第28話 黒の手 ~卒業~
束の間、オレンジ領に立ち寄ったショウは実験農場を「視察」するのを忘れない。
何しろ「寒い夏」までは分かっていたが、長雨にまで意識が行かなかった。農作業が身体に染みこんでない都会っ子のせいである。
それを教えてくれたのはクニ婆達なのである。その知恵は御用商人のブロンクスに伝えられ、すぐさま、事態が動いた。なにしろ「やらない理由より、やる失敗を探せ」とくれぐれも言われている。万が一「ショウに連絡して指示を仰ごうとしたら遅くなった」などと言おうモノなら、何がどうなるか考えるだけでも恐ろしい。
たいていのことは甘すぎるほどに甘いのに、なにかで「ツボ」にはまると、途端にお貴族様の横暴をためらわない人柄だ。
結果として、それは正しかった。ブロンクスは、そして王国の多くの人々にとっての命拾いだった。
すぐさま王都に情報を送ると同時に、独断で「ジャガイモ」を含めた、あらゆるイモの収穫を急ぐようにメッセージを発したのだ。
これが、単に「普通の伯爵家の情報」であれば、人々は従わなかっただろう。今ときめく「国王代理」のお膝元からの情報だ。
これに乗らないという選択肢などありえなかった。人々は争うようにして「お勧め」に従ったし、情報を手に入れた貴族は積極的に触れ回ることになった。
お陰で、各地で収穫を極端に早くしたため、生育は悪いが「根腐れ」も出ることなく収穫できた。とはいえ、平年よりも記録的なまでに収穫高は落ちたが、それでも何とかなりそうだ。
何よりも「根腐れ」を起こさなかったことが大きい。長雨が終わり次第「秋まき」の道も残され
それを知ったショウからは激賞の手紙がとどき、ブロンクスもひと安心。王都からも感謝の言葉が実験農場の持ち主であるカーマイン家に届けられた。
少しだけ大げさに言えば、実験農場とブロンクスの活躍で王国中の農業が救われたことになる。
そんないきさつがあったから「北」へ行く途中に寄り道するのは当然だったのだ。
・・・・・・・・・・・
やってきたご領主様は……既に農場の中ではショウは「ご領主様」として認識されている……ニコニコしながら、子どもたちの間を楽しげに歩き、時にチビの頭を撫でている。その斜め後ろにピタリと付いているのは美少年の護衛だ。
みんなが揃った広間で、農場長のアンは、ご領主様から「よくやった!」とお褒めの言葉。
全員が一気に歓びの涙を見せる。
「みんなのお陰で、王国内は何とかなりそうだ。子どもたちも大きくなっているし。本当に立派な仕事をしてくれた。心から感謝する」
「そ、そんな、もったいないお言葉」
アンは、握りしめられた手が嬉しいやら、恥ずかしいやら、もったいないやら。
尊敬する「ご領主様」にガサつく手を握られるのは恥ずかしい。お貴族様に手を握られる平民など、ありえないことなのだから。しかも、少年の顔をしたご領主様から直々のお褒めの言葉をいただいているのだから、ひとしおだ。
農場にいる全員が心から歓び、当のアン自身は顔を赤らめ年甲斐もなくときめいてしまう始末だ。
後ろにゾロッと並ぶ子どもたちは「アン母さん」がご領主様に手を握られ「感謝する」とまで言われた姿に目を丸くしていた。
そんなに母さんはエライお人なんだ。
最前列には、以前、お手を付けていただいた三人娘が緊張して控えている。
「みなも、よくぞ協力して頑張ってくれた。この頑張りは、ひとえにオレンジ領だけではなく、王国の民を救ったのだ。一人一人に勲章を贈りたいほどだ」
そして、領主様は小さな革袋を取り出してアンに手渡した。
「今回の素晴らしい働きに対して金一封を下賜する」
全員が平伏して「ありがとうございます」と感謝の言葉を出したのだが、この時点で革の小袋が文字通りの「金一封」だったとは思ってない。
予想したのは、日本人で言えば一万円ほど。この世界で言えば「今晩はみんなで肉が食えるのかな?」くらいのものだった。
ご領主様が帰った後で、中に入っているモノが「ツブ金」であることを知って、大人達は腰を抜かしてしまうことになる。ちょっとした男爵家の年間予算なんて霞むほどの「金」だ。庶民は、目にするどころか、一生涯かけても想像すらしない額になる。
もちろん、大金を渡しっぱなしでも困るのをちゃんと理解しているショウは、ブロンクスを相談相手に派遣するのも忘れてない。
しかし、この時点での「金一封」は名誉の証に過ぎない。この革袋を広間のどこに掲示したら良いのか、と考える程度だ。
アンにとっては、それよりも重要な相談が控えていた。これだけ褒めてくださるくらいだ、少しくらいならお願いをしても良いだろうと、恐る恐る申し出たアン。
「わ、若様、あの」
「ん? 何? なんでも良いから言って。何か足りないモノがある?」
「滅相もない。十分以上によくしていただいていますから。そ、そうじゃな…… そうではなくてですね」
「ははは! いつもみたいに喋りなよ。オレも、その方が楽だからよ」
パッと、しゃべりを「ゴールズ風」にするのは造作も無い。
「実は、そのぉお願いがございます」
「言ってみて? どうしてほしいの? たいていのことは通すよ」
アンの人柄を信じたショウは、すでに「この願いは叶えてあげよう」というつもりで聞いている。
「お言葉に甘えまして…… カイ! ちょっといらっしゃい!」
後ろから頭一つ大きな子どもが出てきた。
「ほぉ。結構大きくなったんだね。去年の夏に来た子だ。確かトライドン領の騎士爵家出身だったっけ?」
「え? オレを覚えてくださってる?」
目を丸くするカイに、こともなげな表情のご領主様だ。
「ん? 当然でしょ? 報告は受けているし。何度も君を見てる。人一倍、よく働く子だなぁって思ってたよ」
この辺りは貴族家の息子として子どもの頃から鍛えられる特技でもある。どこかに仕事として赴く場合、できる限り関係者の名前を覚えておくことが望ましい。
現在の農場は子どもたちだけで50人を超えているから、さすがに最近来た子どもたちまでは無理だが、何度か顔を合わせている子を、しっかりと覚えているのだ。
「そのぉ」
「なんか頼みがあるんだったね。この子がどうかしたの? 悪いことをする感じじゃないけど」
カイから一切の悪意も敵意も感じない。ただひたすらに崇拝の念だけを感じているのを承知しているため「美少年の護衛」は一歩も動かなかった。
「実は、カイは黒い手でして…… 一生懸命、真面目に働くのですが、何ともこればかりは」
「あっ、それは不味いね」
ご領主様には苦笑が見える。
アンやクニ婆達はあらゆる作物を上手に育てる「緑の手」の持ち主として集められたが「黒い手」とは、その正反対の性質の持ち主の俗称である。
どれほど真面目に、どれほど一生懸命に頑張っても「黒い手」に任せた作物は不思議に育たない。だから、現在のカイは、水を運ぶ、肥料を運ぶといった力仕事だけを担当することになっている。それはそれで、必要な力ではあるのだが、農場の戦力としては心許ない。
アンは、グッと肩をひっつかんでご領主様の目の前に突き出した。
「カイ、言ってごらんよ、アンタの望みを」
「だ、だけど、あの」
「コイツは人一倍真面目で、人一倍ご領主様を尊敬していて、人一倍努力をする子なんです」
本人に代わって、アンが力説する。
「なるほど。カイ、どうやら、アンの願いは君の願いを聞き届けてほしいってことらしい。自分で言ってごらんよ」
逡巡するカイだが、もう一度、優しく背中を押されると「お、オレを、家来にしてください! 命もいりません。金も名誉もいりません。ただ、ご領主様のお側で守らせてください、お願いします! そのために、オレは努力を惜しみません。素振りだって毎日してきました」
自分が農業に向かないということは確かにあったが、やはり頭の中にあったのは「父親」の姿だ。剣を持って、人々を守る.そんな姿に憧れた。
毎朝、そして毎日の仕事が終わって、朝晩、素振りをしてきたのは憧れがあったからだ。カイの手は農業ではありえない「剣ダコ」でゴツゴツになっていた。
最近目覚めてきた、リンへの気持ちを押し殺して、毎日、父の姿への憧れから剣を振り続けた結果だった。
その憧れが、尊敬するご領主様の姿と結びついてしまった。今のカイには、ご領主様のために命をかけることしか考えられなかったのだ。
カイの顔を少し見つめた後で微笑むと「アテナ」と小さく呼んだ。それだけで以心伝心である。
にこやかにカイに宣言した。
「この子はオレの護衛だ。一太刀入れられたら、すぐさま君を護衛に取りたてよう」
スッと出てくるアテナの顔とご領主様の顔を素早く見比べて「あの、お、オレ、あ…… えっと、私は力がけっこう強くて」と困った顔をするカイだ。
アテナが女性だと気付いてのことだろう。
「大丈夫だよ。アテナ、痣まででお願いね」
「分かりました。じゃあ、カイ君。剣でも構わないけど、それだとかえって遠慮しちゃいそうだし…… そうだ、素振りをしているって言ったね? その木剣を持っておいで。外でやろうか」
「え! だって木剣ですよ? 当たったら骨が」
と言った次の瞬間、目の前の護衛の姿が消えてしまった。
「はい。今の見えたかな?」
カイの背後に立った護衛は、抜き身の先を首から5センチの場所に突きつけていた。
「ね? わかるでしょ? その気になったら、今、君は8回は切れてたよ」
「ひっ」
剣を突きつけた護衛が、刹那に殺気を見せたのは、おそらく敢えてなのだろう。
「このくらいはできないと、ショウ様の護衛なんて無理だからね?」
カクンと崩れ落ちるカイ。何が何だか分からないアン達にとっても「世界が違う」ことが伝わった寸劇だ。
まあ、比較する対象が悪すぎるだけで「現時点」なんて、実はどうでもいい。
「アテナ、どう思う?」
「筋は良いと思います。ちょっとだけ死んだのが分かったみたいですから」
動きそのものは掴めなくても、アテナが見せた刹那の殺意に反応できたと言うことは剣士としての資質がある、ということを言っているのだろう。
アテナと会話をしている間も、カイは腰を抜かしたまま。獅子に踏みつぶされかけたヒヨコの姿、そのもの。
床にペタンとお尻を付けたまま見上げているのは「女の子」ではなくて、巨大すぎて見えない怪物なのだろう。
途方もない気高さと美しさを持ち、それでいて畏怖を感じさせる「怪物」だった。
そんな姿を横目にピタリとショウのそば。
「あれを感じ取れたのだから、今から稽古をすればモノになるかも知れません」
「わかった。では、カイ。君を迎え入れよう。でも、その前に二つ命じることがある」
「は、はい、ありがとうございます! でも、あの、えっと?」
「一つは、最後の最後まで死を選ばないと約束しろ。二つは、ここに居るみんなに、これからも帰ってくると誓え」
「で、でも……」
立ち上がろうとして失敗したカイは、這いつくばるようにして、でも顔をキッと持ち上げた。
「お、オレ、ご領主様のためになら命なんていりません!」
「ダメだ」
ニベなく撥ね付ける。
「そんな!」
「捧げられた命の上に立っても嬉しいなんて思わない。オレは贅沢なんだ」
「ぜいたく?」
「そうだ。みんなの笑顔を捧げてもらって初めて嬉しくなれる。だから君の家族である、みんなに必ず帰ってくるって約束しろ。さもないと、オレはみんなの笑顔が見られないだろう?」
自らのカイに手を差し出して立ち上がらせると「ほら」と囁く。
アン母さんも、クニ婆も、姉達も、弟妹たちも真剣に自分を見つめていた。
「み、みんな、必ず戻ってくるから。畑はダメだったけど、ちゃんとやって来るから! 必ず『ただいま』って言うから!」
アンは「あたりまえだよ」と笑った。
「必ず、お帰りを言わせてもらうからね。アンタはアンタらしく、ちゃんと頑張ってくるんだよ!」
そんな風にカイの背中をバーンとひっぱたいたアンは、笑おうとして失敗した目に大粒の涙が浮かんでいた。
・・・・・・・・・・・
※「根腐れ」について。
一度、この病が出てしまうと、土壌に菌とセットの線虫が大量に棲み着いてしまうため数年間はイモ類を植え付けられなくなる。なお、この世界の人は「菌」「線虫」の概念が無いため「土が腐った」という言い方をします。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
作者より
王国の食料は、例年よりも厳しいものでしたが、全く余裕がないわけでもないレベルに止まりました。けれども、以前計画したような10万レベルの動員ができるほどの余裕はなさそうです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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