第5話 スコット家令嬢

 どうしよ、どうしよ、どうしよ。


 確かにオレンジ家からいただいたシャンプーとコンディショナーはすごかった。


 限り無い自己満足の、この長い黒髪が、さらに黒く、さらにつやつやに、さらにサラサラになってしまった。


 この数日は枝毛もできないほどコンディションの良い髪は、まさに漆黒という言葉がふさわしいわ。


 オレンジ・ストラトス伯爵家のショウ様には、感謝しかない。


 正直言えば、贈り物なんて飽き飽きしてた。高価な宝飾品に、すばらしい価値を持った絵、可愛らしいお人形、それに希少な遠方の品々。


 いらないものばかり。


 どれほどお金を掛けていても、いいえ、高価な品々であればあるほど、私の心から遠のいていった。


 いかにも「ほら、女なんて、これが嬉しいんだろ」という闇の声が聞こえてくる気がしたからだ。


 でも、ショウ様は違ってた。


 きっと、どこかで私のことを見てくれていたんだわ。この黒髪が悩みのタネだって。


 お母様譲りの黒髪を腰まで届かせるのが夢だった。でも、長くすると途端に毛先が傷んでしまうのが悩みのタネ。それに、伸ばした分だけ髪を洗うための手間がとんでもないことになっていった。


 それなのに、ショウ様からいただいたシャンプーとコンディショナーを使えば、あっと言う間だ。ひょっとしたら、側仕えのメイド達が一番ホッとしているかもしれないわ。


「それにしてもデビュタントの前に、こんな嬉しいプレゼントをくださるなんて」


 黒髪に自信が持てるようになったのは、本当に嬉しい。


『こんな素敵な贈り物ができる方が、私と同い年なんだわ』


 不思議な縁のようなものを感じてしまう。男性の外見なんて、私は一つも気にならない。こんな風に優しい心遣いのできる男性と、いつかお付き合いできたら良いなと思うけど、公爵家の娘だ。そんなワガママなんて言えるはずがない。


 でも、せめて、こんな心遣いをしてくださった男性に、何かできることがあればと思ってしまった。


「お父さま、ご相談したいことが」

「どうした、どうした? なにか嫌なことでもあったのかい? 何だったら、すぐさま、憲兵隊を連れてしょっぴぃてくるよ。ボクの大事なメロディーを嫌な気分にさせるヤツなんて、何が何でも陥れて上げるからね!」

「違います。逆です。とても素晴らしい話をしたいのです」

「え?」

「お父さまは、真心をくれた相手には、真心を返しなさいと」

「あぁ、メロディーには、ちゃんとした人間になってほしかったからね。真心こそが人として一番大事なことだよ」

「ありがとうございます。ご相談したいのは、先日いただいた贈り物についてです。とっても真心の籠もった贈り物をしていただいたオレンジ・ストラトス伯爵家のご長男様にどうしたらいいかということなんです」

「ほう。君から男の子についての相談をされるのは初めてだね。うん、うん、お年頃だね~」

「まぁ。お父さまったら。嫌ですわ。そういうことではございません。第一、ご本人様とお会いしたこともないのに」

「でも、君の心を動かした初めての男の子だろ?」

「それは確かにそうですけど」

「それだったら、君は男を外見で判断するような子だとは思ってないよ。正直に言ってごらん。気になるんだね?」


 コクンと頷いた娘と真摯な眼差しで向き合うのはスコット家の家長である、リンデロン・バリア=スナフキン。


 この男の名前は知らなくても「歩く権謀術数」とか「生ける落とし穴ウォーキング・ピットフル」の噂を知らない人間など王都にはいないだろう。


 法と外交のプロとして、あらゆる駆け引きを縦横無尽に張り巡らせる、権謀術数についてはプロ中のプロである。


 そのリンデロンが、娘に向かって「ボクから、愛しい娘に提案があるよ」と優しい声で言った。


「まあ、お父さまから? いったい、どんなことですか?」

「君さえ良ければ、なんだけど」

「はい」

「それを贈ってくれたオレンジ伯爵の長男。ショウ君だったかな? 実は、偶然、ちょっと小耳に挟んでね。どんな子なのか聞いたことがあるんだ。とても、思いやりのある素晴らしい男の子らしいよ。どうだろう、その子と結婚を前提にお付き合いしてみてはどうだね?」

「ええええ!」


 デビュタントの前に、婚約するのは珍しくない。貴族としての権威や力がある家ほど、幼いときに決めるのは、むしろ当然のこととされている。


 メロディーも公爵家の娘である。好むと好まざると自分が誰と結婚するかは政治的な問題になるのは知っていた。まして、今は「王妃候補」としてメリディアーニか自分か、というくらいの立場であることも承知していることだ。


「あの、私は「王妃候補を気にしているのかい?」……はい」


 お父さまは、優しい笑顔で覗き込んできた。


「いつも言っているだろ? 結婚相手は、相手との釣り合いも大事だが、一番大事なのは真心だって。私はね、今の王子達の誰一人として真心を感じるものはいないんだよ。そんな相手に大事な娘をやれるものかね? 誰がなんと言っても拒否するさ」

「おとう、さ、ま……」


 感動してしまった。いくら自分には甘くても、なんだかんだで、最終的にサスティナブル王国に対しての責任感は強い。自分の全てを犠牲にしてでも仕事を仕上げようとする人だと思っていた。だから、娘を差し出して国が安定するなら、それを選択するだろうと漠然と思いこんでいたのだ。


 それなのに、何かと問題のある王子の結婚相手としてではなく、自分に「真心を大事にしていい」と言ってくれるだなんて!


 感激してる私の顔を見て、心配したのだろうか「勘違いしてはダメだよ?と言葉を続けてきたお父さま。


「ムリヤリ、ショウ君と結婚しろだなんていうつもりもないんだ。でも、そうだなぁ、彼がどういう人か試してみてはどうかな?」

「試す?」

「そうさ。今回は真心の籠もった贈り物をくれた人だ。デビュタントの前に控え室に招待してみよう。そう言う時、普通の貴族なら何を持ってくる?」

「そうですね、宝石とか、でしょうか? 邪魔にならない小ささで、普通の女性が喜びそうなものが多いかと」

「おそらく、ショウ君は、そんな適当なものは持ってこないと思う。だから、もしも彼が宝石以外のものを持って来て、君を思いやることができる子なら、きっと生涯を掛けて君の心を大切にしてくれると思うんだ。もしも、そうだったら、結婚を考えても良いんじゃないかな? お父さんは応援するよ」


 まさか、お父さまが、ここまで純粋なことを言ってくださるなんて。きっと、ショウ様の真心をわかってくださったのね。


 それは、後から考えても不思議な瞬間だった。まだ見ぬショウ様を私が愛してしまった瞬間だったのだ。


「わかりました。お父さまがそう仰るなら、信じます。もしも、デビュタントの前に、心のこもったプレゼントをくださるような優しい方なら、私、生涯を掛けて愛し抜くと約束いたします」

「うん。それでこそ、ボクのメロディーマイ・ハニーだ。よし、後はお父さんに任せておけば良いからね。ただし、さすがに学校は卒業してくれよ? 彼と何をしても文句を言わないが、在学中の出産だけは校則違反で退学になるからね」

「まぁ、お父さま。私は、そんなふしだらなことはいたしません」

「う~ん、ちょっと違うぞ、メロディー」

「え? 違うんですか!」

「そうだよ。愛の行為は、自分が生涯愛し抜くと決めた相手となら、ふしだらでもなんでもない。なんだったら、婚約が決まる前でも、あるいはにでも、ショウ君をうちに泊めてもかまわない。その時は同衾しなさい。年頃の男女だ。そういう時に女性から断るのはショウ君が可哀想だと思うから、ちゃんと応えてあげるべきだと思うよ? ただ、妊娠だけはダメだってだけのことさ。そのやり方は、教わったと聞いているけど?」


 確かに「妊娠しないための方法」は教わったことがある。夫が求めても、子どもを作ってはいけない時があるからだ。それにはいくつかの方法があると、丁寧に教わった。


 でも、そんなことをお父さまに言うのは恥ずかしくて、私は顔を押さえるだけだった。


「ごめんごめん。お父さんが悪かった。ともかく、学園を卒業するまでに婚約をしてしまえば良い。そのために必要なら既成事実があっても一向にかまわないとお父さんは思ってる。それに侍従達にも徹底しておくから、安心して君が思ったとおりにショウ君を愛しなさい。大事なのは、生涯愛する決意と「結婚」という形だからね」

「はい。お父さま。頑張ってみます!」

「よし、よし。その意気だ」


 ずっと、後になって、この時のことを思いだしても、不思議だと思ったのは、お父さまの態度だった。


 サスティナブル王国の外交を一身に担う重責を負っているせいか、どんな人と会う時でも、徹底的に調べ尽くして、それでも、中々ハッキリした態度を見せないのがお父さまのやり方だ。


 でも、いくら思いだしても、あの時だけは、まるで私の気持ちを煽り立てるみたいに、いつの間にか「結婚」を意識するように話してくれていた。むしろ、お父さまに相談して、彼への気持ちが傾いた気がするのだ。


 でも、あの時のお父さまには、きっと、私の幸せな将来が見えていたのね、と尊敬する気持ちがますます高まってしまった。





・・・・・・・・・・・


 

 上手くいった。


 心からの満足とともに、娘のメロディーが閉めた執務室のドアを見つめる。


「お館様、具申させていただいても?」


 メロディーが執務室から離れたのを確かめてから、家令のヘンリーが小さな声で申し出た。


「わかってるよ。なんで伯爵家なんだ、だろ? しかもオレンジ家と言えば、中堅よりも小さな、目立たない家だ。そんなところに娘をやる価値があるのか。それを心配しているのだろ?」


 恭しく頭を下げるヘンリーだ。


「メロディーはあれで納得してくれたらしいね。素晴らしい。私は満足している。だが、お前には、きちんと本当のことを知っておいてもらった方が良いだろう」

「御意」


 立ち上がると、ツカツカと本棚をズラした。執務室の隠し金庫が出てくる。


 そこから、慎重に取り出したのは、我が家の家宝だった。


 透き通ったガラスでできた掌に載るほど小さなビンだ。このようなものが我が国に出回ったことはかつてなかった家宝のビン。


「これは知っているな?」

「スコット家の始祖は、出自を生涯お隠しになっていらっしゃって、こちらの家宝が母国の唯一の手がかりだとか」

「まあ、だいたいはそうなんだけど、ちょっとだけ違う。そして家長にだけ伝えられている口伝くでんがあるんだ」

「ハッ」


 直立不動となった。スコット家の秘密に関わる話だと察したのだろう。


「始祖は、この国に。その時にいくつかのを持っていた。そして、これを残して、全て王家に寄贈したんだ。その上で、こんな言葉を代々伝えるようにと命じた」

「あの、それを私が承っても?」

長男ブラスには、もちろん伝えてあるが、今の情勢では、うかつに王都に戻れん。その間に、もしも私に何かあれば、お前が判断してやっていくんだ。知っての通り、私には敵が多いからね」


 既に暗殺未遂は5回も経験しているだけに、6回目が今日ではないという保証は無い。そして、今後の暗殺計画を全て未然に防げると思うほど楽観的になれない。


 自分にもしもがあっても、絶対にこれは成し遂げねばならないと固く決意している。


「それほど大事なお話ですか?」


 一つ頷いてから、肝心な部分を話し始める。


「先日、これとそっくりなものを、とある商人が王家に献上した。しかも、その数は始祖が寄贈した数の比ではないほど大量だ」

「そんなものをどこから?」

「見た瞬間から調べたさ」

「なるほど。出所がオレンジ家の長男、というわけですね」


 さすがヘンリー。話が早い。


「そして、今回のシャンプーとコンディショナーってやつだ。影に調べさせたらビンの方はすぐにわかった。職人の証言も取れたし、さほど珍しいものでもなかったからね。しかし中身がわからなかった。同じものどころか、似たようなものを製造しているところは一切発見できなかった。もちろん販売してるところもだ。しかし、効能が近いものを使っている人間が判明して、それがオレンジ家の女性達と」

「シュメルガー家のメリディアーニ様ですね? 当然、ショウ様が贈ったはず。つまり全ての出所がつながったのですね?」

「さすがヘンリーだな」


 恭しく頭を下げてくる。


「だから、なんとしてもショウ君が必要だ。もちろん、メロディーと結婚させるのが一番だが、リズムいもうとでも構わんし、望むなら両方くれてやっても良い。最悪の場合、側妃でも何でも構わない。なんとしても我が家で囲い込むんだ」

「御意」


 恭しく頭を下げたヘンリーに向かって、つい念を押してしまった。


「わかってると思うが、この件で間違いのあった者は厳しく処断する。一族丸ごとだ。何が何でもだ。ショウ君を囲い込め。そのためなら何をやっても『やり過ぎだ』と責めることはしないと約束しよう。ただし娘を陥れるようなマネはするなよ。大事なのはだからな」


 ヘンリーも、アウンの呼吸で、クスりとしてくれた。さすがだ。こういう時のも、ちゃんと理解してくれる。


 自分のジョークに笑ってしまいながらも「最悪の最悪は」と考えておくのも忘れなかった。


 とにかく、まずはデビュタント。そして、次に打つ手は……


「忙しくなるぞ」


 スコット家のため、そして、サスティナブル王国のためも少したけ考えながら、あらゆる手を考えようとしていた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

さて、三大公爵家の二つから狙われることが確定したショウ君です。

ちなみに、こう言う「パパ」っていますよね。外向けにはパワハラ親父、子どもには激甘パパみたいに使い分けている人。

ただ、そういう人って、案外と「どっちも本当の自分だ」と本気で信じていることがあるんですよね。手が付けられません。

ちなみに、メロディーの本名は「メロディアス」と言います。兄のブラスの本名はブラスコッティ。2歳下の妹・リズムの本名は「リズラテイラム」と言い、7歳下の弟・カルテットは「カルティアステット」と言います。

お兄さんは治安上の問題で大陸の西に長期で赴任中です。


第6話は、本日の夕方更新します。

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