第17話 手紙
話は少しだけ時間を遡る。
王都からゲール王太子の「討伐軍」が出陣した、その朝のことであった。
メロディーがリビングへと駆け込んできた。
スコット家の影の者が届けてくれた箱を抱えている。王都を迂回して、相当に苦労して届けられたのであろう箱だ。
真っ先にメリッサのところに持ってきたのだ。その顔を見てピンときた。
「メロディー! これって!」
「そうよ」
それが「何」かを確かめずともわかる。お互いに顔が輝いてしまった。だが、メロディーが「第一夫人」に敬意を払ってくれた以上、その分だけ優しさを見せる義務がある。
「ありがとう。でも、それはメロディー、あなた宛でしょ。お気持ちはありがたいけど、あなたがお開けになった方がよろしくてよ?」
真っ先に持ってきてくれたことに感謝しつつも、メロディーに開けるように促した。しかし、満面の笑みを浮かべながら首を振るメロディ。
「宛名を見て」
「え? まぁ、ショウ様ったら」
宛名は「みんなへ」と書かれていた。メロディーもメリッサも、美しい唇を引き締めずにいられない。泣いてしまいそうになりながらも、二人は目を合わせる。
やっぱり、自分たちは大切にされている。遠く離れているのに、文字だけでも愛が伝わってくる気がした。
「これとは別に、お義父さまへのお手紙がありました。それは既に」
真っ先に、お渡ししたらしい。
「だから、ショウ様のおっしゃる通りに、みんなで開けたいなと思うのです」
「わかりました。じゃ、みなさんをお呼びしないと…… あら、もう、お揃いね」
いつの間にかみんなが見守っていた。
ともすれば、不安ばかりがつのる暮らしだ。お互いに励まし合い、慰め合ってきただけに、信頼関係は、こっちに来てからいっそう強くなったと感じている。
改めてメリッサは宣言する。
「みなさま! 愛しい方から、待望のお手紙が届きました!」
「「「「「「わぁあああ」」」」」」
みんなが一斉に箱を取り囲んだ。
ひどく懐かしいショウ様の文字で「みんなへ」と書かれている宛名。
もう、それを見ただけでみんなが涙をこぼしてしまう。
満面の笑みを浮かべながら、玉のようになった涙をポロポロとこぼす美少女達の姿は圧巻だ。
「良かった。ご無事でいてくださった」
「本当に、文字まで真心がこもっていらして」
「ショウ君」
「ショウ様」
「おにぃちゃん」
「にぃちゃま」
ミィルは、そっとバネッサのそばにいる。今、自分ができることは、愛する人の子どもを守ることなのだから。
だから、どれほど嬉しくても自分の役目は忘れない。箱に近寄るより、バネッサの後ろで万が一にも転びはしないかと見守る方が優先なのだ。
小さな箱を開ける。
中には、ショウからだよということを証明するかのように「マカダミアナッツチョコ」が人数分入っていた。
リーゼと書かれた箱が一番上になっている。
「にぃちゃま! ありがと!」
リーゼが素直に反応して手に取った。しかし、チョコの美味しさも嬉しいが、自分の箱が一番上にあったという、子どもらしい満足感がそこに見て取れるのが可愛い。
何のてらいも、わざとらしさもなく、ひたすら純粋に喜びを顔に出す反応が可愛らしくて、ついつい、メリッサが抱き上げてしまった。
横に立つニアが髪を撫でている。
メリッサは、リーゼに微笑みなら「まぁ、ショウ様ったら」と嬉しさと照れ隠しを半分ずつにして反応してみせた。
「ショウ様らしいです。心のこもった証明書を付けてくださいました」
メロディーの言葉に、温かい微笑みが広がる。
そもそも、この箱を渡してきた影は「これをお見せすれば、信じていただけると申しつかりました」とリップクリームを示したのである。
女子高生御用達のコンビニコスメ「春の新色」のシリーズだ。
メロディーだって、いくら自家の影を名乗り、符丁が合っている相手だったとしても、いきなりは信じ切れなかっただろう。だから、ショウが「証明」として渡す小道具としたリップは、何よりもわかりやすい証明だった。
そして、このチョコである。
「はい。これで絶対に間違いないですね」
メリッサが頷いてみせる。
なにしろ疑心暗鬼の三ヶ月を過ごしてきた。
王都から最初にやってきた使者は「大逆罪」という汚名を伝えてきたのだ。貴族家に育った者として、あれ以上の衝撃は無かった。以後、信じられぬことの連続だ。
もしも、シュメルガー家のノーマンとスコット家のリンデロンから、影を通して先に連絡が無ければ、事態はもっと危うかったかもしれない。
連絡とは、両家のご当主からの強い要請という形の命令であった。
「王都に戻ってはならない」
「そのままだ。絶対に戻るな」
そんな不思議な、しかし切羽詰まった命令が届いたのが8月の終わりである。
その命令は、どうしても王都に戻りたくないという予感が働いたメリッサの気持ちと見事にマッチした。
かくして、カーマイン家は、まだ見えぬ「何か」に備えていたのである。
その備えこそが、全ての基本だった。
だからこそ「勅使」と呼ばれる人間が、中央騎士団を従えて「大逆罪」の罪状を運んできても「それはニセモノだ」と決めつけて、騎士団の実力行使によって追い返すことができたのだ。
もちろん、カーマイン家のライアン伯爵としては、心底、肝を冷やしながらであった。しかし、心の備えがあった分だけ決断ができたのである。
なお、その時の「戦い」において、騎士団長であるエドワードの活躍は見事だったが、それ以上に「鉢割ジョイナス」の活躍は、さすが前騎士団長殿と言うべきか。他を寄せ付けぬほどに壮絶な戦いを演じて見せたのだという。
かくして、カーマイン家は存亡を賭けてショウの帰りを待つ体勢となったのである。
その後、真偽のわからぬ怪しげな情報がどれだけ飛び交っただろうか。
しかし、これだけの証拠があれば、今度ばかりは疑いようがなかった。
仮に、ショウの言ってきたことに間違いがあったとしても、愛する人の言葉を信じて破滅する方が、よほど嬉しいというのが全員の気持ちだ。
マカダミアナッツチョコの箱には、リーゼの分以外にも一つ一つの箱にショウの文字で名前が書いてあった。
「まあ、ショウ様らしいわ」
お母様はもちろん、ミィルの分まで、ちゃんと一人ずつ名前を書いてくれてる。
ミィルさんの箱の裏側には「こうして名前を書いておかないと、受け取らないからだよ」と、しっかり理由が書いてあるところがショウ様らしいとメリッサは思う。
ミィルは渋々、でも、実は最高に嬉しそうに「自分の分」のチョコを受け取ったのだ。もちろん「再会できる日まで、これは絶対に食べないでとっておきます」と心の中で誓ったとは思いも寄らなかったことだろう
しかし、同時に「それぞれへの手紙」ではないことで、全員が、それこそリーゼまでもが一瞬で悟ったのである。
「何かで猛烈に忙しいんだ」
以心伝心というものがあるとすれば、このことだ。
おそらく、それぞれの名前を書くだけの余裕しかなかったのだ。いや、ひょっとしたら、名前を書く余裕すらなくて、でも、せめてもの心をと頑張ってくれたのだろうと思えたのであった。
もちろん「何か」とは、今の事態をどうにかしようとしているのだろう。
マカダミアナッツチョコを出した後、メリッサは、さらに箱を取り出した。
「これはバネッサの分ですって」
「え? 私?」
「ビタミンC」とか言うものが入っていた。飲み方の説明がちゃんと箱に書かれている。これは「一人ではない身体」を心配してのことだろう。
リーゼを含めた全員が、嬉しさで微笑んだ。
特別扱いの嫉妬よりも「お腹に子どもがいると、こうして、特別に大切にしてもらえる」という嬉しさを全員が共有できるのもメリッサを中心に結束できていることの表れだ。
なによりも、みんなが「それぞれを一番に愛してくれている」と実感があるからこその心の働きであった。
箱の底には手紙が入っていた。チョコも嬉しいが、やはり、これが特別だ。
メリッサはバネッサをまず座らせ、その横に座るとリーゼを膝に抱えた。その横にはメロディーが座る。
「読むわ」
美少女達は一斉に、コクリと頷いたのである。
「みんな! 元気かい! 僕は今、親分って呼ばれてるんだぜ、笑っちゃうよね。まだ手が離せないけど、王都をすぐに安定させて、必ずみんなが安心して暮らせる国に戻すから、もうちょっと待ってて!」
本当に短い手紙だった。しかし、全員が瞬時に理解したのだ。
愛する人は、今、この国を取り戻すために戦っているのだと。
メリッサは、その手紙を二回読み上げた後で「ね、みんな、私達ができることをしましょうか」と見回した。
「私達にできることを全部やりましょう。そうだ、みんなを呼ばないと」とメロディーがメイドに伝言を頼んだ。
集まるまで少し時間がかかるだろう。
王立学園から一緒にやってきた仲間達は、全員、ずっとオレンジ領から戻らなかったのだ。
ノーヘルはもとより、2年生も、戦略研の仲間達も、ミチル組の仲間達も、サムも、そして、カクナール先生達もだった。
授業に出ることよりも「公爵家からの何か」を信じる方を選んだ結果だった。
それぞれが時間を無駄にすること無く、カーマイン家でできることをしていた。ノーヘル達は内政ポストで実習を始め、戦略研の仲間達は騎士団で鍛えられていた。
カクナールは「なあに、休暇は余っているからね」とカーマイン家に居候を決め込みながら騎士団への「指導」をし、ネムリッサはその助手のポジションに収まっている。なにしろ、ガーネット流武術を使える体育教師なのである。例え女性であっても騎士団の若手あたりでは刃が立たなかった。
それぞれが前を向く。
しかしながら、メリッサは自分たちが「弱み」になってしまうことも熟知している。ヘタに動いて捕らえられれば、人質として使われる可能性が強いのだ。
そこで、ニアが言った。
「ね? 私達が、友達に手紙を書いたらどうかな? 王国名誉勲章が、もうすぐ王都を安定させると言ってますよって、伝えるの。味方しろでも、交渉しようでもなくて、ただ、それだけ。ショウ様の言葉を伝えるのよ。それだけだったら、カーマイン家の弱みにもならないわ。だって、それは単なる情報ですもの」
「それ良いと思うわ。私達が、それぞれの友達にお手紙を書きましょう。受け取った人が親に何を言うかはわからないけど、少なくともマイナスにはならないもの」
メリッサの心の奥に「手紙を書くこと」がとても好ましいことをもたらす予感が点灯した瞬間だった。
友達の「親」には、大貴族にゆかりのある者だって多い。自分の子どもから来た情報というのは、そのまま信じないにしても無視できないはずだった。
王都への手紙は、スコット家の影をもってして届けられることも、その場で決まったのである。
バネッサは、ふっと思い出した。
『そういえばビーったら、ドーン君と婚約中だし、絶対に教えてあげた方が良いわよね』
その手紙がビードウシエの元に届けられたのは翌々日のことだった。そして、届けられた手紙をすぐさま愛する婚約者へと届けたのは、当然のことだったのである。
その日、朝から騎馬隊が騒乱状態になってしまった討伐隊に、劇的な変化が起きたことを、王都の人間はまだ誰も知らない。
そう、一晩、風呂に浸かって「まだニオイが取れない!」と嘆いている貧相なオッサンも、知らないことだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
作者より
バネッサちゃんとビードウシエは、元々同じクラスの仲良しでした。年下の侯爵家令息ドーン君についても、どっちかというと「しょうがない子ね」的に見ていました。二人の婚約をバネッサちゃんはずっと応援してきた関係です。当時のバネッサからすると、年下の子との婚約が身につまされて嬉しかったのかもしれません。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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