第58話 8月7日・点描 3 東西
デベロップメント大陸東の外れ。
夏とはいえ、窓から吹き込む海風は涼しい。
ガバイヤ王国の宮殿において御前に並ぶのは大臣や幕僚クラスである。会議と言うほどでは無いが、茶話会というほどくだけてもいない集まり。
まだまだ「若い王国」だけに、曖昧な慣習が残っている。しかし、会議では無いと言っても、国王の決断はそのまま王国の決断となり得る。
国王の御前で話すと言うのは緊張を伴うのが常だ。
「西もそろそろ動いたはずだな?」
宰相であるシャーラクがキャラカ参謀に話を振った。もちろん、宰相としては、既に知っていることだが、国王の前で確認することに意味がある。ここでの会話は漏らせば死罪だ。けれども、漏れて不味いことは言わないのが当たり前。時には「相手に聞いてほしいこと」も混ぜるのが外交と言うものだ。
「最後の連絡は、第6教区で仕掛けるというところです。夜の間に教会の壁に書いておいた『シードを望まん』の言葉にマヌス枢機卿が過敏に反応したそうです。この枢機卿は清貧を地で行き、信仰のみに生きる、まあ一種の変物ですからね。カミサマを信じ切っています。上手く焚きつけられてくれれば、オノマトーペを出して王都に向かい、この後枢機卿会議が行われることになるかと」
大陸の反対側まで情報が伝わるのは、まだまだ時間がかかるのである。
チラリと国王の反応を確かめると、心持ち身を乗り出したようだ。シャーラクは
「先」を話させた。
「枢機卿会議を開けばどうなるんだね?」
「彼らの聖地であるシードを取り戻すため、軍事行動を起こすことになるでしょう」
「サスティナブルの反応はどうなるかね?」
「全面的な鎮圧以外に手はありません。しかし、今のサスティナブル王国ならできてしまう可能性が高いのです。なにしろ、今代の御三家は傑物揃い。かの国は、相当に力を蓄えておりますから、100年前の復讐を企てて、一気に失地回復を図ろうとするのは必然かと思われます」
「どの程度の兵を出すと思うかね?」
「おそらく初動で10万。近くの領地に控えさせる予備兵力も合わせると、最終的に20万規模になるかと」
一瞬、ザワッとなったのは、その兵力が自分たちに向けられれば、と思ったからだ。
そこまで喋らせれば十分だろうと、シャーラクは判断する。
「リマオ軍務大臣。我が国がサスティナブル王国に攻め込んだとして、勝算は?」
「仮に、サスティナブル王国が国力全てを我が国に振り向けて対した場合、国力から見た兵力は10:3と言ったところ。良くて引き分けですな」
三倍の敵に「引き分け」だと言い張るとは、だいぶ見栄を張った物言いだが、シャーラクは口を挟まなかった。しかも「攻め込む」としたら、5万がせいぜいだというのは、宰相として承知の上だ。もしも、その20万をこちらに向けてくれば、実に四倍になってしまうのも腹の中だ。
リマオが続ける。
「しかしながら、東西に広い国土の片側に兵力を集中するわけにもいかないでしょう。また、かの国は北の連中や南のサウザンドにも抑えが必要です。ウチに割けるのは、どれだけ集中しても半分がやっと。そして東側だけの兵力であれば我が国が優勢です」
「つまり勝機はあると?」
「というよりも勝利は確定しております。もともと、東側にいる二大領主、シュモーラー、シュメルガーと我が国との間にある500キロ近い無人の原野があります。そこを超えてくるのは、あちらも大変なはず。しかも今回の狙いは我が国の北西にあるシュモーラーの飛び地です。あの家の本領はあくまでも大陸南西です。今は当主が2箇所を差配しているようですが、その分、この飛び地の戦力は極めて脆弱です」
補足が必要だなと思ったシャーラクは、再び参謀に目を向けた。
「恐れながら、確認させていただきます」と丁寧にお辞儀をしてから立ち上がり、おもむろに地図を掛けて説明を始めるキャラカだ。
こういう時のために、地図なども用意もされているのだ。
「もともと、サスティナブル王国は8侯爵家でした。そのうちの2つが100年前の戦争において断絶しました。おそらく、当初は暫定的に決めたことだと思われますが、今では西側は男爵クラス以下の小領主が治める土地となり、西部小領主地帯と呼ばれているようです」
キャラカが壁に掛けた地図の西側を指示棒で示している。その先端が、そのまま右に振れた。
「東がこちら。シュモーラー家が治めています。内部事情はわかりませんが、代々、この家の分家の当主が家宰として置かれておりますが、実態としては小領主が割拠している形ですので西の方とさして違いはありません。したがって全体の人口は10万人ほどになりますが、兵力としては上を見ても2万がせいぜいでしょう。ただ実際にそれだけ集まるのかと言う問題と、ほぼ同格の小領主同士ですので誰が指揮を執るのかという問題が生じるでしょう」
そこで軍務大臣が「相手の統一指揮官が赴任する前に個別撃破すれば鎧袖一触ですな」と呟いてみせるのは、手はず通りだ。
そこで国王の声が挟まった。
「となると、我が国がそこをモノにするためにはどのくらい必要なんだね?」
まだ「ムスミフ」と呼ばれていた子どもの頃から、英明で知られるメハメットⅣ世は身を乗り出している。
「1万だと考えております」
リマオ軍務大臣は、背筋を伸ばして即答してから、付け加える。
「ただし、実際には2万を使います」
「なぜだね? 余分に金がかかるぞ」
「さすが陛下。財政へのご高配、臣は心より感謝申し上げます。しかしながら、これは余分な金をかけないためなのです」
「どういうことだ?」
「はい。1万と2万の差は、単なる倍を意味しません。一つの小領主が動員できるのは最大で100でしょう。近隣の領主が集まっても千にはなりません。そこに、先ほど個別撃破と申し上げましたが、5千の四筋に分かれて進撃します」
指示棒が4つの筋を描く。
「あちらの小領主達を同時かつ瞬時に粉砕していきますので破壊力は4倍以上。そして一気にここまで」
指示棒の先にはカインザー領と書いてある。
「カインザー家との境まで戦線を押し上げるのです」
「ほう」
「さすれば、占領地の小領主達からの収奪と兵の徴発を行います。いわば奴隷兵というヤツですな。占領に5千を残しつつ、その徴発した奴隷兵5千と、残りの1万5千を新たなる国境の防衛に投入します。なぁに、家族を人質にすれば、そこそこは働くでしょう。あくまでも新たな国境を守るための死兵として使い、損耗は奴隷兵だけとなるようにすれば、我が国の損害は、ほぼなくなる計算です」
思わず「それなら!」と思いかけて、慌てて渋面を作ってみせるメハメットⅣ世だ。
「なかなかに面白いな」
一つ頷いてみせると、わざと興味を無くした表情を作った。このあたりは、即位して30年を超える海千山千の王だ。簡単には意見を読ませない。
国王が興味を下げたと見るや、すかさず商業大臣、ムスベによる「黒き森」の開発についての話が始まった。
おそらく次は、内務大臣による例の「お世継ぎ」の話になるだろう。その時点で国王は怒りで席を立つに違いない。
『とりあえず、今日は全体像をお耳に入れただけだが、ご興味をお示しなさったぞ。次で決定だな』
今は、政策を決定する場でも無い。陛下の興味を引ければ十分だとシャーラクは満足だった。本当の「相談」は陛下と二人だけでしなければならない。
近いうちに、とシャーラクは考えている。サスティナブル王国の兵力が完全に西に動き、アマンダ王国とガッチリ噛み合ったタイミングがベストの勝負時だ。
『そうなると、早くても来年の終わり、おそらく再来年の春を待っての侵攻がベストとなるのであろう』
まだまだ時間はある、とシャーラクは思っている。
大陸の端まで「ローディング」が伝わるにはまだまだかかりそうだった。
・・・・・・・・・・・
一方、ガバイヤ王国から4千キロ以上も隔てた大陸の反対側。アマンダ王国では、スカスカになった宮殿で主が困り果てていた。
国王、イルデブランド3世は、ぐったりと至高のイスにへたり込んだままだ。
「どうするつもりだ」
急遽の奏上を申し込んできた軍務大臣であるヒューゴは「軍を動かすご許可を」と声を上げた。
「今さら軍を出して、どうなる? 兵の半分がいなくなったと、昨日、お前が言ったばかりではないか」
ローディングの恐るべき吸引力は、この世を生きるのが困難な貧しき人々だけではなく、あらゆる階層を飲み込んでしまった。
店員、若者、引退した年寄り、働き盛りの真面目な若者。そして兵士も、宮殿勤めの侍従達をも吸い寄せてしまったのだ。
教会関係者の、それも高位である者ほど引き寄せられなかったのは、まさに皮肉だ。
「現在、王都・グラだけではなく、話は急速に広がり、全国から人々が集まっております。あまりにも人が膨れ上がったせいで、進み方が遅くなり、だからこそ人が集まる、という現象になりました。おそらく人々の中心部では、壮絶な状況になりつつあるかと」
「壮絶な状況だと?」
「はい。グラから出た最初の街ニベはあっと言う間に食い尽くされました。家々の食料は全て食い尽くされ、途中にある貴族の屋敷も略奪に遭っています」
「貴族であれば警備の兵士もおるであろう?」
「ローディングの集団だとわかって、それを叩ける人間がどれほどおりましょう。少しでもためらえば、あっと言う間に人の波に飲み込まれまする。多少の警備などあってなきがごとし。しかも、です」
「しかも? 何だ、申せ」
「主に食料を扱う商店の略奪には司祭や巡回司教が先頭に立つ場合すらあるのです」
「なんだと? 司祭が略奪を?」
「はい。確実でございます。司祭を切り捨てられる人間など、この国にはそうそうおりませんぞ」
「いったいなぜ、そうなってしまったんだ?」
教会の人間が略奪など考えられない。
「神への奉仕を行う貧しく飢えた人々に食べ物を差し出すのは、持てる者の義務だ、とのことです。実際には略奪が始まれば何もかも奪っていきますが」
「そんなバカな」
「だから、せめて国内にいる間だけでも、食料と水を渡してはいかがかと、本日、参った次第です」
「なるほど、それに軍を使うわけじゃな?」
「御意。しかも、兵士として民衆を助ける行動は、ローディングに参加したのと同じだと、枢機卿のどなたかに言っていただけば」
「なるほど! 軍に戻ろうとする者も出てくるやしれん」
すぐさま、国王は国教務大臣のシュターテンに言った。
「誰でも良い。一番早く呼び出せる枢機卿を呼べ」
「はっ」
「そして、ヒューゴ、軍の行動を許可する」
「はっ、ありがたく」
あたふたとヒューゴが退出した。続けて退出しようとしたシュターテンを引き留めて言った。
「あ、それとな」
「はい」
「誰か茶をまともに入れられる人間を一人寄越してくれ」
「ははっ! 申し訳ありません。すぐに!」
ローディングの大嵐は、まだ始まったばかりであった。
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作者より
近況ノート 1月23日に、デベロップメント大陸の概略図がございます
地図を見ていただくとわかりやすいです。
ちなみに30万人が参加してしまうと
食料だけで、一日に600トン
飲み水だけで一日にプール1.5杯
排泄物(固形)が120トンとなります。
これを補給計画無しに動かすと、そりゃ通った後に屍しか残らなくなりますよね。
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