第19話 結社
フォルテッシモ家の王都邸の一室だ。
この貴賓専用会議室は、応接室も兼ねている。
盗聴対策が万全なのだ。
当主アーサーは、金に飽かせて徹底的な内装にこだわるふりをして、分厚い土壁に貼り付けているのは巨木から削り出した分厚い一枚板だ。そこに意匠を凝らしたレリーフを施して「六方向」に張り巡らせている。途轍もなく金がかかるが、土壁も分厚い木材も中の音を完璧に遮断する。
板同士の貼り合わせも、互いに凹の字に溝を付けて組み合わせているため、継ぎ目からも音は漏れない。ドアは鉄と鉄の間に目の細かい粘土を詰め込み、さらに、ここにもまた分厚い板を貼っている。
窓は、つい最近「アルミサッシ」というモノに買い換えて、それを二重にすることで音漏れを防いでいた。
この部屋で話したことは絶対に盗み聞きをされないだけの自信がある。
なにしろ、話をしている間は窓を締め切るせいで、定期的に換気をしないと息苦しくなるほどの気密性を保っていた。
「ここで話す内容は絶対に外に漏れないので」
この部屋に案内して、最初にドルドが説明したのは、そのことであった。
『それにしても、素晴らしい』
上質な設えのイスにゆったりと座りながら、目の前に座る青年と少年を見つめていた。
ドルドは内心で感心していたのである。
『自分がこの年齢で、ここまでの決断ができただろうか? お館様のお陰で経験を積ませていただいては来たが……』
父親は典型的な門閥高位貴族だった…… あ、いや、まだ生きている。
ともかく、本来はとても優秀な父親は、一切の実務から手を引き、趣味のためだけに生きている。
『人一倍才能があるから、きっと先が見えちゃったんだろうな。この家の行く末も、ひょっとしたらこの国の行く末も。そういう生き方も不幸かもしれないな』
ことあるごとに息子に言った。
「仕事とは下賤なモノにすぎぬ。貴族たる者は趣味に生きるべきだ」
のうのうと、そんなことをうそぶく当主の目の前には、本来は当主がやるべき仕事を全て引き受けさせられて、ひぃひぃ言っている息子がいるのである。
こんな「絵」は、かつてのフォルテッシモ家では毎日のことであった。
しかし、何も見てないふりをしながら、ドルドが何かを見逃すと、さりげなく訂正してくれたのも父であった。
そんな父のサポートを受けながら、ドルドは16を過ぎたあたりから父の代行を務めてきた。
今では「全ての仕事を任された領主代理」となって生きてきた時間の方が長くなってしまった。ドルドが仕事に慣れ、ミスがなくなるに連れて、父親は執務室に現れることは無くなった。
それなら、いっそ侯爵位を譲って引退してもいいはずだが、代替わりは選択しない。現侯爵であることにこだわったのだろう。
したがって、この3人の中では「侯爵としての経験」が人一倍あるし、仕事の表も裏もわかっているつもりだった。
そんなドルドから見て、目の前の
『特に、この少年は素晴らしい』
ドルドが二人を見る目は優しい。自分はさんざん苦労して、仕事の酸いも甘いも知り尽くしたつもりだったのに、今の事態に戸惑っているのだ。まして、経験の無い中で、今回のような未曾有の事態に対応しなくてはならないとなると、ヒリつくほどの焦燥に囚われているに違いないとわかっていた。
それは、この二人が無能だからではない。むしろ逆だ。
自分の肩に十数万人の命が乗っていると思えば、うっかりと身動きもできなくなる。先の見える優秀な人間ほど、その責任に押しつぶされそうになるのを、身をもって知っているのはドルドだったろう。
ドーンは侯爵家の跡取りとして英才教育を受け、本人もまたふさわしいだけの才覚を見せた。だが、そもそもデビュタントから1年ちょっとしかたっていない少年であることに変わりは無いのだ。まだ学生の身なのだ。
緊張で手が震えているのを、ドルドはしっかりと見つめている。
『そうなるのも当然だ。一族全体の浮沈を決めるような「外交交渉」を任せられた経験があるはずも無い。セーナンのように20代となり、当主代理を何度も務めたとしてもここまでのヒリつく決定などするわけがないのだろう』
仮に当主本人であったとても、ここまで「決断」を迫られることなど生涯に一度あるかないかだろう。
決断を誤れば一家の破滅。
しかし決断をしないのもまた、誤りなのである。
ドーンは、貴族的な諧謔や洗練された修辞など何一つ使わずに、武人の率直さをもって、己の考える疑問と、この後に起きるはずのことを説明して見せた。
その口が閉じると同時に、ドルドへ「決断を」と迫ったのである。その間、セーナンは何一つ口を挟まなかった。無責任な態度としてではなく、年の離れた「義弟」に全てを託した表情だ。
『そういえば、シュモーラー家は、あの件以来、異様に兄弟姉妹の仲が良かったんだったな』
当主の妹がガーネット家の側妃として迎えられた直後から、子ども達が次々と亡くなった事件だ。事態は、側妃となった妹が実家に送り返されて収まってしまった。必然なのか、それとも「たまたま起きた不幸な偶然」なのかはわらないが、送り返した後のガーネット家の子どもたちが死ななくなった。そのため決定的な悪評となってしまった。
いろいろと噂は流れているが、シュモーラー家の現在の結束の固さは、あの事件があるからだと言われている。
嫁に出す女の子の教育が徹底されたのも、そこに関係しているらしいというのは公然の秘密だ。
だからこそ、ドーンの言葉をセーナンは少しも遮らないのだろう。
『この二人には、正直言って好感しかないが、かと言って、こんな薄い根拠で一族の命をかけるなんて無理だ』
それこそが「大人の判断」である。
若者の無鉄砲ぶりに微笑みつつ、その熱量に巻き込まれないだけの大人の知恵を発揮してしまう。
つくづく、自分が嫌なオトナになったなと内心で苦笑いするドルドである。
「お言葉は真実であると、私には思える。そしてあなた方のご厚意も、王国に対する真摯なお気持ちも疑うまい」
その言葉を聞いた瞬間、ドーンはあからさまに悲痛な顔をした。このしゃべり出しは断るときのものだから。
「しかし」
続きを喋りかけた瞬間、いきなりドアが開いた。ありえない。ドルドがいる会議室に、ノックもせずにドアを開けるだと?
思わず「敵か?」とまで思った視線の先に、なんと当主の顔があったのだ。
「お館様!」
「ドルド、君は、まだまだ頭が硬いようだねぇ。その様子だと青年達の血気にお手上げのようだが」
「お館様、しかしながら「いや、これは判断に迷って当然だよ。私だったら、最初の手紙がとどいた時点で断っていただろうね」え?」
フォルテッシモ家の当主、アーサーは、ドアを開けたまま入ってくると、ドルドの横に座った。
「まだまだ、甘いな。もう、今さらだぞ」
アーサーがニヤニヤしている。
「今さら?」
「この時期の、この状態の王都で手紙をやりとりなんてしてみろ。中身がバレバレになるに決まっているだろう」
ドーンは唖然となった。貴族同士の行き来に「訪いの手紙」は当然のことだ。今回も失礼がないように、当然、手順を踏んだのである。
「貴族社会ではね、当たり前のことを当たり前にやる人間は全てを読まれるのだよ」
まるで、かつての野外演習でコテンパンにやられた時のようではないかと、チラッと思ったドーンだ。
「事実として、君たちの行動は、完全にバレていた」
「そんな! 手の者を使い、完全に秘匿したはずです」
「そんなもの、女子学生が授業中に手紙を回すようなものだろう。隠しているつもりなのは本人達だけなんだよ」
アーサーは若者達を見回しながら微笑を浮かべて、そう言った。
何とも気まずい空気を浮かべるドーンとセーナンである。
「いや、咎めるつもりはないぞ? 君たちは良くやった。ただ、若者達には失敗から学んでほしいだけなのだよ」
「申し訳ありませんでした」
「面目ありません」
素直に頭を下げる若者達に、アーサーは「いやいや、案外と瓢箪から駒となったのかもしれんから、恐縮する必要は無いぞ」と肩をすくめて見せた。
それを見た三人は、一様に「え?」と言葉にしたのだ。
「入りたまえ」
「どうも~ 独立部隊ゴールズ首領のショウでーす」
現れたのは、かつてドーンに屈辱的な敗北を与えた宿敵、そして「間もなく王都の混乱を収めるはず」の男であった。しかも、パンツスタイルではあるが、明らかに少女とわかる美少女をすぐ後ろに連れている。
『女連れかよ』
そんな感想が、誰かの頭をよぎったのかもしれないが、ともかく三人とも唖然とし、口が閉じられないのは同じだ。
大事なのは美少女ではない。ここに「大逆の罪を問われている謀反人」が存在していることそのものだ。
確かに、ドーンもセーナンもショウが王都を鎮めるという未来を信じようとはした。しかし、この場に本人が現れるのでは、話のレベルが全く異なってしまうのだ。
なにしろ、この後にショウが成功すればよし、しかし失敗すれば、後日、この場に「謀反人」が現れたことは必ず露見すると考えねばならない。
つまり、この時点で、三家ともに取るべき道は「進む」しかなくなったのだ。この四者は一蓮托生の運命が成立してしまったというわけだ。
ドーンは『またしても、コイツにやられたのか!』と心の中で悲鳴を上げたのである。
「ふふふ。私がここに来ちゃいましたから、今さら後には引けないですよね。まあ、首をゲールのところに持って行けば、少しは違うかもしれませんけど」
敬称を省いた時点で、ショウの言いたいことがわかる。すなわち、ゲールの王族であるを認めないということ。
しかも、自分の首を持って行けと堂々と言いのけたが、その顔には「できないよね?」とも書いてあった。
そう。できない。絶対にできない。仮に首を持っていったとしても、猜疑心の強いゲール王子なら「単なる仲間割れ」として受け止めるに決まっている。あるいは十分に体制を固めた後で「お取り潰し」の材料にされるだろう。
そして、目の前の4人には言わないが、万が一行動を起こそうとしたら、即座に本人の首が胴体から離れるのを確信できる安心がある。「少女」に対する油断であろう。アテナは三人を完全に「間合い」に収めていた。
それが分かっているだけに、ショウには余裕があった。
「じゃあ、ここに集まる四者で、今後について話し合いましょうか」
そこからはショウの主導で話し合いが進み、年上の男達は、ため息交じりに納得するしか無かったのである。
ドーンが想定した「トライアングル」ではなく「
ドーンが、ふと窓を見ると三日月が見えていた。
『上弦の月になるのか。ここからツキが満ちていくのだったな』
思いがけず、そんなことを考えてしまったのは、一つでもすがれるものがほしかったからかもしれない。
「あの、今日のことですが」
ドーンは、
「誓約に名前を付けてはいかがかと」
「えっと、今日話し合ったことに名前、ですか?」
考えてもみなかった。
「名前って言われても、う~ん」
こういうのは、苦手な分野である。とっさに「それぞれの頭文字でKKFFでよくね?」と思ったが、何やら白い頭巾でも被ってそうなイメージが浮かんでしまい、言葉には出せなかった。
センスのなさを自覚しているショウである。
そこに割って入ったのはアーサーである。
「若い人は、なかなかに面白いことを考えるな。腹案でもあるのかね?」
「はい。外には三日月が出ています」
首を捻りつつも、全員が窓を見る。確かに三日月だ。
「確かに出てる。綺麗な月だな。これから膨らむのだったか」
ドルドは、少年が何を言うのか、思わず期待してしまう。こんなロマンティシズムは、自分がとっくに忘れた感覚だったからだ。しかし、それは決して嫌なものではなかった。
ドーンは少年らしい熱を込めた口調で言った。
「そのゲンをかついで『
「ピグナス クワトロ ルナルーマか。なるほど、誓約とは上手く付けたね、なかなか良いじゃないか、それでいこう」
アーサーも無条件でノッた。
もちろん、ショウとしては、名前くらいで侯爵家が話に乗ってくれるなら、何でも良かった。
こうして、王都の混乱は密かに新たな展開が約束されたのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
作者より
ショウ君が現れたのは、王都を監視中の影から、この三家で手紙が行き交っているのを聞いたからです。そこで、王都に駆けつけ顔なじみのアーサーに面会して説得に当たったわけです。とはいえ、アーサーは初めからショウ君に味方する方向性だったようです。
なお、今回のノインは副司令としてお留守番です。代わりにツェーンたち12人を護衛にしてやってきました。ショウ君が「ゴールズ首領」を名乗っている点にご注目ください。アテナが今回「美少女ぽさ」を出しているのは、ショウの護衛でありつつ、相手を油断させるためです。
「三日月の四者誓約」の中身は、この後の展開で出てきます。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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