第18話 密かなる転換

 ビードウシエは、いつになく微笑を消していた。


 婚約者の特権で二人きり。しかし卒業式の後に結婚式が決まっているだけに、今までは、必ずメイドを立ち合わせていたのはビードウシエの意向があったから。


 こうして庭の東屋にお茶だけをセットさせて二人は肩をくっつけるようにして御茶を飲んでいる。


 イチャイチャのためではない…… いや、イチャイチャは実際のところしているのだが、ビードウシエの顔には少しも「甘み」が浮かんでないのである。


「そなたは、何か言いたいのだな?」


 女性を政に関わらせるのはタブーではある。しかし、人生の伴侶の考えくらいとも考えているドーンは、ある意味、極めて貴族的な人間なのである。


 美しい婚約者は、ズバリと言葉にした。


「お困りですよね?」


 普段、極めて洗練された、貴族的な会話ができる婚約者の、これ以上無いほど率直なひと言だ。


 ドーンは苦笑いを浮かべた。


「まあな」


 実際、これ以上無いほどに困っている。


 カルビン家の「総領」を初めて任されたドーンだが、異例の事態に対処しきれず執務が滞っていたのだ。しかも、頼りにすべき家令のジルも、さすがに対応に困っているのが実情である。


 王宮からの再三の呼び出しがかかっているが、かろうじて「当主が出陣中に付き、出仕まかりかねる」と主張して王都の邸に引きこもったのが精一杯だ。


 有り体に言えば「御三家が反乱を企てたという話は信じられない」が率直な見方だ。


 王立学園の秀才としても知られるだけに見るべきものは、さすがに見えていたのだ。


 ドーンは「公爵家が信じられない」というわけではない。むしろ「しても不思議はない」と考えている。


 信じられないのは「結果」の方なのだ。ドーンからしたら「ゲール王子が主張しているように、もしも御三家が反乱を企てたのなら成功するに決まっている」と思えてしまう。


 ところが、現在、王宮で自由に振る舞っているのはゲール王子であり、宰相も法務大臣も姿を消しているのが実情だ。


 もちろんゲール王太子から、再三届く手紙には「両人は、大逆を犯した悪人として捕らえてある」と書かれている。


 平たく言えば、逆ならともかく、あのキレ者の二人が本当に反乱を企てたら、ゲール王太子程度に捕まえられるなんてありえない。


 おそらく、事実は逆なのであろう。しかし、王子が王に反乱を起こすなんてことがそもそもありえないことだ。

 

 しかも、王の姿は見当たらず、宰相も法務大臣も、どこに捕らえられているのかわからない。三者とも、消える直前の王宮での目撃情報はある。しかしどこにもいない上に、王宮から出るところを見たものもいなかった。


 一体、何がどうなっているのか誰にもつかめない状態が続いていた。

 

 だから、今の状況で入ってくる情報の何もかも信じられない。そのまま王都の邸に引きこもって2ヶ月になる。


 王都に残っている数少ない騎士団を臨戦態勢にして詰めさせているが、百名にも満たない戦力では正直言って心許ない。せめてビードウシエや幼い弟妹を少しでも安全な領地に行かせたいが、今の状況ではヘタに動けないのだ。途中の道のりが危険すぎる。


 せいぜい、総領の権限として行ったのは、一族で最も信頼できる分家の人間を呼んで、最重要な機密書類を焼却する準備を進めたくらいだ。何かがあれば、邸ごと焼き捨て、身一つで逃げるのだ。


 万が一を考える貴族家の当主としてなら、上出来の対応であろう。それをすませた今、後は「何か」が変わる瞬間を見逃さぬように、精一杯、耳を澄ませているつもりだった。


 それが、突然、こうして婚約者と囁き声の会話をすることとなった。


 ドーンは、半ば冗談で「実家に戻りたいとでも?」と尋ねた。


「私の家は、ここですから。そして、私がいたい場所はドーン様の隣だけです」


 その美貌に浮かぶのは、真摯な愛情そのものだった。


「それは、嬉しい」

「お慕い申しあげております。ドーン様」

「ビー」


 深刻な事態を束の間忘れて、二人の唇が重なるのは、当然であった。


 しかし、甘いキスをしている間も、ドーンの困惑は晴れることは無い。


 集められる限りの情報を集めているが、どれが正しく、どれが間違いなのかわからない。まして「どれが欺瞞情報なのか」が問題なのである。


 ついさっき重なり合った唇から、意外な言葉が吐き出された。


「王立学園で同窓生だったバネッサ様を覚えていらっしゃいますか?」

「あぁ。もちろん覚えてるよ。君と仲が良かったよね、バネッサ…… そうか、カインザー家か」

「はい。昨晩、手紙が届きました」

「手紙? 大逆の疑いを掛けられているんだぞ!」

「それを一番、お信じになっていらっしゃらないのがドーン様ですよね」

「しかし、私が信じるも何もないだろう! 王家への叛逆は、関わりのある一族、全てに罪科が及ぶんだぞ」

「王家への叛逆は大逆罪。でも、本当にの叛逆なのでしょうか?」


 婚約者の真摯な問いかけに、答える言葉が無かった。ドーンは愛する人には正直でありたいが、かと言って軽々しく出せる答では無いからだ。


 しかし、一瞬のその沈黙だけで十分だったのだろう。手元にあった文箱から2通の美しい手紙を取り出したビーである。


「これがバネッサから。そして、こっちの手紙をあなたに伝えてほしいと書いてありました」

 

 美しい筆跡の手紙が二つ並べられた。


「これは……」

「ショウ子爵第一夫人、つまりは、ノーマン様のご長女、メリディアーニ様からです」

「そ、そんなものを!」


 大逆の罪人から手紙など、読むだけで祟られる。


「ご安心を。どこにも署名はありません。ただ、バネッサは一番信頼している女性が書いたとだけ書いていますので」

「それだって、危険なんだぞ」

「はい。でも、だからこそ、この情報には価値があります」

「どんなことが書いてあるんだ?」


 手に取りながら尋ねている。自分が読むよりもビーの口から聞きたかったのだ。


「ショウ子爵が、まもなく王都の混乱を治めると伝えてきました」

「なんだと? ショウがか? あいつの手で?」


 唖然とした。


 自分よりも一つ下の12歳だ。


 確かに野外演習では手も足も出なかったほどの完敗を喫した。それなのに、いつのまにか「名誉」すら与えてくれた相手だ。まさに傑物。だが、この状態を簡単に「治める」などと、あまりにも大言壮語過ぎると思ったのだ。


「そして、ここが大事なところのですが、このお手紙には『味方してほしい』と言うことが一切書かれて無いのです。むしろ、大人しく見守ることを推奨しています」

「味方がいらないと? 現に、国軍を動員しての討伐軍が出ているんだぞ? 大軍だ」


 一人でも援軍を求めるのが普通だ。


「おそらく、よほどの戦いに自信がある、あるいは…… お気付きですよね? 昨日から、そして負傷兵が激増していることを」

「あぁ。あれだと千人規模の損害が出ているはずだ」


 既に王都では「国軍が負けている」というウワサが出回っている。街から手の者が持ち帰ってきた、ひどく質の良い紙に書かれた「戦況」は、恐るべきことに現地に派遣した手の者がつかんできた情報と、恐ろしく似通っているのである。


 王都の民達は、いつの間にか、この紙を「ビラビラ」と呼び、情報源として主流になりつつあるほどだ。


 つまりは、出回っているビラビラによれば、国軍は負けつつあるのだという。信じられないことだ。


「ヨクで待つと言っていたのにな」

「でも、王都のそばで手出しをしないとも書いていませんでしたね」

「そ、それは、そうだが」


 美少女の外見を持ち、愛を囁く甘い声も持っているが、一面で、ビーは超合理主義者でもあるのを王立学園時代によく知っていた。


「現に戦いが行われています。討伐軍はヨクで待つ相手の本軍に届く前に、このままでは負けてしまうかもしれません」


 ビーの言うとおり、王都に出回ったビラビラには「ヨクで待つ」と書いてあったが、実際の戦闘は王都から出た途端に行われ、遠望する限りにおいて、国軍や近衛騎士団は圧倒的な敗北をしているように見えている。


「バネッサ様は、己のためにウソをつく人ではないですし、人を見る目は昔から確かな方です。いくら身内のことであっても、この手紙には絶対的な信頼感に溢れています。だから、私はメリディアーニ様の手紙を信じるべきだと思います」

「まさか、そなたは「はい。ドーン様。ここはご判断なさるべきですわ」そ、そうか」


 つまり、王都が鎮圧されることを前提にして動くべきだと、主張しているのだ。


「現在の他家の情勢は、昨日教えていただきましたが、もう一度教えていただけますか?」


 確かめるまでも無いが、この辺りは婚約者を立てるのが上手い。


「王都にいる伯爵家以上の者は、判断を付けかねている状態だ。ロウヒー家以外、ゲール王太子に加担する主な貴族家は無い」

「もしも、討伐軍が負ければ、即日、王都は…… その時、カルビン家は邸宅に引きこもっていた、と言うだけでよろしいのでしょうか?」

「しかし、我が家の戦力は薄いぞ?」

「実際の戦闘は必要ないと思います。メリディアーニ様も、そんなことは望まれていないでしょう。お勧めされていたのは……」

「立場、か」


 この辺り、ドーンも優秀なのである。メリッサの謎かけを解いて見せたのである。


「王都が鎮圧された時に、カルビン家がどんな立場だったのかが重要であると?」


 ビードウシエは返事をする代わりに、手ずからドーンに紅茶のお代わりを注ぐ。


 これ以上の口出しは無用、というのがビードウシエの引き際なのである。


 少しだけ首を捻った後で、ドーンは爽やかな笑顔を浮かべた。何かを語った、キッパリとした決意が表れている。


 美しく聡明な婚約者に笑顔を向けた。


「そなたも不安であろう。実家の様子など聞きたいのでは? 手紙などをやりとりするのも良いかもしれぬな」

「はい。ドーン様、ありがとうございます。実は、手紙を用意して参りました」

「何?」

「お優しいドーン様ですもの。私の実家にをおかけくださいますよね」


 少しだけイタズラな光を浮かべたビードウシエは、婚約者の頬へと口づけたのであった。


 各家の密かな者達の動きは、これ以上にないほど素早かった。


 その日の深夜、カルビン家のドーンとビードウシエの実家であるシュモーラー家の当主代行であるセーナン・コーレス=ダブルは、二人揃ってフォルテッシモ侯爵家の当主代理ドルド・フレデリック=アルバートとの会談が設定されたのである。


 場所は、王都南西の小高い丘の上。フォルテッシモ侯爵家の別邸に二人が訪ねる形式となった。(作者注:相手のところへ行くので、ドーンとセーナンは、ドルドに敬意を払ったことになります)


 後々、歴史家から「三日月の四者会談」と呼ばれる密議は、こうしてスタートしたのであった。



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 作者より

 もちろん、侯爵の三者と、もう一人と言えば、この人ですよね。歴史にどう残されるのかはさておき、始まる前の時点では「三者会談」になると三人は思っていたようです。

 この意味で、王都での情報網は、御三家のものを全て一元的に扱えるショウ君が二歩も三歩もリードしています。

 なぜ、この時点でショウ君が「スコット家の影」を使えるのかは、後々、明かされると思います。ヒントは「第56話 8月7日・点描 1 オク」と、リンデロンがショウ君に惚れ込んでいる様子からご想像ください。

(物語の都合上、応援メッセージにこの辺りのご質問があってもお答えできかねます。ごめんなさい)

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