第56話 8月7日・点描 1 オク

【西部の小領主地帯 アマンダ王国との国境付近の街・オク】


 駐屯地に作った壁は、日一日と高く、分厚くなっていく。隊長であるブラスコッティが命令したからではない。隊員達は、時間があると自発的に作業を続けていた。


 それは生存本能のなせるワザと言うよりも「恐怖」からだ。自由な時間が生まれてしまうと、絶望的な今の状況に直面せざるを得ない。


 その恐怖から逃れるために、隊員達は常に身体を動かしたがっていた。


 夕暮れを背景にした二人のベテラン中隊長が、揃って具申に来た。


 生きた年数なら倍、戦場経験なら十倍も違う若き隊長に対して、彼らはひどく優しい表情だった。


「ブラスコッティ様、もう限界です」

「我々は、できることを全てやってきました。隊長は使命を十分以上に果たされたと思います」

「そうか」


 先任中隊長であり、この「治安回復先発隊」全体の副長でもあるトオが、自分を「隊長」と呼ばずに、名前を呼んだ意味を噛みしめるブラスコッティだ。


 1200人の部隊は、満足に動ける人間だけで言えば既に千人を割り込んでいる。実際の合戦だったら「負け戦」と同じこと。


 これ以上、この場に残ることは無理だ。撤退あるのみ。それが中隊長達の率直な意見だ。


 これを押しとどめようとすれば、反乱が起きてもおかしくない。危険水準に達していると、その表情が伝えている。


「ありがとう。二人は最後まで、務めをよく果たしてくれた」


 ブラスコッティの、その諦めにも似た返事で、二人はあからさまにホッとした顔になった。


「それでは、撤退を?」


 トオが確認する。


「撤退する」

「ご英断に隊員一同を代表しまして、感謝申し上げます」

「明日、一日を使って周辺の整備と、街の関係者に挨拶をする。明後日、ハーバル子爵領まで撤退し、そこで本国からの連絡を待とう」

「かしこまりました。明日、周辺整備、及び関係者への挨拶回りの警護部隊について配置を考えます。撤退先はハーバル子爵領。了解」

「あぁ、万事頼む」


 きちんと復唱し二人の副官は回れ右をした。


「やはり、僕には前線の指揮官は合わないのかもなぁ」


 決して間違った判断はしてないはずだが、何かが上手く回らない。


「決して部下のせいじゃない。彼らはみんなよく頑張ってくれた」


 さっきの具申の時、子どもの頃から家によく来てくれたトオが「隊長」と呼ばずに名前を呼んだのは、彼らの優しさだったのだ。

 

「あれは、もう、ウチは軍隊としての秩序ではなく、ギリギリのところで、オレが当主代理だからっていうスコット家に対する忠誠心だけが頼みの綱だって言いたかったんだよな」


 決して彼らの騎士団員としての忠誠心が薄いからではない。むしろ、スコット家の騎士団が持つ鉄の忍耐と強烈な忠誠心があればこそ、ここまで持ちこたえたのだというのはわかっている。


 彼らをここまで頑張らせたのも、隊長のブラスコッティがスコット家の跡継ぎだ、と言う立場が大きい。


 逆を言えば、この地獄を予想していたからこそ、ご当主様リンデロンは嫡男を送り込んだのだろう。他の誰が隊長であっても、ここまで持ちこたえることは不可能だったはずだ。


 しかし、もう限界だ。


 生き地獄、と隊の者達は言った。


 初めは、国境近くの街で暮らす人々の役に立ちたいと思ってやってきた。だが、街から拒否されてしまった。


 貧しそうな身なりをした親子から買った果物には毒が仕込まれ、素朴な娘さんから花束を受け取れば毒針が仕掛けられている。倒れている青年を抱え起こした瞬間、胸を刺されてしまった。


 あげくは、休暇で街を少人数で歩けば闇討ちされる。


  残念ながら、この街に入り込んでいる敵は巧妙だし、数が多すぎる。


 国境の街を守るつもりでやってきた自分たちは、いつの間にか「敵地でうろうろしている敵兵」の役になってしまっていた。

 

 今では、駐屯地に自分たちで掘った井戸しか信じないし、100キロ近く離れた街から買った食べ物しか口に入れない。駐屯地からの外出は班編制(6名)以上と決めた。


 あげく、街の人々が駐屯地に近づくことすら禁じていた。


 そんなことをすれば、ますます住民の心が離れていくのはわかっていても、明日のことよりも、今の安全を保証しなければ隊員達は動けないのが現実だった。


 規則正しい間隔で建ち並ぶテントの方向に、ブラスコッティは頭を下げた。


「すまなかった。私の力不足だった」


 残念だが、1年以上にもなった治安維持活動は失敗という評価になる。自分の評価はともかくとして、すくなくとも50キロ以上に渡って、事実上の国境線が後退する可能性を考えると、国のためにも残念のひと言だった。


 目の前のテントは、それぞれに隙間無く、厳重に板が立てかけてある。気休めに近いが、こうしないと眠れないのだ。


 さもないと、寝ている間に、どこから矢が飛んできて天幕を貫通してしまう。夜中に悲鳴を聞いて起きたら、仲間の身体に矢が突き刺さって死んでいた。そんな経験を何度もしたら、寝るのすら怖くなるのだ。


「地獄だな」

「あぁ」


 そんな言葉を囁き合うのを見るのが当たり前になっていた。以前は注意していたが、いつしか諦めるしかなかった。


 その晩、ブラスコッティは、この街に来てから初めて、夜中に歩哨達を励ましに行かれなかった……




 そして、最後の任務だけが待つ一日の朝が来た。


「隊長!」


 トオの顔色が変わっている。


「報告します! 街から人が消えました! 正確に言えば、住民のウチ半分が消えた模様です」

「どういうことだ?」

「不明です。現在、独断ですが、3班編制の偵察小隊を3隊準備させたところです。出撃のご許可をお願いします」


 おそらく、いち早く変化を察知したトオは、ブラスコッティが起きる前に最善手を考えておいてくれたのだろう。


「わかった。許可する。他に、提案は?」

「撤退の取り消しを!」

「大丈夫なのか?」

「隊長次第です」

「わかった。ただし撤退の取り消しではなく延期だ。偵察の報告を聞いてから考える。それでどうだ?」

「はい。了解です。偵察隊の状況がわかるまで、撤退の延期を伝えます」


 そして、太陽がギラギラと真上に登った頃、ブラスコッティは、偵察部隊からの報告に唖然とすることになるのである。


「この街だけではなく、おそらく数千の人間が難民のような姿でアマンダ王国へと侵入してしまった。しかも、敵はあっさりとそれを通しただけではなく手まで貸している。その原因はグレーヌ教のローディングという儀式に参加するため…… か」


 そこにトオが、付け加える。


「ローディングに参加するのがグレーヌ教徒の最大の幸福らしいです。そいつが行われるという話がこの街の教会に届いたのが昨日。瞬くウチに街全体に広がって、着の身着のままという形で、慌てて飛び出していった」


 そこに、もう一人の偵察部隊の人間が確認のように声を挟んだ。


「途中で捕まえたグレーヌ教徒から聞きだした情報によれば、目標地点は古代遺跡のシード。ここから歩きでも1週間ほど。しかし、アマンダ王国の王都から出発した集団に合流することを優先した。だから、国境を越える必要があった。遠回りなのに」


「軍隊にあるまじきことだが、想像で言って欲しい。この分だと、そのローディングという儀式は、どのくらいのグレーヌ教徒が参加することになると思う?」

「私では想像するのは難しいですが、ウチの国からですら、この調子ですから。グレーヌ教徒の本場を通るウチに、10万、いや、30万くらいは行くんじゃないかと」


 トオは首を捻りながら答えた。


「ふむ、オレの想像と同じ、いや、若干少ないな」

「10万を切るくらいだと?」

「逆だ。見積もりが少ないと言ったんだ。おそらく50万はいく。100万と言われても、あるかもしれないぞ」

「え? 確かアマンダ王国の人口は300万人ほどだって言われてますよね?」


 ゴクリとつばを飲み込むと、トオに向かって言った。


「駐屯地の門柱に赤、白、赤の順に旗を取り付けよ。大急ぎだ」

「旗、ですか?」

「ああ、すまんが、大急ぎで頼む。それと、駐屯地を引き払う用意を頼む」

「しかし、今撤退するのは!」

「撤退ではない。我々は別の任務に就く。シードへ急ぐぞ」


 二人の中隊長は、敬礼をして、回り右をしたのである。


 中隊長は、命令をきちんと守ったらしい。それから30分も経たぬウチに、ブラスコッティのテントに、突然、が現れた。


 いや、少女のように見える「何か」と言うべきかもしれない。あるいは幽霊か、妖怪か。なにしろ、厳重警戒をされている駐屯地の、そのまた最優先で警備された隊長テントに突然現れたのだから。


 しかし、スコットは、自家の「影」を信じてもいる。ここに現れたのであれば、影の者に違いない。


 わざと大きめの動作で胸からペンダントを取り出した。コインを二つに割ったデザインだ。ペンダントヘッドを相手に突きつけると、少女は、クスリと笑って、胸元から、全く同じようなペンダントヘッドを取りだした。


 二つは、見事に一つとなった。


 つまりは、スコット家の「奥の手」である。


 ブラスコッティは、その時点で、他の詮索をやめて、任務を伝えるだけに専念した。


「よく来た。これを父に。最優先だ。いいか? 可及的速やかにではなく、最優先だ。一刻を争う。あらゆる手段を使うことを許す。この手紙を父に届けよ」

「わかったよ、おにぃちゃん。着くのは7日後。お返事を持ってこられるのは15日後になるからね」


 手紙を受け取った少女の声がメロディーにひどく似せられているのを感じて、思わず「おい!」と叫んでしまった。


 その瞬間、少女は「お兄ちゃん、後ろを疎かにしないでね」とまたしてもメロディーの声色で、ブラスコッティのに向かって語りかけたのだ。


 思わず振り返った。


 何もない。


「いくらなんでも妹の声だなんて、趣味が悪すぎ…… いない?」


 中の声に驚いた歩哨が「隊長、何かご用でしょうか?」と声をかけてきただけ。


 まるで、本当の幽霊のように消えてしまった影だ。


「ふぅ。ともかく、あと14日か。それまでに、オレに何ができるんだ? 考えねば」


 街を守ることはできなかった。しかし、ここで何かを成し遂げれば、自分がここにきた意味がある、そんな気がしたのである。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

名前だけの存在だったスコット家の長男が初登場。

いきなりピンチです。けっこう優秀な人なのですが、ゲリラ戦は経験不足だったのでしょうね。元々文官よりの人だし。

位置関係を地図にしたいのですが、なかなか上手く行きません。

少々お待ちください。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 



 

 






 

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