第14話 不穏

 一夜明け…… まだ夜明け前の時間だ。


 ゲール王太子専用の野営テントの中では、専用少年メイドが丁寧に紅茶を入れている。他に二人の少年がベッドを直し、小物を片付けていた。


 コス・カーライは、両手をぴしりと体側に付けて、やや頭を下げた形でゲール王太子の前に立っている。


 一方、ゲール王太子は紙束を何枚も何枚も裏表を見ては、目を血走らせていた。


 ぐぬぬぬぬ!


 なんだ、これは!


 コスから渡されたモノには、独特の折れ目が付いていた。それは良い。両面に書かれている文字が驚くほど似た筆致であった。それも良い。


 だが許せないのは「デマ」が書かれていたことだ。


 昨晩、陣内へ大量にバラ撒かれた紙の束だ。残らず集めたはずだが、既に大半の兵士が目にしているらしい


 こんなものを許すわけにはいかない。なにしろ「王宮の地下に」とまでズバリと書かれてしまった。


 この程度も隠蔽できないとは、と協力をあれほど固く誓ったジャンの無能ぶりが、いっそ憎らしくなる。


 自分にとって使えない無能は、ゴミ以下にしか思えなかった。ことが落ち着いたら、即座に切り捨ててやろうと思うことで、少しだけ溜飲を下げた。


 そうでも思わないと、この戦いに勝った後で、ジャンの顔を見るなり八つ裂きにしてやりたくなるだろう。


 許せない。だが「王の影」が使えない今のところ、この使を使うしか手が無いのはわかっていた。


 それにしても、いくら見比べても、全く同じ筆致だ。ここまで用意周到に大量の「デマ」を書いておいたというだけでも恐るべきことである。


 反逆者どもが思ったよりも手強いのは、ゲール王太子としては完全に見込み違いだった。


「こ、この!」


 怒りにまかせて、その異様に質の良い紙を千切ろうとしたが分厚すぎて破れなかった。そこでさらに腹が立ち、憤りをぶつけるように紙束をそのままコス・カーライの顔面に投げつけた。


 バシッとコスの頭に当たって、紙が散らばった。


『あちゃぁ~ やっぱり、これ拾うの、ボクの役目だよね?』


 一応ではあっても現役の近衛騎士である。鍛えてない人間が何かを投げつけても避けるのは容易いこと。しかし、まるっきり外してしまえば、投げつけた側の怒りが貯まることをちゃんと知っているのがコスの才能である。


 だから、避けたと言うよりも「頭で受け止めた」というのが実情である。


 ハァハァハァハァ


 しかし、目の前のゲール王太子の怒りは収まる様子が無く、喘ぐように呼吸するのみ。


『おや、この反応はちょっと意外かなぁ』


 目の前の人間に紙束を投げつけてぶち当てたら、多少は溜飲を下げるか、もっと悪質なタイプは、そこからさらに怒鳴り散らしてくるものだ。


『怒鳴り散らしてくるタイプかと思ったけど、どっちでもない? う~ん、わかりにくいだなぁ』


 頬をポリポリと掻きたいところだが、こんな時の何かの動作が必要以上に相手を刺激するので「ゴマすり回路」が制限していた。ここは、上司が望む言葉を吐くのが望ましい。考える前にコスの口が動いていた。


「正義がこちらにある以上、力をもって黙らせるのが上策かと存じます」


 本当に上策なのかどうかは興味ないが、上司が欲する言葉を選ぶことはできるのがコスの才能である。


「力か」

「はい。陛下のご威光により、彼我の戦力差は圧倒的です。むしろ、こちらの戦力が圧倒的だからこそ、こうして小細工するしか無いのでしょう」

「だが、奇襲を受けたと聞くぞ」


 ゲールの目は疑わしげだ。しかし、その瞳の中には「こちらが強いという話を聞きたい」という欲求があるのをコスは抜群のセンスで読み取っている。


 ここは自信を持った顔で説明すべきところだろう。


「はい。たびたび奇襲を掛けてきたのは事実です」


 ゲールは「ほら見ろ」と胡乱な目でコスを見返した。しかし、激昂せずに先を続けさせたのだ。「自分たちが有利だ」という話を聞きたい気持ちがありありと浮かんでいる。コスが読んだ通りである。


 腐っても、近衛騎士団のベテランでもある。その豊富な経験をそびやかすように、薄らと笑顔を見せて「しかし、それは何もないのと同じです」と断言した。


「何もないと同じとな?」


 怪訝な顔をするゲール王太子に、立て板に水のごときコスの説明が始まった。


「連中は、一晩頑張っても、まったくのムダ働きをしたのです。既に報告をとりまとめておりますが、こちらに被害はほとんど出ておりません。多少、水を浴びねばならぬ歩兵が出たようですが歩兵達に出た死者と重症者も合わせても、たったの十数人です。この規模の軍が動けば、その程度の数は、怖じ気づく者や、病気や怪我で何もなくても死ぬものでございます。事実、昨晩は襲撃で死んだ数よりも病気になった者の方が多いのです。つまり、事実上、敵は陛下の軍に対して何もできなかったのです」

 

 あくまでも歩兵の話だ。騎馬隊は馬や本人の怪我により200人近い「軍務復帰がしばらく不可能」という数が出ている。しかし、それは言わないだけで、ウソを吐いているわけではない。聞かれれば答えるけどね、とコスは平然としている。


「ふむ。何度も奇襲を受けたが被害は出てない。これでは攻撃されたうちに入らぬと申すか?」

「はい。こちらは2万を超える軍勢です。連中は躍起になって夜通し奇襲、夜襲を繰り返したのに、全て無駄に終わった形です。陛下の軍勢は圧倒的に優勢です。むしろ、連中は今ごろくたびれ果てて、悲嘆に暮れていると思われます」

「なるほど。一晩、動き回ったのに、こちらに被害を与えることはできなかったわけか……」


 何事かを考える顔になったところを、ここぞとばかりにコスはたたみかける。


「戦では、しばしばこういうことが起きます。相手側の被害は見えないため、ともすると自軍だけが不利な戦いであるように見えるのです。しかし、その実態として、現在の我が軍は圧倒的に有利であるというのが真実です。となれば、本日は、この対策をとれば良いだけです」

「対策、と申すか?」

「簡単です。兵士の数はいるのですから、一手間を惜しまず、今晩からは野戦陣地を作って野営させます。そうすれば、おいそれと手出しはできません。同時に、夜襲対策の罠を仕掛けて潰すこともできます」

「なるほど。逆賊どもの悪あがきを逆手に取るのだな?」

「さすがのご賢察、恐れ入ります。それに昨日の大したことの無い奇襲に対しての慌てぶり。おそらく近衛騎士団以外の連中は士気も低く、練度も低いようです。それを今後は考慮に入れて作戦を立てるようにいたします」

「ふむ。では、昨晩のようなことは二度と無いのであるな?」

「賊どもの悪あがきです。それに連中は圧倒的に少ない人数で仕掛けてくるのですから、なあに、仮に半分ずつ交代で守備をしても、連中の方が先に疲労していくでしょう」


 言葉の中身よりも、コスの自信に満ちた物言いの方がゲール王太子の心を安定させるのには役立った。とはいえ「デマ」の件は、一切解決してないのだが。


「敵に対して、悪いウワサを流そうとするのは常套手段です。何をバラ撒こうとウワサしようと、最終的に勝てばあんなものウワサにも残りません。それにウワサなどさしあたっての実害があるわけでもなく、放っておけば、何もないと同じです」


 ニッコリ。


 ゲール王太子は懸命に理性を奮い起こして、冷静に対応しようとしてみせたのは意地のようなものであろう。


「よし、では、順次出発させよ。昨日のようなマネは二度と繰り返さぬように」

「は、誓って」


 恭しく頭を下げて野営テントから退出したコスは、ふっと、思いついてしまった。


「どうせ、連中が奇襲してくるにしても狙うのは歩兵部隊に決まってる。または軍列の最後尾を狙うだろう。それならむしろ真ん中の方が安全ってことだよな。いっそ、騎馬部隊の全軍を率いる形の方がカッコイイぞ?」


 いったん、そう思いついてしまうといても立ってもいられなかった。


 昨日は、とんでもなく悪質なシカケが地面に隠されていた話は聞いている。しかし、前を歩兵部隊が歩いているのだから大丈夫だ。


『騎士団全軍を率いる形で騎馬軍団の先頭を進むなんて姿は一世一代の名シーンとなるぞ! こんなチャンスが二度とあるものか!』


 歩兵部隊に出発の命令を出すのと同時に、騎馬部隊に「待機」を命じる。


 近衛騎士団を引き連れて、その騎馬軍団の先頭に立ったのである。


 わずかに、追い風が吹いているのを感じた。まるで自分の背中を押すような気がした。


 出発を命じようとしたその時、馬を並べてきた不届き者がいた。


「副司令」

「なんだ?」

「この位置でよろしいのですか?」


 タエ・ラーレンだった。


 アグリッパが「粛正」されてしまった直後、ベテラン小隊長から中隊長へと格上げされていた堅実な実力派だ。ゲール王太子の人事でも生き残った数少ない男は、寡黙ゆえに残されたと言っていい。


 その男が、わざわざ尋ねてきた。


 言葉少なだが、言わんとする意味は「近衛騎士団が、司令官を守る位置から離れても良いのか」と聞いているわけだ。


『クソっ、こいつ、まだオレの上司でいるつもりかよ!』


 腹が立った。コス・カーライが新人の時代、タエも小隊長になったばかりであった。新人のコスがイチから仕事を教わったのは事実であるが、今は立場が違うのである。


 もちろん、理屈としては、タエが正しいことくらいわかっている。


 ゲール王太子の馬車が後軍の中央にいる以上、通常は、近衛が取り囲んで進むものであるから「近衛騎士団が騎馬軍団の先頭に立つ」というのはありえない。


 しかし「騎馬軍団全軍を率いる姿」を描くとしたら、ここしかないではないか。華やかな戦勝の後で、宮廷画家に、このシーンの勇姿を描かせるのだ。


 そんな未来を夢見たコスは、表情を凍らせて返事をした。


「ここでよい。なぁに、あれだけ分厚い壁を作ってある。連中が奇襲を仕掛けてもギョクには届かぬ。それに敵は歩兵を狙って騎馬奇襲を仕掛けてくるのだから、むしろ、我々が積極的に迎撃する形を取った方が効果的に守れるからな」


 コスの言葉に、一瞬だけ腥風せいふうの気配を漂わせるタエだ。


 戦術的には尤もらしいヘリクツを並べているが、通常で考えると「王の藩屏はんぺい」となるべき近衛騎士団が戦場において奇襲に対応する役目を果たすというのはありえないことだ。


 しかし、そのヘリクツ以上に、コスの使った言葉そのものに衝撃を受けていた。


 寡黙な顔から表情を消しながら、胸の中は怒りが燃え上がっている。


『ギョクだと? ゲール王子がいつの間にか王太子になったのは、オレ達のあずかり知らぬことかも知れぬが、王の践祚せんそも受けぬ王子がギョク、つまりは、事実上の王だと? しかも、近衛騎士団の長たる人間が恐れ多くも王たる存在を軽々しくギョクなどと呼ぶ? 何だ、この不忠不敬な物言いは!』


 そんな言葉をタエは全て押し殺すと、黙って頭を下げて引き下がった。


 その懐に、しわくちゃになった紙が入っていることをコスはもちろん知らなかったのである。


 気を取り直して、コス・カーライは馬上、胸を張った。


 コスのゴマすり人生の中で、最大の見せ場だと言っても良い。


 宮廷工房に特注しておいたピカピカの甲冑も誇らしげに胸を張り、本人としてはめいっぱいの威厳を持って騎馬全軍に命じたのだ。


「我に続け! 全軍、前進!」


 おもむろに愛馬が三歩進んだときだった。


 ブッシュー

 

 ブッシュー


 ブッシュー


 汚汁街道で、また今日も地雷が炸裂した。


「わぁああああああ!」


 後に続いた馬によって踏まれた地雷は、コス・カーライの全身に液体シュールストレミングをぶっかけたのであった。


 その日から、コス・カーライはゲール王太子の馬車に乗ることを禁じられることになった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

 鎧を構成する金属部分は洗い続ければ何とかなるかもしれませんが、つなぎ目や裏地には革や布地が使われます。汚汁が染みこんでしまうとニオイは絶対に抜けません。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 



 


 

 


 




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