第31話 カイの心

 イノとは、すっかり信頼関係ができている。この村の中なら、つないでおく必要すらない。


「ちょっとだけ待っていてくれよ」


 首をトントンと撫でると「分かった、心配するな」と言いたげに素知らぬ顔で草を食み始めるイノを置いて、山側から炭焼き小屋に回り込んで様子を見た。


 小屋の前には、見張りとおぼしき男が二人だけで、木剣のようなモノを持っていた。


 少し拍子抜けした。


 後ろから手刀で昏倒させる方が簡単だが、師匠に命じられたのは「この竹」を使うこと。


『それと、殺しちゃならないんだよな?』


 師匠の命令だから、守るのは当然だが、考えてみると不思議だ。カイの技量であれば、素手だけで十分に制圧できる。殺すまでもないことだ。


『むしろ、この竹を使って難易度を上げるおつもりかな?』


 もちろん、許せないことをした連中とは言え、こんなことで十数人を皆殺しにしようと考える自分では無い。


 そのはずだ。


『ともかく、きっとメグは怖がってるはずだ。むしろ正面から行って早くすませてあげたほうが良いだろう』


 メグという名前を浮かべた瞬間、心がザワザワした。しかし、それを気にするよりも、結果を急いだ方がいい。


『どんなワナを仕掛けてきたとしても、今の私なら後れを取るとは思えない』


 その程度の自信を持てるだけ、努力をしてきたつもりだ。


 だから、わざと気配を放出しながら正面に出た。

 

 やっと気付いたようだ。


「おい! 素振り屋! ここはおめぇが来るところじゃねぇんだよ」


 凄んでみせる男は、体がデカいだけで気が小さいのを知っていた。


 無言で鼻先をぴしりと叩く。


「うわっ」


 鼻を押さえた男を見るまでもなく、手首の動きだけで、もう一人の耳をひっぱたく。しなりを利用しているから、痛みは強くても死ぬことはないはずだ。


 ふと見ると、二人の鼻と耳が吹き飛んでいた。


『おかしい。なぜ、オレは力んだ?』


「いてぇえ」

「いててててて」


 そこまでやるつもりは無かったはずが、なぜ、吹き飛ばしてしまったのか自分でもわからない。ちょっと血が出る程度にするはずだったのに。

 

 そこでバンと戸が開いた。


「おめぇら、うっせーぞ、ようやくお楽しみが始まるってとこなのによ」


 顔を出した男の正面から竹を打ち落とす。


「ぎゃっ」


 ひどい悲鳴を上げながら顔を押さえて後ずさり。唇の一部が裂けたが、。師匠の言いつけは必ず守らなければならない。


 自分の力のコントロールがこれほど難しいとはと驚く。むしろ、そこに焦りながらも、 開きかけた戸をバンと蹴り飛ばして開ける。


 いた。


 狭い所に十数人。奥に白い身体が覗いた。


『!!!!』


 何かが頭の後ろで破裂した気がした。


『ダメだ。竹を折るなよ、お師匠様のお言いつけだ。竹を折るな!』


 それだけを意識しながら、手近な男から首をピシッピシッと打ち据えていく。


 頭に血を送る管が、そこにはあるらしい。急所に瞬間的な衝撃を与えることで、脳の中身がどうにかなったのだろう。一撃を受けた男達はヘナヘナと崩れ落ちていった。


「てめぇえ」


 奥の裸身から離れた男の手に抜き身の剣。横の男達も短刀を構えた。手脚を押さえていた男が離れた途端、パッと奥へと逃げたメグ。


 どうやら、意識はあったらしい。ぱっと見、大きな怪我もしてない。


 ホッとした。


 男達は人数がある分、殴りつけて黙らせるよりも、大勢で手脚を押さえに掛かったのだろう。


 その姿を思い浮かべてしまった瞬間、またしても頭の中で黒い炎がメラッと揺らめいたカイだ。


 狭い場所で短刀4人に剣が一人。手近にあった火かき棒を振り上げる男もいたが、素人が剣を振り上げても、それには何の感情も湧かない。


 良かった。逃げたときの動きで判断すると怪我は無さそうだ。見るともない気配で、それを確かめる。


 少しだけ、心が落ち着くと、後はただの作業だった。


 剣を持った手、短刀を振りかざそうとした手を、ピシリと打てば良い。


 竹のしなりが遅く出てくるので、振るスピードを抑えるのに苦労する。


 パシッ パシッ パシッ パシッ


 乾いた音が4回響くと、剣も短刀も全て床に転がっていた。火かき棒を持った男は、それを見て身体が動かなくなったらしい。


 ワナワナと震える男の目を見ながら、真後ろをピシッとひっぱたく。気配が丸わかりで、見る必要すらない。


「ぐわっ」


 背後の悲鳴と同時に、二歩踏み込んで火かき棒男の首を打つ。


 ヘナヘナヘナ


 ツカツカツカと、奥に歩み寄って散らばった服を集めると、なるべくそっちを見ないようにして差し出す。


 受け取る指がわずかに触れた時、初めて、心の臓がドキリとした。


『オレは、一体、何を?』


 助けるだけなら、このまま帰っても良かった。


 しかし、元気者のメグの指先から「怯え」が伝わった瞬間、カイが選択したのは、お師匠様の言葉を男達に宣告することだった。


「お師匠様から、をいただいている」


 宣言と同時に、ボス格だった男の肩を軽く蹴り飛ばして、吹き飛ぶ瞬間、ズボンを下ろしていたモノをビシッと打ち据えた。


「んぎゃーあぁああああああ」


 強烈な悲鳴は、生命の危機とは違うベクトルでの苛烈さだ。男の機能は永遠に失われたはずだ。


「あわわぁ、あ、ひぃ」

「ゆ、おゆるしを」


 周りの男達は満足に動けぬながらも「次は」が頭にあったのだろう、必死に逃げ出そうとしていた。 


 カイは淡々と、一人、また一人と強烈な悲鳴を上げさせていく。あっちこっちで悲鳴を上げ、逃げようとする惨めな姿に辟易しつつも、その手は表で見張りをしていた二人を仕留めるまで止まることはなかった。


 最後の一人の「仕置き」を終えて竹を投げ捨てた時に、その気配が戸口に現れた。


「カイ、くん」

「怪我は?」


 わざとそちらを見ずに問うたのは、カイなりの思いやりだ。しかし、メグはいきなり飛びついてきた。


 朝のベッドと同じなのだろう。一切の殺気も悪意も無い分、不意を突かれる形になる。この辺りは、まだまだ未熟だ。


 もちろん、鍛え上げられた体幹が、その程度で揺らぐはずもない。左腕に飛び込んできたメグを胸に抱え込んだのは優しさである。


 次の瞬間、あの元気者が声を上げて泣いたのだ。


「うわぁあぁん」


 困った。


 何をどうすれば良いのかわからない。たとえ、一個大隊を相手にしろと言われても、今ほど狼狽えないに違いない。


 ただ、カイは優しさゆえに最良の選択ができたのであった。すなわち、黙って優しく背中を撫でること。


 優しく、優しく、いつまでも……


 小半時もたった頃、ようやく落ち着いてきたらしい。


「ありがと」

「遅くなった」


 黙って首を振ったメグは「怖かった」とポツリ。


「すまない」

 

 また、首を振ったメグは「だけど」といった。


「きっと助けに来てくれるって思ってたよ」


 腕の中から離れようとしない。


 こんな時、どうしてあげれば良いのだろうかと悩む。カイにとっての女性とは、すなわち「リン姉さん」への淡い初恋が全てである。


『考えてみれば、リン姉さんは、いっつもオレを守ってくれようとしてたな』


 つい先月のこと。「お嫁に行くことになった」という手紙をくれたリン姉さんだ。きっと結婚した後も、戦場に出る自分を心配してくれるのだろう。農場に連れて来られる旅路以来、常に自分を守ってくれる人として振る舞っていた人だ。


 それなのに、今、この腕の中にいる人は一体何だ?


 細くて、柔らかくて、か弱くて、そして何とも良いニオイがして…… お腹の下がゾクゾクする感覚をもたらす、この存在は一体何なのか。


 わけが分からないけれども「この人を守りたい」という意識が、自分では思ってもみないほど大量に存在していたことに驚いていた。


 無骨な手は瑠璃の薄細工を扱うかのように、そっと背中を撫でる。

 

 しばらく胸の中で泣いたメグを、そっとすくい上げたのは何をどうすればいいか分からなかったからだ。


 お姫様抱っこ。


 一瞬驚いた顔をしたメグは、そのままカチッと音がするように首に吸い付いて離れなくなる。もちろん、カイが引き離そうとすれば可能なのだろうが、腕に抱えたメグがあまりに軽すぎて…… いや、違う。


『オレは、この人を手放したくないんだ』 


 カイは、腕の中の存在を手放したくないのだと自覚したのである。 


「イノ!」


 そこに現れたのは「用事は済ませたの?」という顔をした愛馬だ。もはや腕の中の存在を手放す意味もタイミングもなくなったのである。


 おそらく相棒の気持ちを汲み取ったのだろう。イノの歩みは来た時に倍してゆっくりであった。


 その途中、メグは顔をくっつけたまま言葉を出した。


、だったんだからね?」

「あぁ」

「信じてくれる?」

「あぁ」


 そのやりとりの間に、ふと、理解してしまった。師匠がなぜ、わざわざ「竹」という制約を課したのか、なぜ「殺してはならない」と命じたのかを。


 もしも、何も言われてなかったら……


『オレは、あいつらを全員殺していた』


 メグを腕の中に抱きしめている今ですら、自分の感情だけだと爆発するところだったと、ようやく自覚した。


 今のカイにとって、あの男達程度なら、何人いようと己の拳だけで殺すのは容易なこと。おそらく「殺す」つもりでなくても、身体が覚えた動きだけでもそうなる。


 そして、激情に走れば手加減する方が難しいのだ。


『あぁ、そうか。細い竹を折らずに使うと考えたから殺さずにいられたんだ』


 お師匠様は、自分以上に自分のことを理解してくれていたのだ。嬉しさと同時に、自分の中にあった余分な心を見抜かれてしまった気がして恥ずかしくなってしまう。


「ただいま戻りました」


 さすがに、お師匠様の前で失礼なことはできない。そっとメグを下ろすと、すかさず手を握られてしまった。


 それを振りほどくのはためらわれた。


 いや、その前に、お師匠様の声がない。


 え? 誰もいない?


 夕暮れのお師匠様の家に、全く人の気配がない。


 お母上もいらっしゃらない?


 そんなことがありうるのかと居間を覗けば、そこには手紙が二通あった。


 一つはメグ宛だ。この文字はご母堂だろうと見当を付けて、そのまま渡す。


 もう一通はお師匠様からだ。


「明日の朝に帰る。

 母上がそなた達のために湯を用意した

 そなたはなすべきをなしてきた

 次は優しさをなしなさい」


 お母上が湯を? 


 それに、一体これは何をなすべきなのか。


 まるで判じ物のような手紙に首をひねって、ふと横を見ると、夕日のせいばかりとは言えぬほどに顔を赤くしたメグが見上げている。


「あの!」

「いかがなさったのだろうか?」


 メグの目が潤んでいるのをみて、カイは狼狽えかける。


「わたし、キズモノになりかかってしまいましたけど」

「いえ。そなたは決してそのようなことはなかったと知っていますから」

「それはカイ君しか信じてくれないわけで。それで、それで、そのぉ、あの!」

  

 言葉に詰まるメグ。


『あぁ、これは、オレがいけなかった』


 カイは決して人の機微に疎いわけではない。むしろ「男女間のこと以外」には十分に聡い。


 だからこそ、この瞬間、男女間のこと聡くなったのである。


『お師匠様に、自分の心がそこまで見抜かれていたとは』


 つくづく、自分の浅さが情けないが、自己反省する前にカイにはやるべきことがある。


 番だ。


「まだ修行中の身ですが、そなたを娶りたい。自分の心に気付かぬとは一生の不覚。そのような愚かな男でも良ければ、妻になってくれないだろうか」

「あの! ふっ、ふつつかものですが、カイ君が私を娶ってくださる日を夢見ておりました。そのような思い上がった女でもよろしいでしょうか?」

「そなたを手放さぬぞ。しかし、私はショウ閣下の折れぬ槍となる身だ。それだけは分かってほしい」

「男子の生涯の夢を疎かにする女が、武士もののふの妻にはなれぬと存じております」

「メグ」

「おまえさま、とお呼びしても?」


 二人は、お互いを固く抱きしめ合ったのである。




 翌朝、老母と風采の上がらぬ男に向かって、若き夫婦が手を携えて挨拶をしていたのであった。


 さらに半年後、研ぎ澄まされた刃を静かな微笑みで包んだような青年は、妻を連れて懐かしの農場へと「ただいま」を言いに戻ったのは約束通りのこと。


 後に「帝国の黒槍こくそう」と勇名を馳せたカイ・マルス=オレンジは、こうして修業時代を終えたのであった。



・・・・・・・・・・・



 なお、後の史書には、カイ・マルスに「オレンジ」の家名がショウから下賜されたのは、一連の「統一戦争」での活躍の褒美であるという説と、臣下となった時点で結婚祝いとして贈られたとの説が存在する。しかしながら、生涯においてカイは「ただのカイ」と名乗ることを好んだという点においては学者の一致したところであった。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 

作者より

 カイ君の修行を詳しく書くと、すっごく長くなって、まさに外伝が必要になることに気付きました。泣く泣く「カイ編」を終わらせて、次は、時間を巻き戻してお届けいたします。


 なお、カイとメグは農場の片隅に新居を建ててもらって住むことになりましたが(配下の福利厚生は充実させてるショウ君です)、カイ君が大陸中を駆け回る間は、農場のと一緒に過ごすことをメグは好んだそうです。

 メグの料理の腕は、農場で育つ子どもたちにとても喜ばれ、お年頃になった女の子達に、もっと喜ばれたようです。

 二人が住み始めて1年後、メグから届いた手紙を携えて、ノンもやってきました。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 

 

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