第57話 8月7日・点描 2 出立

 王都・カルビン家公邸


 馬車に登りかけた当主に、ドーンは最後のお願いをしている。


「お館様、お願いいたします。私も連れて行ってください」

「ならぬと言ったはずだ」


 当主、フレデリックはにべもない。


「しかし、私も、もはや子どもではございません。きっとお役に立てるかと存じます」

「言っておくが、お前が役立たずだから連れて行かぬのではないぞ。むしろ逆だ」


 カルビン家家長としての威厳を込めて「お前には大事な役目があろう?」とドーンの目を見つめた。


 いつの間にか、自分と背丈が同じほどになっている息子を厳しく、しかし父としての優しさを込めて見つめた。


「こたびは、100年ぶりの大戦おおいくさになるやしれぬ。国軍を補助すると言いつつも、最前線は我が家が立つことになるのだ。カルビン家として、家の存続を考えるは当然ぞ。むしろ、お前は家族の中心となり、王都で我が家の柱となってもらわねばならぬ」



 まだ、学生の身である。跡継ぎも生まれてないのだ。


「しかし」

「まず、学問。お主は次期総領として王都で積める経験がたくさんあろう。婚約者殿にも一緒に頑張っていただけ。それも良き経験だ」

 

 言葉を切って「ジル」と呼んだ。


「ここに」


 王都での家令が深々と頭を下げる。


「これより、ドーンを我が家の総領(事実上の当主代行のこと)とする。お前が証人となれ」

「かしこまりてございます。ドーン様をお支えいたします」

「ドーン。ジルには、万が一、お前が手痛い失敗の道に行かぬよう、停止権限を与えておく。しかし、それまではお前が我が家だ。よく考え、判断せよ。ただし賢いやり方をするなら何かを命じるときはジルを通すことだ」


 初めての「全権委任」をされた興奮に、ドーンは、驚く。


「父上」

「よい。では行くぞ」


 目配せで、騎士団長、ゲーネフは「全軍、進め!」と叫んだ。


 王都にいるカルビン家のほぼ全軍が、来るべきに向けて、国境に向けての進発をしたのである。


 領地からの兵力も、当主からの手紙が届き次第、出発するはずだ。


 カルビン家の全力動員として合わせて1万2000の軍となり、アマンダ王国の南から攻め入る予定である。シュモーラー家と侵攻のタイミングを合わせるため、一足早くの出立だった。


 見送る嫡子ドーンは、この瞬間から領主代行となったのである。




・・・・・・・・・・・



 シュモーラー家の当主コーナンは、特注の最新型馬車に乗り込むと、ふむ、と頷いた。外には、一同が見送りに出ている。次女のビードウシエは、やはり本日旅立つカルビン家の方の見送りに出ているらしい。


 婚約している以上、そういうものだ。娘の顔を見られなかったのは少々寂しいが、仕方のないこと。


『それに比べて、なぜ、来ぬ!』

 

 むしろ、気になるのは長男セーナンとの婚約予定者のことだ。


 最近、押しつけられた王家の娘、ガーヒャル。


 しかも、今回の出陣は「王命」なのである。


 普通の感覚であれば「婚約予定の相手の父上が出陣する」となれば、何を置いても見送りに来るものだ。まして王家の娘なのであるから、なおさら来なければおかしい。


『やはり、何とか根回しして、正式に辞退申し上げよう』


 妻も、この婚約を受けることに大反対をしているのが実情だ。留守中は、いつもの通り、家令に補佐させ、長男であるセーナンに代行させる。


 すでに20歳だ。よほどのことが無い限り、問題ないだろう。


 くれぐれも、早く結婚させなかったのが悔やまれる。本人がのんびりしていたのもあり、側妃、側室、それに子どもは産まれていても、肝心の正妻を迎えていなかった。


 失敗を悔やむより他にない。


「出るぞ」

「はっ」

 

 横に乗るのは旅程を取り仕切る執事、マグ。


「王都から真っ直ぐ西に向け、ガーネット領を進んでから南下いたします」

「ガーネット領までは道が整備されたそうだな」


 当主として、その程度の知識は手に入れている。


「つい最近ですが」

「となると、この馬車の出来を確かめがてら、いけるところまでは馬車でよいな」

「はい。道中数カ所がまだできあがっておらぬようですが、山脈のそばまで道ができてきたようなので大半は馬車で可能かと」

「軍事しか頭にないと思えば、あの御仁、なかなか味なマネをしおる」


 コーナンは、わざわざ馬車の旅ができるようにしてくれたガーネット公爵の味な振る舞いにニヤリ。道路を作るのは莫大な金がかかる。奇特なことだと思ってしまうのだ。


「今回はカルビンのところがウチを通る。どうなっておる?」

「既に領地には連絡済みです。要所要所に水と食料を補給できる様に手配することになります」

「よし。代金は後でたっぷりと搾り取れる。楽しみだな。よし、では、長い旅だ。ユルユルと、その準備の中身を聞いていくとするか」


 味方とはいえ、貴族の戦争は自給自足が原則だ。補給を手伝うのは当然としても、それを無償で行う義務はない。せいぜい、相場の倍ほどで買い取らせてやろうとコーナンはニヤリとした。



・・・・・・・・・・・


 王都から北へ50キロほど離れた丘陵地。


 丘の下に立てられた離宮は王妃専用である。


 王妃は、水晶宮を愛した。特に今年は暑い。5月の半ばから、ずっとこちらにいた。


 ここならば、煩わしい視線や、ウルサいウワサをする者などいない。ただし、離宮の外周を守る警備以外、男性は一人も置かれていない。


 あの夏の年以来、そうなったのだ。


 そして「あの夏」のが、顔を真っ赤にさせて怒っている。


 そう、水晶宮から男性が追放された、あの結果だ。 


「母上! 私はこれ以上我慢できません!」


 ゲヘルは、無理やり水晶宮にやってきたのだ。本来なら男性を入れぬところだが、息子のたっての願いということで仕方なく入れてやった結果がこれだ。


「何度繰り返せばわかるのです? そなたに伝える言葉は変わりませぬぞ」

「また『我慢』ですか! 私ももう、来年、学園を卒業いたします。いい加減、きちんとしたお答えをいただきたいのです!」

「ほらほら、これをお使いなさいな」


 手元にあった扇を渡してはみた。それは「頭を冷やせ、母は答に困っているぞ」という婉曲な諫めでもある。


「暑くなどありませぬ! 第一、ここは水晶宮ではありませんか!」


 もともと、水晶宮とは豊富な湧き水を邸内のあちこちに流すシカケが至る所についている。鮮やかに流れる水の美しさから「水晶」になぞらえているが、美しさと同時に、室温を下げる装置でもある。


 決して室内は暑くない。だからこそ、くらいは、王子ともなれば、すぐに気付かなければならぬのだが、そういう腹芸のできない我が子が不憫だった。

 

『ふぅ。やはりタネが悪いと、どうにもならぬか』


 あの日、ダンス教師が持ってきた珍しい「香」が全てを誤らせた。理性を飛ばすほどにのめり込んでしまったのだ。意識さえしていれば、けっして、このような失態ゲヘルに扇を渡すようなことなど無かっただろう。

 

 小さくため息をおとすミヒャエル王妃である。


「母上、お願いです。王妃たるあなたから、ほかの者たちに言い聞かせていただきたいのです。正妃にはその権利があるはずです」


 もう一度、大げさに、ため息をついた時、ミヒャエルは、どこかで心が折れたのかもしれない。確かに一夏のアバンチュールを楽しんだのは自分の落ち度だ。だからといって、ガバイヤ王国国王の長女だった自分が、このような扱いに甘んじるのはあまりに理不尽に思えていたからだ。


 本来は、自分の嫁入りによってガバイヤ王国は不可侵条約を20年間無条件で更新されるはずだった。代わりに南に広がる「黒き森」の開拓に目をつぶる。そしてサスティナブル王国にとっては、生まれた子どもが王権を握れば、ガバイヤ王国の血筋を取り込んだ王の誕生となり、いずれガバイヤ王国併合を果たす礎となるであろうと期待された。


 両国にとって「片手に剣を隠しつつも」という見事な外交の成果となるはずだったのに……


『たった一度の、あのタネのせいだ』 


 オニキスの瞳は、たまたま同じであったから良かった。だが、この栗色の髪はどうにもならない。十数年間シラを切り続けてきたが、これから先もずっと、これが続くのか。


 絶望しかなかった。


 認めてしまえば、死。しかし、認めずとも、誰もが「知っている」事実で身を縮め続けなくてはならない。


『よりによって、コイツだけが事実を知らされてないのだから』


 もう13歳だ。いい加減、その程度のことはどこかで耳に入れてもおかしくないはずなのに、本気で知らないらしい。


 イライラする。お前のせいなのに!


「母上! ガバイヤ王国の血を引き、サスティナブル王国の血と合わさった高貴な血筋である私こそがふさわしいはず。二人はたかだか側妃の子に過ぎませぬぞ! どうぞ、父上に! どうぞ、お願いでございます!」


 深々と頭を下げた瞬間、ミヒャエルの目の前に、その「栗色」だけが見えていた。


 たぶん、その瞬間、14年間、溜まり続けてきた黒い何かがはじけ飛んでしまったのだろう。


 それでも、横にいた側仕えを廊下の向こう側に下がらせたのは、王族として育ってきた最後の理性であっただろう。


 長い廊下の端に下がった側仕えは、こちらを見てはいるが、声までは聞こえぬはずである。


 母親のいつにない顔色を見て、ゲヘルは、訝しんでいる。


「ゲヘル、ダンスは得意かい?」

「はっ。一応嗜んではおりますが」


 母親の不気味な笑顔に硬直しているゲヘルだ。


「お前は今、高貴な血筋だとか言っていたね?」


 ミヒャエルの笑顔には凄みがある。


「良く思いだしてごらん。父王は、お前の頭を一度でも撫でたことがあったか?」

「え? 頭、を、ですか……」


 その瞬間、ゲヘルの顔から血の気が引いていった。


 いかに、ゲヘルと言えども、さすがに「髪の色が父親とも母親とも違う」ということくらいは気付いていた。いや、実際、いわくありげに兄弟達からイヤミを再三、言われてもいた。


 しかし、そんな下賤なウワサなど一度として本気にしなかったし、あの美しい母上が、などするはずが無いと心から信じていたのである。


「母上、あの、ま、まさk…… え、あ、いえ、これで失礼いたします」

「帰る前に、教えてやろう」


 帰りかけた背中に、そんな言葉をかけられて、振り切れるわけが無い。ピタリと足を止めてしまった。


 ミヒャエルは、今後二度と会わぬと決めた息子に最後の言葉を掛ける。


「真実ですよ。それを、これからは心して生きるのです。二度と王の間にも入らぬように。さらば、我が子だった者よ」


 この瞬間、ゲヘルは「王族のみが許される場所」への立ち入りが禁止されたのである。決してお触れが出されるわけではないが、つまりは「そういうこと」なのだ。


 こうして、ゲヘルは、己がサスティナブル王国の高貴な血筋でないことを思い知ったのである。


 もちろん、側仕えを下がらせたとは言え、水晶宮には「あれ」以来、あらゆるところに盗み聞きのシカケが施されている。


 母子だった二人の会話は、翌日には知るべき人が知ったのである。


 男はニヤリとはしなかった。

 

 代わりに、いつ、ご病気になってもらうのが一番自然なのかと、あらためて分析を始めたのであった。


「とりあえず、懸念を一つ減らせるのは、この際、大歓迎だが、どうせなら共倒れになってもらえると良かったのだがな」


 「母子相打ち」の罠をいくつも仕掛けておいたのに、それを、あっさりとかわしたのはさすがにミヒャエル妃である。やはりガバイヤ王国の手の者が力を貸しているとしか思えない。


「そちらの再調査もやらせたいところだが、間に合うかどうか」


 片付けても片付けても、やらねばならぬ仕事が増えていく。


「ショウ君が帰ってきたら、年内は、私に貸し出してもらわねば」


 謀略と外交の基本を覚えてもらう必要がある。


「まあ、謀略はひょっとしたら私より上かも知れないところは困った生徒だがね」


 そこで初めてニヤリとしたリンデロンは、まだ「ローディング」を知らなかった。

 


・・・・・・・・・・・

 


 8月に入ってすぐ。


「父上、大丈夫かしら?」

 

 優しい父だが、自分を溺愛しすぎる傾向にある。そのくせ中央の政治にコミットするのを嫌がる無骨さが特徴だ。


 だからこそ「侯爵家」という高い地位の貴族を頼り娘を任せたのである。なにしろロウヒー家は、王の側妃まで輩出している大貴族だ。地方貴族からしたら、盤石の相手だと思ったはずだ。


 娘の幸せを信じたロウヒー家と縁を切り、娘が伯爵家の跡取りの「側妃」になったと聞けば、腹を立てるかもしれない。


 ちょっと心配だった。


「でも、ショウ様とお話すれば、きっとわかっていただけるわ」


 素朴に、父とショウを信じるニビリティアは、やっと手紙を書き終えたところだ。


 恋文。いや、既に実った恋なのであるから「愛文」とでも言うべきか。


 心に浮かぶ想いの全て連ね、愛する人をねぎらう手紙だ。


 好景気のカーマイン家だけに、贈り物第二弾、第三弾とニビリティアの実家に届けるついでにと言って、手紙を一緒に送ってあげるよと言ってくれたのは、お義母様である。


 旅程を睨むと、ガーネット家に預ければ、帰りの道のりで渡してもらえるはずだ。もちろん、嫁軍団は全員、手紙を書いているのは当たり前のこと。


 リーゼまでもが、たどたどしい文字で「おにいさまへ」と書いていた。


 手紙を預けるために、カーマイン家へと集まった嫁軍団は、もちろん、すぐに帰るわけが無い。


 久し振りのお茶会である。


 そこで、メリッサが「話があるの」と持ち出したのである。後から考えれば、この提案をなぜ、自分が持ち出したのか、本人ですらわからなかった。


 しかし、幼い頃から、メリッサには、そんな不思議な能力があるのだ。


 もちろん、そんなタネなど明かさずに、ただ「面白そうでしょ?」と言い出した提案に、誰もが大賛成をしたのである。


 女だけのガールズトークを繰り広げる旅行。それは夏休み中の生徒の特権でもあった。

  


 




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

同じ「8月7日」でも、かなりの差があります。リンデロンも、まさか長男が、今現在、死地をさ迷うことになるとは思ってないようです。


メリッサの提案については、後ほど出てきますので、解説無しで。ただ、子どもの頃から発揮されたこの能力によって、男の子だったら嫡子にしたのに、とノーマンには思われています。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 

 



 



 




 

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