第59話 8月7日・点描 4 近衛

 侯爵公邸。


 執務に疲れた時のために豪奢な仮眠室が用意されている。普段は全く使わないが、かと言って掃除をサボるような不届き者はいないらしい。


 真新しいシーツの一部はグショグショだが、広いベッドだけに何の支障も無い。


「パパよりエライ人って誰がいるの?」


 小さな頭をジャンの右腕に載せたヤリーが突然、そんなことを聞いてきた。


「なんだ、それは。ワシよりも偉いというなら、国王陛下か……」


 言葉を停める。


「か? 誰? 侯爵様なのに、パパよりもエライ人が大勢いるの?」


 公爵という言葉を端折りたいジャンに、無邪気な顔のヤリーは容赦が無い。


「何を言うか。この国に、いや、我が国は世界一だから、事実上、世界にワシよりも偉い人間など、そうそうおらんぞ」

「そーなんだぁ。ふふふ。パパ、すごいんだね、もっと偉くなってね!」


 クリッとした瞳が「ホントだよ」とイタズラに笑っている。唇に塗っていた紅は、先ほどまでの激しい行為で取れかかっているが、逆にバラ色に染まった頬が男を賞賛しているかのようだ。


 まさに、ヤレばヤルほど、もっとヤリたくなる女だ。


 痩せているのに、付くべきところにはしっかりと肉があり、男を満足させる「実」を持っていて、その上、最中の声が切なくも甘い。


 容易に頂上に達して男の支配欲を満たしながら、何度でも男を迎え入れるだけの持久力まで持っているのだから、ついついのめり込むのも当たり前だ。


 ジャンも高位貴族として、それなりの女性経験を持ってはいる。だが、ここまで具合の良い女というのは初めてだった。


「ね、パパぁ、おねだりしたいなぁ」

「何が欲しいんだ?」

「あのねぇ、高くて、遠ーくまで見える窓のあるところで、パパと二人でお茶したいの」

「ほぉ。遠くを見ながらお茶か」


 侯爵へのおねだりとして、そんなのは、あまりにも軽い「おねだり」だ。普通の女なら、ここまで寵愛されていれば「店一軒を買い取ってくれ」くらいを言うのが普通だ。


「そうなの。パパと二人っきりの時間を、ゆーっくり楽しみたいな」

「それなら明日にでも出かけるとしよう」

「わっ! 嬉しい、ありがとう、パパ」

「他に欲しいものはないのか?」

「え? パパと一緒にいられて、今日はお仕事をするカッコイイお姿まで見られたんだもん。他に欲しいものなんてないよ」


 この反応がジャンには新鮮だった。


 若くて美しい女を囲うと、最初はともかく、次第次第に「あれも欲しい、これも欲しい」になるのは当然だと思っていた。ところが、ヤリーは、いつまで経ってもジャンにベッタリする時間を欲しがるだけなのだ。


 宝石も高価なドレスもさして欲しがらない。もちろん、ジャンが贈れば喜ぶし、服も宝石も、次の訪問時に身につけて見せてくる。


 しかし、それだけだった。


 自分を魅力的に見せる服は好むが、それはジャンと二人でいる時用の服に限る。パーティーに着ていくようなドレスは「どうせ、パパとは行けないし」と言って断ってくる。


「パパがいてくれたら、なぁんにもいらないの。できるだけそばにいて? パパがもっともっと偉くなって、カッコ良くなると嬉しいけど。それだけだよ?」


 そんな風にキスされていると、最初は「この女は何を考えているんだ」という警戒心から、次第に「コイツはオレに惚れたんだ」と思うようになるのも当然だった。


 なにしろ、どんな贅沢をするよりも、ジャンの横にいることをうれしがるのだから。


 いきおい、公の仕事をする時以外は、ヤリーのところに入り浸るようになり、腹心を呼べばすむ仕事はヤリーを横に侍らせて指示するようになっていく。


 いや、最近は「冒険」と称して侯爵公邸に変装させて連れ込む遊びまでするようになってしまった。


 執務机の中にヤリーを隠して、ずっと「お口仕事」をさせながら、あれこれと仕事を命じるという倒錯した遊びはクラクラするほどの興奮を覚えてしまった。


 しかも「パパのお仕事の場所に入れてくれた!」と、たいそう喜んで、普段は使わないテクニックまで持ち出してきた。


 そして、今日は、とうとう仮眠用のベッドに連れ込んで、一戦を…… いや三戦、四戦を果たしてしまった。


 もちろん、侯爵が「しばらく寝る。呼ぶまで起こすな」と一声掛ければ、指示を破る人間などいるわけがない。たとえ、その後、廊下にまで「あってはならない声」が聞こえたとしても知らん顔をするのが生きる知恵というモノ。


 搾り取られた侯爵が、思わず熟睡してしまった昼下がり。目覚めてみると、夕方近い。 


「ん? ヤリーがいない?」

 

 慌てて、執務室へのドアを開けると、足を揃えて座ってこっちを見つめている。蠱惑的な表情。


「そこで何を?」

「ふふふ。パパ~ どう、こんな感じ」


 揃えた足が、スルスルスルッと大きく広がった。女の部分を見せつけるかのようにウネウネと腰を動かす。


「どう? ほら、こっちに来てぇ。パパだけのところを見て。ね? ほら、どうかしら?」

 

 甘い声の誘いに、ついフラフラと近づいてしまった。


「寝起きのパパは、お元気よね? 私の中で、起き抜けの運動かしら?」


 机にはいくつもの書類が置きっぱなしになっているが、どうせ大したモノではない。


 仕事机の上の束の間の奔放。 


 事後、机の上に広げっぱなしの書類が、何枚もビショビショになってしまったが「この程度は大したことが無い」とさらにのめり込むジャン。


「あぁあん、すごい! パパ、すごぉい! やっぱり男の人って、仕事場がとってもカッコイイの! ああん! もっと、もっとぉ!」

「そうか。じゃあ、また、今度もこの机で」

「あん、もう~ パパったら悪いクセがついちゃってぇ」


 

 甘い声を上げながら、ジャンにしがみつくヤリー。


「おぉ、お前も、ずいぶんな好きモノだな」

「もぉ~ それはパパの方だよぉ。私、えら~いパパがだ~いスキなだけだからね」



 

 ニヤリ、としたのは誰だったのか。 


 


・・・・・・・・・・・




 数日前、メリッサは義父にお願いをした。


 しばらくショウ様は王都に戻らない。急に帰れるにしても必ず手紙が先に来るはずだから、万が一の対応はミィルに託して、みんなでカーマイン領に遊びに行こう。


 それを提案した本人だけに、義父に頼むのもメリッサの役割である。


「バネッサ様のお里下がりに合わせて、一度、みなで領地にうかがわせて頂きたいのです」


 嫁連合による「強化合宿」である。いや、何を強化するわけでもないが、あえて言うならば夫との絆を強化するというあたりだろうか。どっちかと言えば共通の「オシ」で楽しむ会みたいなものだ。


 代表してのお願いはメリッサとメロディー。二人ともショウの父親に対してすっかり馴染んでいる。


 しかし、馴染まれている義父は、基本的に小心者である。いくら「息子の嫁」とはいっても公爵令嬢の圧には、まだ慣れてないので腰が引け気味ある。


「なるほど。来ていただくのは嬉しいことです。どのみち私達も領地に戻ることになっていますので、ペースをバネッサちゃんに合わせて、ゆっくり戻れば大丈夫でしょう」


 ついつい、息子の嫁への口調も敬語になりがちなのだ。


「ありがとうございます」

「ただ、こちらは構いませんが、ショウがいないというのに、良いのですか?」


 夏休みだ。それに婚姻済みと言っても子をなしたわけでもない。特に、メリッサとメロディーは実父が責任さえ持てば、実家の領地に戻っても問題ないというのが慣例だ。


 肝心の本人が不在なのに、わざわざ領地にやってきたいと申し出るなんて。


 王都邸ならともかく、に妻妃が揃って「お出かけ」していくのは、どちらかというと珍しいだろう。


「はい。ショウ様を待つために、お花を植えさせてください」

「それは、きっとあの子も喜ぶわ」


 義母がニッコリ。


「ありがとうございます」


 メリッサは、すっかりショウの母親を尊敬してしまっている。偉大なる賢母Great Wise Motherが笑顔で認めてくれたのが、とても嬉しかった。


「では、三日後、王都を立つ予定でよろしいかしら?」

「はい。よろしくお願いします」


 こうして、メリッサ、メロディー、バネッサにニア、もちろんクリスにリーゼとが揃ってオレンジ領へと行くことになった。


 当然、カーマイン家の騎士団が全力で護衛に付くのは当たり前。当主一家どころか「若様のお嫁さん達」までもが任されるのだ。その意気たるや天をつくばかりである。シュメルガー・スコット両家の騎士団から、同行させてほしいという希望が来たが、それは騎士団が決められるモノでもなく、伯爵本人によって固く辞退されてしまった。


 その結果として、偶然「休暇」をとった両家の騎士団員がきっちり12名ずつ、偶然、オレンジ領近くまで遊びに行くのと一緒になってしまったのである。


 騎士団と言えども、遊びに行くことはあるので、何も問題ない。そうなのだ。遊びに行くのであるから、それを他人がどうこう言うわけにはいかないのである。


 いや、まったく、なんてことだ。


 途中で気が付いた伯爵は苦笑いするしかなかったそうである。


 なお、両騎士団ともに、この際の「休暇」を取る権利は激しい争奪戦が繰り広げられたのは言うまでも無い。


 しかし、騎士団の茶番はともかくとして、思わぬ道連れができてしまった。


「よろしくお願いします」


 一歩引いたところから代表の挨拶をするのは、まさかのノーヘルである。横には助手みたいな顔をしたサムも、ちゃっかりと立っている。


 後ろに戦略研のトビー達や、ミチル組のみなさんと女子が数人。さらに、南軍に所属した2年生6人もいた。


 しかも、どこをどう聞きつけてきたのかわからぬが「女子が行く以上、学園のお目付役が行かねば、親御さんの了承も得られぬであろう」とカクナール先生と体育のネムリッサ先生までが付き添って、総勢20人以上に増えてしまった。


 もちろん、これはショウの意向を汲んだ「リクルート」の意味があることを理解したメリッサが、義父の了承を得てから快く許可したのである。


 学園組は基本騎馬で、女子は好意で提供された公爵家の客用馬車となる。家族は基本的にカーマイン家がご自慢とするアルミ車体の馬車だ。


 バネッサの体調を第一にして、休憩を多めに入れながらゆっくり進む計画であった。


 素晴らしい義両親に、友人達。和気藹々とする楽しい旅行のはずだ。


 オレンジ領内から王都までの道は、仮舗装だとはいえ、格段に整備されてきているから、最新型の馬車と言うこともあって快適な旅が予定されている。


 ただ、王都との境となる関門を通るとき、メリッサだけは、ふと「ミィルさんも、いったん、こちらに来ていただいた方が良いみたい」と、思いついていた。


 それがなぜなのかわからない。


「ミィルさんが来たら、夜通しショウ様の幼少の思い出話を聞けるかしら?」

 

 無理にでも、明るい話に切り替えようとしたメリッサは、心に浮かんでくる黒雲を押し殺して、ニコリとした表情を見せたのであった。 


 

・・・・・・・・・・・


 8月4日。


 王宮内、近衛騎士団詰め所。


 ゲールは、ヤル気満々の表情で甲冑を着け、横には王の警護を本来とする男と一緒にやってきたのだ。


 声は既に荒ぶっていた。


「騎士団長は私だ。たかだか演習をするだけで誰の許可がいるというのか」

「もちろん団長はゲール様ですが、緊急時ならともかく、演習と言うことであっても、いえ、演習であるからこそ、国軍総司令の許可無く近衛騎士団を動かすのは慣例にございません」


 なにしろ、王都最大の武力である。軽々しく動いてはならないというのは、見習いの頃から繰り返し、徹底的に叩き込まれている。


「近衛の動くは、すなわち王の危機を救うため」が、基本なのだ。


 大隊長であるアグリッパは、第一王子の「緊急の演習を行う」という宣言に対して、言葉は丁寧であっても断固として拒絶した。


 後ろに並ぶ中隊長達は、一様に大隊長の言葉に頷いている。


 突然現れたゲールが、団長の権限として「演習のため、第一中隊を緊急動員せよ」という指示を出してきたからだ。


 モノを知らないゲールからして見れば「騎士団員を呼び出して、王都内をグルッと一周するだけのこと」と言うつもりなのだろう。


 しかしなんの調整もなく、百名からの騎馬隊が、王都を突然走り回れば、混乱や不安を呼ぶに決まっている。それがわかっているから、アグリッパは、実務者として「命令」を拒まざるをえない。


 ぐぬぬと唸るように怒りの表情を抑えきれないゲールだ。


 予想以上に、エルメス総司令と近衛騎士団のつながりは強いと思ったのだ。


『クソッ、だからコイツらと公爵どもとを仲違いさせておくはずだったのに』


 異民族出身であるアグリッパは、エルメスに見いだされて上り詰めた人物だけに、明らかに公爵・御三家寄りなのだ。何よりも、同じ異民族出身のスコット家の騎士団長ムスフスとも親友らしいというのが厄介だ。


『こいつらをなんとかしないと計画の基本が崩れてしまう』


 常時、王都内で2千の兵力を抱える近衛騎士団は、サスティナブル王国としても少々特殊な存在だ。普段は治安部隊の役目もあるが、本来の役割は「王家を防衛する最後の力」となっている。


 そのため、王族の警備も一番内側を任され、出動も王の勅命によるものになる。


 その主なメンバーは貴族達の分家スジや男爵、騎士爵クラスから次男以下を幼いウチから選び出して鍛え上げてきたものだ。


 特別なプライドを与えるために、班長以上には、年に一度、王との会食の場まで設けられるのが慣習となっている。ことに今代のジョージ・ロワイヤルは、団員全員の名前を覚えているとまでいわれるほど。


 王からの信頼は厚く、王に対する忠誠心も高い。


 それだけに「王」からの勅命を例外として、国軍総司令、すなわち「副団長」の指示以外を受け付けないのだ。


 しかも、団長とはいえ、しょせん「お飾り」に過ぎないゲールは初めから相手にされてこなかった。


 逆に言えば、団長として「実質的な権力」を取り戻せれば、王都の最大戦力を自分が握れる。


 それがゲールの目論見だった。


 ちょうど、エルメスが長期不在となりそうだということはわかっていた。これを利用して「団長の命令を聞く近衛騎士団」に作り直すつもりだった。


 今日はその第一歩。


 ゲールは堪えきれないほどの屈辱を味わいつつも、目的は果たせたのである。


 悔しさにいくぶん声が震えるのは仕方ない。


「そなたは団長の命令を聞かず演習を断った。それは覚えておけ」

「めっそうもありません。ただ、慣例にないことゆえ、総司令にご相談をしたいという順番の問題でございます」

「ふん、演習の命令を実行しなかったのは事実であろうが。そうやって、いつまでも、慣例、慣例とほざいていろ!」


 言葉を吐き捨てると、そばの机を蹴っ飛ばしてから、マントを翻して出ていくゲール。


 本来なら、調整もなく王都内を演習で走り回ることの弊害を説明するべきであったろう。しかし、いつにないゲールの怒りぶりに困惑して、説明するのをためらってしまった。


 見送るアグリッパの表情は戸惑いばかり。王のために命を捧げる覚悟も、困難な戦場でも背中を見せずに挑む勇気も持っているが「政治」のことはさっぱりだったのだ。


 背中に怒りを露わにしながら歩くゲール。しかし、頭の中は外見に比べてずいぶんと穏やかだ。


『ロウヒー侯爵はさすがだ。これで一歩踏み出せたことになる』


 この後の展開を考えれば、これが笑わずにいられようか。


 アグリッパの忠義面が、どんなあほ面になるのか考えるだけで笑いが浮かんでしまう。


 考えてみれば、あんな異民族の男が王のお側にいることが恐れ多いと知るべきだ。思い知らせてやる。


 その顔が、嗜虐の形をとってニタリと笑ったのである。





・・・・・・・・・・・



 8月7日


 耳の早い、心ある貴族は震撼した。


 近衛騎士団の大隊長アグリッパに対して勅命により「抗命罪」が与えらた。中隊長全員とともに逮捕されたという事件が伝わったのである。  


 まだ夜も明けてない時刻だ。実行したのは、直筆の勅命を見せられた団員達自身の手であった。

 

 情報をつかんだリンデロンは即座に宮殿に上がって事態収拾に当たろうとした。


 しかし、王への面会を申し込んだその場に手の者が耳打ちしてきた。


 間に合わなかった……


 全員が毒を含んで「自殺」していたのであった。おそらく、入牢直後であろうとのこと。





 王都のどこかで、ひっ、ひっ、ひっと笑う影があったのかもしれない。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より


お気付きかと思いますが、ヤリー・マーンちゃんはジャンが寝ている間に執務室の書類を見放題でした。机の上にも広げていましたが、起きてきたジャンに対して、ああいう風にしたので身体の下になった書類に気付かれることはありません。何よりもヤリーは平民なので文字は読めないとジャンは思っています。普通は読めません。


さて、次話で「王立学園編」を終了して「動乱編」へと移ります。って言うか、既に「王立学園」を飛び越えた話ばかりになってしまいました。

名前付き登場人物初の死者でしたね。


親友の死を知ってムスフスが慟哭したとか……


それにしても、なぜ国王が簡単に勅命を出してしまったのでしょうか。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇








 



 



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