第3話 クルシュナのワイングラス

 「それ」を見た瞬間、ぞぞぞっと背筋が寒くなった。


『あれでも、美化されていたわけか』


 送られてきた姿絵を描いた画家の技量をクルシュナである。


『バケモノかよ、こいつ』


 単に太っているとか、婆さんだという問題ではなかったのだ。


 大げさでも、比喩でもなんでも無く、その虚無のような薄い金色の瞳は絶対に目を合わせてはならないと本能が警告するレベルだ。


 100メートルは臭ってきそうな香水と、それでも打ち消せない獣臭のようなものがただよっているのは、生物にとっては一種の警告信号のようなものだと受け止めざるを得ない。


 この生物に近寄ってはならない。


 絶対に近寄ってはいけないと思わせる存在がマーダー・ミステリアスというわけだ。


 こっちに着いてから情報を集めると「×イチ」は大嘘だった。いや、正式な離婚は一回だけだから「ホント」だとも言えるが、それは最初の結婚の時の相手だ。


 理由は不明だが1年も経たぬうちに夫が痩せ細って、泣いて頼んだ上に、アルバトロス王国イチの商人だった男は、その全財産を差し出して離婚が成立した。


 その瞬間から、マーダーは富裕なアルバトロス王国イチの資産家であり、大商会のオーナーとなったのだ。


 それが30年以上前の話。


 それから3年間は大人しくしていたらしい。だが、それ以後、マーダーが毎年「結婚相手」を必要としてきたのは事実だった。


 現在にいたるまでに30人以上が「結婚した後、1年と経たずにいなくなる」というのが現実に起きていた。死亡した夫は20人を超えるらしい。専属メイド兼幼馴染みのカーリーが聞いてきたのは22人、メイド頭のフェフォが聞いてきたのは21人。


「じゃあ、亡くならなかった人もいるんだな?」


「はい。いつの間にか行方不明になったそうです」

「もう、無理っていって海に飛び込んだ人とか……」


「つまり、結婚した後で元気に生きている人は?」


 二人とも黙って首を振った。いや、そりゃそうだ。×イチは離婚だけで、後は「死別」だとしたら、になる。


 もう、この時点で腹は決まった。やられる前に、ヤレだろう。マーダー殺人鬼ってのは、文字通りのことなんだ。オレは悪くない。


 覚悟が決まったところで、内々のパーティーを開いてくれることになった。アルバトロス王の好意だ。


 マーダーの個人資産でも、十分に豪勢なパーティーが開けるはずだが、場所は王宮の大広間を使ったのは、パーティーでの歓迎ぶりをみせつつ、参加者を限定したかったのだろう。


 おそらく「どうせ一年でいなくなるんだろうから、多くの人に見せたら不味いよね」という意味が隠されているに違いなかった。


 会場に現れたのは。イケシブ親父という感じの王だった。


『お前がケダモノを野放しにするからだからな』


 笑顔を浮かべつつ、心の中で、オレは目一杯イケシブ親父をこき下ろしていた。


 そして、婚姻の誓約書死刑執行命令書に署名した後に、お披露目のパーティーが始まった。


「皆にご紹介ましよう。姉の新しい夫となった、マトゥラー国王であらせられるクルシュナ陛下です」


 パチパチパチパチ


 王の挨拶を聞く間、ワイングラスを持たされて、アルバトロス王と怪物の間に立っていたのがオレ。


 チラチラ見るんじゃねぇ!


 男を見ると言うよりも、蛇が蛙を見つけたときの目にそっくりだった。赤い舌までチロチロしやがって。カバなのか、蛇なのかハッキリしやがれ。


 と心の中の悪態を見せるわけにも行かずにポーカーフェースは得意技。


「では、挨拶が長くなるのもどうかと思う。なにしろ姉は待ち切れぬようだ。とにかく乾杯と行こう」


 この部屋にいるのはアルバトロス王国の重鎮達と王やその家族達が全員。参加者は50人ほどだろう。


 一斉にグラスを持ち上げた。


「両国の親善のために乾杯!」

「「「「「乾杯」」」」」


 アルバトロス王国の慣習では最初の一杯は飲み干さなければならない。


 ウチワの集まりだけに「新たなる犠牲者」に対して興味津々な目を隠しもせず、次々とグラスを飲み干していた。


 オレも、少しだけためらうふりをしてから、ゆっくりと口を付けつつ、心の中で唱えた。


 スキル・マジック


 イメージを描いてスキルを発動。テーブルマジックでできることなら、仕込み無しでもあらゆるマジックが再現可能なオレのスキル。


 瞬間的に、バケモノのグラスとオレのグラスを交換して、のだ。


 一口飲んだ直後のこと。


「うがっ」


 濁った悲鳴を上げ、ヨタヨタとなったオレは、目の焦点を飛ばして、俯くと、口からポタポタとこぼしていく。


「いっだぃ、なにがぁ」

 

 口元を拭えば、右手が真っ赤になっていた。大量だ。


「血!」

「クルシュナ王! いかがなさった!」

「これは、毒だ!」

「医師を、早く! 宮廷医を呼ぶんだ!」


 あっちこちから悲鳴が上がるが、そんなのに答える余裕などない。


 オレは、ヨロヨロと右手をバケモノマーダーに伸ばして指さす。


「謀ったなぁ! 何を、飲ませ……」

「違うわ。私が混ぜたのは精力剤よ、毒なんかじゃないの!」


 入れてたんかよ。


 それでもバケモノマーダーは、 私じゃないと後ずさり。


 だが、そんな弁明を聞いているヒマなど無い。グラリと傾いた身体を床にゴロンと伸ばして、仰向けに倒れ込んだ。 

 

「先生! せんせい! こちらです!」


 医師が駆け込んでくる。


 端にいたカーリーやフェフォ達は駆け寄ろうとして警備の騎士達に止められたんだそうだ。


 その目の前でオレの右手を取った医師は、脈を見ると首を振った。


「陛下ぁあああ!」

「アルバトロス王よ! なぜ、このようなことを!」

「卑怯なり! アルバトロス王国め!」


 ウチの騎士達が殺気立つのは当然のこと。それを押しとどめようとするアルバトロス王国の騎士達ともみ合いになったのも、必然だった。


 次の瞬間「げふっ」っと、下品な音を立てたかと思うと、出席した皆が次々と口から血を噴き出して倒れ始めた。もちろん、アルバトロス王も、そしてバケモノもである。


「た、たいへんだぁ」


 それが誰の声だったのか、ついにオレは確認することはできなかった。


 ともあれ、室内にいるアルバトロス王国の重鎮やロイヤルファミリーは、その全員がほぼ同時に倒れたのは確かだった。


 騒然となる室内。さすがのアルバトロス王国の騎士達も「他国の王の付き添い」を抑えるどころではなくなったのだろう。


 次の瞬間、ウチの者達に取り囲まれたオレの唇には、毒消しのビンが押しつけられる。


 もちろん、そのまま飲めるわけが無い。かねて頼んであったとおり、フェフォが口移しで飲ましてくれた。


 いや、これは絶対命令だった。ルークに口うつしなんてされたら、それだけでPTSDになってしまうってものだからな。


 オレはわずかに目を開けて見せた。


「クルシュナ王! 良かった! 息が戻られた!」


 こちらのお芝居を見るどころではない。周りは大騒ぎ。


 アルバトロス王国側としては、来客に対して構っていらる余裕なんてなかったのだ。なにしろ、王族から大臣クラス、王の腹心までもが一度に倒れたのだから。


 普通なら、相手国の毒殺を疑うべきところだ。


 だが、全てがアルバトロス王国側の手配な上に、真っ先に血を吐いて、しかもいったんは「死亡」して見せた相手を疑うのは、よほどの猜疑心の強い人間だけだろう。


 それもこれもオレのスキルを誰も知らないからだ。


 右手の脈など、ちょっとしたシカケで短時間、消すことなんて簡単なこと。そしてグラスの中身を入れ替えるマジックなんて、入門レベルだ。


 少々難しかったのは「全員のグラスに水溶性のカプセル」を入れてしまうこと。こればっかりはアルバトロス王の話が長くて助かった。チマチマと、全員のグラスにカプセルを入れたのもスキルのお陰。


 グラスに入れた小さなカプセルの中身は「乾杯」の発声と同時にとある毒物と入れ替えたのもスキルのなせる技だ。


 いや~ マジ、このスキルって暗殺向きだぜ。


 ウチの者達に抱えられて退場していくオレに構っている余裕などなかったらしい。


 「絶対安静ですから」とウチの騎士達に守られながら、その晩は超熟睡。ちなみに、オレが飲んだグラスの中身はスキルで単なる水に入れ替えておいたわけだ。


 翌朝、用心のためにアルバトロス側が用意したのではなく、配下が調達してきた水を飲んでいると、途方に暮れたアルバトロス王国騎士団長が面会を求めて来た。


 許可すると「トーラク」と名乗った四十がらみの騎士団長がしょんぼりしている。


「王位継承権を持つ人間が全て身罷られて死んでしまいまして……」

「となると、ひょっとして王姉の夫である余が継ぐことになるのか?」

「判断できる上の者が全て倒れてしまい、どうにも。お知恵を拝借したいのです」

「ふむ。となると、形式上、女性ながらマーダー殿が王位を継いだ形を取れば、余が王配として事態を収拾できるかも知れぬ。しかる後に、マーダー殿が亡くなったことにするしかなかろう」


 アルバトロス王国では、女性が王位を一時的に継ぐことがあったのは短い日数でも調べが付いていたことだ。


 こうして、オレは、東の富裕国であるアルバトロス王国の実質的な王位と、アルバトロス王国イチの資産家の立場を握ることができたわけだ。


 まずは、これが第一歩だ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

本来は「王配がその国の王位を継ぐ」というのはありえません。しかしながら、主な政治家も王族も死亡してしまった翌朝だけに、他国とは言え「王」という地位にあり、しかも「王姉」の王配たるクルシュナが頼もしく見えたのでしょう。そして、商業を大事にするサウザンド連合王国の風潮として「相続により国一番の資産家」となった姿は、尊敬すべき人に見えたわけです。だから、クルシュナの言葉に乗ってしまったのは、騎士団長の錯誤ですが、仕方のない部分もあります。混乱が収拾される前にクルシュナは、立場を合法なものとするように動いていました。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 






 

 

 


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