第16話 家族の喜び

 正直者として知られるガルフは幸せだった。


 愛する妻、愛する娘達、そして心から息子を愛してくれる妻妃達に囲まれての暮らしだ。息子は、大陸中を飛び回り、いろいろとやらかしてくれて、時に魂まで縮むような気持ちになるが、それだって息子の成長なのである。


 国中の全てを救おうと働く息子を、男として誇りに思う気持ちは持っている。


 そして何よりも、この家の「温かさ」が嬉しい。


 自分の妻と娘のみならず、息子の嫁達の素晴らしさに心が喜びで震える思いだ。


 自身は妻一人を愛してきたが、息子が多くの嫁を抱えることに反対する気持ちはなかった。ただし、最初の頃は公爵家の娘が嫁で侯爵家の娘が側妃である。なんとも落ち着かない思いがあったのは事実である。


 ガルフは、基本的に小心者なのである。


 今でこそだいぶ慣れてきたが「あの頃はひどかった」といつも振り返らざるをえない。


 なにしろ、王宮に出仕すれば「今をときめくショウ子爵の父」として、御三家当主のみならず、国王陛下からも友達のように声をかけられるのが常になったのだから。のみならず、王宮内に専用の部屋が設けられ、そこには挨拶に訪れる高位貴族に連なる者達が引きも切らないのだ。


 かといって、王宮に出仕しないようにすると、伯爵邸に来客の嵐がやってくる。あげくは、御三家当主や国王陛下から、次々とお茶会だ、パーティーだときてしまうのだ。


 正直、2年前までは伯爵家の中でも最下級クラスの貧乏伯爵の身では、毎日、ヒヤヒヤものだった。ようやく王宮を始めとする社交の場で「息子さんが」「息子さんの」「息子さんは」というお世辞にも慣れてきたところだ。


 えてして、息子が異例の「出世」を遂げた平凡な父親は、あたかも自分の手柄のように威張り出すか、はたまた男として息子への妬心が湧きがちなものである。


 しかしながら、ガルフのすごさは、そのどちらも見せなかったことである。


 それは、他者をありのままに受け入れられるから、高位貴族にはありがちな権謀術数とはかけ離れて生きてこられた生き方そのものの発露でもあったのだろう。


 だから息子に対しても素直に賛美できた。正直者・ガルフは常々「ショウは、なんてスゴいんだ」と心から嘆美できたのだ。

 

 おかげで、ショウを心から慕って嫁いできた嫁達は、ショウの父母を実の父母のように慕い、敬ったのだろう。妻妃達はショウの父母を愛し、父母もまた嫁達を愛した。


 人間というのは、愛情に触れると、溢れる幸せを周りに振りまきたくなるものらしい。だからこそ、王都のカーマイン家私邸は、フォルの愛らしい声と共に、笑顔が絶えない家となったのだろう。


 これだけのビッグネームの娘達を集めて、円満な家を作れたことに、人々は驚いたのだ。これも正直者・ガルフの人徳だという声が貴族の間では静かに広がっているほどだ。


 心から信じ合える妻妃の関係というのは、サスティナブル王国でも、実は珍しい。たとえ笑顔で暮らしていても、どこかしら線を引くのが貴族家の宿命のハズなのだ。


 だからこそ、バネッサも安心してフォルを頼めるし、フォルにとっては第二、第三の母のような存在がメリッサやメロディー、そして側妃達なのである。


 実は、側妃が妻に我が子を預けられる関係というのは、貴族の家ではものすごく珍しいことを、この家の妻妃達は気付いてない。


 気付いているのは、年の功だけではない理由を抱えるミネルバビスチェだけであった。


『ガーネット家の過去の話って、案外知られてないみたいね』


 ミネルバビスチェにとっては、自身が知るガーネット家に残る暗い話を今さら持ち出す気持ちはない。だが、何かの偶然で、わずかな時間でもフォルと二人きりになってしまうと、ひどく落ち着かない気がしてしまう。


 もちろん、自分がフォルに何かをする気持ちは全くないし、そんなことをするはずがない。そもそも、あの事件でも、本当に病気だったのかもしれないのだ。


 まして、ミネルバはフォルを我が子同様の可愛い娘なのだと心から思っているのだから。


『でも、この瞬間に、フォルにもしものことがあったら……』


 赤子の突然死など珍しいことではない。


 キャッキャと笑い声を上げるフォルをあやしながらも、胃の辺りがモヤモヤしてしまう。


 そう言えば、いつになく養育係のメイドの戻りが遅い。


 そして、人間というのは、一瞬でも何かを意識してしまうと、その意識に囚われてしまうことは珍しくないのだ。


『ダメッ、今、フォルに何かあったら…… 私、バネッサになんて言ったら信じてもらえるの?』


 ありもしない仮定に仮定を重ねてしまうのは、いわばミネルバ自身が産みだした恐怖だ。なぜか、急速に吐き気がこみ上げてきた。


『ダメ、このままだと…… は、早く、お願い、誰でも良いの。誰か…… 誰か…… 来てっ!』


 カチャ


「奥様、どうなさいましたか?」

「あっ、みぃ……」


 ホッとした。誰か来てくれた、その誰かが、ミィルであったこともホッとさせたのだろう。気を抜いてしまったのだ。


 瞬間的に、耐えられなくなったミネルバ。しかし、とっさに「せめて」と部屋を出るまでが限界だった。


 廊下に出た瞬間、胃の中のものがすべて出てしまったところを、今度は「母」がたまたま通りかかったのだ。


 いや、あるいは、こういうのはムシの知らせだったのかもしれない。


「まあ、ミーちゃん。これはいけないわ。誰か!」


 その一言を上げる前に、異変を察知していたのは、自室で手紙を書いていたメリッサであった。


 第一夫人である彼女は、家中のことを「夫の母」に従って差配する「義務」を自分に課している。当然、母の気配には人一倍敏感だからだ。


 全てを放り出して廊下に出たメリッサは、すぐにとなった。


「ミネルバさんをお部屋にお連れして。すぐにお湯をわかしなさい。それに先生をお呼びして! お母様、私も一緒に参ります」


 異変を見せた娘を「後はお任せください」で、放っておける義母ではないことを計算に入れるのは当たり前。


 メイド達に命じて、毛布の簡易担架で運ぶと、口をすすがせ、自らの手で汚れを落としにかかる。


「メリッサちゃん、そんなことは」

「いえ、当たり前です。だって、ミネルバさんだって、きっとこうしていたでしょうから」


 公爵家の娘ともあれば、自ら病人の介護をするなんてありえないこと。しかし、この家での絆は、それを普通のことに変えてしまうのだ。


 夜着に着替えるのを手伝い、ベッドに運び入れると、不思議と「さっきのアレは何だったんだろう」と言うほどに、あっさりと吐き気が収まったらしい。


 そこに、母が「メリーちゃん。あなたの優しさも、責任感も分かっているつもりだけど」と優しい笑顔。


 首を傾けたメリッサに「お医者さんを呼ぶのをちょっと待つように、言ってきてくださる?」と優しい笑顔で告げてきた。

「はい」


 本来、そんな連絡は、メリッサではなくても良い。しかもメリッサが部屋を出て振り返ると、他のメイド達も次々と部屋を追い出されてきた。


『どうしたのかしら?』

 

 まるで、メリッサを体よく追い払った形に見える。


 愛する夫の優しい母だけに不審よりも「不思議」と思う方が先に来た。


 だから、出てきたメイドを使って、医師を呼び出すのを止めるように命じると、メリッサは何となくドアの見える位置で待ったのだ。


 ほどなくして静かにドアが開くと、顔を出した母がチャーミングなウィンクをしてきた。


 おいで、と言う言葉が、それだけで伝わる。


「あの?」


 思わず問いの声を出したが、母は、それを聞こえないふりをした。代わりに、部屋に入ると同時にドアを閉め、メリッサの手を取ったのだ。


 ベッドのそば。


 静まりかえった部屋。ベッドの上のミネルバビスチェは、身体を起こしながらも、メリッサの方を見ようともしない。


「お座りになって、


 その瞬間、言葉の底に秘められた喜び、心配と気遣い、そして溢れんばかりの愛情が伝わってきたのだ。


 メリッサは、何を伝えられるのか1秒の数十分の一の時で理解したのだ。だからこそ自分が出すべき言葉を選ぶことができたのだ。


「ミーちゃん?」


 二人の空気を優しく包み込んで母が促す。


「はい…… 第一夫人であるメリディアーニ様に申し上げます」


 いつになく硬い口調で、ためらいがちに話し始めるミネルバ。


 それはメリッサに心からの笑顔になれる時間を与えてくれたのである。


「ただいま、ミネルバビスチェは、お母上のお見立てによりショウ様のお子を授かったかと思われます。どうぞ、よろしくお取り計らいください」

「おめでとうございます。ミネルバさん。そして、ありがとうございます。心から、お祝いを申し上げます」


 だからこそ、いくつもの感情を完全に排除して、メリッサは、愛する人の子どもが、また一人お腹に授かったことを心から感謝し、喜べたのである。


 とはいえ、当分の間、トップシークレットである。すくなくとも後ひと月ほどは、公にすることではない。国全体が沸き返るような慶事であっても、いな、だからこそ慎重に確かめねばならない。


 部屋を出ると侍女頭チーフメイドのアザリンをすぐさま呼び出す。事情を説明すると共に「当面、妻妃の体調に関して一切の口外をしないこと」と改めて申し渡して、食べ物、飲み物の全てにいっそうの注意をすることを確認したのである。


 アザリンは、少しだけ気遣わしげな目をしたが、すぐに粛粛と「おめでとうございます。侍女一同、心よりお喜び申し上げます」と頭を下げた。


 この辺り、第一夫人へのと、主家へ仕えるものとしての素直な喜びを瞬間的にバランスさせるのは、さすがである。だからこそ、硬い表情の侍女頭にメリッサは笑顔を見せる。


「もう~ 大丈夫よ、私は心から喜んでいるわ。だって、先着順の競争ではないのですもの。ちゃんと、私も授かれるのだから心配しないで」


 もちろん、メリッサとしても、侍女頭の心配と気遣いは分かっているのである。しかし、みんなが気を遣えば、今度はミネルバへの見えないプレッシャーになりかねないのだ。


「いえ、けっしてそのような……」


 だからこそ、メリッサの笑顔は、自然体であり、心からのものであったのだ。


「ということで、他の人達にも、そのあたりは気を遣わないように言ってね?」

「よく、言い聞かせます」

「頼んだわよ? それと、お館様へはお母様が直接。他の妻妃には私からお伝えするわ。そうね、明日までには伝えるつもりだから」

「かしこまりました」

「ふふふ。さ、これから、また忙しくなるわよぉ。ショウ様がご活躍なさっていらっしゃるんですもの。お戻りになる場所を、もっと暖かく、もっと楽しい場所にできるように、あなた方も、頼んだわよ」

「はい!」


 そして、自室に戻ったメリッサは、夜になってから自身が専用で使って良くなったシュメルガー家の影を呼び出すと、夫への届け物を頼んだのである。


 小さな四角い紙を折って箱に入れただけものだ。こういう時、長い手紙を書くと、余計に行間を読みたがる夫への気配りでもあった。


 「大至急」をつけなかったが、影ができる限り急いで届けてくれるのは分かっている。


「今ごろ、どこにいらっしゃるのかしら」


 6月の終わりを告げる、細く残った月の光がおぼろだ。


 遠いところで、今も走り回っているであろう夫の優しい笑顔を思い浮かべるメリッサであった。


 

・・・・・・・・・・・


 その頃、シュモーラー家、飛び地の貴族達は、あらゆるツテを使って、食糧を買いあさっていたのを、サスティナブル王国の誰も気付いていなかった。


 ただ、全く関係ないように見えて、正しく、濃密な関係がある動きは、全く別のところにあったのだ。


 政治も軍事も全く知らない、オレンジ領内にある「実験農場」で、ジャガイモの大量生産に成功していた。冷涼な夏にも負けず、見事に去年以上の収穫に持っていったのは、アンやクニ婆達、緑の手の持ち主が丹精を込めたからだ。


 収穫された種芋は、ただちに「ショウ閣下の命令」という言葉と育て方の詳しい説明書きが印刷され、各地に送られていた。今からなら、秋の収穫が期待できる。


 二つの動きが世界を変えるのを当人達が知ることはなかった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

 ミネルバビスチェさん、おめでとうございます!

 もちろん、メリッサの胸中は複雑でしょうけど、確実に「嬉しさ」はあります。なお、妊娠検査薬などというものは存在しない世界であるため、あと2~3週間は「つわり」の状態を見て判断します。その頃になると、お母上は、赤ちゃんの性別も判断できるかも知れません。なお、メリッサの手配により、ガーネット家にも密使が派遣されました。ティーチテリエー様は喜びを爆発させたそうです。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 







 

 


      





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