第29話 人買い
時間は少し先のことになる。
8月の太陽は殺人的だ。とはいえ、トライドン領の北部は大陸の真ん中だけに、直射日光さえ遮れば、暑さはさほどでもない。
あれほど反発してきたカイだが、馬車での旅が長すぎる。永遠かと思える時間の車酔いで、すでに体力も気力も尽きていた。
もう、何日経ったっけ……
馬車に乗せられた日のことを思い出していた。
トライドン領にある小さな村で、カイは弟、妹たちと一緒に売られたのだ。
・・・・・・・・・・・
「早く乗れ」
殴られこそしなかったが、男達の態度に容赦は無い。
しかも、女が一番下の妹を抱き上げて先に乗ってしまえば、逃げるわけにも抵抗するわけにもいかなかった。早く乗れとせっつかれて、戸をくぐると、ガチャンと閉められた。
当然のように外から鍵を掛ける兵士。
大きな幕が被さっていたせいでわからなかったが、内側は銀色の鉄で檻になっていた。
逃げられない。
『やっぱり騙されたんだ』
絶望した。今までだって絶望し続けてきたが、自分達が売られたのだという、どうにもならなさがヒシヒシと感じられる。
無理して働いてくれた母が亡くなって一週間。
母の親類だという男に売り飛ばされたのだと気付いたのは、この馬車を見た時だった。
檻の向こうから別の兵士が覗き込みながらニヤけながら言った。
「おまえらの食い扶持がなくて親が投げだしたんだ。これからいーところへ連れてってやるから、せいぜい大人しくしていろ」
その瞬間、妹を抱えた女が怒鳴ったのにはビックリした。
「こら! 子ども達を脅かすんじゃないよ!」
「わわわ、リン。ちょっとからかってみただけじゃねぇか」
「向こうに着いたらクニ婆に言いつけるからね!」
「カンベンしてくれよ。あの婆さんだけは苦手なんだ。頭からどやしつけるし、ウチの母ちゃんそっくりでよぉ」
「ほら、見ろ、こんなに怖がっちまって。可哀想になぁ。大丈夫。安心して。ウチの若様は本当に素晴らしい方だからね。あんた達も、きっと幸せになれるから」
騙されるもんか。ウソに決まってる。人買いは、そうやって子どもを騙す。そして連れ去られた子どもは…… 二度と会えなくなるのを知っていた。
しかし、ここで女に食ってかかってもムダなこともまた、わかっている。全てを奪われ、諦めてきた人生だったから。
「私はリンだ。あんた達には農場を手伝ってもらうからね。とにかく着くまで大人しくしておくれよ」
そう言って女は笑ったが、カイは、それをウソだと見破った。
『このお姉ちゃんは色っぽすぎるし、まるでお貴族様みたいに髪もツヤツヤしてる。第一、日焼けしてないじゃん』
手だって、普通の農家なら、もっともっと荒れているはずだ。
『オレ達を騙して、大人しくさせておく役目だろ』
おそらく、妹たちはそのうち慰み者にされ、自分たちはもっとヒドい目に遭うのだろう。あるいは、聞かされたこともある「鉱山」とか言うところで、食べ物もろくにもらえずに一日中こき使われるのかもしれない。
『オレはどうなってもいい。とにかく妹たちを逃がさないと』
しかし、スキが無かった。
本来は
ほとんどの子ども達が馬車に乗るのは始めてだった。
最初のウチこそ、車酔いで吐き続けていたが、食欲などろくにわかず、すぐに吐くものもなくなった。
『屋根付の馬車なんてすげぇと思ったら、オレ達を逃がさないようにするためか』
逃げ出す方法を考え続けたが、まったく思い浮かばなかった。「檻」だって木製ではなく銀色の鉄だ。何よりも運んでいる連中の動きが違う。街にいるチンピラなんかよりも遙かにキビキビしている。しかも見ている限り、一滴も酒を飲まない。
『こいつら、単なる人買いじゃなくて兵士か。それに、まさかと思ってたけど、馬に乗っているのは騎士だよな?』
亡くなった父親が騎士爵だっただけに、そのあたりの事情にはピンと来るものがあった。
『貴族絡みかよ。ろくなことにならねーな』
ヘンタイ貴族が、子どもをオモチャのようにして「壊す」という話は、あちこちで聞かされたことがある。
もうすぐ12歳のカイは、亡くなった父親の代わりになろうと頑張って来た分だけ「先が見えて」いたのだ。
貴族に関わった民はロクな目に遭わない。
しかし、リンとかいう女は、旅の間、繰り返し言った。
「みんな、心配ないよ。ちゃんと食べさせてくれるところに連れて行くから」
おそらく貴族の愛人でもしているのだろう。小綺麗で色っぽい女はチビ達の世話係として乗っているのだろう。思ったよりも優しかった。チビ達が泣きわめくこともあったが、辛抱強く泣き止むのを待ったし、なだめるばかり。
言葉は乱暴でも、子ども達を怒鳴ることなど一度も無かった。次第にチビ達が懐いたのも当然だった。
実際、女は優しい。
移動の間、一定の時間に水を飲むこととトイレに行くこと以外、何も強制しなかった。ひどい乗り心地の馬車だ。みんな車酔いをして青い顔。それでも、自分だって青くしているくせに、チビ達の背中を実に辛抱強くさすり、甲斐甲斐しく世話を焼いている。
カイだって、背中をさすられたことがあって、そんな時、ふと母親のことを思い出しかけて、慌ててかき消したことだってある。
ただし、女の態度とは別に、取り囲む男達は絶対に逃がさないという態度を隠さなかったのも同じだった。
「ウチら どこに いく んだろ」
「だいじょうぶだ。どこにいったってオレが守る」
「おにぃちゃん わたしたち 売られちゃったんだよね?」
「タエ?」
「ごめん。でもぉ」
隣で、同い年くらいの女の子が怯えた顔だ。
すべて、親が育てきれない貧しい家の子ばかりなのだろう。服装もボロボロ、痩せこけている。
『誰も叩かないのだけは、助かる』
女だけではなく、こういう兵士達にありがちな「言うことを聞かないとぶん殴る」が全くなかった。
これには驚いた。
これでは、故郷の村の男達の方がよほど乱暴だ。気に食わないとすぐに殴りつけてくるのは普通だったのだ。
次第に旅にも慣れていった。
相変わらず道はひどく、乗り心地はお世辞にも良いとは言えないのだが、馬車の床には青いツルツルした敷物が敷いてあり、その下にも何かフカフカしたものが敷いてある。
夜、馬車を止めると、必ず温かいスープとパンが与えられた。驚いたことに、女も兵士達も自分たちと同じものを食べていた。
「美味いだろう? ちゃんと塩も香草も使っているからな。めったなところでは食えないぞ」
最初に自分たちを脅して、リンに怒られていた兵士が自慢げに言った。
確かに美味い。こんなに美味いものは父親が生きていた頃にも食べたことがない。小さなカケラではあるが、肉まで入っていたのには唖然とするしかない。
『美味い』
翌日、馬車が動けば、また吐いてしまうのだろうが食べるのはやめられなかった。
女も、兵士達も「どうせ吐くんだろう」とも言わず、お碗を差し出せば欲しいだけお代わりまでくれるのは一体なぜなのかがわからない。
『腹一杯食べても、コイツら何も言わないんだ?』
カイは、父親が生きていた頃ですら、ここまで腹一杯食べたことがなかった。
『そうか。おそらく着くまでは優しくしておくつもりだ。オレ達が逃げ出したがらないように。着いてからが勝負ってことだな』
ともかく、脱出方法が無い上に妹たちがリンにすっかり懐いてしまった。こうなると、今は寝っ転がっているしかない。いつのまにか寝てしまうと時間が経っていった。
しかし、いくら考えてみても、しょせん買われた身だ。ろくでもない行く末しかないのだろう。
『何とかしなくちゃ。妹たちがヒドい目に遭ってしまう前に逃げ出さないと』
しかしスキは全くなかった。
そして、突然、馬車の揺れが小さくなった。
世話役の女がホッとした顔になった。彼女自身もひどい車酔いをしていたのだろう。今までよりも一層優しい声になった。
「みんな安心して。ここからはオレンジ領よ。道もずっと良くなって、こんな感じだから車酔いも少しは治まるからね。これからは昼間もお腹が空くかもしれない。そしたら遠慮しないで言うんだよ。温かいスープは無理だけどパンくらいなら、た~んとあるからね」
女の優しげな態度は変わらなかった。そして回りの男達の雰囲気で「もうすぐ着くのかも」と気が付いた。
「大丈夫だよ。これから、あんた達は、ちゃんとした暮らしが待ってるんだから」
なんだかんだで3週間一緒に暮らしたのだ。女の言う「これからの暮らし」を少しだけ信じてみたいと思いそうだ。
『ダメだダメだダメだ。貴族なんて信じるな! 絶対に騙されるもんか!』
カイには、もう、大事なものは弟妹しかない。たとえ、自分が殺されても何とかして守る方法を考えなくてはと、甘い考えをしようとする自分を叱り続ける。
12歳になったばかりではあっても、長男だ。せめて、小さな弟妹たちを安心させようとポンポンと頭を優しく撫でるが、むしろリンに抱っこされてスヤスヤと寝てしまう始末。
どうしようもない焦りが生まれる。
「よし、降りろ。やっと着いたぞ。ここが、これからお前達が暮らす所だ」
ヨタヨタと降りた瞬間、何か叫び声が聞こえた。
反射的に「殴られる」と思った。
ん? この婆さんが怒鳴っているのは、こっちじゃない?
目の前で老女が兵士に食ってかかっている。
「あんた達! 子ども達をちゃんと見てたんだろうね!」
「もちろんだとも。なあ、リン。オレ達は誰も殴ってないよな?」
「私が見ているときはね。あれ? でも、乗せるときに、何か言ってた人がいた気がするかなぁ」
「リン~ 頼むよぉ」
老女が、地面にへたりこんでいるカイ達に「苦しかっただろう。大変だったね。もう大丈夫だ。ところで、あんた達、正直に答えな。コイツらに叩かれた子はいるかい?」と聞いてきた。
子ども達は首を振った。
横で見ていた兵士達は、それを見て明らかにホッとしている。不思議な光景だった。
『ここでは兵隊よりも、この婆さんの方が上なんだ?』
見渡す限り確かに青々とした農場だ。
初めて老女は優しい笑顔を浮かべると「よぉし。ようやくあんた達もちゃんとした仕事ができるようになったね」と小さな袋を騎士に渡したのだ。
「じゃあ、ちゃんと引き渡したからな?」
「あぁ。確かに預かったよ。あんた達もご苦労だったね」
「わぁ、クニ婆に労われた! 明日は雨か?」
「あんた達! 減らず口をたたく前に、南側の柵くらいは直して行きな。こっちは女子どもしかいないんだよ!」
兵士達は「人使いの荒いババアだ」とこぼしながらいずこへと去っていったかと思うと、いきなり目の前に人影。
「お腹減ったかい? 今まで辛かったね」
クニ婆と呼ばれていた老女にカイは抱きしめられた。とっさに振りほどこうとした刹那、その腕の中は「土の良い匂い」がしたのに気が付いたのだ。
『まさか、ここは本当に農場なのか?』
気が付くと、バアちゃん達やオバさん、若いお姉さん達に囲まれていた。その外側には自分たちと同じくらいの年の子達がいっぱいいた。
「あんた達、とりあえずホコリを落としておいで。リン、メグ、アイ、子ども達を頼んだよ」
「あいよぉ。ほら、ガキども、こっち来るんだ。風呂って知ってるかい? これからお前達が毎日、使うもんだ。ちゃんと使い方を覚えな」
「ど、どこへ連れてくつもりだ!」
「風呂って言っただろ? ほら、こっち。ここだよ」
小さな小屋にある窓から湯気が出ていた。
「茹でられる!」
「ははは! 安心しなよ。あんた達を茹でても美味く無さそうだからね。ほら、みんな脱ぎ脱ぎするよぉ」
いきなり女が脱ぎ始めた。
「ば、バカ! 恥知らず!」
「え?」
女達がビックリした顔でカイの顔を見つめると、一拍おいて「ははは!」と爆笑した。
「なんで、笑う!」
「おマセなんだねぇ。ケも生えてないクセに。ここは風呂だ。裸になるのは当たり前だろ。そしてアタイらは家族なんだからね。お前達が、あと20センチばかり大きくなったら恥じらってやるから、それまでは安心してスッポンポンになっちまうよ」
「そうだねぇ、まあ、アイの身体じゃ、こいつらがオトナになっても大丈夫そうだけどね」
「ひど~い! こー見えても、若様はちゃ~んとアタイのことを見てくれてるんだからね!」
「はいはい。ほら、ガキども。今日から、ちゃんと石けんの使い方を覚えるんだよ」
カイの抗議は一切見向きもされず、むしろ顔を赤くしているのを面白がられただけだった。
生まれて初めて「セッケン」というものを使って身体をこすると、肌の色が全く変わったのに驚いた。
「わかるかい? これからは、毎日、こうやって身体を洗うんだよ。病気を防ぐためには、まずセーケツからだって若様からのお達しだからね」
「これって、本当に風呂なんだ。こういうのって貴族しか入れないんじゃ?」
「そうだねぇ、毎日風呂に入ってる平民なんて、私らだけかもね」
「まったくだ。これも、それもぜ~んぶ、若様のおかげだよ」
三人の女たちは、嬉しそうに笑い声を上げる。
「上がったら説明があるから、それまで待ちな」
そう宣言したリンに髪の毛まで洗われた。
女たちの言葉は乱暴だが、チビ達に対する手つきも態度もひどく優しかった。まるで本当の妹の面倒を見るかのようだ。
しかも風呂から出てみると、清潔な服がそれぞれに用意されていた。
「この服は?」
「ん? 風呂から出たら裸ってわけにはいかないだろ? 安心しな。そういうお金も若様は、ちゃ~んと用意してくれてるからね。ほら、サッサと着るんだ。今日は、あんた達の歓迎会だ。ニクがたんと出るからね。楽しみにしときな」
え? 肉と言ったのだろうか? 本当に肉?
貧しい農民は、年に一度でも食べられれば上々だ。父が生きているときですら、数えるほどしか食べたことがない。
大きな建物に連れて行かれると、ズラッと並んだテーブル。
そこからはショックの連続だった。見たこともないご馳走。ちゃんと「肉」があった。何種類もが皿にてんこ盛りされていた。
並んだ食べ物をどれだけ食べても怒られなかった。
どうせ、明日は、これ見よがしに食べ物を減らされるのだろうと、並んだパンを服の下に隠しておこうとしたら「なぁんだ。やっぱり心配なんだね。じゃあ、あとで食べられるように、こうして、これで持っていきな」とカゴに入れて渡されてしまって愕然とする。
しまいには「あんた達の仕事を今のうちに教えておくよ」と、この農場長だという女がした宣言には心底驚かされた。
「あんた達は、子ども。この農場をお作りくださった若様から申し渡されている一番大事な仕事を伝えるよ」
一同は、シーンとなった。
「い~っぱい食べて、寝て、大きくなる。それがあんた達の大事な仕事だよ。そして身体が丈夫になったら私達を手伝っておくれ。それと、どこか痛いところとか、悪いところとかがあったらすぐに言うんだ。いいね? 下手に我慢したり、隠したら承知しないよ!」
茫然とした。
それでは「普通の子ども」…… いや「幸せな子ども」ではないか。
『信じるな! 信じちゃダメだ! こうやって騙して、あとで絶対に何かするつもりだ。オレ達が逃げないように、騙してるだけだ』
しかし、カイは目端の利く少年でもある。
この農場にいる、自分と同じくらいの子ども達が、みんなニコニコしていることを見てしまっているのだ。
誰一人、痣を作ってない。
誰一人、薄汚れてない。
誰一人、食べ物を独り占めしようとしなかった。
それどころか、年上の者はチビ達の世話を焼き、ちゃんと取り分けまでしていた。人気のある皿も、最後の一つを年下に譲っている姿に目を剥いた。
怒鳴り声どころか、あっちこっちから笑い声が響いている。
ここには優しさがあった。
絶望して生きてきたカイは「ひょっとしたら、本当かもしれない」という悦びの声を懸命に押し殺そうとしていたのである。
そのカイが、クニ婆の持とうとした水桶を「オレが持つ」と奪い取ったのは、それから3日後のことであった。
「父さん、母さん、オレ、生きてて良かったよぉ」
物陰で泣いていたカイは知らなかった。
リンが、それに気付いていたことを。
三人娘は笑顔で頷き合いながら、優しく見守っていたのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
作者より
ショウ君がおねだりした「子ども達」は、トライドン、フォルテッシモ、シュメルガー、そして王都といった周辺諸領から集められました。実験農場だけではなく、厳しい選抜を経た親方や農場に預けられています。
カイ君は、力仕事は人一倍やりますが、実際には農業が苦手でした。そのうち、また出てくるかも知れません。
ちなみに馬車の下に敷かれていたのは工事現場に捨てられていたブルーシートで、その下には学校で処分されていた体育用の分厚いマットが仕込まれています。重くなってしまいますが、その分は、フレームの上側をアルミで作ることで軽量化してカバーしています。
夏の紫外線があまりに強いことに驚いたショウ君から、日焼け止めとハンドクリームが支給されていて、三人娘は、また会える日を楽しみにしています。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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