第8話 優戦順位
なかなか夏らしくなっていかない王都だが、使用人の制服は夏服に替えている。これはどこの家でも同じこと。
貴族家の場合、良いものどんどん取り入れることにためらいを見せてはならないが、一方で「伝統」というものを大切にする必要があるのだ。
季節外れの寒さの中での「薄着」である。ショウの元いた世界で言えば「冷房を効かせすぎた室内」で、半袖ブラウス姿でいるのと同じだ。
メイド全員が、寒さゆえに鳥肌である。
だから、スコット家の
「この顔ぶれを見れば分かるな? 国家機密だ。風よけを張ったら、君たちは母屋に戻りたまえ。ベルを鳴らすまで誰一人庭に出るのは禁止だ」
最近、ますます精悍になってきた主人の言葉を、メイド達は「自分たちが寒くないようにと気を使ってくださったんだ」と感激する。
だから、いつも以上に丁寧に茶を用意し、風よけの幕を張った。ただし、実際に張るのは下働きの男達の作業だが、メイド達は細かなところまで見逃さずに監督するのである。
メイド達のテキパキとした動きをバッカスは、ふむふむと見つめ、老公は我知らぬという形でワイングラスを何度も口に運ぶ。しかし、グラスを口に何度も運んでいるのにワインは一ミリも減ってない。変人アーサーは興味なさげに天井を見つめ「ちょっとエレガントさが足りないな」と誰にも聞こえぬ声で独りごちる。
カルビン家の家長フレデリクは嫡子ドーンの隣に座って苦虫をかみつぶしたような表情だ。これは、王都に帰還して以来、ずっとこの顔だった。自分がいぬ間のことが許せてないのだ。家を危うくするような決断をドーンが勝手にしたことに激怒しつつも、高位貴族の家長として「結果」に対しては十分すぎるほどに満足しているというアンビバレンスが激しいせいであろう。
とはいえ、新生サスティナブル王国ともういうべき状態で、不在の自分が、こうして「中核」にいること自体には満足せざるを得ないのである。
一方で、シュモーラー家のコーナンはいかにもな「ドヤ顔」であった。カルビン家と似たような事情でありながら、任せていたセーナンの活躍ぶりに心から満足している。しかも、かねて頭を悩ませていた、王家の娘・ガーヒャルとセーナンとの婚約問題も自動的に解消されたわけで、ホクホクである。まさにショウ様々状態である。その上、今までが実権の無い「円卓の大臣」扱いから一変して「三侯家」とまで呼ばれる現状に、文句など少しも無いのだ。
あまりにも現金なニコニコ顔に、むしろセーナンが恥ずかしそうにしているくらいだ。
そんなメンバーが顔を揃えた場である。
メイド達は、勝手に「お館様のお優しさ」と捉えたが、冗談でも、嘘でも、気遣いでも無く、一切を漏らさぬためである。
当然、スコット家の影が様々な仕掛けを張り巡らせて、ガゼボのある中庭へ、ネコ一匹入れぬように「結界」を張っているのだ。これは冗談でもなんでも無く、人懐こい犬やネコの毛並みの中に毒針を仕込んでおいて、暗殺に利用するケースもあるわけで、万が一の、さらに万が一が無いようにとのことだ。
最悪の最悪に備えて、警戒態勢を敷いているのは、ブラスコッティによる絶対命令が出ているからでもある。スコット家の影の名にかけても、今日の「お茶会」が邪魔されることがあってはならないのだ。
「さて、お集まりいただいて恐縮です。時間がありません。挨拶は省略いたします」
ブラスが切り出すと、アーサーはヒクリと右の眉を上げたが、何も言わなかった。それだけでもコーナンからしたら「あの変人が、挨拶無しを認めるだと?」と心の中で絶叫している。
古い貴族仲間の間では「水に落ちて助けられる時でも、貴族式の挨拶をしない人間の助けなど見向きもしない」とまで言われた変人アーサーが、なんたることだ、とコーナンは心から驚いている。
「閣下の戦略をお話しします」
テーブルに地図を置いた。
「北への備えをA、ガバイヤ王国への対処がB、サウザンド連合王国、改め『シーランダー王国』への対処がCだとすると、優先すべきはC、B、Aの順となります。理由はAはしょせん騎馬隊が主なので城攻めを苦手とする。したがって、最悪でも防御体制を取れば王都の無事は確保できる見込みがあるからです。一方でB、Cともに対応しなければ国土を削られる可能性が高くなり、うち、Cの兵数は強大であり、またトライドン家が抜かれると、王都までの間にあるのは小領主地帯だけだからです」
とたんにコーナンが口を挟んだ。
「それはわかるが、あそこは特別だぞ。我が家の飛び地とは言え、あの地だけは事情が複雑なのだ。我が国の一部ではあっても、一部と言い切れるかどうか微妙だというのは、諸卿もお分かりだと思ったが?」
コーナンが言うのはワケがある。
本拠と飛び地の距離がありすぎるのは、代々の悩みのタネだった。正直に言えば、北部騎馬民族の文化とともに「独立独歩」的な風が強いだけに、シュモーラー家でも「分家である代々の家宰」以外に治められる人間がいない、という位置付けとなっている。「家宰に治めさせている」というのは立て前で、既に半ば独立した関係性があるせいだ。
「この際だ。この状況では、恥を忍んで告白するしか無いな」
コーナンの言葉に、全員が、怪訝な顔だ。貴族が弱みを自分から見せるのは、ほぼ、ありえない行動だからだ。
「家長である私自身が、彼の地に行ったことが無い、というよりも先代からは止められていたのだ」
その表情からすると、言外に「自分が行けば命を狙われるだろう」という事情があるのは確かなこと。
一瞬、息を呑んだブラスコッティは、一つ咳払いをした後で「あの地域の事情についても、閣下は織り込み済みです」と静かに言ってから、続けた。
「現在、国軍歩兵がBにくさびを打ち込むべく補給基地としての城を作っています。連中の首都から300キロのところに、くさびを打ち込む形で、カインザー家、シュメルガー家との直通する道路も同時に整備する予定です。これによってBを牽制しておくことでCに対応する時間が生まれます」
テーブルに出した地図を示しつつ説明する言葉を一同は、じっくりと考える間、誰も言葉を発しなかった。
ようやく、頭を上げたアーサーが「しかし、それだと閣下が言っていたのと違うのでは?」と先日の話を持ちだしてきた。
「そこは、閣下の当初とは読み違いもあったようですね。しかし、現実的に、この方針が一番無理なく対応できると思います」
ブラスコッティは、平然と「予定変更」を口にする。
「ふ~む」
わざわざ口に出して「ふーむ」をセリフにする人間も珍しい。明らかにブラスコッティの説明を信じてないようにみえる。
「法務大臣におかれましては、納得できぬご様子ですな?」
そこで、フワッとした動きでブラスコッティの言葉を無視して紅茶を飲むのは、あまりにも優雅な「貴族的な拒否」のポーズだ。
さすがにブラスコッティも気色ばんでテーブルに身を乗り出した。
「忌憚なきご意見を「まあ、まあ、それだと、アーサー殿の思いのままだぞ?」」と老公が割って入った。
「君が懸命に王国のために働いているのは、ここにいる全員が分かっている。ただね、たまには信じることも必要だぞ? 父上は全てを疑えとでも教えたのかね?」
実際には、リンデロンは息子に「自分を含めて全てを疑え」と教えてはいるのだが、それを持ち出すほどブラスコッティも子どもでは無い。
実際のところ、リンデロンは「状況に応じて信じてあげねば、人は裏切るものだ」とも教えているのである。
そして、実は、前半は、ショウとの打ち合わせ通りの進行であった。想定ではシュモーラーのコーナンから疑義が出ることを予想していたが、反応が鈍かったためにアーサーが出した「助け船」的な事態なのである。
いわば、プランBである。
「わかりました。この話を理解しているのは、ショウ閣下と、ごく一部の軍の指揮官だけです。上を見ても、それは5人しかいないはず。従って、もしもこの話が漏れた場合は……」
「安心したまえ。秘密が漏れれば自家の破滅だという程度は、全員が分かっているさ。自虐趣味のあるヘンタイは、ここにはいなさそうだぞ」
老公が、落ち着いた声で冗談めかしてくれた分、座が少しだけ緩んだ。
「先ほど申し上げたのは国会での説明用のプランです。そして、これから、本当の狙いを申し上げます。ご質問があれば、後ほど分かる範囲でお答えいたします。とはいえ、私にも理解できない部分がありますので、その場合は、即答できなくてもお許し願います」
アーサーは、持っていたカップを静かに置いて、何とも優雅な動きでテーブルに手を組んだのである。
それこそは「聞こう」というソフィスティケートされた動きそのものであった。
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作者より
最初にブラスが喋ったことは、どっちかというと「常識的な作戦」です。アーサーは、実戦指揮の経験はありませんが「あまりにも都合の良い想定を話しているな」と察して、ブラスの話が嘘であることを見抜きました。同時に、この場で嘘を通そうとするブラスの姿勢に危機感を覚えたわけです。注意の仕方は、カレ独特なやり方ではあるのですが。この場で、本当の作戦を知っていたのは、ブラスと老公だけです。ショウ君は、今日のメンバーには話して大丈夫ですと言い残していったのですが、秘密を好むスコット家の家風なのか、ついつい、ホントのことを話したがらないのが悪いところです。
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