第48話 秘密
ショウが子爵当主である以上、貴族家の当主としてあれこれ挨拶や贈答品のやりとりが発生する。
いくらメリッサの才能をもってしても経験不足は否めない事実だ。しかも、悪いことに伯爵家の嫡男でありながら当主でもあるという複雑さだ。義両親に相談しようにも社交を苦手とするカーマイン家では手に余ることが多いのだ。
それでも、ショウがいれば相談もできるし、事前の承諾も取り付けられるが、夏休みに入る前にガーネット家へと「拉致」されてしまった。
さすがに、一人では判断に迷うことは山ほどある。しかも学園の寮では何かと手が足りない。
だが、放置は許されないし、対応を間違えれば「なり立ての子爵」である夫の面子を潰しかねない。
本意ではないが、義父でもあるガルフ伯爵に断ってから、実家に相談することにした。
さすがに、実の母の方が相談しやすいという部分もあるし、実は義母が気を利かせて「公爵夫人のご経験を踏まえた、お母様のご意見を伺いたいわ」と言ってくれる優しさに甘えるという部分もある。
もちろん、メロディーとも相談した上で、メリッサは夏休みが始まると同時に実家に帰ると、連日、母のモティとあれこれ相談しながら、何十通もの案件を処理し、手紙を書き続けてきたのだ。
山ほどの案件をどうにか片付け終えたのは、夏休みに入って4日目のことだった。
そこでホッとしたのは確かだが、心の中にポッカリと空白があることに気付いてしまった。今日までは、やらねばならないことに追われていて、気が付かないふりができたが、もはや向き合う時だろう。
『私、寂しいんだ?』
メリッサは自分の感情に驚いた。
王都邸とはいえ、ここは住み慣れた我が家のはずだ。
侍従、メイドをはじめ厩番に至るまでの全員が「お嬢様」の一時帰宅を大歓迎してくれたのは事実だ。家族みんながいる。
『でも、やっぱり、寂しく感じちゃう。もう、私の家ってショウ様になってしまったのね』
学園では毎日会ってきたし、休みには自然と妻妃全員がカーマイン家に集まっているのは当たり前のことだった。夫のことで盛り上がれる仲間が身近にいる暮らしとは、なんと豊かで落ち着くものだったのかと思えてしまう。
もしも、それをショウが聞いてれば「体育会の合宿のノリだね」と言ったかもしれないが、もちろん、メリッサには言葉にできない感覚だ。
実家にいると何となく「寂しい」と感じる。
そんな風に思える自分が、何となく誇らしかったのも事実だ。
しかし、思わぬ「呼び出し」を受けてしまった。
あれ以来、王宮に詰めっきりになっている父親が帰って来た。出迎えに行く余裕すらなく執務室に直行し、深刻な顔で母と相談をしているらしい。
さらに、老公とデュバリー婦人も呼ばれたことを知ると、ただごとではないことが読めてきた。
そして、執務室へとジョンが出迎えに来たと言うことは何もないはずがない。
「参上いたしました」
声が硬くなる。
「座ってくれないか、メリッサ」
「お父さま…… いえ、お館様とお呼びした方がふさわしいようですね。いったい、どのようなご用件でしょうか?」
「ふむ。そんなに顔に出ているかな、モティ?」
ノーマンが微苦笑で妻に声をかけると、モティーフィーヌはメリッサの横に座って肩に手を置いた。
「ごめんなさい。今日は良くないお話よ」
「モティ、いきなり、それは」
「いいのよ。この子は、とっくに用件はわかっていると思うもの。それに、娘ではあっても、この子はれっきとした子爵夫人よ。ちゃんと覚悟してるもの。きちんと話すのが一番だわ」
「それはそうなんだが」
娘の表情も硬いまま。
「お館様と呼ばれても仕方ないわね。だって最愛の人の子どものお話を、宰相として新婚の妻になさるんですもの」
妻の硬い表情を見てノーマンもようやく気付いた。
『モティも怒ってるのか……』
確かに、これから言うことは父親として言うべきことではないことだろう。しかし、王国宰相としては、国の宝について話さないわけにはいかない。なによりも「娘の父」である前に、王国の民を預かる宰相であらねばならないのだから。
「せめて、ちゃんとお話をしてあげて下さい。そうすれば、いくら辛くても飲み込めない子ではないって、お館様もご存じのはずです」
「そうだな。何も無しで飲み込めというのは、いくらなんでも酷だな」
そこで初めて老公が言葉を出した。
「メリーは、まだ、この年じゃぞ? 少しは丁寧に話してやらんか」
老公の口調は優しいが、これから突きつけられる何かは、既に「決定事項」なのであると、メリッサは気付いた。
つまりは、既に意見を言える場ではない。
すっとデュバリー婦人もメリッサを挟んで座った。こちらは言葉も出さず、ただ、膝の上で手を包み込むだけだった。
「ショウ様のことですね。何か悪いことなのですか」
「今すぐではない。また、本人にも、おそらくまだ伝えられてないはずだ」
「エルメス様と何かあったのでしょうか」
ガーネット家当主であるエルメスとガーネット家の領地へ出発して、既に一週間以上になる。
「違う違う。彼はショウ君を非常に気に入っている。彼がショウ君に悪いことをするはずがない。むしろ気に入りすぎていて困っているくらいだからな」
苦笑いが出てしまった。
エルメスが自分にだけ託している話は、国王には確認したが、今これを誰かに話せば絶対に問題になる。この決断は…… いや国王に話したことの「さらにその先」は、絶対に誰にも話せないことだ。
ひょっとしたら嗅ぎつけてはいるかも知れないが、現段階ではリンデロンにすら話せなかった。
しかし、今は「それ」の話ではない。目の前の「子爵夫人」に認めさせなければならないこと。女性にとって、飲み込むことが苦痛であることは承知の上だ。
「では、何を?」
ゆっくりと、一度閉じた目を見開いて、王国宰相は新婚である公爵家令嬢を真っ直ぐに見つめた。
「どこへ、とは言えないのだが」
一言、絞り出してから息を継ぐ。そこからは一気呵成だ。
「早ければ来年の夏、遅くとも冬には出兵することが決まった。出兵は早まることはあっても遅くなることはない。出兵の時期については現地の情勢についての報告待ちの段階だ。そして、三家の当主全員の合意により、ショウ君は指揮官の一人として選ばれる。これは国王陛下の許可も出ていることだ」
「そんな! ショウ様がいくら優秀とは言え、まだ学園生ですよ! なんで! それに、なぜお父さまがいらっしゃるのに…… あっ」
ジッと自分を見つめる、優しい目。
気付いてしまった。
なぜ父親が「三家の当主全員の合意」という言葉を入れていたのか。
今さらながら気が付いてしまった。
これは、陥れるためではなく「ショウ君のためになること」あるいは「国家のために絶対に必要である」と考えたからだ。
泣き出したい気持ちを無理やり抑え込む。こんなのありえない。
「ショウ様を選んだ理由をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」
居住まいを正したメリッサは、懸命に落ち着こうとした。その手を両側から母と乳母でもあるデュバリー婦人が握ってくれている。
わずかに震えが出るのを抑えきれない。それにしても、12歳で戦場に行くというのは異常なことではないのか? しかも、結婚したての身だ。聞いたことがない。
「細かい話は国家機密になる。ただ、正直に言えば予断を許さない戦場になるだろう。しかも今回の出兵は、その後のための布石となると考えている。彼が生き残るために、今回の経験が絶対に必要になるというのが我々の出した共通の結論だ。これは、彼を生き残らせるために必要なことなんだ。わかってほしい」
「ショウ様が生き残るために? それほど厳しい
「おそらくな。少なくとも我々は一切楽観していない。想定する最悪の、さらに最悪が起きるかもしれない。その場合、ショウ君が戦場をくぐり抜けて、戦場の匂いを知っておかないと、いろいろと困るのだ。本人にとっても、そして…… 我が国にとってもね」
「あぁ……」
自分を溺愛し、どんなことであれ意見を聞いてくれる父親が「王国のため」を口にしたときだけは、絶対に結論が変わることはない。それは、もはや本能レベルで刻まれているのが王国宰相の家族というものだ。
しかし、みんなが「幼い新妻」の心情を慮ったのだろう。メリッサが顔を下げている間、誰も何も言わなかった。静かに見守っていたのである。
それから、どのくらいの時間が経っただろうか。顔をハンカチで押さえてから上げようとしたのは涙を見せないようにするためだ。
家族の前であっても、メリッサは「子爵夫人」として答えねばならぬことを知っていたのだ。
「お教えくださって、ありがとうございます。宰相様」
「う、うむ」
むしろ、こうなってしまうと父親の方が腰が引けてしまう。
「それでだな……」
「お言葉をいただく前に、宰相様にお願いがございます」
「あ、な、なにかな? 夫が戦場に立つという妻の願いだ。私にできる限りのことはしよう」
それが最大のできること。父としてではなく「宰相様」と娘は言った。我が娘ながら理解能力と心の強さに、息を呑む思いのノーマンだ。
「はい。あまりにも早い時期でのご要請に付き、私どもにはお子が…… 後を継ぐべき
メリッサなりの精一杯のイヤミだ。あまりにも早すぎる出陣要請など、あって良いものではないのだ。それこそ国家存亡の時に行われる総動員体制ならまだしも諦めが付くが、今回は「ショウ子爵」だからこその出陣だというのが見え見えだ。
優秀すぎる身だからこそ、戦場に引き寄せられる。しかも王国の最高権力者達によって。
それが我が父の下した結論だからこそ、悔しさが滲む。しかし、また、父が私利私欲を捨てて決断したのだろうと思えば、そこに文句を言ってはならないということもわかっている。
ひとりの父である前に、宰相として下した決断は、いつだって正しいのだ。
メリッサの心はゆらゆらと揺れながらも、子爵夫人としての決断を伝え、いや「お願い」しなくてはならない。
「それについては、心からお詫びする。そして、君たち正妻は、まだ若すぎるだろうというのも認識している」
「はい。学園よりもお後継ぎが優先でございますが、まだ、この身では果たして授かれるのか、また、授かったとしても産めるのかが問題でございます。この命にかけてもと思いますが、それはショウ様がお許しにならないでしょう」
学園生の間に産むことを戒められているのは、何も倫理だけの話ではなく、医療の発達してないこの世界では「子を産む」のが命がけだからだ。したがって、適齢期や身体の発達は極めてシビアに、そしてドライに判断されるものだからだ。
細身のタイプであるメリッサやメロディーは、少なくともあと2年待たないと無理だろう。命がけで産むことはできない事ではない。だが、夫が死ぬと決まった話ではないのだから。それならば……
「もちろんだ。第一、ショウ子爵が無事に戻れるようにと考えての出陣なのだからね」
「そこで、すぐに子を授かれるよき妃を、ご紹介いただけないでしょうか」
キッパリと言い切ったメリッサの背筋はピンと伸びている。貴族の妻としての崇高なる気高さが、そこにあった。
その瞬間、両側の「母」がメリッサを抱きしめる。
老公は涙をこぼすまいと、目に力を入れねばならなかった。
我が身に授かる前に「跡継ぎの子をなすための女を紹介しろ」とメリッサは正妻という立場から願わなくてはならないのだ。
それが妻として、どれほど辛いのか。むしろノーマンよりも、抱きしめている母達の方が身に染みて痛みを感じていた。
もちろんノーマンは答を用意してある。そこも既に話し合っていた。
「実は、三人いる。我が分家からひとり、スコット家の分家からひとり、そしてガーネット家には娘がいる。このうち、各分家からは側室でも良いが、ガーネット家の娘は妻にする必要があるだろう。伯爵家では多少異例だが第三夫人となる。年は二十歳だと聞いているが、大丈夫だな?」
「わかりました。ありがとうございます」
しかし、とノーマンは訝しんだ。むしろ、戦場に行くことを告げたときよりも娘の動揺が少ないように感じたのだ。
その表情を読んだのだろう。メリッサが小さく微笑んだ。
「私達は、ショウ様が生きて戻っていらっしゃることを信じておりますから。お子をいただくのは、その時まで待ちますので」
「そうか。すまぬな。王国でも、この年齢での出征は歴史にもないことらしい。それ故、できる限りの便宜は図りたい。何でも言ってくれ」
「わかりました。宰相様を信じておりますので」
「それと、これについては極秘だ。世継ぎの話についても一切を、ここにいる人以外、喋ってはならない。それだけは守ってもらう」
「承知いたしました。それでは、わたくしは、これにて?」
「あ、そ、そうだな。理解してくれて感謝する」
「失礼いたします」
微笑すら浮かべて見せているメリッサであるが、肩がわずかに震えているのを母は、ちゃんと気付いていた。
娘が部屋に戻ると同時に、側仕え以外、一切部屋に近寄らないように命じたのは、悲痛なまでの嗚咽を他の者に聞かせないための配慮であった。
・・・・・・・・・・・
「例の話は子爵夫人に伝えたぞ」
「それは、それは」
リンデロンは、表情を消しているが、おもむろにカバンから書類の束を取り出した。
「これが、貴殿らの計画していることへのスコット家からの答だ」
ん?
眉をひそめたノーマンは、書類を見て仰天した。
「こ、これは!」
そこにあるのは、第一王子がアマンダ王国とのつながりを示すやりとりの一部始終の記録であった。
「実際の計画そのものは残念ながらつかめなかった。だが、第一王子が計画しているつもりの部分はかなり詳細に手に入れたつもりだ」
「いいのかね?」
「使い方次第だが、活用してもらおう。実際に使う時は、タイミングを事前に相談してくれ。それなりに手のものを避難させてやるくらいはしてやりたい。それに、こちらの察知能力もバレてしまう可能性が高いので、どこまで出すのかも事前に相談したい」
王国が転覆するかもしれない第一王子の計画は、実にバカげてた。
なんと、国境線を縮めることとの引き換えに、アマンダ王国、ガバイヤ王国、そしてサウザンド連合国から「新王への承認」を引き出すつもりだったのだ。
もちろん、そんなことを王国中枢の者、とくに御三家が認めるわけがない。
だから、西と東が呼応して国の戦力を引っ張り回して中心を真空状態にする。そこにサウザンド連合国が素早い進行で王都を直撃する。
そのドサクサに王族や御三家をことごとく討ち取り、第一王子が正当なる国王となって三国と和平条約をまとめる。
「なんだ、このデキの悪い空想は」
「空想ですめば、いいのだが、信じ込んでいる人間がいる以上、いくつかの場面は発生するだろう、それを防ぐのは難しいぞ」
「難しいのか? この際、一気に第一王子までいけば……」
「証拠がない。こちらが調べた中身については事実であると思っているがね。だが、この事実を突きつけて、父親が信じるかどうかと言えば、5月にあった騒動を考えると楽観する気にはなれないな」
国王は息子可愛さで判断を誤るお人柄だ。
「できる限りの証拠を集めたいが限度がある。彼らは第一王子に証拠が渡らないようにしている分、こちらにも掴みようがないのだ」
「誠実に生きるべしか。あの陰謀好きの国が、全く皮肉なことだ。どこから、そんな陰謀を考え出すのか」
吐き捨てるようにノーマンが言うとリンデロンは、眉をパッとあげた。
「これは宰相殿にしては、遺憾だな」
「遺憾?」
「そう。遺憾だ。認識不足とまでは言わないがね。陰謀というのは誠実さを九分九厘見せつけておいて、最後の一厘でひっくり返すからこそ効き目があるのだよ」
「ふむ。確かに、その通りだな」
常にウソを吐く人間は、誰に何を喋っても信じてもらえない。たった一つのウソが最大の効果を発揮するためには「この人は、絶対にウソを吐かない」と相手に信じさせることこそが必要なことである。
それを考えると、今のリンデロンを果たして信じて良いのかすら危うくなりそうだ。
ノーマンの、そんな苦い心を見抜いたのだろう。
「安心したまえ。王国のためになることであれば、九分九厘の部分だけでそなた達とやっていくことは誓っても良いのだからな」
珍しくニヤリと笑って見せたリンデロンは「だから、そなた達が密かに進めている計画に混ぜてもらおうか。同じ義理の父同士、抜け駆けは困るぞ」と静かに言った。
やはり「王国の耳」はダテでは無かった。
秘匿のためにと、最高に気を遣い、徹底して情報管理をし、もちろん誰にも話さなかったことだが、リンデロンはちゃんと知っているのだ。
「さすがだな。しかし、その話をどこですれば他に漏れないのか。それを教えてくれるところから協力してくれると助かるのだがね」
「そうだな。では、後日、本宅のディナーにお招きしたい。義理の父同士、仲良くしようではないか」
人を食ったような笑顔とはこのことだろうと言う見本のようなリンデロンだ。
まったく、この策士が何を考えているのか、わからんなとノーマンは思いながら「わかった。では、準備ができたらご招待をお願いする」と苦笑いをしながら応えたのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
作者より
今回の「巨頭会談」は、重要な伏線を示唆しています。
さて、一体何が起きるのかお楽しみに。
とは言え、伏線回収はもうしばらく先になりそうです。
それにしても、ショウ君、卒業式は出られなさそう。っていうか、来年の野外演習は先生達が拍子抜けですかね。
さて、何度もおねだりしてしまい恐縮です。
現在、異世界ファンタジーカテで
夢の30位復活を目指しています!
ありがとうございます!
欲が出てしまいました!
お願いします、15位以内に入れると、さらにモチベーションが!
応援してくださるみなさまに作者は大感激しております。
評価って言うか応援のつもりで★★★をお願いします。
ショウ君も新川も褒められて伸びる子です。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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