第18話 ファミリア平原

 シーランダー王国が、元アルバトロス王国を出発点にしていると言う行きがかり上か、元アルバトロス王国軍の最高司令官であったモアレが「北伐軍」の大将となっていた。


 正直言って、これだけの兵を指揮したことはない。と言うよりも、誰にも経験の無い「未知の軍事作戦」なのである。


 辛うじて、元々の大国であった高級将校達を集めて「1万人レベルの軍」を5つ集めたんだと思って、何とかやりくりしようとしてきたが、破綻しかかっている。


 5万という数字は、人間が肉眼で把握できる限界を超えているのだ。自ずと、指揮官が考えるべきこと、備えるべきことの意味が違ってくるのである。


 おかげで、モアレのいる中央司令部の仕事は敵に会う前から逼迫している。


 平野部では全体の中軍に位置しながら、ひっきりなしに飛び込んでくる「不具合」「不都合」「不合理」に「不注意事故」の数々に、幕僚達と対応するのでキリキリ舞いしてきたのだ。


 山中行軍では3筋に分かれた分、各種の「ご注進」は限られたが、それは事案が減ったのではなくて、ここまで届かなくなっただけのこと。隊列の端々では、むしろ増えているはずだ。特に「通信能力」が不足しすぎていた。


 どの殿部隊がどこまで進んでいるのか、中央でもコントロールしきれなくなりつつある。そのため1日で抜けるべきところに3日かかり、5日で抜けるはずが10日かかってしまった。


 前が詰まった関係で後ろの軍が進めなくなるからだ。


 その他、中途半端な行軍速度のせいで、野営地点が崖側になるのも当たり前、水の補給が丸一日届かなくなるのも珍しくない状態だ。


 本日の出発直前に受けた急報は、水の補給を受けられなかった兵達が山の小川の水をがぶ飲みし、相次いで腹を下してしまったという報告だった。


 どうにもならない。


 傷病兵を後方に送ろうにも、ただでさえ渋滞している山道の中を「戻す」のは難しい。無理にやれば全体の行軍に差し支えてしまうことになる。


 通常なら、兵の病気程度の問題は司令部ではなく、各軍の中隊レベルで処理すべきことだ。しかし、中隊長達も素人兵を持て余しているのだろう。


 要するに「対応しきれませんオーバーフロー」という悲鳴なのである。


 だから、モアレだって、ついつい嘆きたくもなる。


「素人どもめ~ だから、チョーヘーなどというバカげたことをすれば、軍を弱くするとあれほど」


 精兵とは言わず、きちんと教育訓練を受けた軍であれば、生水を行軍中に飲むなどというのはありえない。おそらく「山の流れている水は綺麗だ」という思い込みを持った街から徴兵された人間なのだろう。

 

 正直言って、今すぐ、そんなバカ兵隊は切り捨ててしまいたい。だが、仮にも部下である。しかも徴兵期間が明ければ、職人や農民、そして街の食堂で働く普通の民に戻るのだ。


 そういう人間を「生水を飲んだ」ということだけで、ただちに切り捨てるのは忍びない面もあるのだ。


 第一、総指揮官が兵を一々切り捨てるなどという軍隊は、それこそありえなくなるのだから……

 

 モアレの目は、ますますよどんでしまう。 


「閣下?」

「あ、すまぬ」


 珍しく声に出して愚痴をこぼしたモアレを止めたのは、幕僚のひとりであるシープである。元マトゥラー王国軍の総指揮官経験者だけあって頼りになる男だ。


「せめて、三筋に分けておいて、本当に良かったですな」


 シープは個別撃破される危険性と大軍が山筋で大渋滞を起こす危険性を天秤に掛けて、分進を献策した人間でもあった。


「心配している夜襲がなかったのは幸いだな」


 その言葉に、周りの幕僚達も強く頷いている。


「ところで、子泣き山の方の分進は、順調みたいですね」


 少しは良い情報を入れて励まそうというのだろう。元アルバトロス王国の参謀をしていたミシマだけに、モアレの落ち込み具合が手に取るようにわかるのだ。


「しかし、あくまでも主筋本軍女山おんなやま側の我々です。むしろ、分進組があまりにも早く山から抜けてしまうと、そこを待ち伏せされる可能性が」


 シープが、極めて当たり前の予想を口にすると、幕僚団は「それ、分かってるけど、空気を読んで誰も言葉にしてないのに」と誰もが思ったのだ。

  

 その時、血相を変えた、大至急の伝令を示す白タスキが人の波を乗り越えるようにして司令部に飛び込んできたのである。


「指令! 敵です! 山すそから出た、この先の開けた所で敵が待ち構えております!」 

「ふむ。やっと、お出ましか」


 本来、5日で抜けなくてはならない山岳地を倍の10日も掛けてしまったのだ。敵が待ち構えているくらいは予想のウチだ。


 山に入る前に、少数の奇襲を受けたことを考えると、山岳地で襲われなかっただけでも上出来だった。


 だからこそ、幕僚達は誰一人慌てなかったのだ。


 白タスキに、シープは「それで、トライドン家はどの程度の兵を集めているんだ?」と落ち着いた声で尋ねた。


 おかげで、伝令は少しだけ心を落ち着けたのだろう。荒い呼吸が戻りもせぬ中で、正確に敵情を述べたのだ。


「トライドン家の旗は見当たりません。シュメルガー家及びスコット家の旗印、並びに、見たこともない意匠の旗が一際高く掲げられております」


 さすがに、動揺した。


 公爵家の旗があると言うことは自動的に両家の騎士団が出向いているはずだ。ガーネットではないだけマシだが、トライドン家の騎士団など比べものにならない精鋭だというのは常識のウチ。特に、ムスフスとウンチョーという二人は、大陸中に知られた豪傑なのである。


「そんな…… サスティナブル王国は、まだ内紛をしているはずだったのでは? いや、王太子を立てたばかりだろう? それなのに公爵家が出張でばってくるなんてあり得るのか?」


 モアレが言葉にする前に、ミシマが言ったのは、もちろんだ。総司令官に「それ」を言わせるわけにはいかない。


 要するに「負け」が決まったようなものだからである。


 なにしろ、新生シーランダー王国の職業軍人達は、北伐に対して内心反対だったのだ。


『戦いは数だよだとか、国王はほざいてるが、素人が1000人集まっても小隊に瞬殺されるのが戦争だつーの』 


 それでも唯一の保険としたのが5万という数だ。トライドン家の出せる防衛部隊の10倍近いはず。


 これなら、押しつけられた素人部隊であっても「集団戦術」でやれるかもしれない…… あくまでも、希望的観測に過ぎないのだが。


 とはいえ、事前情報は大きな要素だった。


 国内の混乱が終わったばかりでは王国軍は間に合わないし、主な貴族家は軒並み援軍を出せないだろうということこそ、幕僚達が唯一の勝機としていた点である。


「それにしても、見たことのない旗?」


 ミシマが首を捻ると、誰かが「そういえば、サスティナブル王国にはゴールズ隊とかいう新しい部隊が作られたらしいが」と言いだした。


「あぁ、それかもな。だが、王都防衛部隊じゃなかったのか? なんだか派手らしいぞ。毎日、連中の都を賑やかな歌付きでパトロールしてるらしい。儀仗兵だとばかり思っていたんだが」


 シープは首を捻る。


 しかし、さすがに総司令官は頭を即座に切り替えたのだろう。


「ともかく、このままでは先に到着した部隊が危うい。最大限、急がせるのだ! 輜重は後からで良い。全軍、急いで山を抜けよ! 各隊長は兵を急がせよ! 今は、時を掛けぬことが勝利への近道じゃ!」


 山間の細道に溢れかえるシーランダー王国の兵達は、にわかに「戦争」の気分を盛り上げざるを得なかったのである。



・・・・・・・・・・・


 山裾から、ヌルヌルと兵が吐き出されてくる光景を見つめて、ショウは声を上げた。


「ええええ! マジ? 計画が、全くズレちゃってるんですけど」


 ありえなかった。


 しっかりと全軍が戦闘隊形を取った「会戦形式」が今回のテーマだったはずだ。


 ところが、まるでオムツに見えてるシミのように、チョロチョロ、チョロチョロと山から敵兵が出てきては、隊形を作る前に、あっちこちでダンゴになっているのである。


 懸命に部隊長達が声を張り上げている姿が、陣地からハッキリ見えていた。


「え~ 徴兵制を敷いてから、けっこう経ってるよね?」

 

 ムスフスが低く通る声で「指揮官の問題もあるのでしょう」と言ってきた。


「え? でも、指揮官クラスは、元々の軍人でしょ?」

「かの国は、小王国の軍隊の寄せ集めでした。だから、千とか二千、多くて5千人隊までしか指揮経験のある者がいないのでしょう」

「あぁあ! 大軍を指揮した経験が少ないから、逆に、戦闘以外の移動その他の大軍ならではのことがメタメタになってる可能性があるってこと?」

「はい。1万の指揮をしたことも少ないでしょうから、彼らの中心は実質、中隊長レベルかと。となると、大部隊の移動の難しさを実戦で味わうのも初めてになるでしょうな」


 あ~ オレは大間違いをしていたんだ。


 自分のミスが嫌になる。


 そうなんだよね。前の世界の人間の教育レベルは、こっちの世界と比べものにならない。読み書きは当然できるし、地図も読めて、機械の修理だって手順を教えればすぐ覚えられる。マニュアルがあれば、それを読んで知識も増やせる。


 日本人だったら「きをつけー」「前へ倣え」なんてことを全中学生が知ってる。軍隊は、列を作って行進するのが基本だけど、ちょっと説明して見本を見せれば、あっと言う間に「マネ」程度はできる。


 こっちの世界では「集団で歩く」ことから教えないといけないし、学校の体育もないから「走る」ってことだって、たっぷりとトレーニングが必要なんだよ。


 それに、そもそも武器が違う。


 銃なら、子どもから老婆まで、誰が引き金を引いても武器として使える。でも、剣や槍を武器として使いこなすには、持ち方や足の運び方の訓練、何よりも筋肉が必要だ。 


 だからこそ、この世界では「兵」とか「騎士」が特別な職業として成立しているんだよ。


「あれでは、戦えませんなぁ」


 ムスフスは、どこかしら気の毒そうに独りごちた。


「えっと、各隊に伝令」

「はっ」


 ムスフスの受令モードだ。


「作戦開始を少し遅らせます。敵が半分くらい揃ってから、ゆるりとはじめると伝えて。それと各隊に激発を押さえよとくれぐれも念を押してください」

「作戦開始を敵の過半が現れるまで遅らせる。各隊、激発するなと厳命、よろしいか?」

「お願い」


 クルリと後ろを見れば、本日の伝令部隊1号達が、ウキウキと命令待ちをしている。


「各大隊長に厳命。作戦開始は敵の過半が見えてから。激発禁止。よいな?」


 全員がザッと右手を胸に当てると一斉に馬に飛び乗った。


 すげぇ~ オレのダラダラした命令が、復命でサラッと短くなって、伝令には、さらに短い言葉になった。このあたりが経験の差なんだろうなぁ。


「閣下、他の変更は、いかがいたしましょう?」


 ムスフスのサジェスチョンは、あきらかに「ピーコックを今すぐ山に送り込むんでしょ?」と言いたがってる。


 でも、それをやっちゃうと、結果的な戦果が同じでも「刷り込み」ができなくなるからね。


「いや、平原で見せつけてからかな。もうちょっと待ってね」


 ムスフスは、大きな身体を小さくして「御意」と答えたんだ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

徴兵制が始まって3年。訓練期間はけっこうあったんですが、クルシュナ王の計算違いは「基本的な教育」と「屯田制による訓練時間の制限」の問題があったことでした。ショウ君自身も、まさかここまで大きな差になるとは思ってなかったようです。ひょっとしたら「山の中で殲滅戦をしてもいけたかな?」とチラッと思ったみたいですが、ここまで来たら「会戦」ですよね。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





 


 

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