彼女は旅に出る
元々疲れていたからか、めぐると一緒に山を降りたタマコは素直に帰宅した。真っ暗になってしまったから心配して外を探し回っていた親がタマコの後に帰ってきて、しこたま説教をされた。
とうとう泣き出してしまったお母さんをお父さんが宥め、「お風呂に入ってきなさい」と言われた通りに玄関を抜け出した。
めぐるは親に怒られただろうか。ぼくについてきたせいで怒られたりしていたら申し訳ないな、と湯船に入ってから思い至ってタマコは曇り窓を見上げた。
隣人の声がここまで届くはずもなく、外の柵を隔てた隣家は静寂に満ちていて。めぐるがドアを開けて入ったのを確認したのに、ちゃんといるのかどうかすらここからはわからないな。
(めぐるは、もうお風呂に入ってるだろうか)
さて、今日は流石に出席するかとランドセルを背負って登校すると、左隣には誰も来ていなかった。
めぐるからおはようって言ってくれるのに慣れてしまったかもしれない。
めぐるは友達を作ろうと努力をしていた。きっと慣れていなかったのだろう、話しかけるとき、その前に胸に手を当てて深く息を吸うその仕草も緊張のせいだった。
(ぼくに話しかけたりしなければ、もっと簡単にみんなの輪に入れたろうに)
タマコは一つの机に集まってきゃいきゃいと楽しそうな同級生たちを尻目に、今日も本を読む。
読もうと、目を落とした矢先。何かが足元に寄ってきたのが目の端に映る。
見ればきつねが一匹、こちらを見上げて大人しく座っていた。
「は…………?」
「……ねえ、なにか聞こえない?」
「歌みたいな」
窓際のクラスメイトたちが怪訝そうに外を見て囁き合うのが耳に入ってきたが今は机の下で歩き回るきつねに気を取られていた。
けれど耳を澄ますと確かに、何か旋律のような音が流れているようだった。
「あれなに…………?」
小さなざわつきが教室内のみんなの好奇心をかき立てて窓に人が集まっていく。
「うわー! なんだあれ」
「人魚じゃん!」
なんだ?
タマコが訝しんで席を立とうとした時、さらに教室に異変が訪れた。
外が不思議な光の屈折をして、水槽のようにガラスの向こうに水が満ちた。
「なにこれ!?」
窓の外に光が揺れて、床から天井まで綺麗な水模様が満ちる。
みんなが上を見て騒いでいるということは、これはタマコの空想なんかではないということだ。タマコの頭の中で消えていく幻じゃない。
みんなの目に映るほどの、何らかの事象。
「…………」
魔法のような光景。
それはあまりに似通っていた。
きつねはタマコが走り出すのを束の間見送って、ひらりとそれを追いかけた。
叶うはずのない夢物語が目の前に。
○
魔女なんて言葉は嫌だ。
最初にタマコからその言葉を聞いたとき、彼女が自分をそう呼んだとき、わたしはどきりとした。気付かれたのかと思って。
君の孤独をわかっても、君の覚悟まで理解はできない。
理解されないくらいなら一人でいいと断言できる彼女を羨ましくさえ思った。けれどわたしは君のようにはなれないよ。
わたしなんて、どうしても友達がほしくてここにきたのに。
ひとりがいやだったの。さびしいの。堪えられなかったの。
あんな山でひとりきりは、もうごめんだ。
だからみんなに嘘を吐くの。嘘吐きはわたしのほうなんだ。
それが今、どうして自ら飛び込んだ人々との繋がりを絶とうといているのか。こんなことをすれば、もう二度とここにはいられないのに。
これは全てひとりの友達、タマコに捧げた贈り物。君にはそのイメージを大切に持っていてほしいんだ。
枯れ木に花を、猫には長靴を、箱の中には金銀財宝を。かぼちゃは馬車に、糸車には眠りの魔法を。
学校の古い噴水に歌声を。魚が優雅に宙を泳ぎ。学校にはきつねを。それから、ここを海で満たして星を輝かせて。それから花を宝石に。
彼女の言ったことはみんな叶える。
見渡す限り、目につくものみんなに魔法をかけた。
わたしは魔法使い。幻をつくる魔女。
見せかけだけの「嘘」だけれど、それでもこの街全てに「見せる」ことなら簡単。
嘘を生み出す魔法使いは、一人の少女の「嘘」を全部ひろってここを去る。
こんなことしかできないけれど、君が報われますようにと祈りを込めて。
箒に乗って魔法をシャワーのように浴びせかけまくった町を眺めていると、愉快なほどに壮観だった。大人も子供もわたしの生み出した幻術に驚いて半パニック状態だ。あり得ないものばかり見えているのだから無理もないことだけれど。こうしてわたしが上空を飛行しても誰も気に留めないくらいには、……この町は不思議なもので溢れてしまった。
ちょっと楽しいな、と爽快感を覚えかけてそんな思考を追い払う。本来、人間の社会をこんなに混乱させてはいけないのだ。
「でもきっと楽しいでしょ、タマコちゃん」
ここにはいない少女に呼びかける。
「君が言ってた面白いものがたくさんあるよ。……どうかなあ」
混乱する町の中で、いとも簡単にわたしを見つけた少女がいた。
「……タマコ」
あの大きな黒の瞳は紛れもない、「嘘吐きの」少女だった。わたしのきつねがうしろからついてきてるのに気付いているだろうか。
その表情に、その瞳の奥に輝きを見る。
わたしは深く息を吸って、手を差し伸べる。
来る?
そう声もなく問いかけた。
タマコは迷いなくまた走り出す。
人間をひとり攫うことになってしまうな。
そう思ったけれど、
君がいいならそれでいいか。
〇
「ああ、忘れるところだった。手を出して」
手を繋いで、わたしはタマコを我が家へと招待するべく昨日と同じ山道を歩いていく。その途中で初めてできた弟子を振り返る。
「なに?」
はい、と渡したのは白い塊。円錐形に尖っている。
「なにこれ」
「ワニの歯」
「これも!?」
〇
彼女はひとつだけ本当のことを言っていた。
君のお隣さんは魔法使いだったのだ。
うそひろいのまほう 端庫菜わか @hakona
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