第32話 遊牧民・チャガン族

 広大な北の大地は7月に入っても気温が上がってこない。いつもの年より雨が多いのは救いだが、お日様の差さない分だけ、一度生えた草が全然育ってくれない。その分だけ、部族の移動は間隔を短くする必要があった。


 ロウヒー系の街を自由にできたのは魅力だが、このまま居着きでもすると、肝心の牧草が手に入らなくなる。


 そうなれば、一族の存亡に関わってしまうだろう


 だからこそ、チャガン族の誘いに乗ったのである。


 ここは、大陸の北西部。アマンダ王国の北の国境まで200キロほどの距離にある盆地である。


 遊牧民族の中でも2大勢力の長が、ここでの会談を行うのだ。


 西側に広く存在するタタン族の長を多く束ねるトトクリウトは、長男のドタウトと娘婿のアウチを連れていた。


 単独で東側を治めるチャガン族の長であるテレイトは、双子のアルクイとバルクイ を連れていた。


 タタン族の人口は多い分だけ戦士の数も多い。もしも「全軍」が集まれば軽く1万5千騎を超えているだろう。家族も一緒に移動するのが遊牧民族の特徴だ。今回のようにタタンの主な部族が集まると、戦士だけでも1万を数え、連れている家族や奴隷も合わせれば総員で4万人を大きく超えるほど大規模なものとなる。


 一方で、チャガン族は「戦いのために生まれた連中だ」とタタン族が恐れるほどに強い。特に、同族で固められているがゆえの「結束した時に発揮される力」が爆発的に強くなるのが特徴だ。


 タタン族の中で、よく言われる比較に、こんなものがある。


「チャガンとサシで対決するなら四分六分で僅差、チャガンが3騎集まったら同数では勝ち目がない。10騎も集まってしまうと、こちらが倍いても勝てないだろう」


 そんな「戦闘マシーン」のようなチャガン族の戦士は全軍で5千騎程度だろう。


 よって、縄張り争いは常に拮抗してきたのである。


 当然ながら、お互いに一族が宿営する場所を厳重に秘匿してから会談に臨んでいる。


 谷の道を通ってやってきたこの盆地は、確かに、予定通りの人数しか見えなかった。


 トトクリウトが先に挨拶をした。


「しばらくだったな」


 テレイトは笑顔で応じた。


「あぁ。街を襲った時は楽しかった。いいも手に入ったしな」


 ここで「嫁」というのは、女性の奴隷を指している。


 チャガンは単一部族の均一性を持ち味にしているだけに、なかなか人口が増えない。だから、街を襲うときは、たいてい奴隷として女たちを連れていく。奴隷と言っても子どもさえ産めば、扱いだってそれほど悪くない。生まれた子どもは一族の戦士として育てる。


 テレイト自身も女奴隷から生まれたという出自を隠したことがないほどだった。


 だから「嫁」と呼ぶのは間違いではない。3人、5人と子宝に恵まれた女であれば、生粋のチャガン族の夫を叱り飛ばすことすらできる。


 となると、もはや夫婦に近いとしか言えない。もっとも1年して子どもを産めない女の境遇は、他部族に知られることがないのも特徴である。


 トトクリウトからすると「馬にも乗れない嫁をもらってどうする」と思うが、そのあたりの感覚の違いを言い出しても始まらない。

 

「ところで、今回の申し出だが」


 トトクリウトは、本題に入った。そこにテレイトは頷いてから答える。


西タタンも大方同じだろう? ロウヒーの所は今年に関しては約束をしちまったからな。だとしたら、こちらの南に行くしかなかろう」


 東西でナワバリを争っては来た。だが、なるべく争いを避けたいのも事実だった。そこに、長年、自分達の所でメシを食ってきたパネェという男が、ロウヒー家からの申し入れを持ってきたのだ。


 街二つを差し出すから、今年は襲わないでくれ、というものだ。


 戦えないのは残念だが、じっくりと蹂躙できるとしたら、普段とは奪えるものも変わってくる。だから、今年に限ってテレイトと約定して街を分け合った。


 しかも、襲った後の人質から女だけをあちらに回して、代わりに鉄や様々な贅沢品を受け取れた。


 お互いに納得できた取り引きに満足していたところに「寒い夏」がやってきたのだ。


 前回の取り引きで満足した分、テレイトからの「一緒に南へ移動しよう」という申し入れを検討する余地は十分にあったのだ。


 アマンダ王国の兵達は、以前の半分ほどになってしまったらしい。だとしたら、中小の街だけで我慢しておいて、馬を肥やせばいい。


 欲をかいて王都グラまで落とすつもりにならなければ、案外とうまい話につながるだろうというのがトトクリウトの読みである。


 遊牧民族同士の話は、互いに馬上で行う。いくら共存するためとは言っても、この風習だけは変えられないのだ。


「そっちのナワバリを通過することになるが?」

「それは認めよう。代わりに、通った街で若い女がいたら100ほどは欲しい」

「わかった。では、この長雨が終わった頃に移動を開始すると言うことで良いか?」

「それは、こっちだって同じことだ。ぬかるむと馬が嫌がるからな。では、次の満月の後、最初に雨の上がった日からでどうだ?」


 生きるための共闘。


 お互いに潰し合うよりも、よほど良い。


 後日の約定の儀式(互いに祈りを捧げながら羊を屠り、その血を一つの皿で飲み交わす)を決めて、お互いに変えることになった。


「ふぅ~ 緊張しないわけにはいかないな」


 トトクリウトが大きく息を吐き出す。実際、冷や汗ものだった。


 息子のドタウトが「さすが父さん。一歩も引きませんでしたね」と言葉を掛けてくる。


 素直で父親思いの自慢の息子だ。


「今回は向こうからの申し出だったからな。ワナがあるかも知れぬと思ったが、信じてみぬことには、何も変わらない」


 話し合いをする際の緊張がなくなるわけではないが、一緒のタイミングで街を襲撃した時から、互いに共通の目標が持てる分だけ緊張が少なくなった気がする。


 信じてみて良かった。


 とは言っても、お互いにナワバリを争ってきた長い歴史がある。お互いを信じ切れぬから、供を身内に限ろうと向こうから言ってきた。


 頭数が多いと、途端に力を発揮するのがチャガンの習い性だけに、身内だけに限ると言ってきた時点で「信頼できる」と予想したのが良かったのだ。


 そして「味方から半日分離れた場所で落ち合う」と決めた。


 神かけた約定だけに、チャガンと言えどもさすがに破りはしてなかった。もちろん、自分達も守っている。


 この谷を抜ければ、遙か遠方に秘匿した宿営地が見えるはずだ。小高い丘を饅頭に見立てれば、その横腹に生えたカビのように我が部族のゲルテント群も見えるだろう。

 

 ここまで来れば、チャガンの連中の気が変わっても追いつくのは不可能だろう。しかも、後ろに追撃してくる砂煙など見えなかった。


 もう、安心して良い。チャガンは我々を騙してなどいなかった。


「あの様子だと、我が一族から嫁を出せば、もう少し、何とかなるかもしれんな」


 娘婿のアウチが「チャガンの連中は信用なりません」とすかさず言い切る。


「しかしな、今までのいきさつがあるのは分かるが ひうっ!」

「父上!」


 トトクリウトの首に矢が刺さっていた。


 一体どこから、と見回すと、谷を見下ろす場所に、弓矢を構えた男達がずらり。


 待ち伏せされた!


「チャガンめ! オマエら、神かけた約定を忘れたか!」

「違えてはおらんぞ。ただ、我らは半日分、で待っていただけだ。そこにのこのこと現れたマヌケがぬしらだぞ」

「なんだと!」

 

 しかし、アウチもドタウトも、次の言葉を発することはできなかった。全身に一斉に矢を浴びたからである。


 しばらくしてそこに現れたのは、先ほどのテレイト達である。


 転がった死体を無造作に眺めながら、双子のアルクイとバルクイに笑いかける。


「なるほど。お前達の策は正しかったな。これで頭を失ったタタンのヤツらは、右往左往するだけだ。よし、すぐ狼煙だ。ヤツらが案内してくれた宿営地は目の前だ」


 ここまで来れば、全軍突撃をすることで宿営地を丸ごと叩き潰せる。そうなれば、連中を支配できるのは確実なところだというのが、双子の献策であった。


 遊牧民族は、部族ごと「強者の支配下に入る」のを認めるしきたりがあるだけに、残されたタタン族は、自分達の手先になるに決まっていた。


「これで、アマンダ王国の豊かな地も、我々だけのものとなる」

「予定通り、子を産めない女は皆殺しで良いな?」

「あぁ。お前達の好きにしろ」


 息子に許可を出すテレイトである。


「わかった、バル、行くぞ」

「あぁ、アル、行くとするか」


 隠してあった千騎を率いて、タタンの宿営地に襲いかかった、その日、タタンの宿営から奪われた若い女は2千を超えたと言われている。


 抵抗した男達を皆殺しとし、捕虜となった男は縛り上げた後、次々と谷底へと突き落として始末した。


 女たちは奴隷となり、少年達は奴隷兵として連れ去られた。


 この日、タタンの主な一族は壊滅し、チャガンの支配下になったのだ。


 チャガンの双子の悪魔が知れ渡ったのは、この時からであった。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

北方民族が襲うのは「アマンダ王国」の土地です。土地持ちの農民達からすると、ただでさえ、暴風のようなものだけに、弱っている国力をさらに消耗することになるかもしれませんね。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 

 



 


 

 


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