第30話 黒の槍
若者が来て半年が過ぎた。
修行は順調に進んでいるらしい。それに、成長期だ。
オウ家の食べ物が身体に合ったのか、それとも年齢なのか。このところ身体が急速に成長していた。若者はオウシンより一回り大きくなっていた。
昨年の冷害も、被害を最小限に抑えられたお陰で、村全体を見ても飢えた人は一人も出てない。食べ盛りの若者にとって、オウ家は理想的なほど豊かな食卓なのである。
その理由は、老母と、そしてカイ自身にあったのだ。
朝餉の用意は、正式に雇われているメグとノンだけで行うが、片付けが済む頃には村娘達が代わる代わるやって来る。
最近は、夕餉だけではなく、昼餉も食卓に7品、8品が当たり前のように並ぶのは、毎日、広い庫裡に集まってくる娘達の腕自慢のせいであった。
「先生、豆は、これでよいでしょうか?」
老母は、娘が差し出してきた小皿の豆の色艶を確かめてから口に含んだ。
「サチは、初めの頃と見違えるほどですね」
「良かったぁあ! ありがとうございます!」
「でも、あの子が食べるなら、もう少しだけ味を濃くしてあげた方が良いですね。この村に住む男の人はみんなそうですけど、身体を使う人は濃い味を好みますから」
「はい。先生」
そんなやりとりを聞いた娘は隣で鍋を振る娘に囁く。
「ミチが腕を上げてきたなら、私も負けられないわ」
「大丈夫。私のこれの方がきっと気に入るもん」
「先生、こちらの煮物はいかがでしょう? この間教わったとおり、山椒を利かせてみました」
代わりばんこで老母にアドバイスを頼んでくる。その合間に、賑やかなおしゃべりが弾むのはお年頃というものだろう。
オウシンの弟子はたった一人だが、老母の弟子は村中の娘だと言って良い。
広い範囲に点在して2千人ほどしかいない村でも、年頃の娘はそれなりに多い。より良い嫁ぎ先をと考えると、一番確実なのは「料理上手」と「
元ガーネット家騎士団の料理番を務めた老婆のレシピは千を超える。しかも騎士団の者達が日常で食べる料理だ。質実剛健。安くて美味くて、体を作れるものをという要求を見事に満たすレシピの数々を学んだ娘は、村の男達にとって憧れの対象だ。
こちらの世界の人間にも「胃袋を掴む」という表現はあるが、ショウの世界の田舎の平民は外食をすることもなく過ごすし、コンビニで手軽に何かが食べられるわけでもない。そんな社会において「妻が料理上手」ということは生涯の幸せを左右する大事な要素だ。男達にとっては、どれほど美しいかということよりも遙かに関心のあることだった。
それを、一番知っているのは当の娘達だ。化粧もお洒落も楽しむが「選ばれる」ためには料理が大事だと身に染みている。
この家で料理を教わった娘は嫁のもらい手に困らない。中には、この村に嫁いできてから、あわてて駆け込んできた人妻も混ざることもある。
娘達が常に引きも切らないのがオウ家の庫裡なのだ。
「それにしても、この頃はみなさん綺麗になさっていますねぇ」
老母は、小さくごちつつ微笑んでいる。
このところ娘達が変わった。集まる人数が増えただけではなくて、あきらかに「見た目」を気にしてやってきている。
その話を息子にはしていないが、老母にはちゃんと理由が分かっていた。
狙いは、今も庭先で鉄の棒を振っている若者なのだろう。
『あの子も、ずいぶんと身体も大きくなったし、あのお顔には知性があるわ』
息子によれば、あらゆる武術を吸い取るように吸収しているのだという。そのくせ、ストイックなまでに修行にのめり込んでいる。しかも、どれほどクタクタになっていても、庫裡の水瓶を満たすことは忘れないし、老母が何気なく立ち上がろうとすると、いつの間にか現れて支えてくれるのだ。修行をしている時以外は、老母のことをひたすら気にかけてくれている。
そんなカイが、老母にとって可愛くないはずがない。
『娘さん達がはしゃぐのも分かります。若い娘が放っておけるわけないですからね』
若者の恋ということには理解があった、というよりも、それが自然な姿であると思っていた。
だから、娘達を一切見ようとしない若者を心配もしていた。
何しろ娘達は日増しに露骨になっている。
挨拶こそ絶対に返ってくるが、逆に挨拶以上の言葉をかわそうとしないカイにアプローチするとしたら、胃袋しかない。勢い、食卓に並ぶ一品一品に込められる気持ちがスゴいものとなっている。
オウ家の不文律で、皿を出した者は食卓に来て料理を説明する権利がある。顔を赤らめながら「これは若羊の肉を焼いて、載せたソースは桑の実をジャムにしてから」などと、料理の説明をする娘達が微笑ましい。
一方で、若者は礼儀正しく話を聞くし、ありがとうという感謝を述べるのも欠かさない。しかし、若者はどれほど美味なものを出しても、本質的に関心を持っていないのが老母には分かるのだ。
オウシンの方針で、どれだけ修行を厳しくしても、いや、修行が厳しいからこそ、たくさん食べなさいと徹底されているから目一杯食べる。とにかく食べる。
それこそ、見ているだけで胸が空くような食べっぷりだ。
しかし、それだけだ。娘達が合間に名前を名乗ろうと、一切関心を示さない。
とは言え何事にも例外があった。
それが、雇われているメグとノンだった。
「起きて、起きないと、キスしちゃうゾ」
「メグ! わっわっ、しかも起きる前からしてる!」
頬にキスされて起こされるのは何度目だろう。
「ふふふ。だって、若先生にも認められてるわ? カイ君が寝てる時は何をしても良いって」
メグとノンにとって、先生とはあくまでも老母だ。したがってオウシンは「若先生」と呼んでいる。気配を感じて起きる修行の一環らしい。それはカイも言われているが、今ひとつ納得はいってない。
クタクタになるまで修行しているカイにとって、朝、交互に寝床に潜りこんでくるメグとノンには手を焼いていたのだ。
何しろ、彼は急速に思春期を迎えつつあるのである。
「だからって。あ、えっと、あのぉ、おんn、いや、女性としての貞淑さをもう少し気にしたら…… 気を付けられてはいかがだろうか?」
「ふふふ。無理しちゃって」
寝起きから、ようやく頭が動き出したのか、言葉がよそ行きモードに戻りつつあるのが、面白くてたまらないらしい。しかも、女性に手荒いマネを絶対にしてはいけないという意識があるらしく、困り果てているのに、無理やり追い出すこともできないカイが可愛らしくてたまらない。
メグもノンも自分達にだけ「素の顔」を見せてくれる、この朝が大好きだった。
「だいじょ~ぶ。私もノンもカイ君にしかしないもん。女として、一人の男にだけ許すのは貞淑な証拠でしょ?」
クスクスと笑うメグだが、返す言葉を探すカイを追い込むつもりはない。男として好ましいと思ってはいても、カイに隙が無いことはメグもわかっているのだから。
スルリと寝床を抜ける。
「ほら、朝餉を用意しますよ? いつもの通りでいいかしら? あ、汚れ物はこれだけ? 夜の間に汚れちゃったものも一緒に洗うから、隠しちゃダメよ」
パッと布団を押さえるカイに「ちゃんとカゴに入れておくんだよ。恥ずかしがって隠す方が恥ずかしいんだからね? ホントに嫌なら、ちゃんと私達に手をお出しなさい。殿方として必要なことなんですから」とキッパリと告げるメグの顔は一転して真面目だ。
「そ、それは、でも、あの」
言葉に詰まるカイを追い込むつもりはない。メグは、そこで会話を打ち切るように戸の方へ向かった。
「ちゃんと洗い物を出すこと。そんなのは全部任せて、あなたにしかできないことをやるんでしょ?」
「あ、あぁ、ありがとう」
カイは、朝餉までの小半時に剣で素振りをするのが日課だ。食べた後は、型稽古と、棒術と槍、それに弓までも習っての練習漬けだ。
メグ達には全く分からないが、オウシンの教えるあらゆる武術にカイは見事に適応しつつあるらしい。若先生に言わせると 「砂地に水をまくがごとし」のたとえ通り、教えられたことをあっと言う間に飲み込むらしい。
「でも、若先生って、本当に厳しい先生なのかしら?」
女から見て「厳しい」というイメージとはずいぶん違った。激しい怒鳴り声も聞いたことがないし、ぶん殴られるシーンも見たことがない。時折、打ち掛かっていく稽古になるとボロボロにされているが、かと言ってアザ以上にはならないようにしているのが傍目でも分かるのである。
カイ君が痛そうなのは嫌だが、稽古が終わった後「手当て」の口実で、つきっきりで冷やして上げられる時間が、けっこう好きであったりする……
そんな日常であった。
・・・・・・・・・・・
メグとノンは、武芸が分からぬなりに、とても良く見ていたのである。
オウシンの教え方は独特だった。徹頭徹尾「理屈」が全てなのだ。
重心から呼吸、腰の位置取り、両脚の間隔に至るまで、全てを理論付け、言葉によって「最適」を教え込む。その上で、実演して見せてから、納得がいくまで自分で試させる。
だから、野卑な怒鳴り声は不要だ。まして無意味に殴る必要もない。それどころか「身体で覚えろ」とも言わない。
オウシンは常に言う。
「基本を教えよう。疑問があれば納得するまで付き合おう。だから、上達したいなら、自分で考えて繰り返しなさい」
それが
天分もあったが、そこには秘密があった。
「私に、防御は不要です」
守る前に相手を叩きつぶせば良い。カイは割り切ったのだ。一つには、お側にはアテナがいることがある。いかなる相手が来ても、その刃は届かせないに違いない。
であるなら、自分は閣下の「槍」となろう。決してくだけぬ槍となる。閣下が叩きつぶすべき敵が現れたら、自分が代わりに貫けば良い。
槍が我が身を守ってどうするというのだ。
それがカイの割り切った考えだ。究極の攻撃に特化した力を手に入れること。それが1年でできる最も有効な方法だと思ったのだ。
驚くべきことに、
だから後世の歴史家達は、この点において「誰が最強だったのか」という難問に悩まされることになる。
攻撃に特化した「力」だけ見れば、後々、傑物ムスフスやウンチョーをも上回る怪物である。しかし、たとえば二人と勝負したとき、ムスフスに攻撃のみで勝てるのか? ウンチョーの槍にどう対処するのか?
現実には、この三人はたとえ模擬戦であっても対決したことがないため、ifを上げればキリがないことになる。
おそらく、それは歴史家の興味を果てなく刺激しつつ、永遠の謎となるのであろう。
・・・・・・・・・・・
ともあれ、カイの修行は続いている。
そんなある日、オウシンが突然、裏庭へ呼び出した。
「メグが、村の男達にとらわれた」
「え?」
「15人ほどの連中だ。知っているね?」
「はい。たぶん、分かると思います」
修行の成り行きで出かけることもある。カイを見つけると絡んでくる男達がいた。どこの村にも、そういう男がいる。よそ者で、しかも美しい娘達にチヤホヤされているのが面白くないのだ。
それなりに腕っ節に自信があるのもいるらしく、数を頼んで絡んでくることが多かった。
オウ家に雇われているメグとノンは美しい。しかも老母の料理を全て学んだ「師範格」でもある。村の男達の憧れの的だ。それが常々、特にカイと親しげに見えるから悔しかったのだろう。
敢えて、半ば公然とメグを連れ去り、話が伝わるようにしたに違いない。
「取り返していらっしゃい」
こともなげに言われて、少々困った。
カイは一切の争い事を禁じられていた。たとえ村人に殴られても、一切の反撃をしてはならない。許されているのは逃げることと、打たせる場所を選ぶことだけだ。
そのため、ガラの悪い連中は「殴り放題にしても抵抗してこない格好のカモ」扱いをしてくるし、実際、何度も殴られていた。
怖いとは思わないが、さすがに押さえつけられてしまえば対応に困る。一切の争い事を抜きにして取り返してくるのは無理ではないだろうか。
そんな考えを見透かしたのか「今回は女子を拐かしたのだ。むしろ仕置きは必要だろう」と淡々と言った。
振り返ったオウシンがさっと鉈を振るうと、細竹が一本刈り取られた。親指ほどの太さで、一メートルほど。
枝をサッと払うと、一本のしなやかな棒が完成した。
「これを使ってよろしい。ただし竹を折るのは許さないし、殺してはならない。連中の居場所は裏山の炭焼き小屋の辺りだそうだ」
「わかりました。行って参ります」
「イノで行きなさい。鞍を使ってよろしい。質問は?」
それは助かった、と思った。
イノと名付けた黒毛の馬は、馬術を習い始める時期を知っていたかのようにガーネット家から送られてきた。今ではすっかり相棒になっていた。
普段は馬術の鍛錬のため、鞍を置くのは禁じられていた。
「ありません。あっ、どちらに連れて帰ればよろしいでしょう?」
鞍を置いて良いというのは、メグを乗せてこいと言う意味だろう。
「落ち着く時間が必要なはずだ。我が家に連れてきなさい。親御さんには私が連絡をしておこう」
「ありがとうございます。それでは行って参ります」
イノの脚なら15分も掛からない場所。
カイの顔に、焦りも、恐れも浮かんでない。ただ、メグの身だけが心配であったのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
作者より
カイ君は1年で「ショウ閣下の役に立つだけの力が欲しい」という願いを持っていました。そのためには、偏ったやり方しかないという思いがあったようです。カイ君のイメージ的には「アテナが盾、自分が槍」という感じのようです。
ごめんなさい。カイ君編は、もう1話やらせてください。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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