その方が民を救うことができます」
キャラカ参謀は密かに仰天していた。軍の参謀という立場から、それだけは提案できなかったが、実は、それが一番確実なやり方だと思っていたからだ。
静かに、廟堂に並んだ顔を見回した後でバッキンは、ため息を吐いてから王の前に跪いた。
「陛下、愚案を申し述べた罪をお許しください。咎を受けいれて、
「な、ならん! ここは廟堂である。意見を述べて引退させたなどとあっては、誰も発言できなくなるであろう!」
「しかしながら、私の言葉を受け入れてくださる余地は、みなさまお持ちではなさそうです。せめて、退出のご許可をいただけませんでしょうか」
メハメットが他の者の顔を見回すと、明らかに「空気読めよ」と顔に書いてあるものばかり。国王と言えども、いや、国王だからこそ、ここでかばいだてすると、逆にバッキンのためにならないと素早く判断したのだ。
「わかった。これは、
これは「謹慎せよ」という婉曲な命令である。
「ありがたきお言葉。臣は感謝の言葉もありませぬ」
それ以後、バッキンが邸に引きこもった代わりのように、ガバイヤ王国は「クラ城攻め」の大号令を発した。同時に、驚くべきことに、シュモーラー家飛び地に対しても、積極侵攻策を策定したのであった。
出陣は、11月と決まった。
・・・・・・・・・・・
女衒:女を遊女として買い集め妓楼に売ることを業とした人。
正確には「奴隷商人」のうち女を専門とするものを指すが、この場合は広い意味で使っている。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
作者より
こういう時って、バッキンみたいなタイプは、下手をすると暗殺されちゃいますよね。だから、引きこもるしかないのですけど「クラ城を落とせ!」の大号令は滅びの声に聞こえていたのかもしれません。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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